MIYA / 第30話

第30話 三十二年前の名前

 「三十二年前の宛先って、まだ生きてるんですかね」  翌朝、千鶴が伝票を揃えながら訊いた。  透は霜よけに使った麻紐を巻き直していた手を止めた。  「わからない」  「名前も?」  「わからない」  「じゃあ、そこからですか」  「音吉さんを知ってる人を探す」  千鶴は伝票を机へ置いた。  「三十二年前ですよ」  「だから急ぐ」  音吉と同じ世代の人間は、町にも多く残っていない。  透は午前の仕事を一件済ませ、その帰りにヤマイチへ寄った。            ※  真弓は事務所で納品票を数えていた。  「浦上音吉さん?」  名前を出すと、手を止めた。  「うちが覚えとる人やないね。いつ亡くなった人?」  「三十二年前」  「無理無理。まだ子どもや」  真弓はそう言いながら、机の電話を取った。  「母さんに訊いてみる」  止める間もなく番号を押す。  この人は考えるより先に電話をかける。  相手が出ると、真弓は二、三言話して受話器を透へ渡した。  『浦上さんなら知っとるよ』  真弓の母親だった。  「音吉さんです」  『郵便局におった人やね。長いこと勤めてはった』  「どんな人でした?」  『真面目な人やったよ。町で会ったら挨拶するし、頼まれたことは断らん人で』  電話の向こうで何かを置く音がした。  『でも家のことは、あんまり喋らんかったね』  「家のこと?」  『ノブさんの話とか。夫婦で歩いとるのは見るけど、二人で喋っとるところはあんまり見んかった』  「仲が悪かったんですか」  『そこまでは知らんよ。昔の夫婦なんて、外でべらべら喋るもんやなかったし』  それ以上、三十二年前につながる話は出なかった。  透は礼を言って受話器を真弓へ返した。  「何調べとるん?」  「まだわからない」  「わからんもの調べてるん?」  「そう」  真弓は納品票へ視線を戻した。  「透やん、たまに一番めんどくさい答え選ぶね」            ※  夕方、梶が白菜を半分持ってきた。  新聞紙で包んだものを千鶴へ渡し、事務所へ上がる。  「今日は白菜ですか」  「もろた」  「またですか」  「野菜はもらうもんや」  千鶴が台所へ持っていった。  透は向かいへ座った梶に、浦上家を調べ始めたことを話した。  「前に、音吉さんの宛先は亡くなってたんじゃないかって言いましたよね」  「ああ」  「誰から聞いたんです?」  梶は湯呑みへ伸ばした手を止めた。  「あれか」  「はい」  梶は麦茶を一口飲んだ。  「誰からも聞いてへんよ」  透は梶を見る。  「じゃあ、なんで」  「わしがそう思うただけや」  返事はあっさりしていた。  「あの人は何も話さんかった。浦上さんのことも、しくじった中身もな」  「持越についても?」  「それも、あんたから聞くまで知らんかった」  梶は湯呑みを畳へ戻した。  「仕事を教わるようになってから、死んだ人宛てみたいな話を避けとるのは見た。せやから、前に何かあったんやろと思うた。それだけや」  「根拠はない?」  「ない」  梶は透を見た。  「当てずっぽうや」  台所で包丁の音が続いていた。  透はノブから聞いた祖父の言葉を伝えた。  「あの人には言えんな、と言ったそうです」  梶の眉が寄った。  「誰に?」  「そこがわかりません」  「ノブさんにも言わんかったんか」  「はい」  梶はそれ以上、推測を足さなかった。  千鶴が白菜を切り終え、「これ半分でも多いですよ」と台所から言った。  「明日食え」  「何にして?」  「知らん」  「そこまで考えて持ってきてくださいよ」  梶は聞こえないふりをして麦茶を飲んだ。            ※  翌日、透は浦上家をもう一度訪ねた。  ノブは前と同じ座敷で、膝に薄い毛布を掛けていた。  「調べとるんやってね」  「もう聞きました?」  「町は狭いからね」  ノブが笑った。  透は音吉について、町で少し話を聞いたことを伝えた。  「郵便局に長く勤めていたそうですね」  「ええ。朝出たら、帰るんは遅かったです」  「仕事の話は家でしました?」  「ほとんどせんかったね」  ノブは湯呑みを持ち上げた。  「仕事は仕事、家は家いう人でした」  「音吉さんが亡くなるころ、よく家へ来ていた人はいますか」  ノブが湯呑みを置く。  「なんで?」  「祖父が何を調べたのか知りたいんです。音吉さん本人のことを知っていた人がいれば、何か覚えてるかもしれない」  ノブは天井ではなく、庭のほうを見た。  冬の日が障子の下まで差している。  「うちへよう来とったんは、ハルさんやね」  透は持ってきたメモを開いた。  「ハルさん?」  「宮下ハルさん。わたしの友達です」  「音吉さんとも知り合いだった?」  「うちへ来れば顔は合わせますよ。昔からの付き合いやから」  透は名前を書き留めた。  「いまも町に?」  「おりますよ」  「会えますか」  ノブは少し考えてから頷いた。  「元気にはしとるはずです。ただ、わたしもしばらく会うてない」  「連絡先は?」  「家なら知っとる」  ノブが住所を教え、透はメモに書いた。  書き終えたところで、ノブが言った。  「榊さん」  「はい」  「あの人に訊くんなら、わたしが名前を出したことは言うてもええよ」  「わかりました」  「ただ」  ノブは毛布の端を直した。  「三十二年前のことやから、覚えとらんでも責めんといてね」  「責めませんよ」  透はメモ帳を閉じた。            ※  浦上家を出ると、細かな雪が舞っていた。  道路へ落ちる前に消える程度で、積もりそうにはない。  透は軽トラへ乗り込み、暖房を入れた。  助手席へ置いたメモ帳には、ノブから聞いた住所と一緒に一つの名前が増えている。  宮下ハル。  透はエンジンが暖まるのを待ってから、便利堂へ戻った。

運営おすすめ

週間ランキング

全ランキング

反応スコアランキング

もっと見る

PV・ブックマークランキング

もっと見る

更新された連載作品

すべて見る
読み込み中…

新着短編

すべて見る
読み込み中…

作品一覧

読み込み中…

作品ダッシュボード

作品全体の公開状況と、読者からの反応をひと目で確認できます。

作品パフォーマンス

選択期間のPVが多い順

上位5作品
ライブラリ

作品の公開状況と構成

最近の更新

最後に編集した作品

要チェック

公開前に確認したい項目

プレビュー
読者に表示される見た目

表示設定

文字サイズ
100%
背景色
縦書き表示
リッチモード
目次
読み込み中…

キーワードを入力して作品を探しましょう

アクセス解析
アクセス解析データは 5分おき に自動更新されます
読み込み中…
ランクイン記録
通知
通知はありません
地形ブラシ
25
スタンプ
ツール
装飾
表示
100%

世界地図

100%

REACTION SCORE

反応スコアの内訳