鯣烏賊 / 第56話

凍峰に沈む街にて その15

目の前の氷蛇という巨大生物は、現在いくつかの手段によって動くことができないようにがっちりと拘束されている。 まず、氷蛇の前後足が周りの水が凍ったことによりカチコチに凍らされている。 人間みたいに前足が発達していて、二足歩行ができる生物だったらまだ脱出のやりようがあったかもしれないが、あいつは地面を腹につけるような姿勢での四足歩行。 足どころではなく、胴体の一部分まで氷と同化させられている。 これはかなり強力な拘束だといえる。 次に、俺の「爆《ボンベ》」によって倒壊した建物のガレキ........................................ガレキと言ってもひとつひとつが5メートルを超えるような大きいものたちが大量に、氷蛇の上に覆いかぶさっている。 ビルは氷蛇の頭の前から覆い被さるように倒れた。 首に胴体に尻尾と見境なく巨大なガレキが飛び散り、さらに氷蛇の拘束からの脱出を困難にしている。 そして、俺たちが攻撃を仕掛けている。 脱出を試みようと動いた部位に釘を刺しこむように、意地悪く、ねちっこく、何回も。 前足を、後ろ足を、尻尾を..............................と、とにかく脱出させないための時間稼ぎに徹している。 この辺りの連携は、試験までに行ってきた練習のたまものだ。 やつに冷気を用いて大規模な氷を生成する能力をもつ生物だ。 氷をつくることはできても、溶かすことはできない。 ものを凍らせることと溶かすという対立的なふたつの動作を同時に行うことができないしがらみが、この巨大生物を封じこめている。 とはいえ、懸念点はある。 「ディラン君、次のブレスの兆候は?」 「今のところはないな。 ....................雨が降っている限り、この理不尽な拘束行為を続けられることが俺たちにとっての唯一の救いだな。」 冷気以前に、触れたものを削り取ってしまうようなあのレーザーは、依然として無視できるものではない。 やつの首が自由なままである以上は、いつどの方向にブレスを撃たれるかわからないということになる。 いや、きっと撃ってくる。 ブレスによって、背中や足の大きな外殻の隙間から冷気が飛び出し、やつはふたたび強固な拘束に見舞われる。 しかし、そのリスクを無視してまで攻撃を仕掛けてくる可能性が否定できない。 現にこの拘束に成功してから約10分。 たった10分の間で、3度もブレスを撃たれてしまっている。 かなり早いペースでの攻撃だ。 実際これは、正しい選択とも言える。 氷蛇がここに固定されているならば、少しの隙で拘束から脱されてしまう以上、俺たちもここに留まらざるを得ない。 俺たちは氷蛇に何らかの決定打を与えるチャンス。 氷蛇も、ここを離れない俺たちを一網打尽にする絶好のチャンス。 互いにまたとない有利な状況に持ち込めている....................と、思っていた。 しかし、現実は違った。 「駄目だ、|過去の遺物《レガシーウエポン》は打てない!」 ディラン君の過去の遺物「|闘い求む拳《ヘラクレス》」は、言ってしまえば俺の「衝《ストライク》」のような能力だ。 氷蛇に向けて使えばもちろん、発生した膨大な力は、強力な衝撃波として、氷に伝わってしまう。 氷が割れてしまえば全てのことが無駄になってしまう。 そして、氷蛇の外殻の物理攻撃への異常な耐性は、さっきまでで往々にして理解させられている。 つまり、俺たちはやつを一点に拘束することには成功したものの、強い攻撃をしてはいけない状況へ追い込まれている。 それに。 「....................かゆい。」 腕が、かゆい。 服の布の数枚下で、何かヒリヒリするような、そんな感覚がする。 服の袖をまくって腕を見ると、肌が赤く染ってきてしまっていた。 普通の雨程度ならば、こんなことにはならない。 せいぜい、体温が低下する程度である。 けれど恐らく、氷蛇は極小量の冷気を発し続けている。 氷蛇にとっては無意識のことかもしれないが、この冷気は徐々に俺たちの体を蝕んでいる。 さっきまでは何ともなかったのだ。 煌々と照りつける太陽は、こんな冷気を「少し寒い白い気体」程度のものまで軽減してくれていた。 しかし、今はこの冷気によって、ザーザーと擦り付けるこの雨水が全て、極低音まで冷やされている。 そんなものをこうしてずっと浴び続けていたら。 服越しに肌に触れ続けていたら。 ぐっしょり冷たいこの服を着用し続けていたら。 凍傷。 低体温症。 寒冷地においてもっとも恐れるべきこの言葉たちが、俺の脳裏にかけめぐる。 このまま寒さで動けなくなってしまったら....................? いや、それ以前に腕や足が「壊死」のような状態になり使えなくなってしまうかもしれない。 しかし、雨は止まらない。 普通の雨よりも数段冷やされた、まるで氷水でも浴びているかのようなこの過酷なシャワーの自然現象を止めることは、人間にはできない。 「ベロキ。どうする。」 「追い詰めたと思ったけれど。 実際のところ、追い込まれているのは俺たちの方みたいだね....................。」 すぐそこに見えるのは、ゆっくりと呼吸をしているだけの氷蛇。 その視線はじっと、俺とディラン君に注がれている。 「なんだ....................もう勝ったつもりなのか?」 だがしかし....................。 打開策はあるのか? わかりやすくピンチなわけではないが、じわじわと追い詰められてしまっている。 集団で疲弊してしまったところにあのブレスなんて撃たれたときには即、全滅だ。 絶望的、と行ってもいい。 こんな状況を切り抜けるための策なんて、本当にあるのだろうか? NPCの人々はシェルターに非難させ終えたから、これ以上の人的被害が出ることはない。 最悪、俺たちが死んでも....................? いいや、だめだ。 成功条件は【対象の討伐"および"死亡者100人以下だ。】 だからやつを、討伐しなくては..............................。 «みんな!避難誘導が終わったわ!もう誰一人も残っていないわよ!» ユリさんか。 申し訳ないけれど、コスモの増強をこの状況で活かし切れるとは思えない。 足元の氷を割ってはいけない。 そして氷蛇がどの程度まで耐えられるかも知らない。 そもそも、今この状況で、ディラン君が最大の力を発揮するためのお膳立てなんて出来るわけが.................... 待てよ。 そうだ。この手があるじゃないか! もしも俺の仮説が正しいとして、しっかりと反映されたとして。 だとしたら、討伐....................無力化は可能なんじゃないか? 「ミラーシールド。」 俺は絹のように薄いミラーシールドを手に広げ、金魚鉢のように加工する。 そして、そのミラーシールドの中に、ポトポトと雨水が溜まってゆく。 ものの数秒で雨水をためたボトルが手に入った。 隣のディラン君は俺のことを怪訝な目で見ている。 そうだよね。何しているかなんてわからないよね。 大丈夫だ。 いま、わかる。 よし。 「ユリさん、ある程度まとまった量の髪の毛を束にして、俺に渡してくれないかな?」 «髪の毛....................??» 「どういうつもりだ、ベロキ。」 奇想天外な策だろうか。 普通はこんな事しないだろう。 けれど、殺す必要はないんでしょ? 勉強したから知っている。討伐者にとっての「討伐」とは、相手を殺すことではない。 相手が何も出来なくなるまで、完全に無力化することだと。 「ディラン君。最後の大一番だ。 ....................動けるよね?まだ。」 「質問の意図が分からないが....................。 ああ、動けるぞ。」 「よし、頑張ろう。 ディラン君にパキケ君。最後の一策、俺に託してくれないかな?」 「いいだろう。」 «そうするしかないよね。» かくして、最後の大立ち回りが開始された。 水素爆弾の落下まで、のこり1時間45分。

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