鯣烏賊 / 第141話

断崖絶壁の層:シティバレー その4

しばらく、無言の時間が続いた。 今の俺は、とくに彼女らに言うこともない。 そして、彼女らは俺たちに何も言ってこない。 俺はむこうからの次の言葉を待っているというのに、むこうからはなんの言葉も飛んでこない。 硬直状態である。 俺とラフラさんは隠れているやつらの前に立ち塞がり、ペラルさんがアプルちゃんを保護する。 姿かたちは見えずとも、位置はわかっているのだ。 だから俺は、「呼魔《コマ》」を使い、電柱のところを凝視していた。 意識の向けられ方からして、間違いない。 リーダー格のやつは、そこにいる。 数分経たずに事態は動いた。 電柱の裏から、ひとりの女性が姿を現したのだ。 その顔に気だるそうな表情を貼り付けた、栗色の髪の毛をもつひとだ。 サファイアみたいに綺麗な目の奥には、どこか違和感の感じられる気分を持っているようにも見られる。 そこにあるのは、いわゆる”普通ではない”雰囲気だ。 俺は彼女と目を合わせた。 本人だけがオシャレだと思っているであろうその服装。 奇抜でまわりから浮き、よく目立つその髪型。 安物のかおりがプンプンただよう、腰にかけているそのピストル。 遠くからでもかすかに感じられる、酒とタバコのにおい。 不良学生ということばがピッタリに見える、その若さ。 「ラフラさん、あれ....................。」 「間違いないわ。」 彼女が、例の不良集団の一員だと見て間違いはないだろう。 シャーク団。 名前がダサいということは、一旦隅へと置いておくことにする。 ラフラさんが関わりたくないと言っていた連中だ。 この第3層を拠点としている、不良学生集団。 目立ったことはしていないが、万引きや未成年喫煙および未成年飲酒などの、くだらない悪事を行うやつら。 もちろんそれらも取り締まるべき犯罪だが、俺の見てきたマフィアたちと比べれば、文字通り子供のようなものだ。 そしておそらく、あれこそが彼女のトラウマのもと。 ラフラさん本人は明言していないが、ここまでくれば俺でもわかる。 彼女はきっと、あのシャーク団というチンピラたち相手に、なにか話しにくい昔話を持っているのだろう。 俺とペラルさんとしては、警察沙汰にならない程度の具合でタコ殴りにしてもよい。 むしろ、その準備は出来ているのだが。 やめておいた方がいいんだよな、たぶん。 ラフラさんもそれは望んでいなさそうだ。 「ラフラさん、どうする?」 「どうするもこうするもないわ。 適当なタイミングを伺って、なんとか逃げるわよ。」 なんとかして逃げる、か。 力づくで逃げられるものでもなさそうだ。 アプルちゃんがいる以上、俺の手を使って屋根上にのぼり、パルクールするわけにもいかない。 「|速+強《ラピッド・ブースト》」で無理やり尾行を撒いてしまうのも簡単だが、そのあとが大変そうだ。 つまりその適当なタイミングを生み出すには、口を使うしかないということか。 口喧嘩、口喧嘩か。 前職柄、こういう場面によく居合わせているから、慣れているつもりだった。 それを真似すればよいと思っていたのだが。 ....................いろいろと勝手も違いそうだ。 こいつらの構成員は全体で100人近くいるそうだが、今この場にいるのはたったの8人。 俺たちが舐められているのか、それともまずは様子見、ということなのか。 殴ることはしないにしても、少なくとも口論で撃退する必要がある。 さて、なにをダシにしようか。 こういうヤツらはプライドが高いだろうから、あえて奴さんを刺激するような発言はご法度だろう。 プライドが高いがメンタルの貧弱な相手というのは、突拍子もないところでブチギレるものだ。 これでメンタルまで強ければ楽なのだが。 しかし、もき仮に殴られたとしたら、こちらも舐められないために、殴り返さざるを得ない。 以外と具合の調整ぁ難しいな。 やつらの本質はマフィアに近いものだと思っていたが、こうして見てみると、けっこう違った性格を持っている。 こういうヤツらとの対話には、比較的慣れているつもりだったのだが...................。 散々見てきたり、実際にその場に居合わせたこともあるマフィアとの喧嘩や取引とは、わけが違うということがわかった。 つまりこれは初見攻撃。 居合わせたことも見たこともない喧嘩の種類。 「ラフラさん、口喧嘩に自信は?」 「あんまりないわ。」 「そっか。 ....................ところで、ペラルさんは?」 「うーん、場合によっては援護するカモ?」 つまりふたりとも、あんまり期待するなということか。 いや、ペラルさんはああ言ったのだから、きっと援護してくれるだろう。 2体8の口喧嘩か。 うーん、嫌だな。 なにせ、俺も今日に関してだけなら、あんまり自信はない。 だとしても、ウジウジしていても始まらないことには変わりない。 当たって砕けろととか、ダメモトだとかは言わないが、ひとまずやることなやってみるべきだろう。 意識することはみっつ。 ①相手の神経を逆なでない ②舐められてはいけない ③穏便に済ます よし、始めようか。 「俺たちになんの用?急いでいるんだけど。」 対話が始まった。 ----- 「俺たちになんの用?急いでいるんだけど。」 まずは、当たり障りのない内容で気を散らす。 中身のないことを問いかけたとき、俺の経験上、相手の行動はおよそ2種類に別れる場合が多い。 ひとつめは、いきなり本題に入るタイプ。 こういうひとは、向かいたい結論がハッキリしているから、すぐに会話が終わる。 それの結論が円満であるかどうかはともかく、会話のパートは早めに終わってくれる。 ....................まあ、だいたい、こういうタイプのひとは、好意的な議論や交渉を持ちかけて来る場合が多い。 それなら楽なのだが。 ふたつめは、寄り道をするタイプ。 会話相手である俺を挑発したりして、すこしでも会話を有利に進めようとしてくる。 いわゆる"怖いひとたち"には、こういう人たちが多い。 普通に生活していては見られないような、煽り合いと罵り合いを含んだ交渉が、そこにはある。 このやり方は、互いのメンタルが強く、ちょっとやそっとでは動じないことが前提となっている。 一方的なやり方では、大抵うまくいかない。 果たして、どう出てくるだろう。 そんな期待を持ちながら、俺は彼女の返答を待った。 それは、ノータイム、どストレートで俺に向かって投げられてきた。 「そういえばあなた。 よく見るとここの人間じゃないね。」 「それが何だって言うんだ?」 「部外者は黙っていてくれ、で伝わる?」 彼女は後者だったのだ。 そういうやつならば、俺なりの返事の返し方もある。 そのプライドをへし折ってやろう。 先制攻撃。 俺が意図的に封じている、相手の神経を逆撫でする言い方。 まったく、鼻につく。 チビで弱そうな俺が対話の相手として出たことで、すこし威圧すればなんとかなると思っているのだろうか。 ....................思っているんだろうな。 普段から方々に喧嘩を売ったり、弱者相手にカツアゲをしていることが予想されるようなやつらだ。 そらに、あの言葉と態度の節々から滲み出る余裕と自信。 すごくウザったらしいが、このやり方で成功経験を積んできたことがよーく伝わってくる。 しかし俺は、この程度のことで焦るようなタマではない。 こういうヤツらへの対処も、だいたいわかっているつもりだ。 そうだな。 まずはその出鼻を挫いてやろう。 話を対等に進めるためにも、俺とあの女はできるかぎり、同じ立場でいるべきだ。 なに、難しいことではない。 やつの言葉を無視して、本題に移ろうとすれば良いのだ。 それでまた喧嘩を売られたら受け流せばよいし、相手が諦めればそちらに話題を移せばよい。 「うん、そうだよ。 で、さっさと本題に入りたいんだけど?」 「....................!!」 浅はかなヤツめ。 俺が反論しなかったときのことを考えていなかったのだろうか? まるで少ないプログラムだけで動かされている、安物のロボットのようだ。 こうも、いとも簡単に引き下がってしまうとは。 別に俺は論破が好きなわけではない。 今のが論破に含まれるのか、ということは気にしないこととして。 でもこういう時に、相手を言いくるめたり言い負かしたりすれば、大抵の場合は萎縮してくる。 これで違う角度から攻め込んでくるような人間なら、そのときはそのときだ。 会話を続ける。 さっきからラフラさんの表情が曇りっぱなしなのだ。 早くここから脱したければ。 「で、なんの用? さっきも言ったけど俺たち、先を急いでいるんだ。 なにせ、エレベーターが壊れているっていうんだから、階段まで歩かないといけない。 ....................だよね、ラフラさん。」 「ん?あっ。 え、ええ。 その通りよ。 アタシたちは先を急いでいるの。」 いい感じだぜラフラさん。 キラーパスというほどではなかったけど、なかなか良い対応だ。 ラフラさんの対応にここまでのアドリヴが効くのなら、申し訳ないけど、存分に利用させてもらうことにしよう。 ふふ。 女の表情がどんどん歪んでゆく。 会話が自分の思い通りいかないことに対して、非常に悔しがっているのがよくわかる。 さっきまで強気だったやつの調子が崩れてゆくのは見ていて非常に愉快なものだ。 俺は性格がひん曲がっているわけではないはずなのだが。 まあいい。 次だ。 「ごちゃごちゃうるさい! わ、わたしたちはそこにいるラフラと話がしたいの!」 「ほう、話か。 ねえねえ、彼女、知り合い?」 俺はそう彼女に問いかける。 名前を出してはいけない。 女がラフラさんのことを認知している以上は、名前を出すと面倒くさくなる。 ああ、面倒くさいな。 彼女はゆっくりと首を横に振った。 演技なのか本当のことなのかはわからないが、彼女の表情が作り出す雰囲気もピッタリだ。 まるで、とても苦いコーヒーを一気飲みしたような顔をしているのだから。 「....................だってさ。 人違いじゃないのかな?」 「そんなわけない! わたしはラフラも、そこにいるアプルのことも知ってる!」 ハッとして後ろを振り向く。 アプルちゃんが万一にも「あのひとみたことある!」と指を指してしまったら、面倒くさい。 完全に頭から抜け落ちていた。 どんなに上手くいっていても、ラフラさんがしらばっくれていることを、俺が「理解した」ことになってしまうのだから。 しかし、さすがペラルさん。 なにかが起きる前にアプルちゃんの前に立ち塞がるようにして待機。 彼女の口をさりげなくふさいでいるところも含めて、とても高得点だ。 ペラルさん、対人経験豊富だよな。 まあ、女とラフラさんは本当に知り合いなんだろうけど。 そんなことは俺たちにとってはなんの関係ないワケで。 とりあえず俺たちは、先に進むことができればなんだっていいんだから。 「とにかく、ラフラを渡しなさい! 場合によっては、そこにいるいも....................。」 「は?」 おい。 それは話が違うだろう。 おまえはラフラさんと話がしたいんじゃないのか。 それなのにアプルちゃんを巻き込むのはお門違いってやつじゃないのか? ルール違反だ。 野放しにしておけん。 「おまえ、彼女に触れたら、それ相応の対応をするからな....................?」 「くっ。 う、うるさいな! いいからラフラを引き渡せ!」 うーん、まずいかも。 だんだんと俺のメッキが剥がれてきている。 俺だって口論が得意なわけじゃない。 今まで同席していたからやり口を知っているだけで、実践した経験は少ない。 定義や定理だけを覚えていても、難しい問題には対応できない。 そんな感じの気分だ。 「悪いけど、先を急ぎたいんだ。 ついてこないでくれ。」 「ーーー!!!! おまえら!出てこい!!」 ぶわっと、視界中に殺気が広がる。 あー、俺、口喧嘩が弱すぎるだろ。 結局、あの女とマトモな話も出来ないまま、こんなことになってしまったじゃないか。 解決とか、トラウマの解消とか、そんな話はどこに飛んで行ったんだ。 この無能め。 もう少しだけでも、上手くやれなかったのか? ....................いや、仕方ない。 一旦は、目の前のことをこなすしかない。 「ゴメン、喧嘩する。」 「仕方ないわ。 あんまり目立っちゃダメよ。」 俺は敵の数と配置を確認する。 俺の背後に、あの女を含めた2人、右手に3人。 ペラルさんとアプルちゃんの付近に3人だ。 「ペラルさん、お願いします!」 「あいあいさー!」 俺と、ペラルさんと、チンピラ集団の殺気が最大限に広がる。 まさに一触即発。 ネズミ1匹の動きが、戦闘開始の合図になりかねない。 いいか、俺。 負けることなどないだろうが、痛めつけすぎてはならない。 威力や当て方、当てる場所をうまいこと調整して、気絶させるのだ。 たぶん、できる。 ペラルさんは対人経験があっても、対人戦の経験があるとは思えない。 俺の周りの5人を素早く倒したら、彼女のもとに向かうのだ。 「|呪い、殺す者《カフナカウラ》」の妨害性能をもってすれば、足止めくらいは余裕でこなせるはずだ。 よし、やれる。 覚悟を決めよう。 久しぶりに人を殴るな。 シロはノーカンだ。 あれは人型の怪獣だから。 なぜだろうか。 昔は日常の1ピースだったはずなのだが。 一度離れてみると、こんなにも気分の悪いものだっただろうか。 いいや、ヘタれるな。 アフラさんと約束しただろう。 「はぁー....................。」 無意識に「崩《ホウ》」が出る。 隣のラフラさんまでもが怯えてしまっているのは、少し申し訳ない。 殺意を全面に出すと、こうなるのか。 さて、どいつからいこうか。 手の届く範囲から始めようか。 それともあえて、遠いところからいくか? そんなことを思っていたときだった。 「みなさんみなさん、、そこまでですよ。 一旦、ストップです。」 路地の奥から、男が現れた。 必要以上の殺意を漏らしていなかったその男に、殺意ににビンビンだった俺は気づくことができなかったのだ。 スキンヘッドの黒人だった。 ガタイも俺より数倍大きな、大男。 不気味なくらいににこやかな笑顔を俺たちに振りまく、不気味なくらいに物腰の柔らかい男。 「エティ..........。」 ラフラさんの表情が青ざめるのを、俺は見逃さなかった。 間違いない。 こいつだ。 ターゲットを、見つけた。
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