鯣烏賊 / 第143話
断崖絶壁の層:シティバレー その6
「2階の一番端の部屋を使いな。
なに、ダブルベッドだから安心しな。
晩メシは何時にするかい?」
「どうします?ペラルさん。」
「19時くらいでいいんじゃないカナ?」
「あいよ、19時ね。
食堂の席は部屋番号と同じ立て札があるから、それを見て座りなよ。」
俺は部屋のキーを受け取り、受付のおばちゃんにお礼を言った。
電子タイプのカードキーだ。
ピッ、とかざせば、ロックされている鍵が開くやつ。
このタイプは確か、小型の自動ドアに対応しているやつだ。
ちなみに、スターダスト事務所は手動のドア(しかも、蝶番が錆びてる)である。
つまり我が職場は、テクノロジーの面でこの宿より劣っているのか。
それも、シティバレーという人の往来が少ない場所の宿に。
「そんなにまじまじと眺めて面白いもんかね?」
おばちゃんはたぶん、50歳くらいだ。
太った体型に紫色のアフロの髪型という、俺の後ろに立っている怪しい奇術師と張れるくらい、奇抜な格好をした人である。
いや、こっちの方がまだ常識的だ。
ペラルさんと比べたことを後悔した。
このおばちゃんはいい人だ。
なんとも言葉では言い表しにくいけど、「地元に住んでるいい人」っていうオーラが身体中に溢れている。
そんな人だ。
路上で挨拶したら、アメちゃんを投げてきそうな感じ。
俺とペラルさんをカップル扱いしてきたことだけは解せないが。
断じてそんな関係ではない。
親切丁寧にダブルベッドを用意してくれても、使用権利を争うためのデス・ジャンケンが始まるだけだ。
....................勘違いされても仕方ないのかな。
「それにしてもアンタら、変な格好だねぇ。
なんの仕事をしているんだい。」
俺を含めないで欲しいところだ。
マトモな格好だぞ?
戦闘のための服だけどさ。
普段着とまではいかないけど、これでも結構ラフなデザインのものを選んでくれたんだからねっ!
....................リンさんが。
「あー、彼女がマジシャンで、俺が付き添いです。」
「へー、マジシャンか!すごいな。
どうだい、あたしにもすこし見せてくれないか?」
これは高難易度ミッションだ。
あーいや、別に、本当にここでマジックをやる必要はないのだが。
でも、このおばちゃんが楽しみにしているのにないがしろにするのもなんだろう。
それに名前がマジックとは似ても似つかない「|呪い、殺す者《カフナカウラ》」でも、マジックくらいは出来るでしょう。
頼れるオネーサン、何とかしてくれ。
俺はペラルに目配せをした。
視界の向こうでは、グッドサインを親指で送ってくるペラルさん。
どうやらできるらしい。
ペラルさんは受付に置かれていたボールペンを、おばちゃんから3本受け取った。
プラスチック製の、何の変哲もない油性ボールペン。
俺がさっき、名前のサインを書くときに使ったものと同じだ。
それを、とても大袈裟な動作で上に投げた。
気取っているな。
本人が1番楽しんでいるじゃないか。
それぞれがバラバラに落ちてゆくように思えたボールペン。
しかし、それらに向けて、ペラルさんの指が3本向けられる。
ボールペンと同じ数だ。
今度はペラルさんから目配せが送られてきた。
だいたいの事情は把握した。
俺はペラルさんの手に触れる。
いや、厳密に言うとしたら、俺が触れたものは手ではない。
その手の指先から伸びようとしているネバネバした何か。
俺はそれを知っている。
タネをこれにするつもりなのだろう。
俺は、それに触れた。
「透《カメレオン》。」
「|めんどくせぇガム《スパイダーハウス》。」
ペラルさんの指から、粘着物の糸が伸びる。
それは的確に狙いをすまされて伸ばされてゆき、ボールペンに付着する。
それによって、カランと落ちる運命だったボールペンは、空中に留まった。
もちろんその粘着糸は、俺が透明にしているから、誰にも見られることはない。
かくして、空中に浮くボールペンが完成したわけだ。
「おおー、凄いねえ!
最近の若いコには驚かされてばっかりだわな。」
おばちゃんはそう言いながら、拍手をしてくれた。
ズルのようなタネと仕掛けしかないイカサママジックだが、楽しんでくれたらしい。
ペラルさんはというと、まるでコンサートの終わりに礼をする指揮者みたいな動作で、恭しく一礼していた。
やらせておこう。
おばちゃんは、カウンターの下あたりにあるらしい冷蔵庫を開ける。
ガチャッという静かな開閉音とともに、辺りにすこしだけ冷気が舞った。
ああ、涼しい。
「あんたたち、酒は呑めるかい?」
「いいえ、まだです。」
「そうかい、じゃあこいつだね。」
そしておばちゃんは、俺たちにコーラを2本、手渡してきた。
瓶のコーラだ。
今ドキ、珍しいな。
ペットボトルコーラか缶コーラしか飲んだことがないものだが。
「サービスさね。」
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「ペラルさん、年下にふかふかのベッドを譲ろうという気概はないのですか?」
「おーっほっほっほっ!
下々の者から負け犬の遠吠えが聞こえますわねえ〜〜!」
負けた。
まさか、この俺が負けるとは。
くそっ、イェーガー家のベッド争いに勝利したことで、俺は有頂天になってしまっていたというのか。
俺は、弱い....................!
真面目な話をすると、完全なる不意打ちだったのだ、
まさか、ジャンケンが始まる前に「わたし、グーを出そうと思ってるんだ」と言われるなんて、これっぽっちも思っていなかったんだ。
知らないパターンだ。
それを目の当たりにしたことで、俺の頭は大いに混乱した。
宣言通り、本当にグーを出すのだろうか。
はたまたあのように言っておきながら、パーに対して勝つことができるチョキを出すのだろうか。
それとも、なんの脈絡もなくパーを出してくるのだろうか。
こんな思考が、俺の脳内を支配した。
今このように俯瞰して考えてみると、結果的にはただのジャンケンとなんら変わらない。
だがしかし、混乱していた俺の思考は鈍り、フェイントの勝負をかけることができなかったのだ。
結果、フェイントなくチョキを出してしまった俺は、反射神経により出されたペラルさんのグーにあえなく敗北。
岩を切り裂くハサミなどこの世に存在しないらしい。
俺は床で寝る羽目になった。
腰痛確定コースだ。
絶対に殺す。
この悪女が、覚えていろ。
「今晩は背後に気をつけてくださいね。」
「キャー、ベロキクンコワーイ。」
はぁ、嫌だなあ。
床で寝るの。
まあ、これからのことを考えると、寝ないかもしれないけどさ。
むしろ、寝ない可能性の方が高そうなものだ。
それはそうと。
そうだ、これからの話だ。
「ペラルさん、どうなると思いますか?」
「うーん、正直、五分五分だと思うナ。」
あのあと。
俺たちはペースをかなり巻いて、第6階層まで移動した。
歩いた時間は、第3階層から第4階層へ行くための階段までの30分。
階段を10分。
第4階層から第6階層まで通じているエレベーターまで、1時間。
合計2時間に満たないくらいの時間だ。
とはいえ、アプルちゃんのことを一切考えていないペースで歩いていたので、途中でアプルちゃんだけがダウン。
ペラルさんが歩きながら、彼女をおんぶすることになった。
俺の方が力もスタミナも多いから、俺が運ぼうかと思った。
だからそう提案したのだが。
「女の子は女の子がおんぶするものだよ。」
というペラルさんの一言に一蹴された。
別に運ぶくらいなら問題ないと思うのだが。
そしてラフラさんとアプルちゃんは、6階層にあるそれなりに立派なホテルに消えて行った。
彼女らは、先に予約していたのだ。
ちなみに、立派というのは、すごく高そうなホテルというわけではない。
建物が立派なのだ。
まるでマンションのようで、規則的に部屋だけが配置されている....................いわゆる、ビジネスホテルのようなもの。
まさかシティバレーに、ビジネスホテルがあるとは思わなかった。
仕事でここに来るひとなんているのだろうか。
たしかに、こういうホテルのセキュリティは万全だ。
何かがあっても安全だろう。
....................今日のところだけは、例外と言えるかもしれないが。
ちなみに俺たちが泊まることになったのは、現地の人がやっている民宿だ。
部屋が空いていないかと転がり込んだ民宿に、ひと部屋の空きがあったのだ。
観光が喜ばれない地の民宿に駆け込むなんて、歓迎されないのではとビクビクしていたが、おばちゃんがいい人だった。
ペラルさんもナイスだ。
ラッキー!
それよりも気がかりなことは、あのチンピラたちのことだ。
第3階層からここに来るまでには、なにもしてこなかったけれど。
どこかのタイミングで実力行使に出てきそうな雰囲気があり、怖い。
この第6層はやつらのナワバリではないが、あのエティと言うやつは、一体何をするのか分からない部分が多い。
そう、エティだ。
シャーク団という不良の掃き溜めは、何をされたって、正直どうだってなるのだ。
あのエティという人間がただひとり、単体で厄介だ。
なにせ、(おそらくだが)特に伝達もせずに指示を出した現場に足を運ぶようなヤツである。
どんな突拍子もないことをしでかすか、わかったもんじゃない。
可能性は無限にあると言っていい。
あのまま追撃することもできたし、第6層で待ち構えることだってできた。
それらのことはしなかったようだが。
ひとまず、今夜を乗り越える必要がある。
どんな手を使われても対応しなければならない。
そのくらい、警戒すべきだと思う。
アフラさんと約束した以上、あの姉妹に傷をつけるわけにはいかない。
俺たちは動かなければならないのだ。
なんとかして。
「俺は来ると思っています。
....................というよりも、来る前提で動いているべきかと。」
「そうだね、わたしも同意見。」
しかし、ラフラさんは別れるときに、こちらには来なくてよいと言っていた、
それも、けっこう強めな口調と声色で。
だが、行くべきではないだろうか。
もしもエティが、さっきの倍くらいの人数を率いて向かってきたと仮定したら。
ふたりだけではどうにもならないだろう。
俺は今夜、エティたちがここに来ると睨んでいる。
エティは。
というよりも、やつらは、対話だの会話だの賢そうに言っていた。
目的は本当に、それだけだろうか。
ただの対話や会話を求めてくる相手に、ラフラさんがあそこまで怯えるものなのか?
と、俺はそう思うわけだ。
なぜ怯えるのだろう。
話してくれるだろうか?
....................話してくれないんだろうな。
トラウマとしてこびりついているからこそ、話してくれないのだろう。
アフラさんもラプルさんも、詳しく教えてはくれなかったから、よくわかないんだ。
なんかなぁ。
もう少し話してくれたり、頼ってくれたりもよかったと思うのだけど。
それよりも、ラフラさんがひとりになろうとしていることが問題だ。
ひょっとして彼女は、自分から敵地に突っ込みに行こうとしている....................?
俺たちを巻き込みたくない、というより、頼りたくないのか?
俺たちふたりの介入を、ありがた迷惑とも言っていたし。
しかしなぁ....................。
「ペラルさん、対人戦に自信はありますか?」
「う〜〜〜ん....................。」
そう聞くと、ペラルさんは虚空を睨む。
複雑そうな顔だ。
普段からこのくらい真面目な顔をしていればよいと思うのだけど。
「条件による、としか。」
「条件?」
「ある程度距離を保てて、この杖を確実に手に持って、それで空いている手で指を立てないといけないからサ。
それらの条件が揃ってる戦場なら、だいたいなんでもできる自信がある。
単純な殴り合いなら、ベロキくんの方が何倍もやれると思うよ。」
「そうですか。」
まあ、そんなものか。
本業は怪獣討伐だもんな。
対人戦もイケる討伐者のほうが、よっぽど少ないだろう。
あれだけ頼りになるディラン君でも、ヒトガタとの戦闘ではやや遅れをとっていたのを覚えている。
同じ戦闘でも、ベクトルの違う戦闘、ということだろう。
まあ、どちらにしろ、向こうに行かなければならないという結論に変わりはない。
ラフラさんひとりでどうにかなるヴィジョンが、これっぽっちも見えないからだ。
最低限、なにかしらの援護をする必要がありそうだ。
しかし、彼女の部屋のインターフォンを押して「泊まりに来たよー、何かあったら助けるよー」と言っても、追い出されてしまいそうだ。
頼ってほしいものだが、彼女はそれを求めていない。
むしろ拒絶している。
正面から顔を見せるのはマズイ。
ヤツらはきっとやって来る。
俺はそう思っている。
今の機会を逃したら、ラフラさんが次にシティバレーを訪れるのがいつかなんてわからないだろうから。
そんなバカな真似を、あのエティがするとは思えない。
いや、なにも、喧嘩が起こるとは限らない。
俺たちが介入するのは、彼女らの身に危険が迫ったそのときだけでいいのではないか?
ラフラさんが抵抗せずに連れていかれることを選択したら、ホテル内での戦闘は起こりえない、とおもう。
たぶん。
よし、決まりだ。
傍観しよう。
戦闘は避けたい。
ヘタレだのなんでも言ってくれて構わない。
俺は思ったよりもヘタレだった。
なにかが起きない限りは。
「ペラルさん。
今日の夕飯は、ナシですね。」
「そうだネ。
行こっか。」
俺たちは受付のおばちゃんに、夕飯をキャンセルする旨の報告をして、民宿を出た。
向かう先は、ラフラさんたちの泊まるホテルである。