鯣烏賊 / 第61話

不倶戴天の不協和音 その1

不倶戴天。 不協和音《ディソナンス》。 音同士の振動数が非常に整っている協和音程(CとG、CとFなど)は、「完全協和音程」と「不完全協和音程」を含めてもわずか8種類しか存在しない。 ひょっとしたならば、協和する存在というものは存外、全ての集合体の部分集合の「大きさ」としては極めて小さいものなのかもしれない。 協和音程に対する、不協和音程。 果たしてこれが何を意味するものであるのか。 ただひとつ重要なことは、たとえ協和しない存在同士の生み出すエネルギーだとしても、全てをエンディングに向けて「整序」する機能を保持している。 そう、ちょうど、tonic機能とdominant機能が組み合わさるkadenzのように...................。 ストーリーはもう、始まっているのだから。
現在時刻、深夜の1時。 月下、俺は体にくっついている布団をひっぺがしてむくりと起き上がった。 穏やかな闇の中に浮かぶ月光の、淡い白の光が俺の横顔を照らしている。 そして、その光の先に....................すなわち俺の隣のベッドでは、ディラン君がすやすやと息を立てながら眠っていた。 「ん〜〜〜〜〜〜。」 俺はベッドから降りると、着ていたパジャマからすばやく戦闘服に着替える。 見た目は普段着に近いことは否定できないけれど、伸縮性にすぐれた素材なんだよ。一応。 そして服を着替えた俺は、こっそりと鞄の中にしまっていた愛機「鍵《シュリュッセル》」をしっかりと腕に装着した。 現実世界で見る「鍵《シュリュッセル》」には、なんの問題も起きていない。 しっかりと「排撃《リジェクト》」の文字が刻まれていることが見える。 自身の準備を終えた俺は、次の準備にとりかかる。 俺は、ミクロさんから受け取っているとあるものを、リュックサックに入れていた布の袋から取り出した。 一見なんの変哲もないただのチョーカー。 「|闘い求む拳《ヘラクレス》」である。 おそらく敵襲後、隊員たちは命令待ちの時間が生まれてしまう。 前提として、怪獣討伐は普通、集団でこなす仕事であるからだ。 しかし、個人単位での力が求められる「|過去の遺物《レガシーウエポン》」の使い手は、その限りではない。 集団に馴染もうが馴染むことができまいが、問題を素早く解決しなければならない。 よっておそらく、ディラン君は単独で行動を起こす。 だから、俺たちはそれをサポートする意味合いとして、ディラン君の枕元にこの「|闘い求む拳《ヘラクレス》」を置いてやる。 しかし、ミクロさんいわく、これからの戦闘のことは「他言無用」であるらしい。 色々と難しいことを言っていたが、とりあえず俺たちはこのことを秘密にしなければならないわけだ。 だから、このことはディラン君には伝えていない。 今夜のディラン君がどのように動くのかは今のところ全くわからないが、それでもすぐに行動できることは大きなアドバンテージになるはずだ。 よし。 必要なことを終えた俺は21日と1晩お世話になった部屋に感謝の気持ちを持って、玄関で部屋の方向へお辞儀をし、ドアを開けて外の廊下へ出た。 人ひとりの気配も感じない。 時刻が時刻だから、みんな床についたようだ。 俺たち以外の受験生も、「深夜だから羽目外そうぜ!!!」みたいな元気は有り余っていないようだ。 俺は、この階のエレベーターが設置されている所へ向かう。 エレベーターのとなりには階段が作られており、俺たちはそこを使うこともできる。 そして6階から上に登る階段は、本来は立ち入り禁止とされており、チェーンが張られている。 俺はそのチェーンにまたがって....................そして、上階への階段を上る。 向かう先はこの鉄扉の奥。 屋上である。 俺はこれまたミクロミクロさんより受け取っていた専用のカードキーをスキャンさせる。 「ピコン」という無機質な一音とともにロックが解除された扉を開ける。 ピュォォォォォ....................。 と、つめたい夜風が俺に吹いてくる。 月光のもと、たった数個の照明器具で照らされているだけのこの空間に、俺がたったひとりだけ存在している。 俺は非常にどうでもよい優越感を感じながら、柵に手をかけ、下の方を覗いてみる。 こうやって会場全体を俯瞰した視点で見ることなんてこれまでなかったから、すごく不思議な気分だ。 右側にあるのが、講堂。 フル・オーケストラも演奏できそうなくらいに広いホールだった。 こうしてよく見ると、ステージの上の部分には俺たちが立ち入ることができなかったスペースが置かれていることがわかる。 電気がついているけれど..............................あそこはなんなんだろう? そして左側には体育館。 筆記試験と実技試験の試験会場として使われていた場所だ。 実は、試験日以外は自由に使えるよう開放されており、バスケットボールなどで遊ぶことができたらしい....................。 まあ、やらなかったけどね。 そしてこの真隣にあるのがもうひとつの寮。 ここにも大量の人間が収容されているのだ。 うーん。 「本当に敵襲なんてあるのかな。」 そう疑ってしまうほど、"普通"の空気だ。 なぜだろう。 俺がこの場所で長い時間を過ごしていたから、慣れてしまっているのだろうか。 いいや、何を考えているんだ。 本来は敵襲なんてない方が良いに決まっているじゃないか。 まるで敵が来ない方が不自然なことである、みたいに.....................。 ....................そもそも。 なぜミクロさんは、「今日必ず来る」と断定できているのだろう。 普通なら、そんなに断定なんてできるものじゃないだろうに....................。 ----- 時を同じくして、ベロキの見ている位置からちょうど死角となっている、試験会場の受付にて。 「はいはい....................こんな時間に何の用ですか。」 試験会場の受付嬢をしている女は、深夜にも関わらず人の気配を感じ、窓につけられたシャッターを開けてそとを覗いた。 しかしその瞬間、女の視界に右と左でずれが生じた。 正確に言うならば、左脇から右目の辺りまで、刺身のようにスライスされたと言うべきだろう。 切り口から飛び交う鮮血は、応対用に小さな穴が無数に空けられた窓ガラスを赤黒く染めた。 「....................なんの騒ぎだ。アオ。」 「女がひとりいたので、殺しました。」 「そうか。」 その窓の前には、「アオ」と呼ばれた1人の男が立っていた。 青みがかった色のフードつきのマントを深く被っている、長身で細身の男だ。 細身ではあるが、ただの痩せている人間からはとても感じないような異様な空気をまとっている。 しかし、男の手の指の爪が長く鋭く伸びていることからも、この男が普通の人間でないことがよく読み取れる。 その爪は約1メートルほどの長さを持っており、爪同士が接触すると「チャリ..........」という爪にあるまじき音を立てる。 左手に伸びている爪からポタポタとまだ新鮮な血が滴り落ちていることが、女を切り殺した犯人がこのアオであることを物語っていた。 アオの背後には、さらに2人の人間が立っていた。 「目撃者は生かしておけないからな....................アカ、アオの切り殺したあの女をテトラファントに食わせろ。」 「はいはーい。」 1人は、「アカ」と呼ばれた街中を歩いている児童と見紛うほどに小柄な女。 赤いマントを着ているが、こちらはフードを被っているわけではない。 銀髪で童顔の....................街中で普通の生活を送っていたら「美少女」と定義されることが容易に想像される顔立ちだ。 アカが手をかざすと、指から細身の糸が無数に現れる。 そしてその糸たちは常人には視認できないほど素早いスピードで切り殺された女のことを、まるで蚕の繭のようにぐるぐる巻きにしてしまう。 そして、そのまま彼女の背後50メートルほどの距離にいる、非常に大型な「ゾウ」のような外見をした怪獣の元に運び、それの目の前で糸から解放した。 しかしその女をゾウよりも早く食べる者がいた。 ゾウの周りに数え切れないほど存在している、虫型の怪獣たちだ。 トンボのような外見のもの、巨大なアリのようなもの。 その中には、ベロキが戦闘をした経験がある「マンティス」も、数十体規模の数で含まれていた。 「あーあ。テトラより虫の方が早かったか〜。」 「....................アカ。フードはどうした。」 「ええ〜もう、シロは大マジメだなぁ〜〜。 ....................全員、殺しちゃうから関係ないでしょ?」 シロと呼ばれたその男は、アカのことをキッと睨む。 白いマントを着た大柄の男だ。 ベロキが過去に2度対面している、正体不明の人物その人である。 シロは門の柵に触れると、そのまま握力に身を任せて鍵をぐにゃりと握りつぶし、戸をこじ開けた。 刹那、一斉に警報が鳴り響く。 恐ろしいほどに静かな夜の中、無機質て人工的な音源が高音で発される。 数秒経たずに寮の部屋の電気たちがパラパラとつき始め、慌ただしくカーテンが開けられる部屋もある。 「さて、ここからは単独行動だ。 私は..............................。」 ブオッ 一陣の風を、シロは見過ごさなかった。 「守れ。私の身体。」 「肆!」 ドオッ、という凄まじい音とともに、ひとつの物体が超高速で接近する。 その物体は、さらに早い速度で展開された「つた」の塊と接触し、あたりに地響きをもたらした。 「予定を変更する。私だけはここに残る。」 「ああ....................そこのヒトガタ四《・》人《・》、全員残っておけ。 まとめて全員討伐してやろう。」 「そんな訳にはいかない。」 ディラン・モルガナイト。 その男は誰よりも早く、単身この場へ乗り込んだ。 そして。 「おお、おお....................早いこと早いこと。」 遠目にそれを眺めるもの、またひとり。 開戦の大銅鑼が鳴らされた。

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