鯣烏賊 / 第142話
断崖絶壁の層:シティバレー その6
周りからチクチクと刺されていた殺気が、一斉に引っ込んだ。
完全になくなったわけではないが、俺たちをトゲのように突き刺しているわけではない。
せいぜい、たまにすこし触ってくる程度だ。
敵意はあるけど、襲うほどではない。
そんな感じだろうか。
とにかく、俺たちのことを、その安物のピストルやキャンプ用の小型ナイフで攻撃する気はなくなったらしい。
銃口が向けられている感じはしない。
不気味なくらいに素早い切り替えだ。
それもこれも全部、あの男がここに現れた瞬間からだ。
「エティ..........。」
エティと呼ばれたその男。
彼がこの場に現れた瞬間に、前後左右に散らばっていたチンピラたちが襲ってくる気配が、キレイさっぱり消えた。
無鉄砲で血気盛んなチンピラたちを、一言の言葉だけで止めることができる人間。
間違いない、やつらのリーダーは、あの男だ。
そして。
あの男はきっと、俺にとってはもうひとつの意味を持つことになる。
あいつは、たぶん、
「....................。」
恐怖している。
今まではせいぜい、ただ黙っていたり、キッと睨む程度だっただけのラフラさんが。
歯をカチカチ言わせて。
肩と足をわなわな震わせて。
今にも倒れ込んでしまいそうなほどに。
これほどの恐怖。
まるで未知の怪獣と相対してしまった一般人のように。
喉元にナイフの刃先を突きつけられたときのように。
毒味をする直前のように。
それほどの恐怖を、今ここで、受けているというのか?
ただ目にして、やつと相対しているだけなのに。
トラウマ。
そんな一言で片付けていいものなのか。
果たしてこれは、一体....................?
「大丈夫?」
声色を確かめたかった。
ここまでの恐怖を抱き、それが体にも出てしまっているほどの彼女。
普通に喋ってくれるだろうか。
それとも、なにも言ってこないだろうか。
「大丈夫よっ!」
震えた声でそう言ってきた。
大丈夫だと答えるだけなら、こんなに強い声を出す必要も、大きな声を出す必要もないというのに。
まるで俺への返答を、自分に言い聞かせるように。
うん、大丈夫じゃないな。
自分から大丈夫だと言うひとは、大抵の場合、大丈夫ではないのだ。
彼女はそれをわかっていながら、俺たちに心配をかけまいとしているのかもしれない。
そして、あの男....................エティも、彼女がこうなることを予想していた?
わからない。
イメージだけの話だが、そういうことをしそうな"雰囲気"をまとっている。
まあいい。
彼女の声色が聞きたかっただけだから、返事の内容なんぞどうでもよい。
なにもされていないというのに、追い詰められていることがわかった。
決まりだ。
俺は彼女の手を握る。
暖かい手だ。
しかしその手には、力など少しもこもっていない。
握るというよりも、無理やり掴んでいるような感覚になる。
とりあえず、あの男との話がなんとかなれば、喧嘩せずに済むだろうか。
いや、はたして、口論の弱い俺が、納得のゆく結論まで持っていけるだろうか。
見たところあいつは頭がキレそうだし。
むしろ、逆に頭がキレるやつほど、話に乗ってくるだろうか。
いや、あいつがわざわざ来た意味を考えるんだ。
おそらくはリーダーの指示で来たやつのあとから、リーダーが来る。
つまりラフラさんとの対話は、リーダーの望んでいること。
ダメだな。
多少強引でも、ことを進めたいだろう。
うーん、望み薄。
とはいえ俺は、こちらからの敵意がないことを示す必要がある。
ラフラさんの手を握っている方とは逆の手を、ホールド・アップした。
俺は敵意がないですよ、ないですよ。
今はアナタに殴りかかるつもりなんて、これっぽっちもないですよ。
ナイフも持っていませんよ。
ピストルも持っていませんよ。
爆弾も持っていませんよ。
「まあまあ、ホールド・アップまでせずともよいのですよ?」
「ずいぶんと、優しいじゃないか。
数の有利と地の利の問題ってとこかな?」
「ええ、そのようなものです。」
ナメられている。
俺が理性を捨てていれば、脳内の血管からプチンと音がするようなセリフだ。
しかし、今の俺はこの上なく理性的。
IQ150のインテリジェンス=ベロキだ。
この程度のもので血管をピキらせてしまうような、そんなアホなことはしない。
俺は冷静に、相手を観察する余裕がある。
しかし、いかんな。
一般的な生活を送ってしまったことで、倫理観を気にせずに人を斬れなくなっている。
あの頃の俺なら、周りの目や印象など気にせずに、機械的にこの場にいる9人の喉を掻っ切っていたことだろう。
それができなくなっているのだ。
いいことなのか。
まあ、いいことか。
いいことだと思うようにしよう。
やつは黒人系だ。
すごく恵まれた体躯を持っている。
バスケットボール選手くらい身長が高いし、しかも胸板か厚くガタイもいい。
イイ感じの服装をキメて、ピストルでも腰に下げていれば、雰囲気はマフィアそのもの。
経験のない人からすれば、目の前に立たれただけで威圧感を感じてしまうことだろう。
大男。
そんな言葉が似合うこと、似合うこと。
こんな山に張り付いた街みたいなところにいることも含めて、まるでイエティだ。
生物学的に非常に有利な、力も体力もともに優れたその肉体。
軍人のコスプレのようなその服装と相まって、なかなか良い雰囲気が出ている。
あまり鍛えてはいないようだが。
その丁寧に見えるが高圧的な態度も、彼が怖がられている理由のひとつだろう。
あの仮面のメッキが剥がれるときが怖いが。
剥がさないのが一番だろう。
....................くそっ、俺には難しい。
「あの強そうな雰囲気のひと、知り合い?」
「リーダーよ。
あいつには喧嘩売っちゃダメ。
このへんで1番強いわ。」
「それってのはひょっとして、君よりも?」
「バカ言いなさい。
アタシの戦闘は、距離を取ることと、相手に気づかれていないことが前提なのよ?」
つまりは喧嘩の話をしているのだ。
ラフラさんの能力を聞いた限りでは、彼女に勝てるひとというのら、かなり限られてきそうなものだが。
ましてやルールなしの殺し合いなどすれば、俺は手も足も出なさそうだが。
言われてみれば、接近戦ならば話は別か。
彼女は特段、力が強いわけでも打たれ強い訳でもないし。
暗殺のときはそれこそ、相手に見つからないことが大前提だったから、感覚が狂っている。
ふつうは、喧嘩するものなのか。
チューニング、チューニング。
殴り合わなければそれでオーケー。
ラヴ・アンド・ピースをモットーにいこう。
「君がこの不良たちのリーダー?」
「ええ、まさしく。
リーダーということは間違いありません。
....................しかし。」
やつの目が細まる。
なんだ、その目は。
怖いし不気味だから、やめてほしいのだが。
「あなたは、私たちシャーク団のことをご存知なので?」
「知らないね。」
「しかし、あなたは不良だとおっしゃった。」
「彼女からから聞いたんだ。現地民なんだ。」
「それでは....................。」
ひと呼吸おいて、言い直した。
「なぜ、シャーク団のことをご存知ないのです?
不真面目な学生であることは否定しませんが、私たちの話をするとしたら、必ずセットになるはずだ。」
「あーー....................。」
風向きが変わったぞ。
よく考えてみれば、そうじゃないか。
やつらが不良であることを知っているなら、シャーク団の名前を知らないとおかしいはず。
ましてや、案内してくれているのはラフラさん、現地民。
ラフラさんの名前は出していないので、ラフラさんがラフラではないというテイは保てている。
しかし、現地民と言ったのは、どう考えてもマズかった....................。
俺はなぜ、その事に気が付かなかったのか。
くそっ、なんというバカ加減。
ならない事はすべきじゃない。
インテリジェンス=ベロキ、チンピラの首領相手になす術なく敗北である。
できる言い訳も、申し開きの余地もない。
あいつが強いというより、俺が弱いだけだ。
どうしよう。
「あー、えっとー、えへへ、その....................。」
半ばパニックである。
脳内でそこまで焦っているわけではないのに、明らかに次のことばが出てこない。
さっきまで正しいと信じて歩いていた地図が、急に黒塗りになってしまったのだ。
「エティ、まだわたしの用は終わっていないのだけど!」
「とはいえですね。
....................いえ、まあよいでしょう、続けなさい。」
女は1歩、出てきた。
お前はさっき、口論で俺に負けているだろう。
今さっきエティに対して文句のつけようのない敗北を喫した、俺にだ。
まったくしつこいぞ。
リーダーらしきひと....................というかリーダーであるエティが出てきたのに、まだしゃしゃり出てくるというのか。
負けず嫌いなのか、プライドが高いのか。
なぜそんなに俺に噛み付く必要がある。
なにかごちゃごちゃ話しているが。
あんまり頭にも入ってこないな。
ことばが耳に入って来るが、右から左にスーッと抜けていってしまう。
ギャーギャーわめいているのは聞こえてくるのだが。
「ん....................?」
そんな中で、視界の端で殺気が動いた。
ほんの少しだ。
ただの目では、気づくこともできないことくらいに。
しかし、呼魔《コマ》が使える俺の目はごまかせない。
俺は視線をそちらに向ける。
「ちょっとあなた、どこを見ているの?」
「ああ、そういうことか。」
姑息なヤツらめ。
ズル賢いことを否定するつもりはないけど。
実際にこういうことをやられる側に回ってみると、結構ムカつくものだな。
それに、やるならやり切れよ。
そんな中途半端なアイコンタクト同士で、中途半端なことをしようとしている。
あそこだ。
ペラルさんとアプルさんのいる近くの建物の屋根の上。
1人の男が、下を見下ろしている。
サバイバルナイフのようなものを手にして、今にも飛び降りようとしている。
アプルさんを捉えて人質にしようっていう算弾だろうか。
さっきあれほど崩《ホウ》で脅したというのに、懲りていないとは。
「はぁ。」
足で地面をとんとん叩いてみる。
うん、この硬さなら、全力で蹴っても足の骨をバキバキ折るようなことはなさそうだな。
逃げようとして全力で走ったときに、地面が硬すぎて、骨にヒビが入ってしまったことがある。
あのときみたいなことは、二度とごめんだ。
ここなら大丈夫だね。
俺は軽く、すっとしゃがむ。
手を出そうとしているのは向こうだ。
仕方ないだろう。
その辺の筋は通してくれよ、エティ。
「呼妖《コヨウ》。」
「え?今なんて言っ....................。」
俺は地面を蹴った。
どうだろう。
ひょっとしたら、消えたように見えたかもしれない。
そのくらい、全力で跳んだ。
俺は上から飛び降りて来ようと降りてくる相手の横まで、跳んだ。
空中で体を回転させれば、俺の靴が落ちてくる人間の腹あたりにぴとっと当たる。
そのまま発勁の要領で、相手を向こう側へ蹴り飛ばした。
「ぐべらっ!!!」
大きな風船が割られたみたいな破裂音が、あたりに響き渡る。
男は向こう側に、サッカーボールのように飛んでゆき、ゴロゴロと転がっていった。
その様だけを外野から眺めていれば、それはそれは滑稽に映ったことだろう。
エティの付近まで転がされたその男は、エティの足にコトンと当たって動きを止めた。
「はあ、まったく、バカなことを。」
下の方でを見ると、奇術師の格好をした女がピューピューと指笛を吹いている。
やかましいわ。
....................それよりも、ベロキあのバカみたいな服装は、なんとかならないものなのか。
「お見事です。」
「エティ、先に仕掛けて来たのは君たちだから、自業自得だよ。」
「ええ、心得ています。」
話の通じるやつとは話しやすいな。
そうだそうだ。
たとえ今の余波であいつの肋骨が折れていようと、ナイフを持って襲おうとしたのはあちらだ。
いやまあ、ボキボキとかいう痛ましい音が聞こえてきたから、ほぼ間違いなく、あいつの腹の骨は折れているが。
治癒くらいは自分でするんだな。
そしてお母さんに「ナイフを持って人質を取ろうとしたら、返り討ちにされてこうなった」と、正直にこう言うんだ。
これを機に反省したまえ。
「あ、あのエティ、わたしはべつに!」
「全く、あなたのせいで出直しですね。」
エティは回れ右をして、来た道を引き返してゆく。
それに追随して、隠れていたチンピラたちが続々と出てきて帰ってゆく。
総勢9人。
やはり、人数はあっている。
本当に、あの声はなんだったんだ....................?
それにしても、俺とエティは話の途中だが。
帰ってしまってよいのか。
「ラフラさん。
....................また今度、是非お話を。」
「....................結構よ。」
「連れませんね。
では、また今度。」
俺には見向きもなし、か。
これはあれだな。
だいたいの事情を察してきたぞ。
エティはあのまま、実力行使に出るつもりだったのだろう。
けど、俺が動いたことで、考えを変えた。
そして、俺がいないときにことを行おうとした。
....................シナリオは、こんな感じだろうか?
俺の予想や推測も多く含んでいるが。
「先に行こうか。」
「そうね。」
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「標的は、ふたりで宜しいのですね?」
「うん。
邪魔する子たちは、みんな殺して構わないから。」
「御意。」