鯣烏賊 / 第112話

少年、借り物の靴を脱ぐ その11

濃い煙の内部から姿を現したヒュドラは、怒りに身を任せて大咆哮を繰り出した。 6つの頭から発せられるその衝撃波は、森の木々を揺らし、ときには薙ぎ倒し、足元の地形をヒュドラを中心として変化させる。 ヒュドラと相対する4人の男女は、誰一人としてその咆哮の悪影響を食らうことはなかった。 殺気を操るスピリチュアル的技術の「纏《テン》」が、それの防御を可能としていた。 咆哮を終えたヒュドラは、周囲にいる生物の体に異常がないことを不思議なことと認識したのか、すこし戸惑った様子を見せた。 しかし今のヒュドラは、アイマスクをして戦闘を行っているに等しい。 即座に獲物へと襲いかかるなど、到底不可能なことであった。 それを合図に、彼らの役割はチェンジされた。 先程は率先してヒュドラの敵意を自分へと誘導していたベロキは、1歩引いたところから戦況を伺うようになった。 ヒュドラはフォーザッツを正面から相手どっているため、ベロキへの攻撃は手薄になっている。 そもそも正常な聴覚を奪われているため、ヒュドラはベロキの位置を完璧に補足できていなかった。 でたらめな位置へ放たれるその攻撃たちを、ベロキは危なげなく避ける。 しかし、自分へと敵意が向ききらないように、ベロキの側から攻撃を仕掛けることはなかった。 フォーザッツは、彼自身の身の丈ほどもあろうかという大剣を振るい、ヒュドラとの正面戦闘を繰り広げていた。 ヒュドラは当てられる刃からの感覚を頼りに獲物を仕留めようと果敢に攻撃を仕掛けるが、いまいちトドメをさせないでいた。 ベロキのときと同様であった。 巨体相手に人間が勇猛果敢に突撃し、それでいてなお仕留められずに優勢に攻められているのは、破音弾《サウンドボム》による聴覚奪取の効果によるものだ。 「しゃあぁぁぁらぁぁぁ!!!」 雄叫びを上げながら抵抗するフォーザッツに対して、ヒュドラのボルテージが最高潮に高まってゆく。 次第に、最低限行っていた周りへの警戒も緩んでゆき、隙が生まれる。 ヒュドラは、たった一度や二度の経験で自身の弱点を克服できる知能を持ち合わせていなかった。 かの生物の思考は既に「目の前のハエのようなお邪魔虫を叩き潰す」ことに支配されていた。 「40、39、38、37....................。」 そんなフォーザッツを、ベロキは驚嘆の眼差しで見つめていた。 先程はベロキが彼と同じ役目を負ったのだが、ベロキはヒュドラの隙を作るために、自身に「大きく被弾する」という制約を課してしまっていた。 結果、その攻撃は防御したが後方へ大きく吹き飛ばされてしまい、フォーザッツが身を挺してベロキを守ることになった。 拘束にも成功し、煌熱火薬《フレアニトロ》も着弾。 弱点露出には一歩近づいたが、ベロキはフォーザッツへ迷惑を被らせたことを申し訳なく思っていたのだ。 しかしフォーザッツは、ベロキへの負担をほとんどかけずに、大剣一本で巨大生物と一人で渡り合っている。 先程のベロキには成し得なかったことである。 「すごい。」 その上ベロキは「鍵《シュリュッセル》」の機能をいくつか用いてあのザマであった。 全体からみて決して悪くない結果であるのは明白であるが、ベロキは細かいことを気にする男である。 (これじゃ、確かに落ちちゃうよなぁ。) しかしベロキはカウントを忘れていなかった。 正確に、破音弾《サウンドボム》の継続時間を刻み続けている。 というのも、30秒を越えたタイミングで、ヘイト役のもうひとりが加勢することになっているのだ。 ベロキはチェンソーを取り出し、起動させる。 参戦の準備は終わらせていた。 5秒後、自分はいつ何時でも飛び込むことができる。 そういう心構えであった。 しかしその心配は杞憂に終わった。 「ッたく、がっつくな!!」 痺れを切らしたヒュドラは、フォーザッツへ向けてボディプレスのような行動をとった。 倒れ込んだことにより、ヒュドラは起き上がる必要に追われる。 その隙を見逃すものなど、この空間には一人たりともいなかった。 「悪ぃ、頼むペラル!」 「おまかせ〜!」 もちろんステゴも反応したが、行動は間に合っていなかった。 予測不可能なタイミングで訪れたそのチャンスに、土塊観音《ツチクレカンノン》の生成が追いつけなかったのだ。 彼の周りには、中途半端に固められた土塊の拳があるのみだった。 「『|長い長い言い訳《ブースト》』!」 宝石が光る。 ペラルの持つ固有武装《オンリーウエポン》「|呪い、殺す者《カフナカウラ》」は、ベロキの「鍵《シュリュッセル》」と作成者が同一である武装だ。 そして例に漏れず、こちらも多機能型の固有武装《オンリーウエポン》である。 機能は6つあり、そのうちの5つの機能が、親指から小指までのそれぞれの指へ対応している。 これらは、指を突き立ててそれぞれの機能名を口にすることにより発動する。 親指が 「|お前を縛る糸《バインド》」 人差し指が 「|いじわるマジシャン《フェイク》」 中指が 「|めんどくせぇガム《スパイダーハウス》」 薬指が 「|秘密基地の扉《ゲート》」 小指が 「|都合の良い夢《ファンタジック》」 というラインナップである。 この「|長い長い言い訳《ブースト》」は、唯一、指たちに連動していない。 これは、ベロキの「強《ブースト》」とほとんど同一の性能を持つ強化機能である。 作成者が同一ということで、あの奇妙奇天烈な性能をコピーしたような機能になっている。 唯一の相違点といえば、これを一度使用した後は効果が継続するため、改造なしでの並行使用が可能なところである。 重複する内容になるが。 たとえば、先程使用した「|めんどくせぇガム《スパイダーハウス》」。 これは、コスモの結晶を特殊な時点で打ち止め、まるでネバネバしたガムのようなものを作り出す機能だ。 「|長い長い言い訳《ブースト》」を使用した状態で「|めんどくせぇガム《スパイダーハウス》」を発動させると、そのガムの性質や大きさがおおよそ倍程度に強化される。 しかし「速《ラピッド》+強《ブースト》」の組み合わせがあったように、特殊な効果をもたらす組み合わせも、当然、存在する。 「|お前を縛る糸《バインド》」。 標的を縛りつけ、その糸が持続する限りは、相手の行動を封じる効果を持つ機能。 ペラルの「|呪い、殺す者《カフナカウラ》」の中で最も基礎的で、扱いやすい拘束行動である。 「『|絶対に動かさない《バインド・ブースト》』!」 ペラルは、ヒュドラへ向けて手を握るジェスチャーをとった。 本来ならば格好付け以外の意味を成さないその動きも、今回ばかりは違う効果をもたらした。 ヒュドラを覆うように、大きな手が具現化され、それがヒュドラを掴んでいるのだ。 ペラルの額に汗が浮かんでゆくが、彼女はその力を決して緩めなかった。 「|絶対に動かさない《バインド・ブースト》」。 |長い長い言い訳《ブースト》の効果時間中に|お前を縛る糸《バインド》を使用することで反映される、強化版の機能。 糸で縛るという特性を放棄する代わりに、彼女の手に連動する大きな手を具現化する。 具現化された手は、いくつかの特性をもつ。 ひとつめは、掴むこと。 この力はかなり強く、手を使う上で発生する破壊力を全て切り捨てたかわりに、ひたすらに「掴む」力を増強したのだ。 ひたすらに動かさないこと。 それだけを考えられて作られているのだ。 ふたつめは、封じること。 手は、握った対象へ微量の有害なコスモをたれ流し続ける。 これには生物の体の動きを鈍くする効果があり、これにより相手の抵抗を弱める。 最終的には拘束された生物は行動が不可能になり、抵抗ができなくなってしまう。 こうなると、脱出の術は、ペラル側の時間制限以外には無くなってしまう。 ヒュドラは現在、その手に握られていた。 微細な抵抗を試みるその心も、上から縛り付けられることで無いものとされる。 しかし、完璧かと思われるその拘束は、長くは続かない。 「今、チャンス....................はやく!」 ペラルがその手を握っていられる時間にも、限界があった。 この機能の行使中は、使用者の体が、まるで息を止めているかのような息苦しさに蝕まれる。 ペラルも例外ではない。 しかし、はかったかのようなタイミングで、空が光る。 まるで新しい太陽が作られるかのように。 その光は流れ星のように上空へ飛び、そして落下をはじめる。 "上に凸"の二次関数のグラフのような軌道だった。 そしてそれは標的へと向けてまっすぐと落下してゆく。 ヒュドラがその光に気がついたときには、もう遅い。 ペラルが拘束を解いたその瞬間に、煌々と輝くその光は着弾した。 残り2発。 ----- 少年はここ数日間、彼の父親と激烈な喧嘩を繰り広げていた。 はじめは、言い合い程度のことだった。 しかし、それは次第に彼からの怒号と罵倒、父からのお叱りの言葉が飛び交う口喧嘩へ発展した。 彼の父は最後まで、あくまでやさしく理論的に彼をなだめようとした。 しかし彼は、それを受け入れることができなかった。 子ども扱いされることが許せなかったのだ。 しかし相手は大人。 経験不足の子供が口論で勝てるわけがない。 彼は上手く丸め込まれ、結論づけられたように見えた。 しかしあまりの悔しさから、彼は父に殴りかかった。 彼の父親は温厚で優しい人間だが、暴力が絡むとなると話は変わった。 彼は父に取り押さえられ、母の元へ連行された。 仕事で急がなければならない父は母に彼の管理を要請し、そのまま出かけて行った。 彼は引きこもった。 夜中に父が帰還しても、おかえりの一言すら言わずに寝たふりをした。 母から運ばれてきた食事にも手がつかず、やるせない気持ちで心を満たした。 何日経ったのかはわからない。 しかしある日に、父は周到な用意の後に家を発った。 大きな仕事だと彼は確信した。 そしてその瞬間に、彼は数日前の口論の目的を思い出したのだ。 "仕事に連れて行って欲しい" その願いを自ら叶えるため、彼は一通りの準備を終えた後に、自室の窓から飛び降りた。 鍛えていた彼は、マンションから着地した程度では怪我のひとつも負わず、そのまま父を追った。 長年の経験で培ってきた、父に気づかれない位置をキープしながら。 そして、今に至る。 彼は森の中で、巨大生物を見ていた。 首は6本。 見たこともないくらいに巨大な、奇っ怪なヒュドラ種。 足がすくむ。 目の前の凄まじい争いに首を突っ込むことが、命懸けであることは理解していた。 いかに子供じみた行動を取ろうとしているのかも、理解していた。 しかし、彼の心は踊っていた。 戦闘狂の父の血を引いた彼もまた、その"ケ"を持っていたのだ。 そして勇猛果敢に飛びだし。 そして。 咆哮を受けて足がすくみ、その場へ倒れ込んだ。

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