MIYA / 第70話

第52話 箪笥の奥

   ハルから言葉を預かって六日目になった。  昼を過ぎても、宮下トヨへ直接つながる手掛かりは増えていない。  透は便利堂の机で、前日までに確認したことを見直していた。  十五年前、港東二十七番には宮下家があり、トヨはそこで暮らしていた。祭りの夜から所在がわからず、死亡も確認されていない。  ハルは事故のあとも二十七番へ足を運び、黒瀬に「トヨさんが戻ったら教えてほしい」と頼んでいた。  それでも十五年、二人は会えていない。  「今日はどこ行くんです?」  千鶴が伝票を束ねながら訊いた。  「まだ決めてない」  「二十七番は?」  「行かないよ」  空き地へ何度立っても、そこにトヨ本人はいない。  前日にハルの娘から聞いた住所録を、これから見せてもらうつもりだった。  透が携帯へ手を伸ばしたところで、店の電話が鳴った。  千鶴が先に受話器を取る。  「はい、榊便利堂です」  少し話したあと、透へ差し出した。  「宮下さんです」            ※  ハルの娘は、一時間ほどして便利堂へ来た。  布の手提げを持っている。  「昨日お話しした住所録、持ってきました」  机へ置かれたのは、表紙の角が丸くなった小さな住所録だった。  「ありがとうございます」  「それと、もう一つ出てきて」  娘は手提げから風呂敷包みを取り出した。  細長い。  机へ載せ、結び目をほどく。  中から古い木の板が現れた。  端が欠け、塗装もところどころ剥がれている。  千鶴が横から見た。  「表札?」  裏返すと、黒く残った文字があった。  宮下。  透はすぐには触らなかった。  「お母さんの家のじゃないですよね」  「うちは別の名字ですし、母が昔住んでいた家のものでもないです」  娘は小さな紙片を出した。  風呂敷の中に挟まっていたという。  鉛筆で「トヨちゃん」とだけ書いてある。  「これ、前からあったんですか」  「包みは、わたしが子どものころから見た覚えがあります。一度触って、母に怒られました」  「何て?」  「捨てたらあかんもんや、って」  それ以上は聞いていないという。            ※  透は黒瀬へ電話した。  表札について話すと、黒瀬は便利堂まで来てくれた。  机の上の木札を見るなり、足を止める。  「覚えてますか」  「ええ」  黒瀬は近くまで来たが、手には取らなかった。  「二十七番の家に掛かっていたものです」  ハルの娘が表札を見る。  「どうして母が?」  「そこまでは、私にも」  黒瀬が知っていたのは、事故後の片づけまでだった。  水が引いたあと、港東では泥をかぶった家具や木材を外へ運び出した。持ち主の戻らない二十七番にも町の人間が入り、その中にはハルもいたという。  「表札は?」  透が訊く。  「外れていたと思います。ただ、そのあと誰がどうしたかまでは覚えていません」  黒瀬はそれだけ答えた。  ハルが拾ったのか。  誰かから渡されたのか。  なぜ十五年間持っていたのか。  そこは決められなかった。  透の中に残っているのは、ハル自身が預けた一言だけだった。  トヨちゃん。あれは、うちが持っていったんよ。  透は表札と紙片を見たが、言葉の意味とは結びつけなかった。            ※  黒瀬が帰ったあと、透はハルの住所録を開いた。  娘にも隣へ座ってもらう。  古い住所と新しい住所が混じっている。書き直した跡も多く、亡くなった人には小さく線が引かれていた。  「お母さん、ずっとこれ使ってたんですね」  「新しいのに替えたらって何度言っても、これでええって」  娘が頁をめくる。  年賀状を出す相手も、この住所録で確認していたらしい。  透は宮下姓を探した。  数件あったが、二十七番の宮下家とはつながらない。  途中で娘の指が止まった。  「これ」  頁の下に、町の外の住所が一つ書かれていた。  名字は宮下ではない。  その横に、ハルの小さな字で書き込みがある。  トヨちゃんの妹。  透は住所録を自分のほうへ寄せた。  「この人、知ってます?」  「名前は見たことあります。でも会ったことはないです」  「年賀状は?」  「母が出してたと思います」  住所の横には電話番号も残っていた。  古い番号だ。  今も使われている保証はない。  透は娘を見る。  「電話してもいいですか」  「はい」            ※  固定電話から番号を押した。  一度。  二度。  三度。  呼出音が続く。  透は住所録の書き込みを見ながら待った。  五度目で音が切れた。  『はい』  女性の声だった。  透は椅子へ座り直した。  「突然すみません。臥雲町《がうんちょう》の榊と申します」  『はい』  「宮下ハルさんの住所録を見て、お電話しています」  電話の向こうが静かになった。  『ハルちゃん?』  呼び方が変わった。  透は娘を見る。  「ハルさんをご存じですか」  『ええ。昔は』  「宮下トヨさんについて、伺いたいことがあります」  今度の間は長かった。  『姉に、何かあったんですか』  透は受話器を持ち直した。  「トヨさんのお姉さんですか」  『違います』  女性は答えた。  『トヨが、私の姉です』            ※  透はすぐに次を訊かなかった。  隣で娘が住所録を見ている。  千鶴は少し離れた机からこちらを見ていた。  「宮下トヨさんのことで、探していることがあります」  『十五年前の話ですか』  女性のほうから言った。  「はい」  『電話で全部話すのは、ちょっと』  「わかりました」  透は時計を見る。  「トヨさん本人に、お会いすることはできますか」  電話の向こうで何かを確認する声がした。  遠くて、内容までは聞こえない。  透は受話器を耳に当てたまま待った。  やがて女性が戻ってきた。  『明日の午前中なら』  透は椅子から立った。  「本人に会えるんですか」  短い間のあと、返事があった。  『ええ』  透は机に置かれた住所録へ目を落とした。  町の外の住所は、今も変わっていないという。

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