鯣烏賊 / 第113話

少年、借り物の靴を脱ぐ その12

3度目の弱点攻撃は、特になんの危なげもなく終了した。 2度目のときのように役割はチェンジされ、初回と同じ布陣でことが行われた。 ベロキは不安を抱きながら前線に復帰したが、初回よりも慣れたのか、フォーザッツのように被弾をせずに行うことができた。 ペラルは来たる4度目に向けてある程度の時間の準備を重ねる必要があったため、3度目は一旦、戦線離脱。 ステゴはたった一人でヒュドラを抑え込む必要に迫られたため、ここで全開の土塊観音《ツチクレカンノン》を使った。 生み出される観音の見た目は何も変わりないが、出力が段違いだった。 ヒュドラの首を掴んでなお脱出されるほど追い込まれた先程とはまるで違い、ヒュドラのパワーを上から押さえつけるほどの凄まじい出力を見せつけた。 そしてたった一人でかの巨大生物を完璧に押さえ込み、文句なしの隙を作ってみせた。 それを見たフォーザッツの行った合図に応答して、煌熱火薬《フレアニトロ》は撃ち込まれ、惚れ惚れする軌道で背中に着弾。 首の生え際あたりに存在しているその「弱点」を守る強固な氷のクリスタルは、火薬の発する膨大で高温な"熱"によって順調に溶け出されている。 4度目。 こちらも役割のチェンジが行われただけで、2度目とほとんど同一の結果に落ち着いた。 イレギュラーはほとんどなく、ベロキが少々、右腕に怪我を負った程度であった。 明確に違ったところといえば、全ての行動が終わったあとのところである。 そのときにはもう、ヒュドラの首の付け根に、件の氷のクリスタルなどは存在していなかった。 完璧に溶け切ったのだ。 煌熱火薬《フレアニトロ》の赤い熱は、その水色に染まった守護者を綺麗に取り除いた。 現在のヒュドラ背中を見れば、ベロキたちが狙いすましたかった弱点はすでに、そこに存在している。 びっしりと並ぶ鋼鉄のようなその蒼い鱗の、ほんの少しのひずみ。 人間の手よりも小さい、たったひとつの、"柔らかい鱗"。 全体の強度を保つために残ってしまった、ほんの少しのイレギュラー。 ヒュドラの"逆鱗"が。 そして、熱で生み出された煙が晴れる。 現れたヒュドラは、目の前に存在しているであろう敵に対して、敵意を剥き出しにした。 敵には絶対に見せたくなかった背中の弱点をさらけ出させられたヒュドラの怒りは、凄まじいものだった。 そして、まるで「これからお前らを殺す」とでも宣言するかのように、ベロキたちへ向けて凄まじい気迫で咆哮した。 森を突き抜けて、確実に市街地や住宅地にまで届いたであろう音量だった。 しかし、ベロキたちへはなんの害もない。 体にまとった殺気の幕が、それをなかったことにしてくれるのだから。 ボコボコと隆起する地面や、遥か彼方から飛ばされてくる枝などに注意さえすれば、その咆哮はただの生物の鳴き声でしかない。 ....................はずであった。 はじめに異変に気がついたのは、フォーザッツだった。 ヒュドラの咆哮が爆発的な音量で轟く中、視界の外で何かがガクッと腰を落とすのを感じ取った。 無論、こんな死の絡む戦闘中に「庭《テイ》」をしていたわけではない。 そして、これといって特に、気がついた理由があった訳でもなかった。 なぜかその咆哮の中で、五感に優れたベロキでさえ気が付かなかったそれに、フォーザッツのただ一人だけが気づいたのだった。 「ヴィレ!」 フォーザッツが怪しんだ方向、すなわち後ろへ振り向くと、そこにはフォーザッツが心から愛する息子がいた。 なぜそこにヴィレがいるのかなど、無駄な思考を全て排除し、フォーザッツはヴィレの安全のために、前に立ち塞がろうと駆けた。 地面の隆起をものともせず、ただ一直線に。 10秒も経たずに息子の目前に迫ったフォーザッツであったが、彼は次に起こった決定的な異変に気づくことができなかった。 「フォーザッツさん!フォーザッツさん!お願いだからっ!避けてっ!後ろ!」 彼を後ろから呼び止めるベロキの鬼気迫る雰囲の叫び声すら、彼の耳には入らなかった。 いち早く息子の危険に気がついた弊害とも言えるだろう。 しかし、"最期"のその瞬間に、フォーザッツは後ろに振り向いた。 「は....................?」 フォーザッツが気がついたときには、彼とヴィレの目前に、ヒュドラの尾が迫っていた。 このままでは2人とも巻き込まれてしまう。 そして、人間というか弱い生物がこれを真正面から食らってしまっては、ほとんど確実に即死である。 フォーザッツは走った。 走ることをやめなかった。 ただがむしゃらに、凄まじいスピードでヴィレへ接近する。 そして最期の一歩を踏み出す直前に片足を後ろへ引いて構え....................。 父は。 フォーザッツは。 息子ヴィレを、全力で蹴飛ばした。 ----- 俺は、咆哮を終えたヒュドラの動きが、見るからに変化したことを感じた。 これまでヒュドラは視界を封じられていたとはいえ、なんとか俺たちの位置を補足する努力をしているように見えた。 撃ち込まれた攻撃の延長線上へカウンターしたり、次の移動方向を予測したり。 巨大生物が暴れているという絵面であることになんの変わりもないけれど、それでもマリンヒュドラは、冷静に戦っていた。 理性と思考を感じていたし、それがすごく面倒で、厄介だった。 しかし、あの氷を溶かされたことで状況が変わった。 俺は当初、逆鱗を叩くことがそんなにも有効なのかが疑問だった。 しかし、ヒュドラのこの態度を見て印象が変わった。 本当に、そこだけは攻撃されたくないんだろう。 触られることを拒絶したいんだろう。 そう、あの咆哮を皮切りに、理性がトんだ。 俺たちがヒュドラの背中に登らないといけないということを逆手に取られ、めったやたらに大暴れされた。 近づけない。 首や尾を四方八方へ振り回し、俺たちを近づけないつもりだ。 ステゴさんやフォーザッツさんもこうなると骨が折れると言っていたが、その気持ちがわかる気がした。 何せあの大きさと速さ。 まともに食らったら、「ぐしゃっ」って言って死んでしまうだろう。 ありを踏んづけるように。 飛んできた蚊を潰すみたいに。 気付かずに小さな花を踏んでしまうように。 そう。 ちょうど今みたいに。 ああやって木の幹に叩きつけられて。 抵抗のすべもなく。 簡単に。 本当に、簡単に。 「[おとう、さん....................。]」 俺はただその場に立っていた。 ここに攻撃は飛んでこない。 だから、短い間だけどヴィレ君と話せる。 彼と意思疎通ができる。 それが救いなのかもしれない。 「ヴィレ君。」 「[ひっ。]」 俺の顔は、声は、雰囲気は。 どんなものだっただろうか。 怖かったかな。 いや、怖かっただろう。 あれだけ来るなと言った。 来てはならないと言った。 お父さんの指示に従えと。 そして、彼は肯定の返事をした。 それなのに、ここに来た。 もう何も問うまい。 彼がここに来た理由も、わざわざこれに参加しようとした理由も、今は問わない。 今この瞬間だけは、それに興味はない。 後でじっくり聞く。 「ここから逃げなさい。」 「[はい..........。]」 彼はすぐそこに落ちていたフォーザッツさんの刃武装の柄だけを拾うと、それの電源を切り、ポケットへ仕舞う。 そして涙を零しながら森の奥へ消えていった。 その足元はふらついている。 きっとヒュドラの咆哮を正面から受け止めてしまったことで、平衡感覚や五感に鈍りが生じているんだろう。 きっと彼は咆哮を無効化する術を持っていないから。 さて。 「あと40秒..........。」 俺は残り時間を確認する。 ヒュドラの聴覚を戻してはならないことに変わりはない。 きっと、今のやつは見境がない。 俺たちの姿を補足できるようになったら最後、俺たちの命が尽き果てるその瞬間まで執拗に追ってくるに違いない。 俺たちが動かないことを選択しても、咆哮を使って位置はバレる。 ウジウジしてしまうくらいな、突っ込んだ方がマシだろう。 俺は目の前へ駆け出した。 チェンソーのスイッチをつけ、先端についた刃を回転させる。 狙うは、首の付け根のあそこ。 そしてヒュドラの足元に一撃当て、ヒュドラの首を足元へ誘導した。 案の定、首のうちの1本がヒュドラの足の付近にむけて噛み付いてきた。 足元に攻撃される感覚があったのだから、そこに追撃をしてくるであろうところは、簡単に想像のつくところだ。 よし、いい感じに策にはめられた。 このまま、弱点を目指すだけだ。 しかし目の前の首の頭に足を乗せた瞬間、他の五歩の首が一斉に俺を向いた。 「嘘でしょっ!」 策にはまったのは俺の方だった。 きっとヒュドラは、この瞬間を待っていたんだ。 俺のいる位置を完璧に把握できるそのときを。 それで準備が出来整い次第、俺を確実になぶり殺す。 「とっとっ、おっと、ひいっ!」 俺を噛み砕こうと真っ直ぐ突っ込んでくる首立ちをいなし、ときには別の首に飛び移りながら攻撃を避けてゆく。 ああ、離れてゆく。 目指すべき首の付け根が離れて行ってしまう。 ここからは見えないけれど、話によればあそこに逆鱗があるはずなんだ。 万事休すか、と思った。 もう、50秒も時が過ぎてしまった。 どんなに動いても、あと5秒程度で破音弾《サウンドボム》は撃っておきたい。 そうすれば、きっと....................。 と思っていると、走ってきたペラルさんが、俺のちょうど下側の場所に、たどり着いたのが見えた。 彼女の武装なら、ある程度は楽にしてくれそうだ。 「長い長い言い訳《ブースト》」は使ってくれないと思うけれど、それでも良い手札になる。 「カバーを!」 「おまかせあれ!『|お前を縛る糸《バインド》』!」 俺は真ん中あたりの頭の上に立っていた。 そして俺のことを狙っていた、正面側にいる2本の首に、強固な糸が巻き付けられる。 それらの動きが封じられることで、俺は渋滞から開放された車のように、その間を疾走した。 もうちょっとだ。 このくらいの首ならすぐに渡り切れる。 そう。 あと数歩だ。 しかしそんな希望は打ち砕かれた。 やけくそみたいな角度と速度で、最も右にある首が、俺の目の前に立ち塞がる。 本当にコイツも、捨て身の作なんだ。 「ごめん!」 ペラルさんも、こんな攻撃がくるとは思わなかったらしい。 しかたないさ。 こんな捨て身でデタラメな策なんて、仕方ないじゃないか。 しかし。 「くそっ、56秒....................っ!」 時間だ。 俺は破音弾《サウンドボム》を撃った。 視覚は戻しちゃいけない。 だから、これを使わなければならない。 こうして、決着がつくまで永久に、ハメ続ければ。 しかし問題があった。 「来る。」 空が光った。 そう、この音は合図になっている。 リンさんはきっと庭《テイ》でこちらの戦況を把握しているが、この音には反応してかならず弾を撃つ。 きっと、見えないところで俺がピンチになっているとでも思いながら。 これも、食らってはならない。 そしてヒュドラはデタラメに移動して暴れているから、ヒュドラにもあたらない。 次の一撃は、何の関係もない適当な場所へ落とされてしまう。 俺たちも、巻き込まれてしまう。 なんとかして避けねばならない。 そう考えていると、俺の周りに砂が集まった。 「伏せろ!」 煌熱火薬《フレアニトロ》の着弾箇所は、俺の斜め後ろあたりの地面だった。 そこから凄まじい熱と光が発されているのだが、それらはこの砂の壁で防がれた。 「ベロキ!てめぇもう少しで着くだろ!行け!!」 着弾地点の向こう側からだが、そのようなステゴさんの声が聞こえる。 そうだ。 自由な首はもう一本残っているけれど、それはペラルさんがなんとかしてくれる。 俺はこの、目の前にある突っ込んできた首を乗り越えて行けばいいのだ。 あと10メートルくらいで、首の付け根にたどり着くことができる。 もうすぐだ。 やれる。 「あと一歩だ!」 熱と光がある程度止まったその瞬間に、俺はここを飛び出した。 目の前の首を飛び抜け、背中へ向けて走る。 俺の後ろ側にある首は縛りつけから解放されていたが、ペラルさんが別の行動をとって注意を引いてくれている。 ヒュドラがさっきから時折見せている、目の前の障害を優先的に克服しようとする性格。 俺はそれに助けられている。 俺は背中に着地した。 そして、すぐに何をすべきかを理解した。 明らかにそこだけが異質だった。 青い鱗たちの中で唯一、鱗が逆向きについている。 6本の首の中の真ん中2本。 その2本のちょうど間くらいに、それはあった。 これが噂に聞いていた"逆鱗"で間違いないだろう。 しかし。 「....................硬い。」 そこは微量の氷に覆われていた。 大まかには溶けきっていたが、さすがに全てをあの大規模攻撃で溶かせたわけではなかったらしい。 しかも、その氷は硬い。 ヒュドラがもともと背負っていたあの大きな氷の一部分で間違いないだろうが、やはり硬い。 まともな攻略のやり方ならおそらく、「排撃《リジェクト》」の最大出力くらいは必要。 しかし俺はこの戦いで、激しい動きを続けているわけではない。 役割を上手い具合にチェンジしながらだったから、まだ排撃《リジェクト》をまともに使いこなせるほどの衝撃は溜まっていない。 しかし、俺はこれの解決法を知っている。 なぜだか最近になって目覚めた、よくわからないこの力。 全く使いこなせていないこの力。 「陽炎《カゲロウ》。」 最後に使ってから日が空いているが、上手くいった。 俺の手に炎が現れる。 俺はイメージし、その炎をただただ大きくしてゆく。 ろうそくの火が程度だったそれはだんだん大きくなり、今の俺の手は、火炎放射器くらいの炎を纏っている。 ボボボボボ..........。 そう聞こえそうな炎だった。 向こう側に少しだけ目を向けると、ヒュドラの首が恨めしそうに俺を見ているのがわかる。 今にも噛み付いて丸呑みにしてきそうな気迫だ。 "もう、早く済ませてしまおう。" その一心で、俺はその氷に向けて、全力の拳を叩き込んだ。 氷はすんなりと溶かされ、俺の手は逆鱗に触れる。 そして、いとも容易く、それを....................貫いた。 そのとき、ヒュドラの巨体がぐらりと揺れた。 結果がどうであれ、ヒュドラを直接傷つける手段のない俺たちにとっては、これがベストだった。 「....................燃え上がれ。」 ダメ押しで、もう一度炎を大きくした。 特に理由はない。 なぜだか知らないが、やりたいと思った。 ヒュドラの怒号は、さらに大きくなった。

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