一月三日 吾郎 / 第2話

第1話:探偵は猫のいない世界で暮らす

白猫のタマを追って、見知らぬ世界に迷い込んでから一週間が過ぎた。 だが、いまだに俺はタマを見つけられていない。 それどころか、元の世界へ戻る方法すら見つかっていない。 控えめに見てもよろしくない状況だ。 あの日、草原でタマを見失った俺たちは、途方に暮れながら歩き回った。 そして、ようやくたどり着いた場所で、俺は自分の目を疑った。 街には木造の家屋が立ち並び、 白黒映画でしか見たことがないような古めかしい自動車が走っている。 路面電車も走っていた。 車と電車が並走している様子は違和感しかなかった。 ここは東京のはずだが、見慣れた建物が何一つない。 あるはずのものがなく、存在するはずのないものがある。 スーツ姿の人もいる。だが、妙に古めかしい。 洋装の紳士もいれば、着物姿の女性もいる。 和と洋が入り混じった、不思議な街並みだった。 明らかに、俺の知っている東京ではない。 そんな光景を見れば、 嫌でも自分が知らない世界に迷い込んだのだと受け入れざるを得なかった。 そんな中、初は相変わらず元気に働いている。 あの混乱の中でも、俺より先にこの世界での居場所を見つけたのだから大したものだ。 初を見ていると、人間の適応力には驚かされる。 本来なら俺が面倒を見るべき立場なのに。 我ながら情けない話だ。 そんな俺でも、ようやくエアコンのない生活に慣れてきた。 真夏の東京ほど蒸し暑くないとはいえ、 扇風機すらない生活に適応できるとは思わなかった。 まだ驚くことも多いが、それでも来たばかりの頃に比べれば、 色んな事に慣れてきた。 だが、どうしても慣れないことがある。 いや、慣れてはいけないと思っているという方が正しいだろうか。 なんというか、どう生きるかって話だ。 俺は現在、萩原(はぎわら)夫人の家に世話になっている。 夫人とは、ちょっとした事件をきっかけに知り合った。 そんな夫人の家の庭で、俺は草むしりをしている。 仕事が見つかるまではお礼など考えなくていいと言われているが、 気分的な問題だ。 何もせずに平然とただ飯を食らっていられるほど、 俺は子供ではない。 草が途中でちぎれないように根元をしっかりと握り、 真上に引き抜く。 抜いた草がうねうねと蠢き、絡みついてくるのが不快だ。 ワカメ草。 この世界特有の植物だ。 見た目はワカメによく似ている。 俺達が最初にこの世界に来た時の草原も、 ワカメ草の群生地だった。 繁殖力が旺盛で、道端でも庭先でもどこでも見かける雑草だ。 こんなにワカメにそっくりなのに、食用ではない。 食べられなくはないが栄養がなく、 こればかり食べていると栄養失調になるらしい。 まるでこんにゃくみたいだと言ったら、 こんにゃくとは何かと聞かれた。 どうやらこの世界には、こんにゃくがないらしい。 こういうことはわりとある。 見たこともないようなものがあるのに、 あって当たり前のものがない。 そして、俺たちの探し物の一つである猫もそうだ。 この世界には猫はいない。 虎やライオン、豹やチーターは存在する。 なのに猫はいない。 ちなみに、ネコ科という言葉は存在する。 生物学上の分類としては存在するのに、 実物がいないのは不思議だ。 マンモスみたいなものだろうか。 学術的な興味は引かれるが、 ネットもないこの世界では簡単に調べる方法もない。 図書館はあるが、べらぼうに高い。 職もない居候の身分で、 知的好奇心を優先するわけにもいかない。 そう。 とにもかくにも金がない。 八方ふさがりだ。 そして、初は萩原夫人の家で女中という職を得たが、 俺に関しては絶賛休職中だ。 そういうわけで、こんなふうに地面にへばりつくようにして、 萩原夫人の家で庭の草むしりをやっている。 働かざるもの食うべからず。 世界が変わっても変わらないものがある。 それは俺の信条だ。 「せんせー、お茶が入りましたよ。  一息入れてください」 家の奥から初。 古びた縁側には風鈴が揺れていた。 「ありがとう。  ふう、疲れた。  ようやく地面が見えるようになってきたな」 ワカメ草が不気味に蠢いていた庭に、 茶色い部分が増えてきた。 少し前までは庭師の爺さんが手入れしていたらしいが、 引退してからは世話をする人間がいなくなり、 この有様だ。 「まるでミントみたいですね。  このワカメ。すごい生命力。  美味しければいいのに、味もそっけもないし、  出汁も取れない。  名前詐欺ですよね。ほんと。  あれ、見た目詐欺かな?どっちだろ。  まあいいか、こういうのを箸にも棒にもかからないっていうんでしたっけ?」 初がワカメ草を見ながら嫌そうに言った。 ワカメ草はまだ少し動いている。 これは本当に植物なんだろうか? ……お金が貯まったら図書館に行って調べてみたい。 「……まあ、植物に使う言葉じゃないけどな。  言いたいことは分かる。  よく勉強してるじゃないか」 「えへへ、これでも国立目指してますからね。  それにせんせーの担当科目だから、現代文には力を入れてるんです」 「……ほんとうにすまない。  こんなことに巻き込んでしまって」 初は、俺が臨時のバイトで塾講師をした時の元教え子だ。 自習室で話す機会があって、 そこから親しくなった。 「それは言わない約束ですよ。せんせー。  それにこんな経験は普通出来ませんからね。  面接の自己PRで大ウケすること間違いなしです。  こんな経験した人、他にいませんからね」 「……そうだな。  俺もこの不思議世界の体験をSNSに投稿して宣伝しよう。  『異世界に逃げたペットを見つけ出した実績あり』、  バズりそうじゃないか?」 「……やめてください。  炎上必至ですよ。  廃業待ったなしです」 どうやらSNSはだめらしい。 探偵という職業は信用商売だ。 せっかくの珍しい経験を無駄にする手はないと思ったのだが。 信じてもらえないだろうが、嘘ではないわけだし。 まあ、冷静に考えれば、異世界に迷い込んだ探偵なんて売り文句にしたところで、 依頼人が信用するとは思えない。 かえって信用を損なうだけだ。 どうやら俺は少し舞い上がっていたらしい。 しかし、大学の面接でアピールする方がまずいと思うのは俺だけだろうか。 何が違うのか、俺にはさっぱりわからない。 「まあまあ、随分と庭が綺麗になりましたね」 初と茶を飲んでいると、 萩原夫人がやってきた。 この暑いのに着物姿だ。 それなのに額には汗ひとつ浮かべていない。 ふんわりと花のような香りがする。 売れっ子作家だという話だが、 華道の先生でも通用しそうだ。 無理や我慢をしている様子も見えない。 生活に余裕があると、 暑さにも耐性ができるのだろうか。 「お世話になっている身ですから、  このくらいはさせてください。  もちろん、仕事が決まってお金が入れば、  寄宿料もお支払いいたします」 「そんなこと、お気になさらなくてもよろしいのに。  お二人と会えて私、とても助かっておりますの。  新作のネタが思いつかなくて困っていたところに、  このような面白い……いえ、興味深いお二方と巡り合えたのですもの。  まさに天の配剤ですわ」 面白がられているのは察しているが、 どうということはない。 不審人物として官憲に突き出されないだけでも有難い。 それなのに食事と寝床を提供し、 お礼も無心しないのだから、まるで仏様のような人だ。 作家としての打算もあるかもしれないが、 そんなのは社会人なら普通のことだ。 取り立てて大騒ぎするようなものではない。 それに、ことは俺だけの問題ではない。 初のこともある。 「……そういっていただけると有難いです。  それに初を女中として雇っていただいて……  本当に感謝しています」 「せんせー、さっきも言いましたけど、  そこまで責任感じなくても……」 「お前の気持ちは嬉しいが、俺の信条の問題だ。  俺にはお前に対する責任がある」 初はぽかんとした顔をしてこちらを見る。 萩原夫人は面白いものでも見るように、 口を手で覆って笑っている。 何か変なことを言っただろうか。 「……わかりました。  じゃあ、しっかり責任取ってくださいね!  奥様、私も感謝してます。  一生懸命、頑張ります!」 「ええ、ええ、頑張ってちょうだいね。  ふふふ、本当に見ていて飽きない二人だこと。  筆が止まらなくなりそう」 なんだろう。 萩原夫人は俺と同い年ぐらいのはずなのに、 俺にはない余裕を感じる。 作家として積み重ねた経験と、 社会的な地位がそうさせるのだろうか。 俺も早くそうなりたいものだ。 「それはそうと、空木先生。  確か、妙な生き物を探しているとおっしゃってましたよね?  子犬ほどの大きさで、毛の短い……  ネコという生き物でしたか。  その生き物かどうかはわかりませんが、  少し気になる話を耳にしましたの。  行きつけの食堂のおかみさんから聞いたのですが、  最近、ゴミ箱が荒らされるようになって困っているとか。  夜中に聞きなれない動物の鳴き声を聞いたとも言ってました。  ここらは野良犬もあまり見かけないので、  おかしな話だと思いましてね。  それで、先生が探しているという妙な動物の話を思い出したんです。  一度、調べてみてはいかがですか?」 居候先の夫人から、思わぬ手がかりを得た。 タマかもしれない動物が、この町にいる。 これで動かないやつは探偵ではない。 そして俺は探偵だ。 俺は首にかけたタオルで汗をぬぐい、立ち上がる。 「ちょっと話を聞いてきます。手がかりが見つかったかもしれない」 知らない場所で猫一匹を探し出すなんて、無理だと思っていた。 だが、手がかりは舞い込んできた。 まずは話を聞きに行こう。 ようやく探偵らしい仕事ができそうだ。

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