志乃創 / 第30話

第29話 夕食

 日勤の終了時刻を過ぎると、正面玄関へ向かう職員が廊下に増えた。  紫谷は正面玄関を使わず、署の裏へ回る。  搬入口のシャッターは下りていた。  壁沿いには回収待ちの折り畳みコンテナが重ねられ、その手前では、灰皿を囲むように床の色が変わっている。  紫谷は車止めに片方の踵を乗せ、煙草に火を点けた。  まだ一度も灰を落とさないうちに、職員通用口が開く。  鞄を提げた香月が出てきた。  正面玄関側へ向きかけたところで紫谷を見つけ、そのまま進路を変えて喫煙スペースへ入ってくる。 「ちょうどいい所に。一本付き合いますよ」  香月は胸元から、細身の煙草の箱を取り出した。 「自分が吸いたいだけじゃん」 「まあまあ」  香月は箱から一本抜き、紫谷へ片手を差し出す。 「火持ってます?」 「上司だからって、部下に何でも甘えんなよ」  そう言いながら、紫谷は差し出された手へライターを載せた。  返されたライターをポケットへ戻す。  香月は灰皿を挟まず、紫谷の隣へ立った。 「このあと夕食付き合ってくれませんかね」 「は、なんで急に飯?」  仕事の話を持ち出す時の資料も、持ち帰り用の封筒もない。  鞄だけが香月の足元へ置かれていた。 「大好きな恋人が、いつも作って待っててくれるじゃん」  笑いながら言うと、香月は煙草を持つ手を下げた。 「嫌味な言い方しますね。今日は泊まりの取材で居ないんですよ、だからご飯がありません」 「自分で作れよ……」 「君も明忠君に作ってもらってるくせに、よく言います」 「俺、別に毎日じゃないもん」 「俺の財布から君の食費まで出ていることに、苦言を呈してもいいんですよ」 「わー、ご飯楽しみだなあ。どこ行きます?」  紫谷は踵を車止めから下ろした。 「まだ半分残ってるんですが」 「香月さん待ってんの面倒だもん」 「誘われた側の態度ではありませんね」 「なら早く吸い切ってよ」  紫谷は自分の吸い殻を先に灰皿へ落とした。  香月は急がなかった。  吸った一本が中央の穴へ落ちると、鞄を持ち上げる。 「はい、お待たせしました」 「ほんとだよ」  二人で署の裏を出る。  駅へ向かう通りへ入る前に、香月が訊いた。 「何か食べたいものあります?」 「奢りならなんでも」 「一番困る答えですね」 「じゃあ焼肉」 「今日は定食にしましょうか」 「ねえ聞いた意味ある?」 「君に選ばせたら高くつきそうだったので」 「給料もらってんだからケチケチすんなよ」 「君がいくら貰っているかも、俺は知っていますよ」 「うわ、上司の権力振りかざしやがって」 「勤務時間外なので、権力ではなく嫌味です」 「マジで最低だかんね、それ」  結局、二人が入ったのは駅前から一本外れた定食屋だった。  入口脇の食品サンプルは、どれも実際の料理より少しだけ盛りがいい。  紫谷は一通り眺めてから、香月に続いて店へ入った。  二人掛けの卓上には、醤油差しと爪楊枝、それから端の欠けたメニュー立てが収まっている。  壁際の席へ座ると、紫谷は両面のメニューを一度裏返した。 「んー、唐揚げと生姜焼きならどっちだと思う?」 「好きな方を頼めばいいでしょう」 「半分ずつ食べたい」 「一つにしてください」 「明忠なら半分こしてくれるのに」  香月がメニューから顔を上げた。 「すみませんね、俺で」  店員が注文を取りに来る。  香月は生姜焼き定食を頼んだ。  紫谷は唐揚げ定食を選び、閉じかけたメニューをもう一度開く。 「あと、プリンで」  店員が伝票へ書き足す。  向かいから視線を感じた。 「なに」 「いえ、別に」 「甘いのは別なんだよ」 「何も言ってませんって」  壁の上部に取り付けられたテレビでは、夕方の情報番組が流れていた。  天気予報が終わり、画面が田舎の風景へ切り替わる。 『人口減少の続いていたこちらの村では、昨年から移住を希望する人が相次いでいます』  右上に、明るい色の文字が並んだ。  《移住者が増える村 きっかけは一人の女性》  古い家屋の間を、若い女性が歩いている。  道端の老人に呼び止められ、差し出された紙袋を受け取る。  女性が頭を下げるより先に、老人は近くの家へ入ってしまった。  画面の下に名前が表示される。 『村での暮らしを発信している、尾峰真子さんです』  映像が、動画配信の画面へ変わる。  飾り気のない部屋で、真子は届いたコメントを読み上げていた。 『皆さんが良くしてくれたことを、たくさん魅力としてお伝えできたらなって』  配信画面の端を、視聴者のコメントが上へ流れていく。  《真子様今日もかわいい!》  《この配信見てるとほんと幸せになる》  《移住相談申し込みました!来月から村民です》  《今月も支援入れました~》  《現地行きたい 真子様に生で会いたい》  映像が切り替わる。  集会所の長机には、送り主の名前が書かれた封筒と箱が並んでいた。  別の一人が、抱えてきた箱を両手で真子へ差し出す。  その後ろには、同じように何かを抱えた人が待っている。  紫谷は卓上の水を取った。 「ふーん。ああいうの、どうなの?」 「何がですか」 「いや、宗教詳しいじゃん」  香月もテレビを見る。 「宗教というより、推し活でしょう。猫屋敷君に聞いた方が、有意義な回答をもらえますよ」 「そういうもん?」 「仮に実家にああして移住されたら、迷惑極まりないです」 「ふは、言うねえ。信者大事にしなよ」 「お互いに過干渉はしないのが、宗教のルールですよ」  画面が、村へ移住したという男性へ切り替わった。 『ここに来る前は、こんな生活になるとは思っていませんでした』  男性の後ろでは、何人かの住民が発送用の箱を組み立てている。  箱の側面には村の名前と、赤い前掛けをつけた狛犬のキャラクターが印刷されていた。 『真子さんに幸せにしてもらった分を、今度は自分がこの村へ返していきたいです』  香月は水の入ったグラスを元の位置へ戻した。 「じゃあ、助けてって頼みに来たらどうすんの?」 「市役所へ相談してもらいます」 「神様、役に立たな」 「便利屋ではありませんから」  二人分の定食が運ばれてきた。  盆が卓上へ置かれ、醤油差しが隅へ追いやられる。  紫谷は割り箸を取った。  向かいでは、香月が生姜焼きを半分ほど小皿へ移している。  その皿が、前に置かれた。 「なに。半分こしてくれるの?」 「明忠君に嫌に言われると困るので」  紫谷は小皿の生姜焼きを自分の皿へ移し、代わりに唐揚げを二つ乗せた。  香月は押し返された小皿を、自分の盆へ戻す。  紫谷が生姜焼きを一切れ口へ入れる。  噛み終えてから、残った一切れを箸で裏返した。 「んん、明忠が作った方が好みかも」 「まあ、俺の恋人ですからね」 「……うざ」  香月は味噌汁の蓋を取った。  テレビでは、先ほどの村の特集が終わっていた。  紫谷は唐揚げを食べながら、香月の盆を見る。 「そっちの小鉢、南瓜?」 「そうですね」 「一個ちょうだい」 「もう交換は済みました」 「漬物あげるから」 「要りません」 「明忠ならくれるのにぃ」 「次から明忠君と食べてください」 「あれ、今日俺が誘ったんだっけ?」  香月は答えず、南瓜を一つ紫谷の小皿へ置いた。  紫谷はそれを口へ運び、残っていた漬物を香月へ渡す。 「要らないと言ったでしょう」 「お礼」 「嫌がらせの間違いでは?」  食後のプリンまで食べ終える頃には、二つの盆に空の器だけが残っていた。  紫谷が伝票へ手を伸ばす。  その上から、香月が先に取った。 「ほんとに奢り?」 「最初からそのつもりです」 「言ってないじゃん。夕食付き合ってって言っただけ」 「なら、払いますか?」 「わー、ごちそうさまでした」  紫谷は両手を合わせた。  香月が伝票を持って立ち上がる。 「次は君が払ってくださいね」 「次もあんの?」 「明忠君の予定次第です」 「結局そっちの都合じゃん」  会計を済ませ、店の前で足を止める。  香月は駅へ、紫谷は反対側の通りへ帰る。 「明忠に、生姜焼きは味変えないでって言っといて」 「君の注文を俺へ通さないでください」 「食費出してんでしょ」 「それとこれとは別です。自分で連絡してください」 「じゃあ家来た時でいいや」

運営おすすめ

週間ランキング

全ランキング

反応スコアランキング

もっと見る

PV・ブックマークランキング

もっと見る

更新された連載作品

すべて見る
読み込み中…

新着短編

すべて見る
読み込み中…

作品一覧

読み込み中…

作品ダッシュボード

作品全体の公開状況と、読者からの反応をひと目で確認できます。

作品パフォーマンス

選択期間のPVが多い順

上位5作品
ライブラリ

作品の公開状況と構成

最近の更新

最後に編集した作品

要チェック

公開前に確認したい項目

プレビュー
読者に表示される見た目

表示設定

文字サイズ
100%
背景色
縦書き表示
リッチモード
目次
読み込み中…

キーワードを入力して作品を探しましょう

アクセス解析
アクセス解析データは 5分おき に自動更新されます
読み込み中…
ランクイン記録
通知
通知はありません
地形ブラシ
25
スタンプ
ツール
装飾
表示
100%

世界地図

100%

REACTION SCORE

反応スコアの内訳