鯣烏賊 / 第148話
断崖絶壁の層:シティバレー その11
ザーザー。
ポトポト。
ジャージャー。
ピッシャンゴロゴロ。
ヒューヒュー。
これらの擬音語で表せそうな音たちが、絶え間なく俺の耳を振動させる。
天然の音だ。
今この瞬間を構築している、とある天気の発する、大自然の音。
灰の吹雪のような、どんよりした雲が上空を多いつくし、俺たちの気分もだだ下がり。
その雲の中からは、とあるものが落ちてくる。
自重に耐えきれず、この地球の重力によって落とされるのだ。
その物質は、俺たち人間を含めた生活圏にまで達することになる。
化学用語で言うと、「H2O」。
ときにそれは、恵をもたらす。
ときにそれは、生活を破壊する。
そんな、表裏一体となるもの。
「雨ですね。」
「雨だネー。」
つまりは、雨である。
視界を白く染めるほどの雨水を前に、俺たちは民宿の玄関先に立ち止まるしかなかった。
このまま一歩でも足を踏み出せば、俺たちの服は、それはもう酷いことになる。
「とりあえず、行きましょうか。
守《ガード》。」
いくら柔らかいガードとはいえど、雨水を防ぐくらいは可能だ。
ふたりで体を寄せ合えば、傘のようにして歩くことができる。
これで、ここから先へ進める。
しかし、このままにしておく訳にもいくまい。
俺制作のこの簡易傘は、最大ふたりが中に入れる限界人数。
俺たちは全員で、4人だ。
どこかで傘を買わないとな。
ふと、上を見てみる。
長く黒い影のようなものが、わずかに揺れ動きながら浮遊しているのが見えた。
もうすこし目をこらせば、シルエットくらいは掴めそうだ。
そうしてぐっと目に力を込めてみると、面白いものが映った。
空には、一匹の龍がいた。
竜ではなく、龍って感じだ。
ヨーロッパのワイバーンではなく、ジャパニーズのドラゴン、って感じの。
ステゴさんの家の屏風のようなあのフスマに描いてあっても、なんらおかしくはない。
そんな感じの見た目だ。
蛇のような細長い(相対的にそう見えるだけだけど)体を持ち、長いヒゲやヒレを持つ、まるで仙人のような風貌の怪獣。
我が物顔で、空を占領している。
その数百メートルはあろうかというあまりにも長い身体を、空中に浮かせているのだ。
あの龍はなんだったか....................。
資料だけは、見たことがある。
幼体の目撃情報はひとつもなく、かならずある程度成長した姿で出現する。
具体的なサイズにはやや個体差があるが、それでも必ず、三桁メートルを越える。
大きい個体によっては、1000メートルに迫るんだったか。
今、俺たちの上にいるやつはたぶん、600メートルくらい。
あれほど大きくても、全体から見れば中の上ほど。
世界は広い。
あいつの能力は、雨を降らせること。
さらに言うと、雨雲を自身の周囲へ引き寄せる能力だ。
そのため、やつが出現した地域は、まるで線状降水帯のように雨雲が留まり、天気が曇り続けることになる。
天災の象徴のような怪獣だ。
とはいえ、こちらから手を出さなければ、雷雨以上の被害が生まれることはない。
むしろ、あんなやつ敵に回してはならない。
放置しておけば、この大粒の雨とともに通り去ってゆくはずだ。
「この雨じゃあ、荷物もビショビショになってしまいますね。
....................傘、買いましょうか。」
「人数分あればイイかな?」
俺たちは民宿を後にした。
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例のビジネスホテルの玄関に、ふたりはいた。
傘を買っておくことは連絡していたので、傘を買わずに雨宿りをしていたようだ。
アプルちゃんのほうは、今にも雨の中へ突撃しそうな雰囲気だ。
シリーズし、ラフラさんが服の裾を引っ張って、それを静止している。
ラフラさんがあの手を離したら、アプルちゃんはびしょ濡れになってしまうだろう。
それでは確実に、アプルちゃんは風邪をひいてダウンである。
姉というものは、大変だ。
「おはよー、ふたりとも。
ラフラちゃんもアプルちゃんも、よく眠れたカナ?」
「うん!」
アプルちゃんは元気いっぱいだった。
昨日見せていた疲労が嘘だったみたいに、はしゃぎまくっている。
無尽蔵の体力って感じだ。
身体的にではなく、精神的に。
ふとラフラさんを見ると、こちらはきつそうだ。
そのまぶたが、まるで定時に閉まる銀行のシャッターのように降りてきてしまっている。
視界が半分くらいしかないように見えるくらい、目を閉じそうになってしまっているのだ。
体は元気なんだろうけど、心がすり減っていそうみたいに見える。
まぁ、そりゃあ、そうだろう。
あんなに重い話をすれば、そりゃ疲れるに決まっている。
話を聞いているだけであった俺でさえ、その後にどっと疲れが押し寄せてきたのだから。
当事者の彼女は、次元の違う呪いのようなものを背負うハメになったはずだ。
そういえば、俺は彼女になにも言わず、黙って盗み聞いてしまったな。
あの後には、深く考えずにペラルさんへ共有してしまったし。
しかも今朝、ブルーさんにもことの一部を報告してしまった。
事前に断っていたほうがよかっただろうか。
今、謝っておいたほうがよいだろうか。
それとも彼女は、俺に話を聞かれてしまったことを知らないほうがよいのだろうか。
だってなにしろ、内容が内容だ。
判断しかねる。
「どうしたの?
アタシの顔になにかついてる?」
「ああ、いや、べつに。」
すこし考えた結果、俺はなにも言わないことを選択した。
あんなプライベートでデリケートな話を、こっそり盗み聞きしていましたなんて、どうして言えるだろうか。
あのときのラフラさんは、エティに「あんたがなにもしないのが、ふたりの間で最も幸せだった」のような旨の発言をしていた。
理論はだいたい、それと同じだ。
俺とペラルさんはあのことを知らない。
ラフラさんも、聞かれていたことを知らない。
そしてなんの障害もなく、俺たちはサンライズバレーへと進むのだ。
シャーク団の見張りを気絶させて、脅して追い払う、ということはした。
そのことが伝わってしまえば、俺のこの演技もバレてしまうだろう。
しかし、ラフラさんがシャーク団に関わろうとすることは、今後ないと思う。
あちらだって、こちらへ干渉することはない。
エティのことは、すでに解決したのだから。
そうだ。
きっと、それがよい。
双方どころか三方での話だが。
俺とペラルさんは、何も知らないのだ。
ラフラさんは無事に物事を解決し、それは俺たちの知らぬ間にて行われていた。
シャーク団のあのふたりは俺の手により追い払われたが、そのことがラフラさんへ伝わることはない。
結果として、表向きには何も起こらかったのだ。
そう、昨夜には、なにもなかった。
なにも、なかったのだ。
そう俺の中で結論づけたときに、ラフラさんが俺を呼び止めた。
ふたりで話したいから、こちらに来てくれないか、と。
俺は勝手に、合点をつけた。
向こうからあのことを言ってくるのだ、と。
それなら大歓迎。
さらに平和に収集がつくことだろう。
そんな思いで、俺は彼女へついて行った。
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「ありがとね。」
最初のひとことは、それだった。
しかし、俺に向ける手の形が、少し変だ。
親指と人差し指を立てて、伸ばしきっているような形。
そのまま人差し指を俺に向ければ、ピストルみたいな感じに。
む。
ピストル、だと?
ピストルという単語を耳にする機会は、なかなか少ない。
手のひらサイズでずっしり重たくて、ゴツゴツした、人を殺せてしまう危険なもの。
生活とはおよそかけ離れたものといえる。
「ん?」
彼女にピストルと言われた俺の脳みそは、とてつもない速さで回転をはじめた。
ピストルのジェスチャーに、ありがとう。
このふたつの単語か組み合わさるようなことが、近ごろにあっただろうか。
しかも、それがラフラさんの口から発されたのだ。
彼女が普段使っているのはライフルで、ピストルは万が一のために持っている程度だったはず。
ん、万が一のために....................?
「あ。」
昨日の真夜中あたりだったか。
俺は一丁のピストルを盗みとっている。
確かにそれは元の場所に戻したのだが。
そう。
喧嘩を起こしたときに、万が一にも人を傷つけないために。
そしてあわよくば、武器を持たないことで敵意を抱いていないアピールをしてもらえるかと思って。
目の前のこの人から、奪い取った。
「まさか、気づいて、いたの....................?」
「まあね。
あのゴミ屋敷についたときに、ポケットから重さがなくなっているのに気づいたのよ。
それに、アタシはまだ、ピストルをあんたが盗んだなんて言っていないんだけど?」
「うぐっ。」
なんと、ラフラさんはわかっていたというのか。
俺が彼女のポケットから、ピストルをすばやくスリ盗ったことに。
で、でも。
俺にだって反論の余地は残っているぞ。
「俺だって、盗ったピストルの話なんてしていないぞ。」
「あっ。」
ふふん、どうだ。
しかし、あまりにも幼稚なやりとりだ。
果たして俺たちはなにを競おうとしているのか。
そのことを知るものはおそらく、この世にひとりもいない。
「でもあんた、今、自白したわね。」
「うっ。」
会話が途切れた。
プツリと、あっけなく。
いやまあ、議論の余地なんてないし。
俺がピストルを盗んだことを、ラフラさんはなぜかわかっていた。
俺は隠そうとしたけど、誘導尋問とも言えないようなもので、半ば自白してしまった。
なんか、すごくバカだ。
そう思うと、すごく無性に笑えてきた。
なにをどう面白がったつもりもないのに、腹から力が抜けて、膝がガクガク震えてしまうのだ。
俺に釣られて、ラフラさんも笑った。
もちろん、俺だってもっと笑った。
腹を抱えて、ふたりでゲラゲラ笑った。
意味がわからないけど、笑いは本当に止まらなかった。
傘を持って、その傘を揺らしがら。
傘が揺れるおかげで、俺たちの体にはどんどん雨粒がたまってゆく。
それでも数分間、この衝動は収まらなかった。
ひとしきりふたりで笑い、ヒィヒィ言いながら、互いに目を合わせた。
そうして目のあったラフラさんのまぶたは、ハッキリ開いていた。
銀行のシャッターみたいな疲れから、開放されたのだろう。
いつものラフラさんが、そこにいた。
「ベロキ、あんた、顔が晴れたわよ。」
「えっ、嘘?!
....................でも、ラフラさんだって相当、酷いものだったよ。」
「知ってるわよ。
朝に鏡みて、すんごい顔だったんだから。」
どうやら、酷い顔だったのは、俺も同じだったらしい。
鏡などで自分の顔を見る習慣がなかったので、気がつかなかったな。
ペラルさん、少しくらい言ってくれてもよかったのではないだろうか。
ラフラさんは続けた。
「正直、あそこでピストルがないことに気づいたとき、思ったのよ。
"あ、これはベロキがいるな"って。」
「....................。」
「けどなんか、いいかなって。
元々喧嘩するつもりもなかったし。
この機にさらけ出しちゃおうって思ったのよ。」
なんだ、気づかれていたのか。
そのことを知れた俺の肩に乗っていた、なにか重いものがずり落ちたような気分になった。
俺は姿を隠して盗聴しているのを申し訳なく思っていたなかで、彼女は俺のことに気づいていたということになる。
....................これじゃますます、俺がバカみたいに見えてきてしまうじゃないか。
でも、思うことがないわけではない。
「俺で、よかったの?」
「うーん、良かったんじゃないかしら?
実際今のアタシは、後悔とかしてないし。」
そうか、ならいいか。
本人の口からはっきり言ってもらえば、そう思い切りをつけることができた。
彼女がいいと言うなら、それでいいだろう。
そのくらいの、浅い浅い考えだ。
俺はこのことに対して、どうこう言えるような立場にはいない。
それに先ほど、目の前でふたりの和解の瞬間まで見てしまったのだ。
ここまで来ていまさら、彼女らになにを言えるというのか。
なにも言うまい。
「アタシたちの話聞いて、どう思った?」
「どうにもこうにも。
なんかこう、内容が濃かったから、揚げ物を食べて胸焼けした気分だよ。」
「そう。
....................幻滅とか、されたかしら?」
「幻滅?まさか。」
幻滅、か。
俺は彼女の恋人などではない。
そういう関係のひとだったら、あの話を聞けば幻滅するようなこともあるかもしれない。
でも俺は、ただの同行者だ。
サンライズバレーに着けば、一旦はお別れになるかもしれない。
タイミングが会わなければ、もうなかなか会えないかもしれない。
そのくらいの関係だ。
「そう。
ありがとう、ベロキ。」
彼女はそう言って、ニカッと笑った。
口角をあげて、屈託のないあまりにも純粋な笑顔を、俺に見せた。
それがすごく素敵なふうに、俺の目に映った。
どしゃぶりの中ではあるけれど。
詰まり物が抜けた時のような態度の彼女を見ると、気分が晴れやかになった。
行こう。
今日で、行ききってしまおう。