MIYA / 第14話

第14話 三番を借りていた会社

 午前の草刈りを終えてから、透は港へ向かった。  昨日見つけた共同倉庫の管理事務所は、防波堤に近い一角にあった。水揚げの忙しい時間は過ぎているらしく、開いた窓から潮の匂いが入り、建物の裏では発泡スチロールの箱を片づける音がしている。  千鶴も一緒だった。午前中は乾物屋にいたが、港へ行くと聞いて途中からついてきた。  「透さん一人で行くと、聞きたいこと半分くらい聞かずに帰ってきそうなんで」  「聞かない方がいいこともあるんだよ」  「聞かなきゃわからないこともあります」  「その区別が難しいんだろ」  そんな話をしながら事務所へ入ると、カウンターの向こうにいた男が透を見て手を止めた。  五十代くらいで、作業着の袖に事務用の腕カバーをつけている。  「榊さんとこの?」  「はい。榊便利堂です」  「|宮下正巳《みやしたまさみ》です。今日は何か頼み事?」  透は昨日確認した三番倉庫のことを話した。昔使われていた鍵らしいこと、番号札に三の文字が残っていたことまで説明する。  誰の車から出たのかは言わなかった。  宮下は話を聞き終えると、すぐには答えず、机の上のボールペンを転がした。  「昔の借主を知りたい、いうこと?」  「会社だったか、個人だったかだけでも」  「そう簡単には出せんなあ」  「ですよね」  透が引き下がろうとすると、宮下が「ちょっと待ち」と呼び止めた。  「今の契約者の話は無理や。ただ、昔の倉庫がどう使われとったかくらいなら、確認できるかもしれん」  宮下は席を立ち、奥の棚を探し始めた。  千鶴が透の横で小声になる。  「帰らなくてよかったですね」  「まだ何も出てない」  「そういうとこですよ」  しばらくして宮下が薄いファイルを一冊持ってきた。  カウンターの内側で開き、透たちからは見えない向きのまま頁を繰っていく。  「何年ごろの鍵かわかる?」  「正確にはわかりません。今の錠前へ替わる前のものです」  「ああ、ほな古いな」  何頁か戻り、宮下の指が止まった。  「三番は個人やないわ」  透は黙って続きを待った。  「会社が借りとる」  宮下はファイルを閉じた。  「早瀬鉄工」  胸の奥に残っている言葉は動かなかった。  それでも、透は会社名を聞き返した。  「早瀬鉄工?」  「造船所の下請けやったとこ。船の部品や金物を作っとった。三番は資材置き場に使っとったはずや」  千鶴が透を見る。  事故で亡くなった男が残した宛先も、早瀬だった。  ただ、苗字が一致しただけで同じ人物とは限らない。  「その会社、今もありますか」  宮下は首を横へ振った。  「もうない。十五年前に畳んどる」  それ以上の年代の話は出なかった。  宮下はファイルを棚へ戻しながら、「会社名くらいなら昔の人に聞いても知っとると思うで」と付け加えた。  「社長さんの名前も、わかります?」  訊いたのは千鶴だった。  宮下は振り返る。  「そこまで何するんや、あんたら」  「ちょっと人を探してて」  「ちょっとで倉庫の昔の借主まで来るか?」  千鶴が透を見る。  透は仕方なく口を開いた。  「事故で亡くなった人が、早瀬さんに伝えたいことを残していたんです」  宮下の表情から、軽さが消えた。  「この前の県道の事故か」  「はい」  「ニュースで見たわ」  それだけ言って、宮下は椅子へ戻った。  しばらく何も話さなかったが、やがて机の引き出しから古い名刺入れを出した。中を探し、一枚だけ抜き取る。  透へ渡すことはせず、自分の手元で名前を確かめた。  「早瀬|昭三《しょうぞう》さん。早瀬鉄工の社長やった人や」  「今、どこにいますか」  「そこまでは知らん」  宮下は名刺を元へ戻した。  「会社を畳んでから町を出た、いう話は聞いたけどな。わしも付き合いあったわけやない」  透は頭を下げた。  「ありがとうございます」  「礼言われるほどのことはしとらん。会社名聞かれただけや」  千鶴が横で何か言いかけたが、透が先に事務所を出たので、そのままついてきた。            ※  軽トラへ戻る途中、千鶴が言った。  「かなり進みましたよね」  「会社がわかっただけだ」  「社長も早瀬さんですよ」  「同じ早瀬さんかは、まだわからん」  助手席へ乗った千鶴は、シートベルトを締めながら考え込んだ。  「でも、事故の人が三番倉庫の鍵を持ってて、その倉庫を借りてた会社の社長が早瀬さんで――」  「そこで止めとけ」  透はエンジンをかけた。  「勝手につなげるなって、梶さんに言われただろ」  「透さん、最近それ気に入ってません?」  「気に入ってない。必要なんだよ」  千鶴は窓の外へ目を向けた。  「じゃあ、次は早瀬昭三さんを探す?」  「その前に、早瀬鉄工のことをもう少し調べる」  「なんで?」  「事故で亡くなった人が誰なのか、まだわかってないから」  宛先だけを先に見つけても、届ける相手として間違いないか判断できない。  何より、亡くなった男と早瀬鉄工がどうつながっていたのかが見えていなかった。            ※  便利堂へ戻ると、梶が上がり框に座っていた。  今日は湯呑みではなく、スーパーの袋を持っている。中には茄子と胡瓜が入っていた。  「また野菜ですか」  千鶴が袋を覗く。  「余ったんや」  「この前も余ってましたよね」  「夏は増えるんや」  梶は袋を千鶴へ押しつけ、透を見た。  「港行っとったんか」  「なんで知ってるんですか」  「宮下から電話来た」  透は靴を脱ぐ手を止めた。  「早すぎません?」  「町が狭い言うとるやろ」  何度目かの答えだった。  千鶴が野菜を冷蔵庫へ入れている間に、透は早瀬鉄工の名前が出たことを話した。  梶は黙って聞いていたが、早瀬昭三という名前を出すと眉を上げた。  「昭三さんか。まだ生きとるはずやで」  「知ってるんですか」  「顔くらいはな。昔、港で仕事しとったら会うこともあった」  「今どこにいるかは?」  「知らん」  即答だった。  「町出て長いからな。あんたが探しとるんが本人なら、まず居場所からや」  透は机へ向かい、紙に早瀬鉄工と早瀬昭三の名前を書いた。  その下へ事故で亡くなった男について書こうとして、手が止まる。  名前がない。  そこだけは、事故の夜から変わっていなかった。  梶が透の手元を覗き込む。  「死んだ人間の方は、まだわからんのか」  「ああ」  「変な仕事やな」  「俺もそう思います」  「いつも変やけどな」  千鶴が冷蔵庫の前から笑った。  「それはそう」  「お前まで言うな」            ※  夕方、透は早瀬鉄工について町の古い資料を探した。  便利堂に残っている電話帳や商店の広告冊子には名前が見つからず、町の広報を何年分か確認しても、会社そのものの記事は出てこない。  わかったのは、宮下から聞いたことと大差なかった。  港で仕事をしていた会社。  三番倉庫を借りていた。  代表は早瀬昭三。  透はそこで紙を裏返した。  これ以上、同じ情報を書き並べても何も増えない。  事故車に残っていた番号のついた鍵が、本当に早瀬鉄工の三番倉庫のものなのか。亡くなった男がそこで働いていたのか。鍵を「戻した」と言い残した理由は何なのか。  どれもまだ確認できていなかった。  電話が鳴ったのは、店を閉めようとしていたときだった。  航からだった。  『透、明日工場来れるか』  「何かあった?」  『事故車の中から、また物が出たらしい』  透は受話器を持ち直した。  「何が」  航はすぐには答えなかった。  『俺から電話で言うより、自分で見た方がええと思う』  それだけ言うと、明日の午前中なら工場にいると告げて電話を切った。  透は机に置いていた紙を二つ折りにし、控え帳へ挟んだ。

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