MIYA / 第68話

第50話 一度目の舟

 黒瀬の軽トラックは、二十七番から港へ向かった。  助手席で透はほとんど話さなかった。  ハルから預かった言葉は、まだ胸の内側にある。  宮下トヨが十五年前から行方不明であること。その名前の先に、自分の両親の話があること。  黒瀬が話したのは、そこまでだった。  港へ着くと、黒瀬は祭り道具を保管している倉庫の前に車を止めた。  シャッターを上げると、中には折り畳んだ長机や提灯の箱、太い縄が積まれている。夏でも奥は薄暗く、油と古い木の匂いが残っていた。  黒瀬が椅子を二脚出した。  「ここなら、人も来ません」  透は一つへ座った。  「話してください」  黒瀬も向かいへ腰を下ろした。            ※  十五年前の八月、祭りの前から雨は続いていた。  港東側の低い土地では水が上がり、夜には一部の道が使えなくなったという。  透は黙って聞いた。  「四世帯のところですか」  「ええ」  黒瀬が頷く。  春に義信から見せられた古い名簿にあった四世帯だった。  「舟を出してほしいという話は、早い段階でありました」  「でも出さなかった」  黒瀬は一度目を伏せた。  「祭りを続ける判断をしたのは私です」  それはすでに河岸の道で聞いている。  黒瀬は言い訳を足さなかった。  祭りの人手や道具が動いているあいだ、港東への対応は遅れた。  夜になって連絡が途切れた。  避難したはずの人間についても確認が取れなくなり、ようやく舟を出す話になったという。  「その舟に」  透はそこで一度言葉を止めた。  黒瀬が続きを待つ。  「父と母が乗ったんですか」  「はい」  返事は短かった。            ※  透は膝に置いた手を動かさなかった。  両親が舟の事故で死んだことは知っている。  だが、何のために舟を出し、事故までに何をしていたのかは、これまで誰も詳しく話さなかった。  「二人とも?」  「お二人ともです」  「誰かに頼まれた?」  「少なくとも、私は頼んでいません」  黒瀬は慎重に答えた。  「私が気づいたときには、出る話が決まっていました」  「なんで父さんたちが」  「そこは私にはわかりません」  透はそれ以上、答えを求めなかった。  知らないところまで黒瀬に埋めてもらうつもりはない。  「舟には、ほかに誰が?」  「最初に出たときは、お二人だけでした」  両親が舟を操り、港東側へ向かった。  暗くなってからのことだったという。  水がどこまで来ているかも、岸からではわからなかった。  黒瀬はそこで少し間を置いた。  「私はそのころ、港東側にいました」  透が顔を上げる。            ※  「黒瀬さんが?」  「ええ」  祭りを続けると決めたあとも、黒瀬は町側で対応を続けていた。  やがて港東から連絡が入らなくなり、自分で様子を見に行ったという。  「行けたんですか」  「入るところまでは」  黒瀬は倉庫の外へ目を向けた。  「戻れなくなりました」  水の上がり方が予想より早かった。  黒瀬のほかにも二人が近くにいた。  三人とも、歩いて戻れる状態ではなくなったという。  「そこへ父さんたちが来た?」  「はい」  黒瀬は右腕を軽く押さえた。  「最初に見つけてもらったのは、私たちです」  透は黒瀬を見た。  前に黒瀬が、十五年前のことには自分の両親も関係していると言った。  その意味がようやく一つわかった。  「三人とも乗せたんですか」  「ええ」  「黒瀬さんも」  「乗せてもらいました」  倉庫の外から、小型船のエンジン音が聞こえた。  透はそちらを見なかった。            ※  「戻れた?」  「一度目は」  黒瀬が答えた。  舟は港まで戻った。  黒瀬を含む三人も岸へ上がった。  父と母も戻った。  その言葉を聞いて、透は少し間を置いた。  「父さんも母さんも、そのときは無事だったんですね」  「はい」  十五年前の夜。  両親は一度、港まで戻っている。  透がこれまで知らなかった事実だった。  黒瀬は椅子から立ち、倉庫の入口まで歩いた。  透も少し遅れて立つ。  「そのあと何があったんですか」  黒瀬は港を見たままだった。  「戻ってきた三人の確認をしている途中で、まだ所在のわからない人がいるという話になりました」  「四世帯の?」  「ええ」  透の頭に二十七番の空き地が浮かぶ。  宮下の家。  柿の木。  そして、まだ見つからないトヨ。  「トヨさんですか」  黒瀬はすぐには頷かなかった。  「今なら、そうだった可能性が高いと言えます」  「当時は?」  「そこまで整理できていませんでした」  避難所の名簿も、現場から届く情報も揃っていなかった。  誰がどこへ逃げたのか、親戚の家へ移ったのか、それともまだ家にいるのか。  後になれば一枚の紙で追えることが、その場ではばらばらだったという。  「ただ、二十七番の近くに人が残っているかもしれないという話が入りました」  透は黒瀬を見る。  「確かだったんですか」  「いいえ」  黒瀬は首を横へ振った。  「確かではありませんでした」            ※  倉庫の外では、作業船がゆっくり岸を離れていった。  黒瀬はそれを見送ってから言った。  「もう舟を出すなという人もいました」  「黒瀬さんは?」  「私も止めました」  透は少しだけ眉を動かした。  祭りを止めなかった黒瀬が、そのときは舟を止めた。  黒瀬は透を見なかった。  「一度目に戻った時点で、かなり危ない状態でしたから」  「父さんと母さんは?」  黒瀬は返事をするまで少し時間を置いた。  「もう一度出ると言いました」  透は何も言わなかった。  倉庫の中にある縄の端が、入口から入る風でわずかに動いていた。  「二人で?」  「はい」  「それで」  透は一度口を閉じた。  ハルから預かっている言葉が、まだ自分の中にある。  届け先は宮下トヨ。  十五年前から戻っていない女性。  透は黒瀬へ向き直った。  「二度目の話も、聞かせてください」  黒瀬は黙って頷いた。

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