MIYA / 第31話

第31話 呼び方

 年が明けると、郵便局から三日だけ人手を頼まれた。  年始は普段より配るものが増える。町で短期の働き手を集めても足りないらしく、便利堂にも毎年声がかかる。  千鶴も乾物屋の仕事がない時間を使って、郵便局へ手伝いに行った。  「三日間、便利堂ほとんど来れませんけど」  「そっち行っていいよ。時給も向こうのほうがいいだろ」  「自分の店の人に言われると複雑なんですけど」  「事実だからな」  千鶴は鞄を持ち上げた。  「何かあったら電話してくださいね」  「わかった」  「ほんとに?」  「たぶん」  「そこは、はいって言ってくださいよ」  千鶴は不満そうに出ていった。            ※  三日目の夕方、透は借りていた自転車を郵便局へ返した。  裏口で受け取った局長が、缶コーヒーを一本くれた。四十代の女性で、以前から便利堂にも細かな修繕を頼んでくる。  「榊さん、浦上さんのこと訊いて回っとるんやってね」  透は缶のプルタブへ指をかけた。  「もうそこまで回ってますか」  「ここ、郵便局ですよ。町の話は嫌でも入ってきます」  局長は笑った。  「昔の記録そのものは、こちらにも何でも残っとるわけやないですよ。ただ、古い写真ならあります」  「浦上音吉さんが写ってるものですか」  「あると思います。見ます?」  透は頷いた。            ※  二階の保管棚には、局の節目ごとに撮られた集合写真が何枚か残っていた。  局長が一枚ずつ年代を確かめ、古い額を持ち上げる。  「これが三十三年前です」  白黒の写真だった。  局の建物を背にして何人かが並んでいる。局長が中央近くの男を指した。  「これが浦上さんやと聞いてます」  透は額へ顔を近づけた。  音吉の顔を見るのは初めてだった。髪を短く整え、正面を向いている。  その列の端に、もう一人知っている男がいた。  透は缶コーヒーを持ったまま手を止めた。  「これ」  「知ってる人です?」  「祖父です」  局長も写真を覗き込んだ。  祖父は列の端に立っていた。ほかの人間と少し間があり、仕事着姿で写っている。  「局員じゃないですよね」  「違います」  「昔は節目の写真に、出入りしとった人まで一緒に入ることもあったみたいですよ」  透はもう一度、祖父と音吉を見た。  写真が撮られたのは、音吉が亡くなる一年前だった。            ※  その晩、梶が便利堂へ来た。  透が写真の話をすると、「そら写っとることもあるやろ」と大して驚かなかった。  「知ってたんですか」  「あの人、局の細かい仕事も受けとったからな。戸が悪い、棚が傾いた、荷物動かしてくれいうたら呼ばれとった」  「音吉さんとも知り合いだった?」  梶は湯呑みに麦茶を注ぎながら透を見た。  「知り合いやったよ」  「どのくらい?」  「碁、打っとった」  予想していなかった答えだった。  「爺さんが?」  「ああ。局へ行ったついでにな。音吉さん、よう相手してもろとった」  「強かったんですか」  「音吉さんは弱かった」  梶は麦茶を飲んだ。  「弱いのに、よう誘うんや。あの人も断らんから、仕事終わってから残っとったことがある」  透は三十二年前の控え帳を思い出した。  音吉は、祖父にとって臨終の場で初めて会った人ではなかった。  それ以上、梶は当時のことを覚えていなかった。            ※  戸が開き、千鶴が入ってきた。  郵便局の手伝いを終えた帰りらしく、鞄を肩に掛けたままだった。  「まだいたんですか、梶さん」  「おったら悪いんか」  「全然。今日なんか食べるもの持ってきました?」  「手ぶらや」  「じゃあちょっと残念です」  千鶴は自分でグラスを出し、二人の話を聞くと梶の向かいへ座った。  「透さんのお爺さんって、どんな人だったんですか」  訊かれた梶は、少し考えた。  「愛想はないな」  「透さんと同じですね」  「俺を見るな」  「怖い人でした?」  「怖ない。無駄口をきかんだけや」  梶は湯呑みを持ち直した。  「こいつが小さいころは、よう連れて歩いとったよ。便利堂の仕事にもな」  「へえ。透さんにも小さい時期あったんですね」  「あるよ」  「チビスケ言うてな」  千鶴の顔が透へ向いた。  「チビスケ?」  「そう呼ばれてた」  「似合わない」  「昔の話だ」  梶が続けた。  「中学入るころからオマエになったな」  透にも覚えがあった。  いつ切り替わったのかははっきりしない。それでも、小学生のころに「チビスケ」と呼ばれていた場面はいくつも出てくる。中学へ入ってからは、祖父の声に続くのはいつも「オマエ」だった。  思い出せる場面は飛び飛びだった。  卒業式の日も、入学式の日も、祖父は何か話していた。  そこに自分の名前はなかった。  「爺ちゃん、俺のこと名前で呼んでました?」  梶の手が止まった。  「名前?」  「透って」  梶はすぐには答えなかった。  湯呑みを置き、何かを探すように視線を落とす。  「……いや」  千鶴も黙った。  「呼んどらんな」  「一度も?」  「わしが覚えとる限りは」            ※  梶が長く息を吐いた。  「けど、あの人は誰のことも下の名前で呼ばん人やったよ」  「そうなんですか」  千鶴が訊く。  「浦上さんなら浦上さん。店の人なら店の名前。役がある人には役で呼ぶ。そういう人やった」  「じゃあ、透さんだけじゃない?」  「そうやと思うとった」  梶は透を見る。  「いままで、それ以上考えたことなかったわ」  透も同じだった。  チビスケと呼ばれて困ったことはない。オマエに変わっても、祖父らしいと思っていた。  自分の名前を呼ばれた記憶がないことだけを、わざわざ拾ったことがなかった。            ※  二人が帰ったあと、透は古い控え帳を棚から下ろした。  祖父は人を下の名前で呼ばなかった。  だが、帳面では省略していない。  浦上音吉の欄にも、姓と名が揃っている。  書けることと、口にすることは別だった。  透は帳面を閉じたあと、棚の奥に残っていた古い年賀状の束を出した。  祖父が亡くなったあとも処分できず、そのまま箱に入れてある。  一枚ずつ確かめていると、自分宛ての葉書が混じっていた。  小学校へ上がったころのものだった。  宛名に、祖父の字で書いてある。  榊透くん。  透は年賀状を机へ置いた。  隣には、三十二年前の控え帳がある。  どちらも、同じ字だった。

運営おすすめ

週間ランキング

全ランキング

反応スコアランキング

もっと見る

PV・ブックマークランキング

もっと見る

更新された連載作品

すべて見る
読み込み中…

新着短編

すべて見る
読み込み中…

作品一覧

読み込み中…

作品ダッシュボード

作品全体の公開状況と、読者からの反応をひと目で確認できます。

作品パフォーマンス

選択期間のPVが多い順

上位5作品
ライブラリ

作品の公開状況と構成

最近の更新

最後に編集した作品

要チェック

公開前に確認したい項目

プレビュー
読者に表示される見た目

表示設定

文字サイズ
100%
背景色
縦書き表示
リッチモード
目次
読み込み中…

キーワードを入力して作品を探しましょう

アクセス解析
アクセス解析データは 5分おき に自動更新されます
読み込み中…
ランクイン記録
通知
通知はありません
地形ブラシ
25
スタンプ
ツール
装飾
表示
100%

世界地図

100%

REACTION SCORE

反応スコアの内訳