鯣烏賊 / 第136話
聖なる層:カタコンベ その2
同時刻。
"そこ"は、外部からの想像とは全くもってかけ離れた、現代的な場所であった。
照明も、壁面の装飾も、なにもかもが、現代のテクノロジーによって彩られている。
"カタコンベ"の名を聞いて、このような現代的空間を想像するのは、やや無理があると言えるだろう。
キリスト教系のカタコンベは遺跡として遺されており、そこには洞窟をくり抜いたような素朴な空間が広がって言えるのだから。
広大なその空間を壁とドアが仕切っており、小部屋のように分けられている。
その部屋は、20メートル四方である。
また、それらのドアは、とても手で開けられるようなドアではない。
そのドアには、墓荒らしなどの侵入者を防ぐための厳重なセキュリティが施されているのだ。
顔認証、声認証、そしてカードキーをかざすためのセンサーが取り付けられていた。
3段階認証である。
そこにむき出しの岩肌などはまるで存在せず、人間の目に見られるところ全てが、しっかりとした人口素材で覆われている。
天井には何の変哲もないLEDのライトが埋め込まれており、無機質で人工的な光を用いて周りを照らしている。
中にはネズミはおろか、虫1匹すら存在しない。
付け入るすき間などないここは、小動物の来訪をもすら歓迎していないのだ。
そのことも、定期的にお供え物....................もとい、"旨い食い物"をノーリスクで手に入れられるここに立ち入れない小動物たちの視点で見てみると、やや気の毒なことである言えるだろう。
洞窟と人口空間を隔てている壁はまるで、引き出しのように細かく区分けられている。
しっかりと取っ手もつけられており、開かれた痕跡のある引き出しも存在していた。
しかし、それらを外部の人間が簡単に開けることはできない。
引き出しにはネームプレートが貼り付けられており、人の名、生年月日、没年月日、死亡年齢が詳細に記されていた。
ここにもまた、極めて厳重なセキュリティが設けられているのだ。
これらの棚のようなものが、このカタコンベ内の墓地なのである。
「|秘密基地の扉《ゲート》。」
そのうちの、とある部屋内にて。
悪魔召喚がなされるかに思われるようなワープゲートがそこに作られ、内部から人の足が見られる。
ワープゲートはごく小さいもので、人がやっとひとり通ることができる程度の大きさである。
その中から、薬指を立てた女が、そこに現れた。
黄金色の髪の毛に、琥珀色の瞳。
手に持っているのは、「|呪い、殺す者《カフナカウラ》」。
まるで全くの別人であるかのように変装しているが、ペラルである。
彼女は、抱き抱えていたベロキを司祭たちに引き渡した時点で、その場から離脱していたのだ。
もちろん、引き渡した直後に、何食わぬ態度でどこかへ行ってしまうようなことをしては、怪しく見られることこの上ない。
そのためペラルは、ダミーを配置していた。
ベロキの隣にいたペラルは、ペラル本人ではないのである。
「|呪い、殺す者《カフナカウラ》」の保有する機能がひとつ、「|都合のいい夢《ファンタジック》」。
小指に対応した機能だ。
一言でまとめれば、目をハッキングする機能だ。
相手の視界を奪い、奪った視界の映す情報を、ペラルが管理することができる。
つまり、ペラルが対象として指定した範囲の生物たちに、使い手に都合の良い効果をもたらす幻覚を見させる機能である。
ペラルの指定した範囲内であれば、人間だけでなく、怪獣であろうがツバメであろうがアリであろうと効果対象である。
幻覚の内容はかなり自由が効くほか、1度発動したその"幻覚内での物語"は、ペラルが効果を終了させたとしても持続、流動的に変化し、ごく自然な流れでエンディングを迎えるようになっている。
幻覚内であろうと、ダミーのペラルが司祭たちとなんの問題もなくコミュニケーションを取れていたのはそのためである。
1度発動すれば、たとえ放置していても勝手に動作を続けるというその性質上、ひとつの「|都合のいい夢《ファンタジック》」を使いながら、別の「|都合のいい夢《ファンタジック》」を並行発動させることもできる。
当然だが、同時に別の機能を使うことも可能である。
よって、ペラルは、上で起こっていることをベロキともうひとりの自分に任せて、なんの心配もなく離脱することができるのだ。
彼らの役目はある種、ペラルを離脱させた時点で終わっているとも言える。
しかし、本当の役目は、司祭たちの気を引き続けることにある。
ベロキは自身の芝居の理由を少し誤認しているのだが、つまりは気を引いていれば、それで良いのだ。
カタコンベの警備さえ手薄になれば。
....................その狙いが、摩訶不思議な治癒能力によって破綻していることを彼女が知るすべは、ない。
(ううっ、寒っむ....................!!)
ペラルはカジュアルなTシャツとハーフパンツという、返送の世界観のリアリティを重視した格好で来てしまったゆえ、カタコンベ内の冷房を寒く感じていた。
奇術師のようなあの服装を脱ぎ去っていることで、彼女の防寒能力は低下しているのだ。
そのうえ、あの服装を着ていないペラルは、戦闘能力すらも低下させてしまっている。
戦闘を避けて行動しているのでなかなか使用できていないが、あの服のポケットにはジャンビーヤという小型ナイフを実態化させたものが大量にある。
その他にも、煙幕を張る不定形火薬《フリーニトロ》、目潰しの不定形火薬《フリーニトロ》、狼煙としての不定形火薬《フリーニトロ》なども大量に入っている。
これらを戦闘時に不定形火薬《フリーニトロ》を素体として整形しようとすれば、かなりの時間が奪われる。
それをノンストップで使用するためのものなのだが....................今の彼女は、それを持っていないのだから使えない。
彼女がルキにいた頃に仕込まれた体術があるとはいえ、彼女は女性である。
屈強な男数人を相手取って逃げ切れるほどの自信を、彼女は持ち合わせていなかった。
不可能ではないだろうが、ほとんど生身である今は、とにかく戦闘を避けたかったのだ。
「|秘密基地の扉《ゲート》」
彼女は、一番端の部屋から順番に、しらみつぶしに全ての部屋を探索しようとしている。
3段階認証のセキュリティに防御されている扉も、ワープゲートを設置してしまえば、突破は容易であった。
ペラルの見立てによると、このカタコンベには2種類の部屋がある。
ひとつめは、集団墓地。
壁が棚のように仕切られ、そこに、恐らく死者の人骨がおさめられている。
ロウソクに火がついているものもあることから、常用的に利用されていることが見られた。
事実、朝一番であるというのに、ペラルは数回、人の気配とぶつかっていた。
朝早くに死者の弔いに訪れる人もいるのだ。
そんなときは「|都合のいい夢《ファンタジック》」と併用し、自分だけを見えないようにしながら部屋を通り抜ける。
とにかくペラルは、自分の姿さえ見られなければ良いのだ。
ふたつめは、礼拝堂。
ペラルが調べた限りでは、このカタコンベの四隅と中央に置かれている。
その名の通り、祈りを捧げるための場所だ。
恐らく教会での「正しい祈り」を、この礼拝堂で行うのだろう、とペラルはアテをつけていた。
ペラルは、全ての部屋をしらみ潰しに捜索した。
探し求めるものは、消失事件にメシア教が関わっている証拠だ。
壁を通り抜けられるペラルなら、隠し部屋にも入ることができる。
牢獄や死体の安置所、もしくは例の「白い竜鱗」があればいいとペラルは考えていたが、そのいずれも見つかることはなかった。
ペラルは、カタコンベの全域をマッピングしながら探索していたので、部屋の見落としはありえない。
「庭《テイ》」を上下左右にある程度広げながら行動していたので、隠し部屋や隠し扉の見落としもしていない。
つまり、このウッドバレー・カタコンベには、なにも求めるものはなかったのだ。
しかし、別の収穫があった。
"それ"を見つけたのは、中央に設置された礼拝堂であった。
その礼拝堂は他の礼拝堂や集団墓地よりも遥かに広く作られている、不思議な特別感の漂うような一室であった。
礼拝をするための祭壇の奥には、像が置かれていた。
フードのあるローブを着用し、魔法使いの杖のような物を所持した、小柄な男の像だ。
片目に眼帯をつけ、その眼帯からは赤い光が淡く主張されている。
なにかを偶像化したものであることは、すぐに読みとれた。
(救世主《メシア》....................。)
祭壇におかれた石版の文字は、そう読まれた。
やや古風な文字とフォントだが、読めないことはなかった。
演出程度のものだろう、とペラルは考えていた。
(この顔、どこかで?)
ペラルは、その救世主の持つ顔をどこかで見たことがあるのでは、と考えた。
顔と言っても、なにかのせいではだけているフードから見える、片側の顔だけだが。
しかしペラルは、なぜかその顔を、無性にどこかで見かけたような気がしてならなかった。
数十秒、そこに立ち止まって考え込んだ。
しかしその程度の思考で、回答が導けることはなかった。
自分の勘違いだった。
胡散臭い新興宗教の御神体なんて、この世に存在するわけがない。
(いやいや、まさか..........ネ?)
ペラルは一度振り返った。
諦めをつけたとはいえ、好奇心を抑えきれなかったのである。
もう一度だけ見てみようと、視線を合わせる。
しかし、抱いた感想が変わることはなかった。
そうして立ち去り、別の部屋に行こうと、体を真後ろへと回転させ、前を見たとき、ペラルは本当の異常に気がついた。
それはペラルの目に、目の前の救世主の偶像などとは比べ物にならないほど、不気味に映った。
壁に文字が刻まれていたのだ。
=====
ふたつの世界がある。
それらは二律背反であり、決して交わることはない。
生けるものの世界と、死したものの世界。
しかし、それらの世界が繋がれるときがくる。
堕天が姿を見せ、滅びの前兆となる。
黒い翼が陽を染め、世界から光が奪われる。
その堕天を討つ勇者が現れるが、それは救世主ではない。
尊きものは、勇者の手で殺されるのだから。
だが、それで良いのだ。
救世主は先の機会にことを成せなかった。
しかし、機会はまだある。
我らは、そのときを待つのみ。
捧げよう。
どれだけ祈っても、救世主はまだ現れない。
しかしあなたの祈りは届くだろう。
救世主は新世界にて、あなたを幸せへ導く。
=====
極めて古風な文字体だが、文法はさして変わっていなかった。
"ただの神話の要約だろうね。"
ペラルはそう思い、メモ帳を取り出そうとした。
しかしそのとき、ペラルは思わず腰を抜かしてしまった。
その文を読み終わったときに、何者かが自らの肩を触ったように感じられたのだ。
「っ!!!」
持ち合わせていたマチェテという小型ナイフで背後を牽制するも、そこには、なにもなかった。
あの救世主の偶像が、彼女を見つめるのみであった。
しかし、ペラルの耳には聞こえていた。
上から階段を降りてくる人物が、確かにいたのだ。
これはベロキの腹の傷が迅速に治療されたことによって起こった事態であった。
「くそっ..........!」
ペラルは撤退を余儀なくされた。
本当はメモ帳にこの壁の文字を模写しようとしていたのだが、そのようなことは、たとえ「|都合の良い夢《ファンタジック》」を持ってしても不可能である。
大前提として、センサーの可能性があるため、電子機器の類は使えない。
しかし、ペンを動かしてしまえば、音が鳴る。
その音で存在が発覚する可能性がある以上、ペラルはそのことを行えない。
あくまで、視界をハッキングするだけの能力。
幻覚は音には作用しないのだ。
僅かなことでも、「なにかの音が聞こえる」と感じられてしまっては、幻覚そのものが意味を成さなくなってしまうのだ。
ベロキは与えられた仕事を適当にこなすような人物ではない。
どれだけ拙い演技でも、彼なりにベストを尽くすはず。
そんなベロキが、たった5分あまりしか司祭たちの足止めをできなかった。
ペラルは咄嗟、なにかのアクシデントやイレギュラーがあったに違いがないと確信した。
もうここにはいられない。
早急に、外へ出なければならない。
ペラルはふたたび大規模な範囲を「|都合のいい夢《ファンタジック》」の範囲に指定し、自らの身を隠した。
そして、足音の聞こえる真反対の場所を歩いてゆき、地上へと向かった。
司祭たちは最後まで、ペラルの存在に気づくことはなかった。
そう、司祭たちは。
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後日談。
翌日、メシア教の聖典が1冊売れた。
買い物に来た女は、アクティヴな服装をした、観光客ふうの女だったという。
大学で宗教を研究しているから、地域に根付いた新興宗教の神話が気になると語ったらしい。
しかし、全て嘘である。
ペラル・ルキとは、そういう女だ。