鯣烏賊 / 第140話
断崖絶壁の層:シティバレー その3
俺はラフラさんと並んで歩き、ペラルさんはアプルちゃんの相手をしながら、一歩後ろに着いてきていた。
ふたりは本当に仲が良い。
ところで、エレベーターから足を踏み出した俺の目には、想像を絶する景色が入ってきた。
決して絶景ではない。
しかし、あまりに物珍しいその風景に、思わず俺は興奮してしまったのだ。
"崖に街が張り付いている"
俺が初めに抱いた印象は、それだった。
エレベーターの出口から見て左側の方に、このグランド・キャニオンの地層が剥き出しになった崖がある。
その崖に、横幅40メートルくらいの街が張り付いているのだ。
分かりにくい説明だが、これがいちばん適切な言葉だと思う。
崖にはまず、さっき言った大きさの板のようなものが張り付いている。
すごく分厚い板だ。
パキッと折れたり折れてしまうようなことは、まずないと思ってもいいだろう。
この板が、だいたい100メートルおきくらいにの縦幅で置かれている。
これがシティバレーの地面になっている。
ちなみに、このシティバレーのある崖自体が山のようになだらかな形になっているため、上の階層の板によって、下の階層への日光が遮断されるようなことはなさそうだ。
そして板の上の崖の方には、住居や店などの建物が作られている。
その反対側、つまり渓谷側が、大通りのような通路になっているのだ。
この通路の幅が、だいたい10メートルくらい。
つまり建物たちは、内側の30メートルくらいの幅に建てられているのだ。
一見、床ごと崩れ落ちそうなものだが、そんな雰囲気を感じさせないところに現代技術の凄まじさを感じる。
高所恐怖症の人は、まず住めない。
建物は、シティバレーの地面にそのまま建っているものもあれば、崖に張り付くように作られているものもある。
崖に張り付くように作られた建物には当然、床から数十メートルの高さにあるものもある。
そこに行くためのエレベーターや階段、スロープなどが個別に作られているのだ。
まあ、土地を増やすにはあの方法しかないか。
上の階層の地面となる板のところまで、だいたい縦に6個くらいの建物が張りつけられて
いて、それが横にズラーっと並んでいる。
圧巻の景色だ。
こういうのを見ると、よくもまあ、このような土地確保の方法を思いついたものだなと感心させられる。
見れるものなら、1度見てみるといい。
あまりにも現実離れしすぎている景色が、そこにある。
もう一度ここに来ることがあるかはわからないが、この景色を忘れることはないだろう。
ところで、壁にここまで建物を貼り付けられるとなると、土地の概念も大きく変わってくるだろう。
地面を買うこと以外にも、土地として壁を買う選択肢も存在するわけだ。
あくどい商売をする人もいそうだな。
....................いや、この文化が生まれて100年以上経っているはずなのだから、そのあたりの仕組みもきちんと作られているだろう。
そういえばあんな高いところにまで、どうやって材料を運ぶのだろう。
ここから80メートル以上、高低差があるようなものもあるのだが。
いや、考えるよりも、頼れる現地民に聞いた方が早いだろう。
「ねえラフラさん、ここってどうやって建物を建てるの?」
「すべて人力よ。
材料は空から運んでくるの。ホラ。」
ラフラさんが指差した先の方には、貨物車が飛んでいるのが見える。
都市街の空中道路にいる飛行車のなかでも、よく見るタイプのやつだ。
ここよりだいぶ上の層だが、シティバレーに向かおうとしているのだろう。
そしてその貨物室には、何かが垂れ下げられて....................。
ああ、なるほど。
合点がいった。
吊り下げられているあれは、コンクリートや鉄骨、そして木材だ。
飛行可能な貨物車の下に垂れ下げられているのがここからでもよく見える。
俺には想像もつかなかった運び方だ。
なんという大胆な。
その貨物車は、シティバレーのその「板」の真横に張り付くように停止する。
ピッタリ止まっているように見えるが、実際のところは飛行を続けているだろう。
あの飛び方はめちゃくちゃにエネルギーを消費するだろうが....................。
こういう面を含めて、シティバレーに居を構えるのには、様々なコストがかさみそうだ。
材料を運んでもらうだけでも、相当なお金かかかってしまいそうだ。
それでもシティバレーは、グランド・キャニオン内で最も人口が多いというのだから、不思議なものである。
俺たちの歩く通路には一応、柵が設けられているが、それでも下を除くと、思わず身震いをしてしまうほど高い。
当たり前だ。
俺たちが今いるいちばん下層のシティバレーですら、ウッドバレーから約100メートルの高さがあるんだから。
落ちたら、人が死ねるだろう。
ぐしゃっと体が潰れて、内蔵が破裂して骨が砕ける。
痛みを感じる前に、即死だろう。
俺が落ちたらどうなるかのな....................いや、重大なところの骨折や負傷を免れることができれば、生き残れるだろうか?
いや、試さないよ、怖いし。
大通りの外側には、いくつものワイヤーが上から下まで、あらゆるところに張り巡らされている。
上のほう見ると、いくつものゴンドラがせわしなく動いているのが見えてくる。
たまに、ここまで降りてくることもある。
ラフラさんの言っていた例のエレベーターとはおそらく、これのことに違いない。
なにせここは、高さ1キロメートルもの街。
横に1キロ歩くのと、上下に1キロあるくのでは、労力が違うだろう。
それを省略することができると、考えれば、エレベーターの必要性と需要がよくわかる。
エレベーターでの移動が、生活の基盤となってしまうわけだ。
「シティバレーは全部で11層あるわ。
1層ごとに....................ここのシティバレーだと、だいたい縦に10キロくらいの長さがあるわ。」
シティバレーはここだけではない。
このような構造物が、グランド・キャニオンの大渓谷を避けるように、いくつも配置されている。
今も使われているものは、全部で6個。
数十年に一度のペースで人がいっぱいになるときや、老朽化などのタイミングで増築される。
シティバレーとは、それらの総称および、個別の呼び方だ。
俺たちのいるここのシティバレーは、第5エレベーターに近い、第5地区。
昔は栄えていない地区だっあため、その影響から土地が格段に安く、新規移住者が最も多い地区だそう。
単純な人口では、3番目だそうだ。
「この層を抜けられる大きなエレベーターまで、だいたい1時間。
そのエレベーターはアタシたちも使って大丈夫だから、遠慮なくそれを使うわよ。
そのエレベーター登って、第3層まで行くわ。」
「予定している宿泊地は、第6層じゃなかったっけ?」
「アタシだって第3層には行きたくないけど、行かないといけないの。
第3層と第4層のエレベーターが壊れてて、怠慢で修理されていないのよ。
そこだけは階段を使わないといけないわ。
狭い階段は怖いから、広い階段に着くまでだいたい1時間弱。
そしたら第6層に行ってホテルに着いたら、今日のところは終わりね。」
-----
「ふう、ようやくかぁ。」
「おねえちゃん、あたしつかれた。」
「あと1時間くらいだから、我慢しなさい。」
エレベーターから見る景色はすごかった。
あの特殊な街並みを、上から一望することができるのだ。
写真を撮る人なんかは好きな景色なのではないだろうか。
俺はそんな趣味を持っていないけれど、まるでさっきの感動をもう一度味わうことができたようで、楽しかった。
第1層だろうが第2層だろうが、あるものはそんなに変わらない。
だから、景色もあまり代わり映えしない。
ウッドバレーは別に、ディストピアのような場所ではない。
いちばん下の層に住んでいるのだから貧乏、というわけでも、いちばん上の層に住んでいるのだから裕福、というわけでもない。
そういう貧富の差は、ここにはない。
だから、階層の高低を行き来しても、雰囲気は全く変わらない。
と、思っていた。
第2層にいた、ついさっきまでは。
「ラフラさん、ここ、なんか変だよ?」
「ええ。
ここは"シャーク団"の本拠地だから。」
シティバレーに入ってから、いつその名を聞くのだろうとビクビクしていた名前が、ついに挙がってきた。
俺は彼らのことを、不良学生だけで構成されたチンピラ集団....................と、認識している。
こここエリア全体を包み込む、なんというか"陰鬱"な雰囲気。
別に、怖いものであるわけではないのだ。
どうにもこの気分を、既存の言葉のみでは表現しにくいが。
なんというか、このあたり全体に、すべてを嘲笑するような空気が流れているのだ。
例えば。
ここにすごく頭の良い人が来たら、「そんなに勉強してなんになるんだか」と、バカにされるだろう。
ものすごく鍛え上げた格闘家やスポーツ選手が来たら、「そんなに強くても、金がなけりゃ変わんねえだろ」と言われると思う。
音楽家が来たら「音楽でメシ食ってるなんて恥ずかしい」という風潮に包まれるに違いない。
なんというか、全体的にここは嫌いだ。
俺はそういうやつが嫌いだし。
なんというか、よくないじゃん、そういうの。
頑張ってる人とか能力のあるひとを、寄ってたかって冷やかすなんて。
とにかく俺は、ここが嫌だ。
「早く行こう。」
「アタシも同感よ。
ペラル、アプルから目を離さないでちょうだい。」
「りょーかい!」
俺たち4人は、歩くスピードを早めた。
まだ足の強くないアプルちゃんにはちょっと酷なことだが、ここに長居するのは、彼女のためにも良くないだろう。
いざとなれば、ペラルさんに抱っこしてもらえばいい。
とにかく、なるだけ早く行こう。
そうして、30分くらい歩いた。
俺はなんとなく、雑談をする気分にはなれなかった。
ペラルさんとアプルちゃんはたまに話していたが、それでもどこか、口数が少ない。
ペラルさんの顔が張り詰めているせいだろう。
ごめんなアプルちゃん、もう少しだから。
4人の中でも、とくにラフラさんは、それでも見るからに不機嫌になっているように見える。
口を尖らして俯いて歩く様は、なんとも見ていられるものではない。
ここが、よっぽど嫌いらしい。
....................いや、ひょっとして。
「ラフラさ....................。」
「ん?なにかしら?」
「いや、なんでもない。」
彼女は関わらないでと言ったのだ。
他人からからの詮索はよくないだろう。
そもそも、ひとのデリケートなゾーンに土足で踏み込むような質問をするのは失礼だ。
今の俺はやや冷静さをどこか、欠いてしまっていら。
心なしか、内から湧き上がる体温も熱いように感じる。
クールだ、落ち着けベロキ。
あと30分だ。
そのくらいで階段に着くはずだんだ。
とにかく、そこまで行ってしまおう。
おそらくこの第3層で何も起きないということは、これ以降の問題を解決することができたも同然なのだから。
何も起きるんじゃないぞ、頼むから。
もちろん、彼女を救いたい気持ちもある。
しかし、今は何も起きないということが優先なのだ。
なぜなら、アプルちゃんがいるからだ。
おそらくこれから起こる可能性があるであろうチンピラとの喧嘩に、彼女を巻き込みたくない。
同行者がラフラさん単体から、いくらでも火に飛び込んでも構わないのだが。
「ねえ、おねえちゃん、のどかわいた。」
「....................。」
「おねえちゃん?」
さっきから、ラフラさんはただ歩いている。
無言だ。
その表情はどうにも、怖い。
なにかを恐れているのか、それともなにかに怒っているのか....................。
しかし、妹の呼びかけにくらいは答えてあげてはどうだろう。
「ラフラさん。」
「!!
....................ごめん、なにかしら。」
やけに驚くな。
そんなにビクビクしなくてもいいのに。
「アプルちゃんがお水を飲みたいらしいんだけど。」
「ちがう、ジュース!」
「....................ごめん、ジュースだってさ。」
「ああ、そうなのね。」
ラフラさんは財布を取り出すと、そこからコインをいくつか取り出す。
これは現金だ!!
なんと珍しいことか。
まさかこんなイマドキに、持ち歩いているひとが存在していたとは。
「ごめん、アタシのぶんもお願いしていいかしら。」
「もちろん。
ペラルさんは、泥水でいいですか?」
「いらないよ。
わたしは飲まなくても平気だから。」
「了解しました。」
俺はラフラさんの指差したところにあった自販機の前に立ち塞がった。
なるほど。
これはすごい。
現金しか使えない自販機が、まさか現存しているとは。
天然記念物として国に保護してもらえるのではないだろうか。
「ええと..........?」
俺は少し戸惑いながら、水とジュースを購入しようとする。
キャッシュレスのタイプは、先に買いたいもののボタンを押すものだから、コインを先入れすることを知らなかったのだ。
コインを2枚入れる。
ふたりぶんの飲み物が買えるようになったので、俺はボタンへ手を伸ばす。
ジュースの指定はなかった。
ここは、最もポピュラーなオレンジジュースでよいだろう。
そう考えながらボタンを押そうとした。
そのときだった。
《半径50メートル、8人。》
「は?」
俺の脳内に、なにかが響いた。
それが耳から入ってきたものではないことが、俺の動物的直感から理解できた。
慣れない感覚に戸惑いつつ、言われたことを反復してみる。
「半径50メートルに、8人?」
それ以上なにかが言われることはなかった。
不気味だ。
くぐもった、低い声だった。
それにしてもこの声は、どこかで聞いたことがあるような....................。
いいや、今はそんなこと、関係ないだろう。
「ペラルさん!」
「なに?」
呼魔《コマ》を使っていなかったとはいえ、俺が全く気づくことのできなかった相手だ。
まだいるかは分からないという前提の元だけど....................。
ヤリ手の可能性がある。
さて、どうしたものか。
「庭《テイ》を。」
「なんで?
いいや、オーケー、聞かないことにする。」
俺は飲み物を買う手を止め、あたりにすべての意識を込める。
呼魔《コマ》を使い、湧き出る殺気たちの出処を確かめてみる。
「いち、に、さん..........。」
そこのゴミ箱の裏。
左手の建物のベランダの壁裏。
10メートルくらい右に行ったところの草の茂みのなか。
ここから見えるのは3人か。
俺は3人の元へと戻る。
「ペラルさん、何人います?」
「8人いる。
よく気づいたねえベロキくん。
やつら、無意識だけど少しだけ「蔵《クラ》」が使えているヨ。
見つけるのに骨が折れたわぁ。」
となると、あの謎の声の言っていたことは合っていたことになるのか。
本当に、あれは何だったんだ?
いきなり、なんの前触れもなく。
いや、ここのところは好意的に受け取っておこう。
おかげで俺たちは、敵襲に気づくことができたのだから。
「ラフラさん、敵が8人。
襲われる心当たりはある?」
「えっ、はちっ..........なんで。
いや、心当たり....................あるわ。」
「わかった。
ペラルさん、アプルちゃんを。」
やるか?
いや、なるべく穏便に済ませたいが。
いいや、どちらにせよ、硬直状態のままでは意味がない。
まさかこの職についておきながら、こうやって人とケンカをする日が来るなんて思わなかったけど....................。
「そこに隠れている女の人....................。
君がリーダー?」
「わたしはリーダーじゃないけど、凄い勘だね。
ペラルちゃんの彼氏?」
「違うけど。
君こそ何の用だよ。」
さて、どうしたものか。