鯣烏賊 / 第27話

夜闇を覆うは漆黒の霞、現るは歯車を廻す皓き者 その5

ミクロさんは腕を切り落とした直後に、急接近してやつを全力で蹴飛ばした。 男は数メートル先へと吹っ飛び、着地したその場所その場所からモクモクと土煙が立つ。 余裕のできたミクロさんは俺の方を向いて剣を構えた。 刃の部分が俺の足巻きついているツタに触れる。 ミクロさんが少し剣を動かすと、そのツタが切られ、俺の手足の自由を奪っていた植物の触手の締め付けが緩くなる。 俺は少し力を込め、植物による拘束から脱出した。 この植物の触手には、前回会った時にも同じように捕まってしまっている。 今この場で襲われたことで、なんとなくその能力の「カギ」が見えてきた気がする。 「遅くなって悪いね。ベロキ。 アイツとは久しぶりの対面じゃないか?」 「そうですね。 俺は今すぐにでもアイツ殺したくて仕方がないです。 ....................どうしますか。」 「感情的にならず冷静なのは偉いね。 .....................どっちにしろ、一旦ぶっ殺すしか選択肢ないけどさ。」 俺たちふたりは、ミクロさんに蹴り飛ばされたやつの方向へ向き、土煙の中の影をみる。 暗闇でもハッキリとわかるほどに巨体の人影が、土煙の中でゆっくりと立ちあがるのが見えた。 1歩ずつ「ジャリ..........ジャリ..........」と地面を踏みしめてこちらへと向かってくる。 俺とミクロさんは互いに武器を構えて、戦闘態勢に入る。 「やってくれたな....................音砂未来。 これがあるからベロキただひとりのタイミングを狙っていたというのに。」 「僕自身も、まさか世界がここまで進んでいるなんて、思いもしなかったんだぜ?」 「..............................貴様、『あの物語』では脇役の癖をして。いったいどこまで知っている?」 「いいや、例えるならば僕が知っているものは輪郭だけだ。 僕だって詳しいことはウチの従業員に聞かないとわからない。」 数秒の沈黙。 俺の隣でよく分からない意味深な会話を繰り広げるふたりだが、俺は今、そんなこと気にしている場合ではない。 俺は腕に着けている「鍵(シュリュッセル)」に手を触れ、武装起動の準備をする。 ミクロさんの方も俺を見て、会話するときにゆ崩していた構えを再び取り直した。 やつの方は、なにしろフード越しだから表情は読めないが、こちらにも漂ってくる空気から機嫌が良くないことは十二分に伝わってくる。 そんな中、ミクロさんが再び口を開いた。 「この手でお前の首をちょん切る前にひとつ質問なんだけど..............................。 『楽園(シャングリラ)』って知ってるか?」 ....................『しゃんぐりら』? なんだろう、その言葉は。 その答えを求めてミクロさんを見ても、真剣な表情でやつの方を黙って睨んでいる。 こんな状態では、俺が質問してもきっと答えてくれないだろう。 俺は別の方向からの答えを求めて、やつの方に視線を戻した。 だが、やつはなにも反応しない。 口も開くでもなく、問答無用に襲いかかってくるでもなく、ただ黙ってじーっとこちらを見ている。 ジリジリと肌を焦がしてゆくような威圧感を感じる。 例えるなら、粗いヤスリで皮膚の皮を撫でられているような気分だ。 そんな中でやつは驚愕の一言を口にした。 「やめだ。」 「....................は?」 「ベロキ・ルキならばともかく....................問題はお前だ、ミクロ。 お前がいては俺の勝ち目は極めて薄い。 だから俺は、"やめだ"と言った。」 「ベロキ。無視だ無視。やるぞ。」 「はい!」 ミクロさんに言われ、無意識に緊張が解けてしまっていた体に再び力を込める。 目でやつをじっと見据え、次に何をしてくるのかを確かめる。 膝に力を入れて姿勢を低くし、いつでも飛びかかれるようにする。 ミクロさんも「打首刀」と呼ばれる、鞘のついた長身の刃武装を取り出し、それを構える。 「だが、何もせずに帰るわけにはいかないな。」 「....................???」 「お前ら....................わざわざこんな所に来てまで見たかったものを見せてやる。」 やつはくるりと俺たちから向きを変える。白い衣が風になびき、周囲の黒からはかけ離れたように....................ん、「黒」? 「やれ。」 刹那、また別の気配が感じられた。 風は少しだって吹いていないはずなのに、やつの向かう先にある針葉樹の木々が一瞬ザワりと震える。 「ん...?」 いや、これは向こうの森だけの問題ではない。 今、俺の頬に、何かが飛びついた。 温度からして水だろう。 俺は指でそれを拭おうとするが、俺に拭われる前に"それ"は何かに引っ張られてゆくように俺の頬から離れ、空中へと浮かび上がってゆく。 周りを見てみる。 すると、これと似たような現象がミクロさんのところでも、それ以外の所々の場所でも起こっている。 やはり"それ"は、水滴のようなものだった。 水のようだが、色は水とは対極に濁っておりどす黒く、マーマレードの液体のように粘度が高い。 ネバネバした黒いそれは空中でどんどん集まっていき、ボールのような形に大きくなる。 月光で薄明るく照らされた青みがある夜空よりも何倍も、何倍も巨大な黒い液体のボールはやがて空を覆い尽くし、みるみると広がっていく。 大きくなるボールは次に、密度を薄めていき、霧のようになる。 その霧は、まるで俺たちの事など微塵も興味がないかのように体積だけを肥大化させていく。 そしてもう、俺の寸前のところまでその黒い霞が....................。 そのとき、ミクロさんに肩をガシッと掴まれた。 「ベロキ!一旦退避!これは二人で何とかなるものじゃない!」 俺はミクロさんの言葉で我に返り、ふたりで一緒に急いでその場から離れた。 「ベロキ!病院の2人を呼んでくるんだ!僕はここで様子を見ている!」 「はい!!」 俺はホバーボードを取り出し、それに乗り込む。 俺は街中に向かってホバーボード全速力で走らせる。 ふと後ろを見ると、その霞はさらに広がり、空を黒く染めていた.....................。 ----- ほどなくして、俺たち4人は集合した。 アロ君は例の感知した女の子の細胞と、解剖した死亡者のデータを使ってペストウィルスの特効薬を作成していたらしく、その実験が今日の昼あたりに終わったらしい。 サンプルが出来上がったことでどっと疲れが押し寄せたアロ君は、実験室に置かれていた解剖のための手術台に寝転がって寝ていた。 いや、あなたは先日その台の上で作業していたよね?という疑問をグッと飲み込んでアロ君を連れ出し、その流れでホテルの部屋にいたリンさんを叩き起した。 ふたりをつれてミクロさんと合流できたのは、俺たちが別れてから15分ほどであった。 「どうです?」 「何にも変化はないね。なーんにも。 怖いから刺激は加えてないけど、僕らには敵意の"て"の文字も抱いていないみたいだ。 そもそも冷静に考えて、こいつが生物なのかも怪しいけどさ。」 ミクロさんは「トホホ....................」とでも言いたげな仕草をする。 そして、アロ君に指示を出した。 「アロ、お前は計測器を持ってきていたはずだよな?」 「ええ。」 「よし、とりあえずあの霞を調べてくれ。」 アロ君は背中に背負っていた大きなリュックサックから、30センチくらいの長さの筒と、コンパスのような器具を取り出す。 筒の先の方には針がついている。 「わかりました。」 「何分?」 「10分以内には終わります。 濃度が高ければもっと早く終わりますが。 ....................仮にあの大きな水蒸気のかたまりがペストの元凶だとしても、どうするおつもりですか。」 「何とかして対処するしかないよね..........。」 「声が小さいですよ、所長。」

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