鯣烏賊 / 第139話
断崖絶壁の層:シティバレー その2
「ふたりとも、また、いつでもいらしてね?」
「ええ、本当にお世話になりました。」
2日後の早朝。
出発の時間だ。
俺たちはそれぞれがまとめた大きな荷物を背負い、玄関先に立っていた。
おそらくは長い距離を歩くことになるだろうから、みんなリュックサックだ。
ガラガラ引いて歩くタイプのスーツケースを持っている人は一人もいない。
俺とペラルさんのふたりは、普段よりも少しだけ荷物が多い。
アプルちゃんの背負えるサイズのリュックサックに入らないぶんの荷物を、手分けして俺たちのカバンへ入れたからだ。
ペラルさんのカバンには、下着を含めた着替えの類と、俺が覗いちゃだめなやつ。
俺のカバンには、全員分の飲料水などの、重いヤツら。
もともとラフラさんが持とうとしていたが、流石に重すぎたらしい。
俺に預けてきた。
旅と言っても、シティバレーを1番上目指して歩いて行くだけだ。
ここから上のほうへ、だいたい1200メートルくらい。
これが登山だとしたら、アプルちゃんにとってはだいぶキツイかもしれない。
けど今回は、道の整備された街を歩きながら上に登るだけだ。
その間、俺たち3人で彼女の安全を確保しておけば、大抵のことはなんとかなるだろう。
まず、最初の100メートルくらいを、小型のエレベーターに乗って向かう。
このエレベーターは現地の人達が移動に使うためのもので、料金は取られない。
エレベーターにはいくつか降りられる地点があるけど、それらを全て無視。
いちばん上まで登れば、そこはもうシティバレーのいちばん下である。
ちなみにこの"降りられる地点"は、崖のくぼみや出っ張りのようになっていて、ラフラさんが狙撃をするときに使うことがあるらしい。
エレベーターを降りたそこから、街を歩きながら、1100メートルほど上に登る。
シティバレーのポイント同士を繋ぐエレベーターも大量にあるが、そのエレベーターたちは、現地民の移動専用という暗黙の了解があるらしい。
だから、そのエレベーターは使えない。
観光客用のエレベーターを使おうかとも考えてラフラさんに相談してみたが、シティバレーにそんなものはないらしい。
ウッドバレーとは違い、観光されることなどこれっぽちも考えていないとか。
まあ、それがなんだ。
歩けばよいのだ。
歩いていれば、いずれ着くだろう。
俺たちの足なら一日で行けるだろうが、アプルちゃんの体力面やメンタル面を考慮し、600メートルほど登ったところに、それなりに立派なホテルを一部屋とっている。
ラフラさんとアプルちゃんは、そこに泊まる。
俺たちの宿は、今夜、適当に探す。
いわく、そんなに混んでいるわけではないので、きっと見つかるだろうとのことだ。
道案内はペラルさん。
俺たちふたりはその後ろを、一歩下がってついて行く。
なぜなら、道がわからないからだ。
彼女がいさえすれば、わざわざマップを調べる必要がなくなる。
土地勘のある彼女に感謝だ。
ちなみに、昨日使って帰る予定だった第5エレベーターのチケットは、キャンセルした。
2枠も空いたのだから、きっと誰かさんの需要にピッタリなんじゃないだろうか。
まあ、第5エレベーターのチケットは売り切れるようなものではないみたいだから、そんなことはないだろうけど....................。
返金されなかったのは、仕方ない。
直前のキャンセルだったからね。
唯一の懸念点といえば。
ラフラさんが言っていた、あの「トラウマ」のようなものになる。
彼女は自分から何も話してはくれないし、昨日の会話だけでは正直、よくわからない部分も多い。
けど、それがきっと、シティバレーにあるんだろう。
サンライズバレーには問題なく行っているはずなのに、シティバレーに行くことだけを異様に渋っている理由が、なにか、きっとあるはずなのだ。
態度から察するに、彼女はコレに介入して欲しくないのかもしれないけれど。
まあ、もしなにかがあった場合、無理にでも介入するつもりだ。
ペラルさんとはもう、そのことを話し合ってしまった。
俺がラフラさんの方へ行くことになったら、アプルちゃんはペラルさんが保護する手立てだ。
「何も起きないといいな....................。」
「なにかおっしゃった?」
「いえ、大したことじゃありません。」
アフラさんは、娘2人へ行ってらっしゃいの挨拶を済ませていた。
ふたりはなんやかんや、サンライズバレーで長い時間を過ごすことにしたらしい。
2週間半程度滞在し、アプルちゃんに都会を学ばせるそうだ。
そうそう。
あの後ラフラさんに、「病院のお姉ちゃん」の話を聞いてみた。
実は、彼女らは三姉妹。
ラフラさんより3歳年下の、14歳の妹がいるらしい。
名前はヨウナ。
ヨウナさんは重い病気にかかっているそうで、シティバレーの大病院のなかで、寝たきりの生活をしているらしい。
せっかく実家が病院をしているのに、と思ったが、そうもいかないようだ。
昔は1年に1度、家族で面会に行っていたが、ラフラさんがハンターになったこの2年は彼女が仕事に夢中で、そんな機会を取れなかったらしい。
しかし、彼女の仕事は、休もうと思えば休むこともできる。
担当区画を他の人に分担して担当してもらえば良いのだ。
それで今年からは経験も含めて、姉妹ふたりでシティバレーを歩いて行くことになっていたのだが。
ラフラさんが何らかの「理由」で、それを渋っている。
そういう事らしい。
彼女がチンピラ程度に負ける姿が想像できないので、やっぱり精神的なことなんだろうか?
アフラさんとラプラさんはこれから1ヶ月弱、娘たちに会うことができない。
ラフラさんとアプルちゃんは鬱陶しそうにしていたが、親としては寂しいんだろう。
....................はて、社会勉強や経験を兼ねるとは言っていたが、わざわざシティバレーを歩かせる必要はあるのだろあか。
いや、考えても無駄か。
アフラさんは最後に、俺とペラルさんの方に近づいてきた。
にこやかな笑顔の横に、ただならぬ真面目な表情を添えながら。
「最後に、ひとついいかしら?」
「なんでしょう?」
アフラさんは、俺の手をぎゅっと握ってきた。
大きく暖かい手だが、その力はとてもか弱く、頼りない。
そのか弱い握手が、俺に何かを訴えるようにも感じられた。
間違いないだろう。
シティバレーには、なにかがある。
ラフラさんが言いたがらず、避けようとしているなにかが。
「実は、シティバレーを歩かせるのは、ラフラのとある"トラウマ"を克服させたいからなんです。
ラフラは介入を嫌がるかもしれないですが、お力添えをお願いします。」
なるほど、合点がいった。
そのためにわざわざ、回りくどい徒歩という移動手段を強制している。
だから、ラフラさんは執拗に同行を嫌がっていた。
そういうことか。
「娘たちを、よろしくお願いします。」
不安そうな声だった。
消え言ってしまいそうな、ローソクの炎みたいな。
「もちろんです。
おふたりの安全は、俺たちが保証します。」
俺たち4人は、ウッドバレーを後にした。
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「行き先は6F..........っと。」
ラフラさんがボタンを押すと、エレベーターのドアが閉められた。
ゴンドラ全体がブルっと震えた数秒後に、それが持ち上がる。
そういえば、前に5番エレベーターを使ったときは、ウォールロックとかいう見たこともない怪獣が襲ってきたんだったな。
それとの戦闘でペラルさんが怪我をしてしまって、その怪我の応急処置をしてくれたラフラさんと知り合ったんだった。
あれがもう、1週間前くらいか。
時が経つのは早い。
ここは5番エレベーターではないけれど、そんな短いスパンで同じ場所、同じシチュエーションで襲われてるんじゃないかと、少しだけ不安になってしまう。
そんなことがあってたまるか。
仮に確率を計算したら、すごく低くなりそうだ。
うん、まさか来るわけはないだろう。
たぶん。
おそらく。
「オンボロ安物の鉄屑エレベーターだけど、4分くらいでシティバレーに着くわ。」
ごく小さい機械音を発しながら、俺たちを乗せたゴンドラが上に登ってゆく。
ラフラさんいわく、このエレベーターが、俺たちに使うことができる最後のエレベーターらしい。
これより上のものだって、使おうと思えば使えないことはない。
しかし話によれば、すごく「迷惑で失礼なやつ」という扱いを受けるらしい。
そういう習慣なんだそうだ。
迷惑系インフルエンサーのような扱いを受けるのは死んでもゴメンだ。
よくわからない習慣だけど、大事なものだという。
俺だって、それを踏みにじるつもりはこれっぽちもない。
俺たちはそれを尊重して、これよりサンライズバレーまで、全ての移動を徒歩で行うことになるのだ。
俺たちがエレベーターを使ってしまうことは、シティバレーに実際に住んでいる人への迷惑になりかねない。
そのエレベーターはきっと、俺たちの生活にあるものへと置き換えると、公共交通機関のようなものになるだろう。
それも、必須級のものだ。
上下移動という面倒なことをスキップするための、生活に欠かせない移動手段。
それの使用枠を食い潰してしまうのは、非常によろしくないだろう。
ここまで来てみると、シティバレーに観光客がほとんどやって来ない理由や、歓迎されない理由も伺える。
電車を使うことができない場所に、外部の人が好き好んでやって来るだろうか。
いいや、来ないだろう。
発達したこの現代において、これはあまりに不便なことこの上ない。
大人の足でも、上から下まで歩くのに丸一日を要するような場所だ。
旅行に行くなら、このシティバレーだけでの数泊を覚悟しなくてはならないだろう。
そしてそんな覚悟を持って旅行へ来たとしても、大した歓迎を受けることはできない。
観光資源としては、あまりに不健康だ。
「ラフラさん。
エレベーターのこと以外に、シティバレー特有のルールって、あったりするのかな?」
「ルール、そうね....................。」
サンライズバレーとウッドバレーという観光地となりうる場所の間に挟まれた、現地の尊い生活圏。
俺とペラルさんはそこに土足で踏み入るのだから、礼儀として知っておくべきだろう。
「あんまりないけど、強いて言うならふたつあるわね。
そんなに怯えなくても、シティバレーのひとたちはそんなに怖くないわよ。むしろ優しいくらい。
大袈裟な観光が、歓迎されないっていうだけよ。」
「そう言ってくれると安心するよ。
で、そのふたつっていうのは?」
「ひとつ。
前から同じ道を使うひとがいたら、かならず内側にいるひとが道を譲ること。
万が一にも足を踏み外したら、真っ逆さまに落ちて死んじゃうわ。」
話によると、シティバレーには、とても狭い道も多くあるらしい。
ひとが3人並んで通るのがやっと、というくらいのもの。
確かにその狭さだと、かち合ってしまうこともあるだろう。
俺はゴンドラから下を見る。
もう既に、100メートル近くの高さだ。
ここから落ちてしまえば、俺くらいの体の強度を持たなければ、到底耐えることなんてできないだろう。
ひょっとしたら、落ちて死んでしまったひとは結構多かったりするんだろうか。
「ふたつめ。
"シャーク団"に、喧嘩を売らないこと。」
「しゃーくだん?」
一体なんだ、それは。
コメディ映画の暴走族団みたいな名前だが。
「シティバレーの不良学生たちが組んだチームよ。
....................別に強いわけじゃないけど、面倒なのよね、関わると。」
「ふーん。」
不良学生、か。
そういうひとたちとは会ったことも喋ったこともないな。
しかし、俺の住んでいるところの治安が良いのか、あまりそういう話は聞かないな。
やっぱりそういうのって、「イケナイ内容のバイト」とか「アブナイお薬」とか「チーム抗争」とかをやっているものかのかな。
いやいや、それらはマフィアの役目だろう。
前職の影響で価値観がぐちゃぐちゃだ。
もっとこういうやつらは、しょうもない悪さしかしないはずだ。
万引き、弱い者イジメ、カツアゲ。
浮かんでくるのはこのあたりか。
上のやつらにくらべればしょうもないものばかりだけど、良いことではないな。
....................関わるなと言われているが、目の前で悪さしているのを見かけてしまったら、介入するくらいは問題ないだろう。
何かあれば、(自称)頼れるペラルおねーさんの「|都合のいい夢《ファンタジック》」で逃げればいい。
ペラルさん様々だ。
「アタシは本当に関わりたくないから、介入するならほどほどにしてよね。
巻き込んでもらっちゃ困るのよ。」
「まさか、喧嘩を売られたら買うだけだよ。」
「それが駄目だって言ってるのに。
....................まあ、あんたは強いから大丈夫そうね。。」
スゥ、という蒸気の音と共に、エレベーターが停止した。
扉が開かれ、その奥には街が見られる。
ワイワイガヤガヤした活気に満ちていて、ここが生活圏であることを実感させられる。
「ベロキ。」
「なに?」
「アタシのトラウマをなんとかしようとか思ってそうだけど、しなくていいからね。
....................ありがた迷惑なのよ、そういうの。」
「でも、ひとりで解決できるの?」
「いいえ。
問題は避ければいいのよ。
まったく、どこかのお母さんみたいにグチグチ言わないでちょうだい。
さ、行くわよ。」
俺はペラルさんと視線を合わせた。
やはり彼女はひとりでなんとかするつもりだ。
彼女の動きに注意しよう。
俺はエレベーターの玄関から外に踏み出し、シティバレーの地面へと到達した。
グランド・キャニオンを登る旅が、はじまるのだ。
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「んあー、トケラだよな?
僕だ、僕。」
「忙しいとこ悪ぃな。
んえ、"お前の要件など、とっくにわかっているぞ"?
....................そう言ってくれると、僕も助かるなぁ。」
「ちいとばかりメンドイことになるかもしれねえんだ。
親父は暇じゃねえから、頼れねえ。
てめぇの腕っ節に、期待してる。」
「ああ、1ヶ月後だ。
よろしく頼むぜ。」