MIYA / 第16話

第16話 持っとけ

 常光寺へ行くと、白木は昨日の予定表を出してきた。  閉眼供養について問い合わせてきた相手は名前を残していなかったが、折り返し用の電話番号だけは控えてあるという。  「かけてもええですけど、榊さん」  白木は大学ノートを閉じた。  「向こうが何を教えてくれるかは別の話ですよ」  「わかってます」  透は縁側から電話をかけた。  何度か呼出音が続いたあと、女性が出た。  『はい、|春日苑《かすがえん》でございます』  寺に問い合わせた個人の番号ではなく、高齢者施設の代表番号だった。  透は名乗り、早瀬昭三に伝えたいことがあると説明した。職員は丁寧だったが、在所の確認も含めて答えられないという。  「そうですよね」  『申し訳ありません』  「じゃあ、榊便利堂の榊という人間から連絡があったことだけ、伝えてもらえますか。臥雲町から、と」  職員は少し考えてから、透の電話番号を聞いた。  『お約束はできませんが、お伝えできる場合はこちらからご連絡します』  「お願いします」  電話を切ると、白木が麦茶を一杯出してくれた。  「待つしかないですね」  「その仕事ばっかりです」  「うちも似たようなもんですよ」  透が半分ほど飲んだところで、携帯電話が鳴った。  春日苑からだった。  職員は先ほどより少し柔らかい声で、午後なら面会できると告げた。  『早瀬さんご本人が、臥雲町の方ならお会いしたいと』  透は立ち上がった。            ※  遠出すると知った航が、工場の代車を貸してくれた。  「お前の軽トラで行ってもええけど、帰りに腰なくなるぞ」  「借りる」  「即答か」  航は乗用車の鍵を渡してから、透の作業着を見た。  「それで行くん?」  「これしかない」  「あるやろ、普通の服」  「ある」  「じゃあ着ろや」  結局、透は便利堂へ戻ってシャツだけ着替えた。  春日苑は町を離れた山あいにあった。低い建物が何棟か並び、玄関脇の花壇には夏の花が植えられている。  受付で名前を告げると、職員が奥へ案内してくれた。  早瀬昭三は、中庭に面した談話室にいた。  八十六歳。  痩せてはいるが、車椅子の背にもたれずに座っている。手の甲には古い火傷の跡がいくつも残っていた。  職員が透を紹介する。  「臥雲町から、榊さんです」  早瀬がこちらを向いた。  「榊?」  その瞬間だった。  透の喉が動いた。  挨拶をする間もなく、胸の奥から預かっていた声が上がってくる。  「早瀬さんに」  透は止めなかった。  「早瀬さんに、鍵は戻したと言うといてくれ」  事故現場で聞いた男の声が、そのまま談話室に出た。  言葉が終わると、胸の奥にあった重さも消えていた。  早瀬は透を見たまま動かなかった。  やがて膝の上へ置いていた手を裏返し、火傷の跡を親指で擦った。  「北野やな」  透は椅子へ座った。  「北野さん?」  「北野修一。うちの工場におった男や」  早瀬は視線を窓の外へ移した。  「死んだんか」  「県道で事故に遭いました。俺が最初に見つけました」  早瀬は「そうか」とだけ返した。  中庭では職員が花壇へ水を撒いている。窓が閉まっているため、水の音までは聞こえなかった。  「鍵というのは、三番倉庫のものですか」  「そうやろな」  「事故に遭った車から、三の番号札がついた古い鍵が見つかってます」  そこで初めて、早瀬が透へ向き直った。  「持っとったんか」  「警察が保管しています」  「そうか」  早瀬は少し俯いた。  「工場を畳んだ日、あいつが返しに来たんや。三番の鍵を」  早瀬鉄工が使っていた、港の共同倉庫。  会社を閉めるなら、借りていた倉庫も返す。その片付けを最後まで手伝ったのが北野だったという。  「もう使わん鍵やのに、あいつ律儀に持ってきてな。机へ置こうとするから、わしが返した」  「どうして?」  早瀬は鼻から息を吐いた。  「持っとけ、言うたんや」  その言葉だけは、迷わず出た。  「また仕事始めるかもしれん。そのとき使うから持っとけって」  「始めるつもりだったんですか」  「あるわけないやろ」  早瀬は即答した。  「土地も機械も手放した。借金も残っとった。わしも、もう若うなかった」  では、なぜ。  透は訊かなかった。  早瀬も説明しなかった。  少しして、自分から続きを話した。  「北野は二十のころからおった。工場閉めるいうたときも、最後まで残って片付けしとった。そんなやつに、今日で終わりやから鍵返せとは言えんかった」  窓の外を見たまま、早瀬は言った。  「あいつは何も言わんと持って帰った」  透は事故車の鍵を思い出した。  「北野さんは、その鍵をずっと持っていたみたいです」  早瀬の指が膝の上で止まった。  「十五年か」  「はい」  それ以上、透は何も足さなかった。  しばらくして、早瀬が小さく笑った。  「鍵は戻した、か」  「はい」  「戻した言うて、まだ持っとるやないか」  笑いはすぐに途切れた。  早瀬は目元を触ることもせず、火傷の残る手を膝へ戻した。  「わしが受け取らんかったから、あいつは持っとったんやな」            ※  透は帰る前に、事故車から位牌が三つ見つかったことも話した。  常光寺には先月、早瀬家の墓について閉眼供養の問い合わせがあった。ただし、電話をした人が北野だったという確認は取れていない。  早瀬は黙って聞いていた。  「わしは頼んどらん」  「白木さんも、誰からの電話だったかまではわからないそうです」  「そうか」  早瀬はそれ以上、北野が何をしようとしていたのかを決めなかった。  透も決めなかった。  帰り際、早瀬が呼び止めた。  「榊さん」  「はい」  「警察に、わしのこと伝えてええよ」  「わかりました」  「北野のこと、何かわかったら教えてほしい」  透は連絡先を職員へ渡した。  早瀬は受け取らず、職員が預かった紙を一度見ただけだった。  施設を出ると、午後の陽射しが駐車場へ落ちていた。  透は航から借りた車へ乗り、エンジンをかける。  胸の奥には、もう北野の声はなかった。            ※  臥雲町へ戻ったころには暗くなっていた。  代車を返すと、航は工場のシャッターを半分下ろしているところだった。  「終わった?」  「ああ」  「ならええ」  航は鍵を受け取り、助手席を覗いた。  「ゴミないな」  「子供じゃないんだから」  「お前の軽トラ、助手席から去年の領収書出てきたぞ」  「それはゴミじゃない」  「去年のやぞ」  言い返せず、透は自分の軽トラへ乗り換えた。  便利堂へ戻ると、机の上に千鶴の字で明日の予定が置いてあった。午前は網戸の張り替え、午後は乾物屋の荷運びと書かれている。  透は事故の夜に作った控え用紙を取り出した。  空いていた名前の欄へ北野修一と書き、届け先には早瀬昭三と記した。最後に完了の日付を入れてから、紙を控え帳へ挟む。  机の横には、明日張り替える網戸が二枚立てかけてあった。  透は一枚を作業台へ載せ、古い網を押さえているゴムを端から外し始めた。

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