鯣烏賊 / 第135話

聖なる層:カタコンベ その1

明くる朝、ふたりの男女がやってきた。 教会が開かれるのは朝の7時からであるが、そのふたりは朝の6時にやってきたのだ。 男のほうは意識朦朧としており、女のほうはそんな男を抱き抱えながらなにかをしきりに叫んでいた。 しかし、このような手口で盗みに入るものも多い。 ふたりは教会の中に住むもの達から経過されていた。 追い払うべきだという声も上がっていた。 そんな中、このウッドバレーの教会で司祭をしている男は何事かと思い、追い払おうとする他の者を制止した。 司祭は40年ほどこの教会に勤めている人間である。 経験から、話を聞いたその"男女"が無害であると彼は確信できていた。 彼は自ら応対に出ることにしたのだ。 困って助けに来たのなら、1度は受け入れよう。 それで盗みが起きたのなら、そのときに対応すれば良い。 なによりここで見殺しにしてしまうのは、救世主を出迎えるべき我々のルールに反すると。 この時刻にわざわざやってくるということは、きっと何かがあったに違いない。 困ったことが起こり、しかしゆく宛がどこにもなく、藁をも掴むような思い出ここに来たのだろうと。 そう他の者を諭した。 その言葉は不思議な説得力を帯びており、言葉を聞いたもの達は自然と、そうするべきだという連帯感を持ち始めた。 じきに、追い払うべきだと言う声は途絶えた。 「おはようございます、いかがしましたかな?」 司祭は玄関を開け放ち、そこにいた男女にそう話しかけた。 そのうち、女の方だけが司祭へと目線を合わせた。 淡い金色の髪の毛。 この地方ではよく見られる、やや黒い色に日焼けの染まった茶褐色の肌。 そして、燃え盛る炎のように見られる琥珀色の瞳。 大まかな顔立ちが似ているわけではないが、髪色や肌色を見ることで、兄妹もしくは姉弟なのだろうと察することができる2人組であった。 男のほうは力なく目を瞑って、女に抱き抱えられている。 心もとない右手が脇腹を抑えている。 ここが患部だろうか、と司祭はアテをつけた。 ゆっくりと司祭に向けて開かれたその目は、助けを求められているように見られた。 「し..........ま..........。」 生気のこもっていない声でこう聞こえた。 今にも消え入ってしまいそうな声色である。 よほどのことがあったのだろうと、司祭は反射的にそう思った。 「何があったのですかな?」 「弟が、弟が..........!!あいつに..........!!」 充血した目でそう言う姉が見せてきたのは、脇腹のあたりに大きく作られた、なにかに抉られたような傷である。 まるで大型生物の爪で、肉と骨が無理やり分離させられたような、そんな傷である。 簡易的なものにしてはよく止血されているが、それでも傷口からは血が漏れ出ていた。 司祭がよく見れば、玄関口へ上がってくるまでの階段や、ここまでの道にも、ときおり赤いシミができていることが見られた。 大規模な手術が必要な怪我ではないが、出血が酷いものだった。 この簡易的な止血だけでは、為す術なく命を落としてしまうだろう。 この教会は医療施設も兼ねている。 教会の付近に病院はひとつもないから、この教会が病院のような役割も兼ねているのは事実であった。 きっとこの姉弟は、この付近で何らかの怪獣を襲われて、手当をしてもらうためにここまで来たのだ。 司祭はそう判断した。 「中の者を連れてきます。 止血することを止めないでください。」 「はい..........ありがとうございます!」 涙ぐむ目で言われた礼を受け取った司祭は、教会の中へと回れ右し、手当を手伝う人員を集めるために中へ入っていった。 誰もいなくなった玄関で、姉は思わずニヤリと笑った。 企みが上手くいったと、ものすごく口角を上げて。 「|都合のいい夢《ファンタジック》。」 本当の茶番劇が開始された。 ----- 片腹が痛い。 熱演どころではない。 俺の腹は、実際に抉り取られている。 しかしこれは、紛れもなく人間の仕業だ。 まったく、ペラルさんもふざけたシナリオの芝居を提案してくるものだ。 ひょっとしたら、人の心をお母さんのお腹のなかに置いてきてしまったのだろうか。 カタコンベに侵入する前に、まずは教会へと入らなくてはならない。 カタコンベは教会の地下に設置されている 「排撃《リジェクト》」などで地面をかち割って入ることも可能だが、それでは大捜索が開始されてしまう。 逃げ切ることができても、それ以降の行動がしにくくなってしまうだろう。 やはり正面から入らなくてはならない。 プランA「礼拝」。 メシア教には細かな礼拝を強制する仕組みがない。 家でもどこでも、例の「|黒い琥珀《ブラックジェム》」を握って祈るだけで良いのだ。 この、宗教団体にしてはあまりにも緩すぎるルールは、「白の光」の教義が神を崇めるものではないことが関係しているらしい。 救世主の誕生を願いながら待つことで、祈ったものは幸せな世界に行けるとかなんとか....................。 俺にはよくわからなかった。 確かにこのルールはとても緩い。 しかし、一応、身内に不幸が降りかかったときは、教会で祈るのが習慣化....................もといそれが、教えとして推奨されているそうだ。 ここも、強制的ではないらしい。 これは誰もが家ですることができる簡易的な祈りではなく、司祭さんに清めてもらいながら、呪文を唱えるのだ。 簡易的な祈りとは比較にならないほど、体力がゴッソリ持っていかれるらしい。 通常の祈りでも気を失う人がいるのだが、この、言ってしまえば「正しい祈り」では、大半の人が意識を失うか、意識朦朧となるか、そんな感じらしい。 これではダメだ。 俺たちはメシア教の教義を知らないし、教えてくれる人なんてまわりにいない。 それにこの正式な礼拝は、細かなルールがあったり、長ったらしい呪文の詠唱をしなくてはならない。 それらを調べて暗記するのもいいんだけど、万が一「聖典」のようなものが存在した場合、それすら持っていない。 それに、失神は非常にまずい。 おそらく気を失うか否かの基準はコスモ耐性の高低なのだが、俺のそれは一般的な平均を下回っている。 確実に、俺は行動不能になってしまう。 これではいけない。 バレたらおしまいだ。 もし目的がバレてしまえば、何をされるか分からない。 なにか重大なものを隠している可能性がある以上、それを見つけたことがバレたときにどうなるかは、お相手さんの行動倫理観に委ねられてしまうのだ。 戦闘なんてまっぴらごめんだ。 よって、プランAは却下。 しかし、ペラルさんがプランBを提案してくることはなかった。 なんと彼女はプランAを強行しようとしていたのである。 どのみち変装するのだから逃げればいいと言っていた。 たしかに逃げればいいのだが、俺としては揉め事の可能性を限りなくゼロにしたい。 それで思いついた苦肉の策が、これだった。 はじめに否定しておくが、俺は俺の腹の肉を抉ろうなんて一言も言っていない。 誰が自分の腹を好き好んでめちゃくちゃに抉ろうと思うんだ。 俺に与える怪我の具合はペラルさんに任せると言っただけだ。 そうしたら、こうなった。 俺は断固拒否したが、傷が深ければ深いほど俺たちの行動に信憑性が生まれてしまう。 とてつもなく苦いジュースを飲んだ時のような気分で、俺はそれを了承してしまった。 もともとは傷の箇所がもう1つ多くなる予定だったのだから、マシといえばマシかもしれない。 ちなみに、被告人は「どうせすぐ治るんだし!」と供述していた。 俺の体の治癒能力ことはミクロさんから聞いたのだろうか。 彼には話した覚えがある。 しかし、治そうと思えば治せるとはいえ、傷が痛いことに変わりはないのだ。 だって、腹の肉を抉っていくんだ。 痛いに決まっているだろう。 それに、ピストルで腹を撃ち抜かれるときとは違って、継続的に痛みが襲ってくる。 なかなかキツイぞ。 俺たちは適当な服装へと着替えたあと、刃武装を使って俺の腹と服を抉った。 肉をいい感じに切り取り、来ている服を引き裂いて、大型生物の爪で抉られたように演出する。 血の飛び散り方をもリアルにするために、ペラルさんの服にも俺の血をつけた。 俺たちが麻酔薬なんぞ持っているわけがないので、俺は自力で痛みに耐えた。 そして俺はペラルさんに抱き抱えられ、あの演技を決行することにしたのだ。 脚本作家はペラルさんである。 とはいえ俺の台本は「司祭様....................。」と力なく呟くだけだ。 演技に関しては、ペラルさんのことを褒めるべきだろう。 俺の脇腹の傷が演出する雰囲気も相まって、素晴らしい演技力だったぞ。 リンさんがたまに見ているような、B級ホラー映画の主演くらいなら任せられるのではないだろうか。 それのお陰で俺たちは怪しまれずにこうやって堂々と中に入ることができたのだ。 たぶん、怪しまれては、いないはず。 たぶん。 とにかく俺は、重症患者のフリをせねばならない。 ペラルさんが思うように動けるためにも、俺はできるだけ痛々しい思いをした患者を演じて、時間を稼がねばならないのだ。 原稿はない。 アド・リヴである。 どうすれば良いか? ふふふ、簡単なことだよ。 「いつ、どこでどう襲われたのです?」 「....................。」 青白い顔をして黙っていればよいのだ。 俺は重症患者、俺は重症患者。 腹を抉られ、生死の間を彷徨うような容態。 最悪の場合、俺だけでもここの教会や近くの病院で数週間程度の滞在をする覚悟はできている。 現代医療で適切な治療を受ければ、ひと月くらいでなんとかなるだろう。 俺の回復が早すぎたとしても、特異体質で通す。 「今日の朝に、あまりに天気が良いから散歩をしていたんです。 そしたら、川辺を歩いているときに、大きな魚が....................ぐすっ。」 「なるほど。」 特異体質と言えば、さっきからペラルさんがすごい。 声がまるきりの別人だ。 女性にしては低い声であるはずのペラルさんだが、今の声はそれと比べるとかなり高い。 しかし、どこでも聞くような、ありふれた声色に調整されている。 たしかにこういう場面を見ていると、この間の「怪しい人との会話のスペシャリスト」という発言にも納得感が持てる。 本当に、ロールプレイをしているときの会話は上手だ。 「では、処置を開始します。 両手を合わせて、お祈りいただくことは可能ですね?」 そのくらいはこの怪我でも可能である。 ....................たぶん、できるよね?普通は。 俺はコクリと頷き、両手を胸の前に合わせた。 こんな感じでいいのかな。 俺のポーズを見て、司祭がにこやかな笑顔を見せてくる。 合っていたみたいだ。 「いずれ現る救世主《メシア》へ祈るのです。 彼はきっとお作りになる。 あなたはその新たな世界で幸せになれるのです。」 む、なにか言い始めたぞ。 これはメシア教の世界観の話だろうか。 作るというのは「新しい世界」のことで、祈ることで幸せになることができる。 ということだろうか。 事前に調べたことではあるけど、ここまで尊大に語られてみると、随分アバウトな話だ。俺には想像もつかない。 「想像できましたか? 新たな世界で幸福になる権利を勝ち取った、あなたの姿が。」 何を言っているのかわからないが、とりあえず頷いておく。 相槌は大事だ。 相手の言っていることが1ミリだって理解できなくても、会話を進めてくれるエネルギーを持っている。 俺のその態度に、司祭はにこやかに微笑んだ。 やっぱり、いい人に見えるんだよなあ。 ガワだけの話なのかな。 それとも、この人は関係ないとか? 「では。」 彼は俺の体へ手を伸ばしてきた。 その瞬間、俺は昨日見た夢の最後の瞬間を思い出し、身を引こうとしてしまった アイツが俺の額にいきなり手を触れた、あの一瞬を、嫌くらいに鮮明に。 しかし、腹のその怪我が邪魔をして、俺の体は思うように動いてくれなかった。 「ひっ!」 「そう恐れないで。 さあ、生命の糧を受け入れるのです。」 彼は俺の傷口に手を触れた。 いや、触れてはいない。 ごく近くに、手をかざしているのだ。 触れしまいそうで、しかしすんでのところで触れてはいない。 「安心して。 さあ、力まないで。 ゆっくりと息を吐いて。」 その言葉に従う。 なぜこんなことをする意味があるのかはわからないが、とりあえずは従う。 俺は全身に凝り固まった力を抜き、すうーっと息を吐き切る。 こうするとなんだか、リラックスできる。 心地の良い感じだ。 マッサージや整体の施術を受ける前っていうのは、こういう感覚なんだろうか。 そう、こうやって手から....................。 「████████████。 ██████。 ██████、███、███。」 「??」 「『██████』。」 そんなもの、俺は見たことがなかった。 そして、聞いたこともなかった。 目の前で起こった事象を、俺は言葉に言い表せる気がしない。 彼か言葉にしたそれも、聞いたことがない言語だった。 いや、しっかりと見ていたし聞いていたんだ。 けど、俺の脳は"それ"の理解を拒んだ。 俺はしっかりと情報を処理して、けれどそのうえで理解ができなかったんだ。 目の前で起こったものが、超技術なのか、それともはたして....................?? これでも俺は、世界中をそれなりに回ってきたつもりだ。 そんな中で、いろんな呪術や民間療法、祭事や神事を見てきた経験があると思う。 どれもこれもが嘘くさいし、信じることができなかった。 それに、起こることがどれも想像できる。 ああいうのは、ただ観客を楽しませるためのパフォーマンス。 だと思っていた。 「問題ありませんかな? 恐らくは、もう自力でお帰りになることができるはずです。」 「あ、うん、ええと、あれは..........?」 「あれ、ご存知ありませんかな? 私のところへお越しになるということは、てっきり知っているかと思っていたが....................。」 まずい、なにか変なことを言ってしまったらしい。 俺は日本にて習得した奥義「ジャパニーズ御礼」を駆使した感謝の言葉を述べ、走り去るようにこの場から逃げた。 まずい。 こんなに早くに終わってしまうとは。 ごめんなさいペラルさん。 想定外も想定外なんだ。 俺は約束の場所で待っているから。 連絡をすることもできない彼女のことをそう案じながら、俺は集合場所としている近くの小さな沼へと向かった。 もう完全に治癒された、片腹をおさえながら。
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