MIYA / 第67話

第49話 宮下トヨ

 ハルから言葉を預かって三日目の朝、透は便利堂の机に古い住宅地図を広げていた。  十五年前の港東二十七番には、宮下という名字がある。  ハルが最後に呼んだ相手は、トヨ。  二つが同じ家を指している保証はない。それでも、町の名簿や電話帳を探しても見つからなかった名前が、消された四世帯の一軒と同じ姓を持っていた。  透は地図を閉じ、黒瀬へ電話をかけた。  「港東二十七番のことで、もう一つ訊きたいことがあります」  『何でしょう』  「トヨという人を知ってますか」  電話の向こうから、すぐには返事がなかった。  透は待った。  『宮下トヨさんですか』  初めて、名字がついた。            ※  黒瀬とは二十七番で会うことになった。  昼を過ぎた空き地には、前に刈った草の跡がまだ残っている。柿の木には青い実が増えていた。  黒瀬が門の南京錠を開ける。  「入りますか」  「今日はここでいいです」  透は金網の前に立った。  「宮下トヨさん、この家の人だったんですね」  「ええ」  黒瀬は鍵を持ったまま答えた。  「世帯主として記録されていたのは、ご主人です。トヨさんは奥さんでした」  透は十五年前の住宅地図を思い浮かべた。  家族の名前までは載っていない。  だから今まで見つからなかった。  「ハルさんとは?」  「知り合いでしたよ」  「どんな?」  黒瀬は少し考えた。  「祭りの時期になると、よく一緒にいるのを見ました」  ノブが覚えていた話とも合う。  昔、ハルはトヨと祭りへ行っていたらしい。  「今、トヨさんはどこにいます」  黒瀬は空き地へ目を向けた。  「わかりません」  「亡くなったんですか」  「それも確認されていません」  透は黒瀬を見る。  「十五年前から?」  「私は、あの夜のあと一度も会っていません」            ※  夏の風が草を揺らした。  家があった場所には、柿の木しか残っていない。  「じゃあ、行方不明?」  「そう呼ぶのが正しいと思います」  「役場では避難したことになってた」  「ええ」  「でも、誰も確認してなかった」  黒瀬は頷いた。  春に義信から聞いた話だった。  久保田が避難済みとして処理することを決め、義信が名簿から四世帯を外した。  宮下家も、その中に入っている。  「黒瀬さんは、避難したと思ってたんですか」  「当時は」  返事は短かった。  透は続きを待った。  「翌朝、避難済みと聞きました。混乱していましたから、私はそれ以上確認しませんでした」  「いつ、おかしいと思ったんです?」  黒瀬は柿の木を見た。  「祭りが終わってからです」  具体的な日付は言わなかった。  「この家へ来た?」  「ええ」  「誰もいなかった」  「はい」  それでも、避難先にいる可能性はあった。  親戚の家へ移ったのかもしれない。町を出たのかもしれない。  黒瀬はしばらくそう考えていたという。  「でも戻ってこなかった」  透が言う。  「戻りませんでした」  「家族全員?」  「私が知る限りは」  黒瀬は断定しなかった。            ※  透は金網越しに柿の木を見る。  「この土地を買ったの、それでですか」  「それだけではありません」  黒瀬は南京錠を手の中で回した。  「ただ、手放されると聞いたとき、知らない人の家になるのは嫌でした」  透は前にも似た話を聞いている。  黒瀬はここへ来て草を刈り、柿の木を残した。  その理由を、今日はそれ以上訊かなかった。  「トヨさんを探したことは?」  「あります」  透が顔を上げる。  「どこまで?」  「親戚筋へは何度か訊きました。私にできたのはその程度です」  「見つからなかった?」  「ええ」  黒瀬は門を閉めた。  南京錠が小さな音を立てる。  透はハルの言葉を胸の内側に感じていた。  トヨちゃん。あれは、うちが持っていったんよ。  本人を見つけなければ、何も出ない。  空き地へ来ても言葉が動かないことは、すでに確かめている。            ※  「黒瀬さん」  「はい」  「十五年前、この家で何があったんですか」  黒瀬はすぐには答えなかった。  「トヨさんがいなくなった夜のことです」  「それを知って、どうするんです?」  「探します」  透は答えた。  「ハルさんから預かった以上、七日間は探す」  黒瀬は透を見た。  「そうでしたね」  「そのために必要なら、十五年前のことも調べます」  黒瀬は空き地から道路のほうへ目を戻した。  「この家だけの話では済みません」  「四世帯だから?」  「それもあります」  黒瀬はそこで言葉を止めた。  透は待った。  以前なら、黒瀬が話さないと決めたところで押しても進まなかった。  今日は黒瀬のほうが先に口を開いた。  「榊さん」  「はい」  「ここから先には、ご両親のことも出てきます」  透は黒瀬を見る。  蝉の声が近くで続いていた。  「父さんと母さんが?」  「ええ」  「二十七番と関係あるんですか」  黒瀬は頷いた。  透は次の質問をすぐには出せなかった。  十五年前の八月十五日。  両親が亡くなった日。  祭りを止めなかったのは黒瀬だった。  そこまでは聞いている。  その先は、まだ誰からも聞いていなかった。  「話してください」  黒瀬は時計を見た。  「少し場所を変えてもよろしいですか」  「どこへ」  「港です」            ※  黒瀬の軽トラックへ乗る前に、透は便利堂へ電話を入れた。  千鶴が出る。  『はい、榊便利堂です』  「俺。戻るの少し遅くなる」  『わかりました。どこです?』  「港」  『仕事?』  透は黒瀬の軽トラックを見る。  「違う」  少し間があった。  『じゃあ、店閉める時間になったら先に閉めますね』  「頼む」  『鍵は持ってます』  「知ってる」  電話を切った。  黒瀬は何も訊かず、運転席へ乗った。  透も助手席の扉を開ける。  軽トラックが二十七番を離れると、柿の木が金網の向こうへ小さくなっていった。

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