RenHazumi / 第8話

第8話「俺の日常が、少しだけ変わった」

第8話「俺の日常が、少しだけ変わった」 (月曜日) --- 06:45 赤坂レジデンス――1203号室、港区 蓮は、いつもとは少し違う感覚で目を覚ました。 夢のせいではない。物音のせいでもない。 ただ――目を開けた瞬間から、何かが頭の中で引っかかっていた。 ヤマト・ロジスティクス。87人の従業員。48億円の負債。62億円の資産。 蓮はベッドの端に腰を下ろした。 そして、スマートフォンを見つめる。 《絶対資産支配システム》 黒瀬 蓮 年齢:21 純資産:¥4,400,000,000 物質的欲求:2% Wantless Multiplier:×28 アクティブスキル: ・《資産分析 EX》――資産分析(ランク:EX) ・《企業管理》――企業管理(ランク:C) 所有企業: ・ヤマト・ロジスティクス株式会社(従業員87名) 蓮は、その一覧を見つめた。 …… 44億円か。 二つの会社。 そして今は……87人もの人間が、俺の所有する会社で働いている。 蓮はスマートフォンを置いた。 立ち上がり、電気ケトルのスイッチを入れる。 湯が沸くのを待ちながら、ノートパソコンを開いた。 昨日、高橋から送られてきたファイル――ヤマト・ロジスティクスの財務諸表を開く。 …… この報告書なら……読める。 蓮は素早く読み進めた。 あまりにも速く。 ページからページへ。 数字から数字へ。 そして、わずか15分で会社の現在の状況をすべて把握していた。 ヤマト・ロジスティクス。 本当は、健全な会社だ。 ただ、経営が悪かった。 前の経営陣が、必要のない事業拡大のために借金を増やしすぎた。 その結果、今では……利息の支払いに苦しんでいる。 蓮はノートパソコンを閉じた。 ひびの入った白いマグカップにインスタントコーヒーを注ぐ。 一口飲む。 苦い。 熱い。 普通だ。 …… 少なくとも、これは変わっていない。 --- ### 08:15 **赤坂レジデンス――地下駐車場B2** 蓮は自分の車の前に立ち、それを見つめていた。 …… 今日は新宿に行かないとな。 ヤマト・ロジスティクスの経営陣との会議がある。 蓮はドアを開け、運転席に座った。 エンジンを始動する。 低く、重いエンジン音が――まるで目を覚ましたばかりの獣のように――地下駐車場いっぱいに響いた。 蓮はゆっくりとアクセルを踏んだ。 --- ### 08:45 **赤坂通り → 新宿方面** 蓮は落ち着いて車を走らせていた。 少しずつ見慣れてきた道を通り過ぎる。 高層ビル。 レストラン。 店。 その一方で、蓮の思考は別のところへ向かっていた。 今日の会議か。 87人に説明しないとな。 自分たちの会社に新しいオーナーがいることを。 しかも、そのオーナーは――21歳の大学生だ。 蓮は小さく息を吐いた。 きっと、みんな疑問に思うだろう。 アクセルを踏み込む。 車が少し速くなった。 --- ### 09:15 **ヤマト・ロジスティクス――3階、メイン会議室** 部屋は中規模だった。 長いテーブル。 革張りの椅子。 そして、新宿の通りを見下ろす大きな窓。 テーブルの周囲には、6人が座っていた。 ヤマト・ロジスティクスの経営陣だ。 男性も女性もいる。 年齢は35歳から55歳ほど。 全員が経験豊富だった。 そして――全員が緊張していた。 高橋 健司がテーブルの端に立っている。 グレーのスーツ。 濃紺のネクタイ。 表情は落ち着いていた。 「皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございます」 高橋が口を開く。 「今日は、新しい会社のオーナーにお会いいただきます」 その場にいた一人のマネージャー――48歳の男、白いシャツにグレーのネクタイを締めた中島 浩が手を挙げた。 「高橋さん、よろしいでしょうか?」 「どうぞ」 「新しいオーナーとは……一体、誰なんですか?」 高橋は薄く笑った。 「すぐにお会いいただけます」 その瞬間。 ドアが開いた。 全員の視線が一斉に向く。 一人の青年が入ってきた。 黒いTシャツ。 グレーのジャケット。 ジーンズ。 少し黄ばんだ白いスニーカー。 少し乱れた黒髪。 そして、落ち着いた暗い灰色の瞳。 黒瀬 蓮。 部屋が静まり返った。 蓮はテーブルの端まで歩き、高橋が用意していた椅子に座る。 リュックを床に置く。 そして、部屋にいる全員を見渡した。 「おはようございます。黒瀬 蓮です」 それでも、部屋は静かなままだった。 中島が口を開く。 閉じる。 そして、もう一度開いた。 「あなたが……新しいオーナーなんですか?」 「はい」 「ですが……あなたは……まだお若い」 「はい」 「それに……大学生なんですか?」 「はい」 中島は高橋を見る。 そして蓮を見る。 再び高橋を見る。 「これは……冗談ですか?」 高橋は首を横に振った。 「いいえ。黒瀬様は、ヤマト・ロジスティクスの正式な所有者です。必要な書類もすべて揃っています」 再び、部屋が静まり返った。 蓮は一人ずつ、全員の顔を見た。 「これが変に感じるのは分かります。でも、俺はここに来て、何もかも変えたいわけじゃありません」 少し間を置く。 「ただ……この会社のことを理解したい。そして、自分にできることがあるなら、手助けしたいと思っています」 中島が眉をひそめた。 「手助け……ですか? あなたは大学生でしょう。物流について、一体何を知っているんです?」 蓮は中島を見る。 「それほど多くは知りません。でも、学ぶことはできます」 蓮はリュックを開いた。 中から数枚の紙を取り出す。 今朝、印刷した財務諸表だった。 そこには大量の書き込みとメモが入っている。 「会社の財務諸表は読みました」 蓮が言った。 「いくつか、気になった点があります」 蓮は紙をテーブルに置く。 そして、その中の一つの数字を指差した。 「現在の負債は48億円。その大部分は、昨年の車両増強による事業拡大のために銀行から借り入れたものです。年間金利は……2.3%」 蓮は続ける。 「つまり、利息だけで年間約1億1,000万円を支払う必要があります」 中島が蓮を見る。 「それは……その通りです」 「ですが」 蓮は続けた。 「この会社には、この建物があります。評価額は約32億円。それに、45台のトラックがあり、その価値は約18億円。合わせれば、資産は50億円を超えています」 蓮は淡々と説明する。 「だから、負債を再構築できれば――返済期間を延長したり、金利を交渉したりすれば――年間の負担は大幅に減らせます」 部屋が静まり返った。 中島は、隠しきれない表情で蓮を見つめる。 「どうして……どうして、そこまで分かるんですか?」 蓮は肩をすくめた。 「報告書を読んだだけです」 「でも……それは120ページもある報告書ですよ。私は全部を理解するのに3日かかりました」 蓮は答えなかった。 …… 《資産分析 EX》のおかげだ。 120ページの報告書でも、15分で読める。 高橋は紅茶を一口飲み、笑みを隠した。 蓮は部屋にいる全員を見渡した。 「経営陣を変えるつもりはありません。誰かを解雇するつもりもありません」 そして、静かに続ける。 「ただ……この会社がきちんと回ってほしい。そして、ここにいる87人の従業員が……これまで通り働き続けられるようにしたい」 中島は蓮を見つめた。 その濃い茶色の瞳が、嘘の兆候を探している。 だが――何もない。 …… 本気だ。 この子は……本気なんだ。 --- ### 11:30 **ヤマト・ロジスティクス――3階、メイン会議室** 会議は2時間にわたって続いた。 蓮は話を聞いた。 質問した。 メモを取った。 多くは話さない。 必要な時だけ口を開く。 だが、その一つ一つの質問は的確だった。 一つ一つの指摘も正確だった。 最初は懐疑的だったヤマト・ロジスティクスの経営陣も――少しずつ態度を軟化させていった。 最も声を上げていた中島は、今では考え込むような表情で座っていた。 「黒瀬様」 中島が口を開く。 「先ほどは……申し訳ありませんでした」 蓮が振り向く。 「気にしなくていいです」 「ですが……私はあなたを軽く見ていました。てっきり……何も知らない金持ちの息子かと」 蓮は中島を見る。 「分かります。俺があなたの立場でも、そう思ったでしょう」 中島は頭を下げた。 「ありがとうございます」 蓮は立ち上がった。 「俺は行かないと。講義があります」 部屋にいた全員が立ち上がった。 そして、頭を下げる。 蓮はドアへ向かって歩いた。 だが、そこで足を止める。 「中島さん」 中島が振り向く。 「はい?」 「債務再構築の提案書を用意してください。来週、見せてほしいです」 「承知しました、黒瀬様」 蓮は会議室を出ていった。 --- ### 12:15 **ヤマト・ロジスティクス → 駐車場 → キャンパス方面** 蓮は大学へ向かって車を走らせていた。 その思考は、また別のところへ向かっていた。 中島か。 有能な人だ。 ただ……悪い経営陣の下で長く働きすぎたんだろうな。 蓮は小さく息を吐いた。 …… この再構築が、うまくいけばいいけどな。 アクセルを踏み込む。 車が少し速くなった。 --- ### 13:00 **キャンパス――食堂** 蓮が大学に到着した時には、すでに遅刻していた。 午前の講義には間に合わなかった。 だが、それほど問題ではない。 事前に内容を読んでいたからだ。 蓮は食堂の隅に座った。 カレーライスを注文する。 420円。 そして、いつも通り静かに食べた。 向かいでは、何人かの学生が話している。 「なあ、聞いた? ヤマト・ロジスティクスに新しいオーナーが入ったらしいぞ」 「どこの?」 「新宿の会社。物流会社だよ」 「マジで? 誰?」 「知らない。なんでも……かなり若いらしい」 「金持ちの息子とか?」 「たぶんな」 蓮は水を一口飲んだ。 …… 危なかった。 もう少しで……バレるところだった。 蓮は食事を終える。 立ち上がる。 そして、その場を離れた。 --- ### 15:00 **キャンパス――図書館** 蓮は図書館の隅に座っていた。 企業再建についての本を読んでいる。 課題だからではない。 ただ、知りたかった。 ページからページへ。 速い。 …… 債務再構築には、いくつかの方法がある。 デット・エクイティ・スワップ。 返済期限の延長。 金利の引き下げ。 蓮はノートにいくつかのポイントを書き留めた。 その時、スマートフォンが震えた。 **送信者:高橋 健司** > 黒瀬様 > > システム――失礼、経営側から、特別な報酬を二つ準備しているとの連絡がありましたので、お知らせいたします。 > > この報酬は近いうちに提供される予定です。 > > 詳細については、現時点ではお伝えすることができません。 > > ただ……非常に特別な報酬であることだけは、お伝えするよう指示を受けています。 > > 高橋 健司 蓮はそのメッセージを見つめた。 …… 特別な報酬が二つ? 蓮は眉をひそめる。 …… このシステムは、今度は何をくれるつもりなんだ? 蓮はスマートフォンを置いた。 目の前の本を見る。 …… 今は考えたくない。 そして、再び本を読み始めた。 --- ### 16:30 **キャンパス → 地下駐車場B1** 蓮は駐車場へ向かって歩いていた。 帰ろうと思っていた。 だが、駐車場に着いた時――そこには一人の人物がいた。 一人の女性。 黒いスーツ。 長く真っ直ぐな青黒い髪。 青灰色の瞳。 如月 美雪。 蓮は足を止めた。 「……」 美雪は蓮の車の前に立っていた。 動かない。 何も話さない。 ただ……待っている。 蓮が近づく。 「如月さん」 「黒瀬様」 「何か、俺に用ですか?」 美雪は蓮を見つめる。 「少し……お話したいことがあります」 「何について?」 「あなたについてです」 蓮は数秒間、彼女を見つめた。 そして、息を吐く。 「ここで?」 「いいえ」 美雪はキャンパス近くのカフェへ視線を向けた。 「もう少し静かな場所があります」 蓮は頷いた。 「分かりました」 --- ### 17:00 **キャンパス近くのカフェ** カフェは空いていた。 客は数人しかいない。 蓮はブラックコーヒーを注文した。 美雪は紅茶を注文する。 二人は隅のテーブルで向かい合って座った。 美雪は蓮を見つめる。 「あなたのことを調べました」 蓮はコーヒーを一口飲む。 「知っています」 「そして……ほとんど何も見つかりませんでした」 「そうですか」 「裕福な家系の記録はない。相続もない。先週まで会社も存在していない。それなのに突然……あなたはすべてを手にしている」 蓮はカップを置いた。 「知っています」 美雪は蓮を見つめる。 「どうしてですか?」 蓮の暗い灰色の瞳は、落ち着いていた。 「如月さん。昨日も言いました。すべてを説明することはできません」 少し間を置く。 「説明したくないからじゃない。……ただ、説明するのが難しいことがあるんです」 「それでは不十分です」 「分かっています」 美雪は少し身を乗り出した。 「黒瀬様。私は簡単に諦める人間ではありません。これからも調べます。これからも質問します」 そして、真っ直ぐに蓮を見る。 「答えを得るまで」 蓮は美雪を見つめた。 そして――初めて、笑った。 大きな笑顔ではない。 ただ、口元がほんの少しだけ上がった。 「如月さん」 蓮は言った。 「あなた……頑固ですね」 美雪は眉をひそめる。 「私は『粘り強い』と言っています」 蓮は頷いた。 「分かりました。粘り強い」 そして、コーヒーを一口飲む。 「それは評価しています」 美雪は蓮を見る。 「評価……?」 「はい」 蓮は静かに続けた。 「ほとんどの人は気にしません。見えているものだけを見る」 「車。マンション。会社」 「それだけです」 蓮は美雪を見る。 「何も聞かない。調べようともしない。でも、あなたは違う」 美雪は答えなかった。 蓮はカップを置く。 「如月さん。あなたが探している答えを、俺から伝えることはできません」 少しだけ間を置く。 「でも、一つだけ約束できます」 「何ですか?」 「俺は脅威じゃない」 蓮は言った。 「誰かを傷つけるつもりもありません。ただ……静かに生きたいだけです」 美雪は蓮を見つめる。 その青灰色の瞳が、嘘の兆候を探している。 だが――何もない。 …… 嘘はついていない。 あるいは――とても、とても嘘が上手い人なのか。 蓮は立ち上がった。 「俺は行きます」 美雪が顔を上げる。 「黒瀬様」 蓮は足を止めた。 「ありがとうございます」 美雪が言う。 「何がですか?」 「……話してくれて」 美雪は蓮を見つめた。 「私と話したがらない人は多いんです。みんな……怖がります」 蓮は美雪を見る。 「俺は怖くありません」 そして、ドアへ向かって歩いていく。 そのまま外へ出た。 美雪は椅子に座ったまま、少しずつ冷めていく紅茶のカップを見つめていた。 …… 黒瀬 蓮。 一体、あなたは何者なの? --- ### 18:00 **カフェ → 地下駐車場B1 → 赤坂方面** 蓮は自宅へ向かって車を走らせていた。 その思考は、再び美雪へ向かう。 如月 美雪か。 あの人は、これからも調べ続けるだろうな。 蓮は小さく息を吐いた。 …… もっと気をつけないとな。 アクセルを踏み込む。 --- ### 18:45 **赤坂レジデンス――1203号室** 蓮はマンションに戻った。 鍵をテーブルに置く。 そして、床に座った。 …… スマートフォンを取り出す。 《無欲行動を確認》 ユーザーは、個人的な利益を求めることなく会社の問題を解決しました。 ユーザーは、見返りを求めることなく87人の従業員を助けました。 ユーザーは、富や権力を誇示しませんでした。 Wantless Bonus:×35 Reward:¥500,000,000 Achievement Unlocked: 【Problem Solver】 問題解決者 蓮は画面を見つめた。 「……」 また5億円か。 蓮はスマートフォンを置いた。 天井を見上げる。 …… その時―― ピン。 《特別報酬のお知らせ》 特別報酬のお知らせ システムは現在、ユーザーのために2つの特別報酬を準備しています。 この報酬は近いうちに提供されます。 詳細については、現時点では開示できません。 ステータス:準備中 蓮は、その通知を見つめた。 …… 特別報酬が二つ。 一体、今度は何なんだ? 蓮はスマートフォンを置く。 窓を見る。 …… 考えたくない。 蓮は立ち上がった。 キッチンへ向かう。 緑茶を注ぐ。 そして、ベランダに座った。 明かりが少しずつ灯り始める東京の街を見つめる。 …… 今日は、中島に会った。 美雪と話した。 会社の問題を解決した。 蓮はお茶を一口飲む。 …… それでも、システムはまだ終わっていない。 空を見上げる。 …… 特別報酬が二つ。 蓮は息を吐いた。 …… 頼むから、あまり……大げさなものじゃないといいんだけどな。 蓮は部屋の中へ戻った。 ベランダのドアを閉める。 その夜。 蓮は、かつては単純だった自分の生活が――自分では制御できない方向へ、少しずつ動き続けている。 そんな感覚を抱えたまま、眠りについた。 そして東京のどこかでは、システムが動き続けていた。 二つの特別報酬を準備しながら。 その二つの報酬が、再び――蓮の人生を変えようとしていた。 --- [次話 9 — 「会社を買う気なんてない」] 蓮は、ヤマト・ロジスティクスのオーナーとして新しい生活に少しずつ適応し始める。 しかし、システムは再び、蓮が望んでもいないものを提示する。 今度は――経営難に陥っている別の会社だった。 蓮は、これからもシステムの流れに従い続けるのか。 それとも、システムを止めようとするのか。 その一方で、約束されていた二つの特別報酬が、少しずつその存在を見せ始める。 そして、そのうちの一つが――蓮の人生に対する見方そのものを変えることになる。 [次話へ続く……]

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