一月三日 吾郎 / 第3話

第2話:探偵は猫を見つける

萩原夫人の話を聞いて食堂に向かった俺は驚愕した。 店の軒先で気持ちよさそうに腹を見せている小動物がいた。 というかタマだった。 「人の気も知らずに……のんきなもんだ」 元をただせば、こいつのせいで妙な世界に迷い込んでしまったというのに。 少しあばらの浮いた腹をなでてやると、むずがるように寝返りを打ち喉を鳴らした。 少し汚れてはいるが、怪我もないようだ。 こんなにも早く見つかるなんて拍子抜けもいいところだが、都合がいいことに文句はない。 初もこれで安心することだろう。 随分と心配していたからな。 さて、これからどうするか考えなくてはいけない。 当面の目的であるタマの捜索はこれで完了だ。 とはいえ、ここから逃げられる可能性もあるので当然放置はしない。 このまま無防備に寝ているところを強引に捕まえるのも手だが、むしろ逃げられそうだ。 これまでのペット探しの経験から俺は知っている。 焦って捕まえようとすると大抵は逃げられる。 逃げられない状況を作ることが肝要なのだ。 袋小路に追い込んだはずなのに、何故か逃げられてしまうこともあるが、そんなのは例外だ。 こんな例外まで想定していたら何もできない。 この隙に捕まえるべきか。 ケージを取りに戻るべきか。 初を呼んできた方がいいか。 色々と考えた結果、俺は店のおかみさんに話を聞くことにした。 この様子なら逃げ出す心配はなさそうだ。 少し瘦せているが、ケガもしていなそうだし、心配もいらなそうだ。 「すみません、萩原夫人の家でお世話になっている空木というものです。  店の前にいる動物のことでお話を伺えますか?」 「ああ、萩原さんのところの人ね。  私は加代。  あの子があなたの探しものであってたかしら?」 「ええ、そうなんです。  ずっと探してまして。  まさかここで保護していただいていたなんて」 「そんなにかしこまられるほどのことはしてないわ。  餌も食材の切れ端をあげてただけだし。  初めてみる動物だけど人懐っこくて可愛らしかったから、  お世話するのも楽しかったわ。  まるで子供ができたみたいだったの」 「そうですか。  大事にしていただいてありがとうございました。  それで、連れて帰りたいんですが。  構いませんか?」 「それは構わないけど。  あなた、萩原さんのところで居候をしてるんでしょ?  あの子のお世話はどうするの?」 「……連れて帰って考えます」 「もう少しこちらで預かっておくからどうするか決まったらまたいらっしゃい。  心配しなくても取り上げたりしませんから」 「はい、お気遣いありがとうございます。  出直してまいります」 萩原夫人と言い加代さんといい、この世界で出会う人はなぜこんなに親切なのか。 もしかしてここは天国なのか。 世の女性がこんなにも慈愛に満ちた存在であったなら、 俺もとっくの昔に既婚者になっていたに違いない。 それとも時代のせいだろうか。 この世界は近代化され切る前の日本に酷似しているが、 あちらでもこのぐらいの時代はこれがあたり前だったのだろうか。 俺は懐古主義者ではないつもりだったが、 ここに来て宗旨替えするのも存外悪くないと思い始めていた。 それほどまでにこの世界での生活に順応し始めていた。 永住したいような、心持ちにさせられていた。 そんな希望を持ち始めていた。 そう、問題はその希望だ。 タマを回収する目途はついたが、元の世界に戻るあては見つかっていない。 タマを回収して終わりではない。 まだエンドロールには早い。 猫を見つけてめでたしめでたしではないのだ。 帰り道を探さなくてはならない。 取り急ぎ、俺は萩原邸に帰ることにした。 初と相談し、考えなくてはいけない。 タマをどうするか、帰り道をどう探すか、それとも――。 ※※※※※ 「タマちゃん見つかったんですか!?  早く迎えに行きましょう、せんせー。  何をのんびりしてるんですか!  いなくなったらどうするんです!」 事情を説明したら初は裸足で駆けだそうかという勢いで詰め寄って来た。 無理もないが、顔を近づけてくるのはいろんな意味で心臓に悪いので控えてほしい。 「落ち着け。  説明した通りだ。  タマは心優しい食堂のおかみさんに保護されている。  食事も食べさせてもらえているようだし、けがもしていなかった。  俺が見た時にはひっくり返って寝ていたほどだ。  少し痩せていたから彷徨った挙句にあそこにたどり着いたんだろう。  運のいい奴だ。  そういうわけだから、今すぐどうこうなることはない。  迎えに行くとしてそれから先のことを考えるべきだ」 「それから先……?」 「そうだ。  タマは見つかったが元の世界に帰る方法は皆目見当がつかない。  こんな状況でタマを抱えたまま帰り道を探すのは難しいんじゃないかという話だ」 「それはそうかもしれませんけど……」 「今の俺たちは萩原邸の居候だ。  お前は一応女中として働いてるが、それだって萩原夫人の好意によるものだ。  ただ世話になるだけじゃ申し訳ないからという理由で雇った体にしてもらっているんだ。  そこを勘違いしちゃいけない」 俺がそう言うと、初は目に見えて勢いを落とした。 酷なようだがここは保護者の俺が現実を告げなくてはならない。 というか俺なんて庭の草むしりを勝手にやってなんとか体面を保っているのだ。 いくら何でも初一人を働かせて自分だけフラフラしているのでは立つ瀬がない。 仕事を探していないわけではないのだ。 だが身元不詳でいつ辞めるかもわからない中年男性を雇うやつはそういない。 日雇いがせいぜいだが、それだって潤沢に募集があるわけではない。 それで得られるのが文字通りの日銭程度なのだから仕事探しに身が入りようもない。 ペット探しを割に合わないとぼやいていたのが罰当たりなぐらいだ。 帰ったらペット探しをしぶるのはやめよう。 数件こなせば家賃代ぐらいにはなるのだから、あれは素晴らしい案件だ。 そのためにもなんとか帰り道を見つけないと。 「何かお困りですか?空木先生」 しょぼんとしてしまった初を前にどうしたものかと頭を抱えていたら萩原夫人がやってきた。 それなりに広いとはいえ、襖など開け放たれた家の中である。 これだけ大騒ぎしていて気にならないはずもない。 「ええ、ちょっと。  いえ、おかげ様で探していた猫は見つかったんですが、  思いのほか早く見つかった者でまだ帰省する準備が整っていないのです。  それで、猫を引き取ったとして世話をどうしたものかと悩んでいたのです」 「まあ、もう探し物が見つかりましたか。  それはよかったです。 私が与太話をしたばかりに、  先生に無駄足をさせてしまったのではないかと気にかかっておりましたの。  ほっといたしました」 萩原夫人はそう言うと、両手を胸の前で重ね合わせ、 ほっと胸を撫で下ろすように息をついた。 ……少しは慣れてきたつもりだったのだが、どうにも胸が躍ってしまう。 知り合って一週間程度の付き合いだというのに、 わがことのように喜んでくれているのが痛いほど伝わってくる。 自分の心臓の音が、静かな室内に響いてしまいそうな気がした。 この人の旦那さんが結婚したくなったのも納得だ。 昇進したとか言ったら盛大に祝ってくれそうだ。 こんな人が奥さんだったら、男冥利に尽きるというものだろう。 そのせいで運を使い果たして早世されたのだとしても、不思議ではないほどだ。 不謹慎かもしれないが、悔いはないんじゃないだろうか。 いや、逆だな、悔いしかないだろう。 俺でもきっとそうだ。 「それでしたら、是非わが家にお連れくださいな。  ご承知の通り部屋は余っておりますし、先生のおかげでお庭も綺麗に整っておりますもの。  小さな動物の一匹や二匹、お預かりするくらい何でもありませんわ。  もし、私に遠慮なさっているのでしたら……どうかおやめくださいね。  本音を言えば、私も見てみたいのです。ネコという動物を」 「ほんとですか!?  奥様!やりましたね、せんせー!  タマちゃん一緒に住んでもいいそうですよ!」 「いや、しかし、そうはいっても連れてくるとなると住む場所だけじゃすまないだろ。  生き物ってのは色々とお金がかかるんだ。食べ物だってそうだし……」 「そんなにかかりますか? 病気になったりしたら別ですけど。  こっちには猫砂とか猫用のトイレシートとか売ってないから、  逆にお金かからないんじゃないですか?」 なんということだ。 贅沢なペット用品が溢れる現代と違い、ここでは寝床と飯さえあれば事足りてしまうのだ。 というより、預けたままでは病気や怪我のリスクが高まるという初の指摘はもっともだった。 安全のためにも、一刻も早く引き取ったほうがいいのは火を見るより明らかだ。 そもそも、猫が存在がしないこの世界で、 その生態に詳しい人間が自分たち以外にいるはずもないのだ。 もし変なものを食べさせられでもしたら大変なことになる。 人間には平気でも、猫にとっては毒になる食べ物などいくらでもある。 ——当の猫自身が気を付けてくれればいいのだが、そんな器用な芸当ができるわけもない。 「そうだな。初の言うとおりだ。  タマを迎えに行くとしよう」 「やった! さっそくケージを準備しますね!」 初はそう言うと、弾むような足取りで納戸へケージを取りに行った。 さっきまでしゅんとしていたのに……現金な子だ。 「萩原夫人、ありがとうございます。  ここはお言葉に甘えさせていただきます。  出立までには、必ず相応のお礼をさせていただきますので」 「あらあら、そんなにお気になさらずに。  異国の珍しい動物を見せていただけるのでしょう?  それだけで私にとっては十分なお返しですよ。  作家というのは珍しいものや風変わりなものに目がありませんので」 あ、そうですか、じゃあお言葉に甘えて……ヘヘ。 ——なんて言えるわけがない。 彼女の言葉は建前ではなく本音だろう。 短い付き合いだがそれくらいはわかる。 ならば俺も本音で返さねばならない。 社交辞令ではなく、だ。 それが男の意地というものだろう。 「それでしたら、萩原夫人に喜んでいただける珍しい品をご用意させていただきます。  楽しみにしていてください。  猫と同じくらい希少なものですから、きっと驚いていただけると思います」 「まあ、本当によろしいの?」 「ええ。男に二言はありません」 「ふふ、それじゃあ楽しみにさせていただきますね。  ネコと同じくらい、希少なもの」 「はい、大いに期待していてください」 ——女性に贈り物を送るのが、こんなにも胸躍ることだとは知らなかった。 キャバ嬢や地下アイドルに貢ぐ奴の気持ちが、ほんの少し理解できた気がする。 いや、俺の場合は推し活ではない。 純然たる恩返しだ。 恩返しというか、宿代と食費、諸々を支払うだけだ。 決して下心などない。 ……きっと。 多分。 ……だよな?

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