MIYA / 第9話

第9話 家族やないので

 美容室「そのだ」の向かいに軽トラを停め、透は運転席から店の中を見た。  午前の客が二人いる。鏡の前には髪を切ってもらっている男が座り、待合の老女は膝に雑誌を広げていた。佐知子は客の後ろを行き来しながら、いつもどおり仕事をしている。  透は車から降りなかった。  トキの言葉を預かる前なら、髪を切る客として店へ入ることもできた。今は事情が違う。佐知子が本当の宛先だった場合、向かい合ったところで何が起こるかわからない。  第7話で梶から聞いたことも残っていた。候補を一人ずつ訪ね、喉の反応で答えを探すような真似はするな、と。  それでも、店の近くまで来ると胸の上に収まっているトキの声がわずかに浮いた。  透は反射的に口を閉じた。  声が出たわけではない。喉が動いたわけでもなかったが、康夫の前に立ったときとは感覚が違う。  だからこそ、これ以上は近づかなかった。  佐知子が店の奥へ入ったところで、透は軽トラを出した。            ※  便利堂へ戻って一時間もしないうちに、立花康夫から電話が入った。  実家の片付けを始めたいので、見積もりを頼みたいという。すぐに全部処分するつもりはなく、兄弟が町にいる間に大きな家具だけでも確認しておきたいらしい。  「便利屋の仕事ですね」  電話を切ると、伝票を整理していた千鶴が言った。  「便利堂の仕事だ」  「最近そこ、ちゃんと訂正しますよね」  「店の名前だからな」  「で、立花さんの家にも行く」  「仕事でな」  千鶴は何か言いたそうにしたが、伝票へ視線を戻した。  午後から立花家へ向かうと、康夫と長男が押し入れの段ボールを縁側へ運び出していた。葬儀を終えたばかりの家だったが、二人とも喪服ではなく、古いシャツと作業用のズボンに着替えている。  「早くてすみません」  康夫が汗を拭きながら言った。  「兄貴も僕も、いつまでもこっちにおれないもんで。捨てるものだけでも分けとこうと思って」  「見積もりだけなら今日できます。処分はあとでも大丈夫です」  透は家の中を見て回り、家具の大きさや搬出経路を確認した。廊下は長く、古い箪笥の中には着物が何枚も残されている。仏間のものについては触らず、兄弟の判断を待つことにした。  縁側へ戻ると、康夫が古いアルバムを開いていた。  「こんなんまで取ってあったんやな」  横から長男も覗き込む。  透は離れたところで寸法を書きながら、二人の会話だけを聞いていた。  「佐知子ちゃんやろ、それ」  「そうやな。小学校のころか」  康夫が頁をめくる。  「母、ずっと持っとったんや」  透の鉛筆が止まった。  「園田さんの写真ですか」  「ええ。昔、うちで一緒に暮らしてたんです」  康夫はアルバムを持ち上げた。  庭に立つ少女の写真や、制服姿で玄関前に並んだ写真が何枚も収められている。透が中身を詳しく見る前に、康夫はまた自分の膝へ戻した。  「兄貴が通夜の連絡もしたんですけどね」  長男が苦笑する。  「家族やないので、って断られました」  康夫は写真を見たまま口を開いた。  「佐知子ちゃん、昔からそう言うんですよ。うちに長くおったのに」  「本人からしたら、そうなんやろ」  長男が答える。  康夫は否定しなかった。  次の頁には、トキと佐知子が二人で写っていた。佐知子は制服姿で、トキは今よりずっと若い。  「母も母でなあ」  康夫がアルバムを閉じた。  「佐知子ちゃんのこと、名前で呼ぶより『あの子』って言うことの方が多かったんです。僕らと話すときも、ずっと」  透は何も訊かなかった。  寸法を書き終えた紙を折り、次の部屋へ移った。            ※  夕方までに、大きな家具の確認は終わった。  最後に物置へ回ると、古新聞が何束も積まれていた。新聞そのものを残したかったわけではなく、折込広告や地域の記事をまとめて取っていたらしい。  康夫から処分していいと言われ、透は紐の傷んだ束を分けていった。  一番下にあった古い束を持ち上げたとき、上になっていた紙面の日付が目に入る。  十五年前の八月だった。  大きな見出しに、高潮の二文字がある。  透は新聞を持ったまま、紙面を見た。  記事の細かな文字までは読まなかった。  「榊さん、その辺も捨てて大丈夫です」  隣の部屋から康夫の声がした。  透は束を処分する側へ置こうとしたが、結局、保留にしていた箱の横へ移した。  「これは?」  戻ってきた康夫が訊く。  「あとで、もう一度確認してもいいですか」  「構いませんけど、ただの古新聞ですよ」  「すみません」  康夫は首を傾げたものの、それ以上は訊かなかった。  透も新聞には触れず、物置を出た。            ※  見積もりをまとめていると、康夫が冷たい茶を二つ持って縁側へ来た。  「園田さん、葬儀にも来ませんでした」  透は受け取ったコップを膝の前へ置いた。  「そうですか」  「母が亡くなる前は、何度か見舞いに来てくれてたんですけどね」  康夫は庭を見ながら茶を飲んだ。  「僕ら、子供のころは佐知子ちゃんのことを妹みたいに思ってました。たぶん、母も似たようなもんやと思ってたんでしょうけど」  そこまで言ってから、康夫は自分で首を振った。  「本人が違う言うなら、違うんでしょうね」  透はアルバムに残っていた写真を思い出した。  「写真、ずっと残ってましたね」  「取っておくだけなら簡単ですから」  康夫は空になったコップを縁側へ置いた。  「生きてるときに何をしたかの方が、たぶん残ります」  透は返事をせず、見積もり用紙を畳んだ。            ※  夜、千鶴を乾物屋へ送った帰りに、美容室の前を通った。  店の明かりはまだ点いていた。佐知子は客の髪を乾かしており、店内には昼とは違う客が二人いる。  透は速度を落としたが、店の前には停めなかった。  助手席の千鶴がガラス戸を見て、身を乗り出す。  「あれ」  入口の内側に、白い紙が貼られていた。  千鶴が読み上げる。  「今月末で閉店……って、もうすぐじゃないですか」  透も信号待ちの間に文面を確認した。  長年の利用への礼と、月末で営業を終えることだけが書かれている。理由はなかった。  「園田さん、町からいなくなるんですかね」  「そこまでは書いてない」  「あ、そっか」  信号が変わり、透は軽トラを進めた。  閉店と、トキの言葉が直接関係しているかどうかはわからない。わからないことを勝手につなげるなと、梶にも言われたばかりだった。  ただ、客のいる美容室へ踏み込む気にはなれなかった。  「透さん、明日どうするんです?」  「店が閉まる時間を調べる」  「閉店後に行く?」  「ああ」  千鶴は前を向いた。  透もそれ以上は話さず、商店街を抜けた。  明日の仕事表には、まだ何も書いていなかった。

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