鯣烏賊 / 第34話

夜闇を覆うは漆黒の霞、現るは歯車を廻す皓き者 その12

ごくごく当たり前の、誰にでもわかる、とっても簡単な一般常識の話をしよう。 水の重さの話だ。 グラスやコップ一杯に注がれたくらいの水ならば、片手の....................いや、指数本の少しの力だけで楽々持ち上げられる。 瓶やペットボトル1本分の水は、片手で持つ程度ではある程度の重量を感じるかもしれないが、「何だこれ重すぎだろ!!!!持てねえよ!!!」とはならないはずだ。きっと。 次に、ウォーターサーバーに装填するための、大きな水カートリッジ。 人という生物の個人差はあれど、仮に片手で持てたとしよう。 しかし、カートリッジを差し込む場所まで持ち上げるのには類まれなる筋力が必要だ。 つまり骨が折れる仕事である。 このあたりから、作業をするために両手を使うことになる。(一般人より数段腕力が強い俺を除く。) 仮に、浴槽に入れた水を全て、何かしらの容器に入れることが可能であるとしよう。 それを人間だけで持ち上げると仮定すると、果たしてどうなるだろうか。 その多量の水を入れた容器を倒したり、転がしたりすることは可能だとして、腕力で持ち上げるとなると、もはや人間という生物腕力では不可能になってくるだろう。 ゴリラとかなら何とかなるかもね。 25メートルプール一杯の水の重さ、大浴場に入るお湯の重さ、魚が優雅に舞う水族館の大水槽の水の重さ、公園の"飛び込み禁止!"と言われるような池の水の重さ。 ここまで来ると、どのくらいの重さであるかも想像がつかなくなってくる。 さて、今俺の目の前にいる液体タコの大きさは、10メートルよりも少し大きいくらいの球体に、それぞれの触手が生えている。 なぜか生物としての「てい」を保っているこの液体の体積は、ちょっとした貯水池に匹敵すると予想している。 そして、数秒前にその液体タコの動きが完全に止まった。 おそらくミクロさんが何かしらのことをやったんだろう。 ここでの問題は、こいつの動きが止まっている、ということである。 こいつには「心臓」や「核」らしき役割をしていそうな肉塊の部分があるのは確認済だ。 この肉塊は、リンさんの砲撃により二度、俺たちの目の前に露出している。 1度目は、偶然。 2度目は、ミクロの指示によるものだ。 ミクロさんはこの「肉塊」を砲撃による露出のときに破壊すると言っていたので、さっきの2度目の砲撃と同時にしっかりと責務を果たしてくれたんだろう。たぶん。 さて、この肉塊が失われたら、周りにある液体はどうなるのだろうか。 考えたくもなかった光景が、目の前に広がろうとしていた。 え、一体それは何なんだって? «避けろーっっ!!!!!!早よ飛べー!» 俺はミクロさんの呼び掛けに答えるように、「鍵」の機能たちを存分に用いて上空へ向けて跳躍した。 そもそも、ミクロさんからの呼び掛けがなくても、俺は上空に向けて逃げただろう。 逃げないと死ぬもん。 ばしゃん、どぷん..........!!!! どちらとも取れない、とてつもなく大きな音と共に、大質量の液体が地面に落下した。 さっきまでドス黒かったそれの色は少し抜けてきていて、いつの間にかなんの変哲もない「水」に近いものとなっていた。 大量の水は落下とともに広範囲に多量の衝撃波をもたらし、あたりの土を上の方へ巻き上げて、大きな土煙を巻き起こした。 落下地点を中心に水が広がり、ちょっとした沼と見紛うようなとても大きな水溜まりが作られていく。 「おお.........すっごい。」 水が広がっていくと、だんだんと球体だったときの厚みがなくなっていき、中身の部分がだんだんと露になってくる。 「ああ....................あれか。」 広がってゆく水の中から、真っ二つに切り裂かれた肉塊が現れた。 その周りの水には固まっていた血液が溶けだし、その肉塊の色自体も薄まっている。 怪しく蠢いていたあの鼓動も、今ではすっかり止んで、何事も無かったかのように大人しくなっている。 ミクロさんが肉塊の隣に立ち、なにやら触ったり観察したりして、調べごとをしていた。 断面をまじまじと見つめたり、肉の隙間に指を突っ込んでいたり。 何をしているのか理解が出来なかった俺は、彼らの作業の邪魔にならないようにと、リンさんと一足先に撤退の準備を始めた。 ----- 「ミクロさん」 「ああ。 お前が言いてえことは僕も大体分かってるつもりだ....................が。」 ミクロは肉塊に触れていた手を離し、アロの方向へとゆっくり振り向く。 「一応、聞こうか。」 「俺が気になったのは....................。」 ミクロは近くの岩に体勢を預け、アロの話を聞く姿勢をとった。 「コスモは凝縮すると、黒くなります。 凝縮しきったコスモはそこらの金属を遥かに超える強度を持ちます。 なのであいつの体は必然的にかなり硬いと思っていたんですが....................。 俺の見た感じでは、そこまで硬いわけではなかったでしょう?」 「言われてみりゃあ....................いや、アレは硬いっつーか、重かった。」 「まあ、水の質量は相当なものですし、重いのは当然ですね。 あれ、プランクトンの類ですよね?」 「たぶんな。あの肉の栄養を吸い取って生きてるプランクトンの塊だ。 プランクトンそのものに浮遊能力があるのか、周りの水を絡め取る感じであの形になっていた様だぜ。」 「....................推測するに今回の事件とあいつには、直接の関係はないのでは、と思ってます。」 「その心は。」 「あれだけ黒くなれるほどのコスモを溜めてあの体を作っているのに、わざわざそれを吐き出して人里を襲う理由がないです。」 「つまり原因は別にある、と。」 「そう考えるのが自然なので、別のアプローチをかけなければ結論は出ないかと」 「なるほどねぇ」 「なので俺だけでももう一度ここに来て、しっかりとした調査で....................。」 「いいや。」 ミクロはアロの話を打ち切り、神妙な面持ちで話を進めた。 「だがぁ....................な。 そんな、後々の調査だとか、悠長なことは言ってられねえかもな。」 「?」 「多分、これは人的要因によるもんだ。 どういう意図があってかは知らないが、あえてアロ....................お前の専門分野に通ずるような状況を作り上げて、僕らをおびき寄せたようにしか見えねえ。 第1にさっき、「シロ」と邂逅した。」 「シロと..........!!ここにいたのですか?」 「あぁ、あのクソ水タコのせいで取り逃しちまったがな。」 ミクロは左手で、履いているズボンのポケットを弄りながら話す。 そして、何かを掴んだのか、「グー」のてをアロの前に差し出した。 アロは反射的に、そのグーの手の下に受け皿となるような手を差し出す。 「最初っから....................どっかがおかしいとは思ってたんだがぁ、な。」 ミクロは先程までポケットを弄っていた左手を開く。 そして、アロの手に何かが落ちた。 「アイツの中に....................あの肉塊のちょうど中心部に、こんなもんが仕込まれてた。」 「!!!」 「アイツは多分、操られてたんだよ。 だからわざわざコスモを吐き出してた。 ....................僕らをおびき寄せるエサにさせられたんだ。」 それは....................大自然の象徴たる怪獣とはとても関係のあるように見えない、手のひらサイズの小型の機械。 形は、触手のついていないクラゲという表現が適切だろう。 四角いパーツから、触手のかわりに、とても鋭利な1本の針が生えている。 四角いパーツの上の面には赤い光が点滅していて、それが未だに作動中であることを示している。 「盗聴はされてねえさ。もうオーサンに主要な盗聴機能を壊してもらった。」 「....................も、もう、こんなに。」 「驚いたぜぇ、僕も。 世界の進みは僕らが思ったよりも随分、早かったってことだな。」 ミクロはその場に座り込み、胡座をかく。 ひとしきり何かを考え込んだあと、不機嫌さの伝わる深いため息をついた。 アロもミクロの隣にしゃがみ、何も言わず黙りこくる。 「............おい、アロ。」 「はい。」 「ペラルのやつから、何か連絡は来てるか?」 「現状は、何も。」 「そうかぁ。」 再び、どんよりとした沈黙が場を支配する。 これ以上なく真剣な2人だが、一言も話さずに真顔で座り込んでいるその様は、傍からみれば怖いものであるともとれるだろう。 しかし静寂は、ミクロの携帯電話がアラーム音を発したことで破られた。 ミクロは鬱陶しそうに腕時計の表示時刻を確かめる。 そこには、決して電話をよこす時間としてはおかしい時間ではない「20時30分」の文字が記されていた。 「クソがよぉ....................この忙しいときに。」 ミクロは時刻を口実に電話の応答をしないという選択肢を選ぶことを諦め、やや面倒くさそうに腰を上げる。 ミクロは腰のホルダーからゆっくりと、今は時代遅れな携帯電話を取り出す。 そして、電話に応じた。 「あー、お前か、レスパか。 だいぶ久しいんじゃねえのか?」 "久しくないだろう、ミクロ。 ....................単刀直入に言うが、大変だったぞ。" 「あ............そりゃ、すまんかった。」 再び、静寂が場を支配した。 先程のような真面目な沈黙ではなく.........。 先生に怒られている時に、クラス全体が沈黙したときのような気まずい雰囲気。 そう形容するのが適切だろう。 "仕方のないことだったが、今からわずか1週間後に開始される試験の席をひとつ確保するのは骨が折れたぞ。 ....................場所はテキサス支部。受験番号は-00004。 形式は推薦の記述基礎プラス実技応用。 試験監督はトケラだ。" 「おう、助かったぜ。」 "最後に。 ....................しっかり頼むぞ。音砂。"

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