鯣烏賊 / 第73話

不倶戴天の不協和音 その13

左脇腹に一発。 やつが傷へ反応してその方向へ注意を向けた頃には、俺はもうそこにはいない。 いや、俺自身も、俺が今どこにいるのかなんていう正確な把握はできていないけれど。 何はともあれ、次は首筋に一太刀。 「ぐっ!」 右の腰。 左肩。 右手首。 足の脛。 「ぐおっ....................!!」 触手はもちろん、身体までもが硬質化している今のやつに対して、心臓や脳、肝臓への攻撃を選択するのは現実的じゃない。 だから、攻撃されたら少し痒い、けれど動きに直結するゆえ再生が優先されるように設定されていそうな、神経や関節を中心に、少しずつ切りつけてゆく。 「ぐ、ぐおおおおお....................!!!」 触手は動いている。 俺よりも遅いスピードであるが、的確に俺のいた場所をついた攻撃をしている。 その上で見ると、速度もあまり落ちていないように思える。 「あそこは体の判定じゃないのか?」 やつの腕や足、首のような「体」の動きは鈍くなっているが、それでも黒い触手たちの動きにはなんの変化も見られない。 体の再生と、あの触手の動きにはなんの関係もないということか。 ....................いや、ここは"まだ"関係がないと言うべきなのだろう。 シロは黒い触手を自らの防御から引き剥がし、あたりに展開する。 姿が見えない俺の索敵のために蜘蛛の巣のようにしているつもりなのだろうか。 いいや。 「甘いね!」 それはたしかに"いい感じ"の判断に見えるだろうけれど、実際のところは俺の方に戻ってくるリターンもかなり多い。 俺がこの「速《ラピッド》+強《ブースト》」の状態の中で進むことができる道筋が、ただ真っ直ぐ進むことしか与えられていないことを知っていてのことだろうか。 まあたしかに、真っ直ぐ進むルートがいくらぶんか封鎖されてしまうのは面倒なことだけど、それは簡単にクリアできる。 さっきまでは壁を蹴る度にシロの方向へ向かうように移動していたが、それの方向をすこしいじってやり、その触手に触れないようなルートになるまで試行し続ければ良いだけだ。 そしてなにより、あのうっとうしくて仕方がなかった黒い触手が、やつの体から離れている。 俺を視認してから触手を戻すことが間に合うとでも思っているのだろうか。 「何ぃっ?!!」 「速《ラピッド》」の機能を停止させた俺は、おそらくやつの視点からはいきなりその場へ現れたように映るだろう。 向こう側にある触手の先端が慌てたようにこちらへ向き、くわっと俺に向かってくる。 まあ、全部遅いんだけどね。 「衝《ストライク》....................!!」 俺は腰を大きく落とす。 そして、右手の人差し指と中指を、やつのみぞおちの辺りへ優しく当ててやる。 いくらあの触手が素早く動くとはいえ、ここまで来たらもう、俺の方が早い....................!!! 驚いたような顔をしているね。 そんなふうになるから、だからなにもかもが全部、甘いんだよ。 大人しく正面から喰らえ....................!!! 「強《ブースト》!!!!」 俺の右手が、一気に前進する。 最低限の動きで....................しかし、脱力した全身のエネルギーをすべて前方へぶつけるように。 そしてその拳がストン、と相手に衝突した瞬間に、俺の体の力と「衝《ストライク》」でまとった衝撃が開放される。 飛んでけ....................。 「寸勁だ!!!!!」 スパァァァァン!!!!!!!! ものすごく大きな力でビンタをしたような破裂音が響き渡る。 その衝撃は指先から綺麗に真っ直ぐな前方へ、まるで矢のように発散されてゆき....................。 「がはっ....................。」 やつのみぞおちを貫いた。 「ぐ、ぐううっ。」 「立てないでしょ?おまえの脳みそが痛みを感じてるのかは知らないけれど、それに対処する神経は通っているもんね。」 "ボロが出る"。 これほどこいつにピッタリな言葉は存在しないだろう。 最初は怖かったんだ。 正体不明のその拘束攻撃に、ミクロさんに斬られたはずなのにまた生えている腕。 大量の触手を操り、俺の相手をしながらもディラン君を警戒し、完璧に制圧してみせたあの余裕。 そして、追い詰められて繰り出したあの「ピンク色の薔薇」。 あの黒い触手も、最初は怖かった。 俺の反射神経を上回り、「呼魔《コマ》」を使わなければ見切れないほどの速度に、あの強度。 ディラン君だけを逃がしたあの判断は、むしろ正解だと信じている。 けれど同時に、俺が「呼魔《コマ》」を開放した瞬間から、自分一人でも容易に相手ができるほどに、楽になった。 理論上はシロの方が、何倍も飛躍的なパワーアップを遂げているはずなのに。 最高速度の俺よりも遅いとはいえ、あの触手をただ「まっすぐ」飛ばしたり、伸ばすことしか出来ていない。 同時に思い出す。 やつのこれまでの優秀な攻撃の一手たちは、すべてやつの「腕」を使って行われたものであった。 「誤魔化してるけど、使い慣れてないでしょ?ソレ。」 「.....................。」 「俺からしてみれば、ただ手枷をはめているようにしか見えないよ。 効果的に使えるなら、俺の速度に対応できて良いはずなのに。」 「黙れ。」 15秒経過。 「強《ブースト》」によって強化された機能は、再使用時間までもが2分の1される。 やつがうずくまり、俺の口撃に動揺しているこの時間で、俺の次のエンジンはふかし終わっている。 「貴様、こんなにも近づいて良いのか....................??」 「ああ、大丈夫だよ。だってそれ、遅いもん。」 見栄を張っても良いんだ。 対人戦は、相手を制圧することも重要だけど、相手に自分の力を悟らせない方がもっと重要だ。 こいつがこいつの中で、俺の「速さ」を警戒し、過大評価すればするほど、俺の次の手が確実に決まるようになる。 感情を抑えるのは大変なことだ。 訓練したところで完全に制御できるものじゃない。かならずどこかで綻びが出る。 こうやってコイツの殺気が肥大化してくれれば、俺の「呼魔《コマ》」の反応速度は速くなる。 「強《ブースト》」の制限時間は3分。 さっきの立ち回りで20秒使い、今の再使用時間の回復を待ったので15秒。 諸々のタイムラグを考えても、45秒くらいは使ってしまっただろうか。 まあいい。 大切なのは最後だ。 俺の奥の手を当てて、確実な隙を作る。 それが出来れば良いから、俺はずーっと速くある必要はないんだ。 「貴様こそ余裕がないのではないか?」 「なんのことかな?」 「先程から、不自然なほどに深呼吸が多いが?」 ばれたか。 ああそうだよ。 あれはあまりにも速すぎて、周囲を確認しながら走るだけで視界がグワングワンになるんだ。 到底、人間の三半規管に与えて良いような刺激じゃない。 「それが何か?」 あと2回でいいんだ。 あと2回でいいから、深呼吸を....................。 くわっ。 「速《ラピッド》+強《ブースト》!」 殺気が広がったのを感知した俺の「呼魔《コマ》」の予報を信じて、俺はその場から後ろへ離れる。 やはりコンマ数秒後に触手が動き、俺がいた場所へと攻撃していた。 「油断も隙もないやつだ。 ....................テレポートを疑ったが、やはり高速移動のようだな。」 「うーん。」 油断も隙もないだと?! それは俺のセリフだ。 みぞおちへ食らった直接的なダメージを享受しながら冷静に俺と会話し、動揺をしつつも俺の能力を見破るための的確な動作を行ってくる。 あの様子だと「鍵《シュリュッセル》」の機能はやつに伝わっていないのだろう。 ....................もとが裏の世界での武装だから、調べようにも調べられないのだろうけど。 「慣れていない、か。 貴様のようなものとやり合っていると嫌というほどに分からされるな....................。」 ぞわっとやつの殺気が広がる。 けれど、何だ....................。 この違和感は。 「慣れていないなら慣れていないなりにやってやろう....................。 オレは母上の期待に答えねばならぬ。」 ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ。 俺の心臓がやつからの威圧感に気圧されているのがよくわかる。 こいつ....................。 「貴様は絶対に殺す....................!!!」 ジリジリと、下がりたくなってしまう。 だからこそ、だからこそ、だからこそ!! 「ほほう、前に来るか。」 「ああ。」 俺はやつへ向けてゆっくり歩く。 この加速は、しっかりと足を踏み込めば慣性を無視して行えるものだ。 次の攻撃のタイミングは、俺が支配していると言ってもいい。 まだ。 まだ近付ける。 あまりディラン君は待たせられない。 本人は強がっているけれど、彼も相当、あの一撃でダメージを受けていた。 長引いて彼のアドレナリンが切れてしまったら、痛みを感じてしまうかもしれない。 ディラン君はそれに耐えられるだろうか? 合図はそうだな....................。 まだ確定してるわけではないけれど、あれにしよう。 闘志を奮わせるために。 「さあ....................。」 10メートル。 9メートル。 俺とシロの間の距離は刻一刻と短くなる。 俺は今、「呼魔《コマ》」のせいでやつの殺気を過剰に感じている。 その位が丁度いい。 絶対に当ててやるんだ。 これを空振ることは許されない。 この「排撃《リジェクト》」を。 「来い。」 フッ、と。 俺はふたたび消えた。

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