MIYA / 第22話

第22話 呼ばなかった

 竹岡ハツが亡くなったのは、実の言葉が届いてから六日後だった。  朝八時前、まだ布団にいた透の電話が鳴った。  『竹岡です』  佳代の声だった。  『今朝、亡くなりました。たぶん、夜のうちです』  透は身体を起こした。  「そうですか」  『こたつに入ったままでした。昨日も、暑い暑い言いながら入ってたんですけどね』  言葉のあとに、短い息が混じった。  『あの日から毎日でした。十月なのに』  透は受話器を持ったまま、しばらく何も言わなかった。            ※  葬儀は常光寺で行われた。  竹岡家を知る人が次々に焼香へ来た。実が先に亡くなっていたことを、この日初めて知った人も多かったらしく、列のあちこちで小声が交わされていた。  透は最後のほうに並び、焼香を済ませた。  胸の奥には何もない。  実の言葉はもうハツへ届いている。ハツからは、何も預かっていない。  葬儀のあと、寺の広間で佳代に呼び止められた。  「榊さん、少しいいですか」  二人で人の少ない端へ移った。  佳代は喪服の膝を整えたあと、折詰には手をつけずに話し始めた。  「あの日から、母は毎日こたつに入ってました」  「電話でも聞きました」  「実の話ばっかりするんです。小学校のとき川に落ちたとか、高校のとき勝手に原付を買ったとか。わたしが知らん話まで出てきて」  佳代はそこで口元を少し緩めた。  「同じ話を、一日に何回もするんですよ。こっちは初めて聞くのに、母は前にも話したつもりになってて」  透は黙って聞いていた。  「あの六日があって、よかったと思います」  佳代は湯呑みを両手で持った。  「母と実の話を、あんなにしたことなかったから」  しばらくして、続けた。  「でも、知らんままやったら、もう少し生きたんやないかとも思います」  透は顔を上げた。  「母の心臓が悪かったのは、前からわかってます。それでも考えるんです。あの日に聞かせなかったら、って」  佳代は湯呑みの縁を親指でなぞった。  「母、あの日から待つのをやめたんやないかって。実が帰ってくるのを待たんでよくなったから」  透には返す言葉がなかった。  佳代も答えを求めている様子ではなかった。  「よかったと思ってるんです。ほんまに。でも、もしあの日、聞かせなかったらっていうのも消えません」  それだけ言うと、佳代は茶を一口飲んだ。            ※  しばらくして、佳代がもう一度口を開いた。  「榊さんに言っておくことがあります」  「はい」  「母が亡くなる前の晩、一回だけ目を覚ましたんです」  透は佳代を見る。  「何か言おうとしてました。口が動いてたけど、声にならなくて」  佳代は膝の上で両手を組んだ。  「そのとき、榊さんを呼ぼうと思いました」  広間の向こうで食器を片づける音がした。  「でも、呼びませんでした」  透は何も言わなかった。  「呼んだら、母の言葉も預かってもらえるかもしれんと思ったんです。兄のときみたいに」  「はい」  「でも、もうええかなって」  佳代は少しだけ俯いた。  「母は実の言葉を聞いた。最後の晩は、わたしが横におった。それで十分にしたかったんです」  「聞こえましたか」  「いいえ」  返事はすぐだった。  「耳を近づけたけど、わかりませんでした。そのまままた寝て、朝には」  佳代はそこで言葉を止めた。  透の中にも、ハツの言葉はない。  「呼ばなかったこと、後悔してますか」  透が訊くと、佳代は少し考えた。  「わかりません」  今度の返事は遅かった。  「それも、たぶん両方です」            ※  佳代が席を立つ前に、庭仕事の請求書の話になった。  「ちゃんと出してくださいね」  「出します」  「庭の分だけでいいです」  透は頷いた。  預かり屋の仕事には、最初から決まった料金がない。  「兄がお世話になりました」  佳代が頭を下げる。  透も頭を下げた。  それで話は終わった。            ※  夜になると、梶が大根を一本持って便利堂へ来た。  「また野菜ですか」  千鶴が受け取る。  「余った」  「一本だけ?」  「一本だけ余ったんや」  梶はいつもの場所へ座った。  透は竹岡家のことを簡単に話した。佳代が最後の夜に連絡しなかったことまで聞くと、梶は湯呑みを持ったまま「ああ」とだけ言った。  「梶さん」  「なんや」  「届けてよかったと思いますか」  梶は透を見た。  「知らん」  「即答ですね」  「わしに決めさすな。もう終わったことやろ」  千鶴が大根を台所へ持っていきながら振り返る。  「梶さん、それ逃げてません?」  「逃げとるよ」  梶は平然と麦茶を飲んだ。  「毎回まともに抱えとったら、飯がまずなる」  透はそれ以上訊かなかった。            ※  十一月に入ると、朝晩の空気が変わった。  網戸を外す依頼が減り、雨樋の落ち葉さらいと蛇口の保温、庭木の霜よけが増えた。日が落ちるのも早くなり、夕方には商店街の店先へ明かりがつく。  千鶴は週三日のまま便利堂へ来ていた。  「これ、いつまで置いとくんですか」  掃除中、机の脇に積んだ古い伝票を指す。  「あとで見る」  「先月も言ってました」  「じゃあ来月見る」  「増えてますけど」  透は答えず、翌日の依頼を書いた紙を壁へ留めた。  午前は雨樋の掃除が二軒。午後は庭木の霜よけと、蛇口の保温が一軒ずつ入っている。  千鶴が伝票の山を端へ寄せ、箒を持ち直した。  「明日も外ばっかりですね」  「冬前はこんなもんだよ」  「じゃあ、今日のうちに机だけ空けてください」  透は古い伝票の束を見て、一番上の一枚だけ手に取った。  千鶴は何も言わず、箒を動かし始めた。

運営おすすめ

週間ランキング

全ランキング

反応スコアランキング

もっと見る

PV・ブックマークランキング

もっと見る

更新された連載作品

すべて見る
読み込み中…

新着短編

すべて見る
読み込み中…

作品一覧

読み込み中…

作品ダッシュボード

作品全体の公開状況と、読者からの反応をひと目で確認できます。

作品パフォーマンス

選択期間のPVが多い順

上位5作品
ライブラリ

作品の公開状況と構成

最近の更新

最後に編集した作品

要チェック

公開前に確認したい項目

プレビュー
読者に表示される見た目

表示設定

文字サイズ
100%
背景色
縦書き表示
リッチモード
目次
読み込み中…

キーワードを入力して作品を探しましょう

アクセス解析
アクセス解析データは 5分おき に自動更新されます
読み込み中…
ランクイン記録
通知
通知はありません
地形ブラシ
25
スタンプ
ツール
装飾
表示
100%

世界地図

100%

REACTION SCORE

反応スコアの内訳