鯣烏賊 / 第138話

断崖絶壁の層:シティバレー その1

「短い間でしたが、お世話になりました。」 「お世話になりました。」 その日の夕食の席で、俺たちはサンライズバレーに戻ることを報告した。 俺たちのやるべきことは、昨日で終わってしまったんだ。 結果として目ぼしいものは何も見つからなかったけれど、そういうこともある。 俺たちは、何も見つからなかったという結果を持って帰るしかないのだ。 いくら長期間の滞在を見越したものであるとはいえ、ここに何週間も居座ってしまうのは良くないだろう。 ブルーさんは俺たちのやることに理解を持ってくれるひとだけど、だからと言って何をしてもいいわけではない。 つらつらと語っているが、つまり、"やることが終わったから帰る!"ということだ。 それに、俺たちはバットレックス討伐の手助けをしたとはいえ、イェーガー家の皆さんに1ドルもお金を支払っていない。 そんな状態だというのに、朝ごはんと夕ご飯をご馳走になり、電気に水、ましてやお風呂まで自由に使わせてもらっているのだ。 彼らの善意を受け取っているとはいえ、これではまるで穀潰しみたいではないか。 こちらも段々と、善意を受け取ることに対して、申し訳なくなってくるものである。 だから俺たちは、そう何週間も長い間、ここにダラダラと居座り続ける訳にはいかないのだ。 「本当に、帰っちゃうの?」 「ええ。明日、ここを発とうかと。」 「でも、もう少しくらいはいらっしゃってもいいのよ? アプルもあなたに懐いているし、ラフラにまさかお友達ができるとも思わなかったし。」 「あー、でも、戻らないといけないので。 それに、そう何週間もお世話になるわけには。」 しかし、引き止めてくる。 この流れは前にも、同じようなものを見たような気がする。 あのときはたしか、滞在における家賃を払うか否かの話をしていたんだったな。 それで、俺がラフラさんの仕事について行くので手を打つことになったんだった。 だが今回くらいは、強引に行かせてもらおう。 仕事だから戻らないと言えば、強くは引き止められないだろうし、彼らは食費と光熱費がふたりふん、浮くことになる。 結果的に俺たちが出ていくことで、得をするのは確実にあちらなのだ。 ....................まあ、俺としては、わだかまりなく気持ちのよい別れを迎えたいところだが。 「ペラルおねえちゃん、どこかに行っちゃうの?」 「そうだよ。お姉ちゃんはね、大事なお仕事に行かなくちゃいけないんだ。」 ペラルさんとアプルちゃんは、俺が外から見た感じだと、かなり仲が良さそうだ。 やっぱり話す相手が子供であるとなると、成人を相手取るのとはまた違うのだろうか。 ブルーさんを相手にして雰囲気に気圧されて、それで無様に不機嫌な顔を晒していた彼女が嘘のように思えてくる。 しかし、やはりというか。 アプルちゃんは、ペラルさんとのお別れがつらいらしい。 目の中には、やや涙をうかべているようにも見える。 "少女よ、目の前の女と関わってもロクなことになんてならないぞ"と教えてやりたいところだ。 まあいくら彼女でも、まだ幼い女の子に悪戯をすることはないだろう。 ....................そういえば、俺の腹を抉ることを独断で実行したのは彼女だったな。 この最近の出来事でいちばん怖かったぞ。 アレは絶対に、悪戯の範疇におさまるものでないでしょ。 こんなことをするようなやつと遊んでいて、教育に悪いことを吹き込まれていたりしないだろうか。 不安だ。 「おしごと?じゃあ、あたしと一緒だね!」 「うんうんそうだね? ....................えっと、どういうこと?」 「あたしね、上のびょういんにいるおねえちゃんに会いにいくの!」 ペラルさんは、"はて、意味がわからんぞ。どういうことだろうか?"とでも言いたげな顔をして、俺に振り返ってきた。 びょういんに行くということは、お見舞いに行くということだろうか。 お見舞いに行くことを仕事であと主張しているのは可愛く見えるか、肝心の内容がよく分からない。 途中までは俺もよく分からなかったが、唐突なことに、ラフラさんの言っていたとある言葉を思い出した。 そして、ああ、あのことかと思った。 全てが繋がった気がした。 "あと1週間でアプルの通ってる学校が長期休みなんだけど。 そのときにアプルが、サンライズバレーに行きたいんだって。" "アプルも今年で12歳。 頑張ってシティバレーを経由させて、自分でサンライズバレーに行ってもらおうと思って。" あのときは理由の話とかを詳しくはしてくれなかったけど、アプルちゃんが言っていた「上のびょういんにいるおねえちゃん」とは、一体誰なんだろうか。 「ああ、あの話か....................。」 「あらベロキくん、アプルの一人旅のこと、知っているの?」 「はい。 この間、ラフラさんから聞いて。 でも、上までわざわざ旅する理由とか、ラフラさんが同行しない理由とかは教えてもらっていません。」 「そう..........。 まったく、わたしとしては、ラフラにも言って欲しいのだけど....................。」 アフラさんはそう言って、後ろの椅子に腰掛けているラフラさんにチラッと振り返った。 視線を向けられたラフラさんは、なにかを言いにくそうに俯き、そのまま体を向こう側へ向けてしまった。 まるで、そっぽを向くという表現のお手本のようだ。 "話しかけてくれるな" そんなオーラが滲み出ているように思えた。 一体、なにをそこまで拒絶しているというのか。 こんなに会話を拒絶されてしまっては、どうやって話しかけてよいかわからないではないか。 この沈黙を破ったのは、意外な人物だった。 「ラフラおねえちゃん、あたし、ラフラおねえちゃんといきたい!」 幼さというものは、ときに恐ろしいほどの行動力をもたらす。 まだ人の裏の心情を読めないアプルちゃんは、そんな雰囲気などものともせず、ラフラさんの所へ突撃した。 妹にそう言われたラフラさんは、やや柔らかな表情で向き直る。 そしてアプルちゃんの頭を撫でながら、複雑な表情を見せた。 「アタシにも仕事があるのよ。」 「でも、あたし、ラフラおねえちゃんといきたい!」 ラフラさんはそれ以上、何も言わなかった。 グッと黙り込んで、俺たちの方を....................とくに、アフラとラプラさんから目をそらすように俯いていた。 やはりなにか、どうしても言及したくないことがあるらしい。 どうしようか。 俺は彼女に、どのようにして声をかけたらよいかがわからなかった。 彼女との付き合いは浅い。 好きな食べものや嫌いな食べものすらわからない程度の、浅い仲。 そんな関係のなかで、一体何をどう聞けば良いのだろうか。 そもそも、俺はどうするべきなのだろうか。 円満にここを去ることが出来ればそれで満足なのだが....................。 「嘘をおっしゃい、ラフラ。 まだそんなにくだらない理由で渋っていると言うの? お仕事を1ヶ月ほど休むくらいなら、大丈夫でしょう? まだ幼いアプルに一人旅は危険よ?」 「12歳なら、大丈夫。 たしかに仕事は問題ないわよ。 けど、そんなに行きたいんなら、お母さんが行けばいいじゃない。」 「わたしがあの街のチンピラから、ラフラを守れると思っているの? あなたならできるでしょう。」 「できない。 アタシは自分以外を守れるほど強くない。 それに、アイツに絶対会いたくないって何度言ったらわかるの?!」 ラフラさんは、俺にはわからないなにかの理由から、上に登ることを嫌がっているのだ。 しかし、ふたりの話を聞いている限りでは、シティバレーの治安って、そんなに良くはないんじゃないかな。 そこを幼い女の子ひとりで歩かせるなんてのは、どうなんだろう。 あまり良くないことなんじゃないだろうか。 いろいろ考えていると、頭の中が整理されてくる。 そのときに、ふと思い出した。 ラフラさんにあのことを話されたときに、"ラフラさんを連れて行ってでも同行させなければ"と思ったことを。 なぜこんなことを思ったのかも、なぜ今このことを思い出したのかもわからない。 けれど、これはどうしても遂行すべきことである気がした。 俺はペラルさんに目配せした。 そのことに気づいたペラルさんに、唇の動きで言いたいことを伝える。 彼女は一言、『いいんじゃない?』と返してくれた。 ペラルさんはなぜか読唇術がうまく使えるので、こういうときに便利だ。 こういう俺みたいな特技、結構持ってるよな、ペラルさんって。 さて。 ここからは俺の番だ。 部外者なりの援護射撃をはじめようじゃないか。 「ラフラさんも、行った方がいいんじゃないかな? って、俺は思うけど。」 「アンタになにがわかるのよ。」 「さっきからなんだかんだ言ってるけど、ラフラさんだって本当は、ふたりで行きたいんじゃなくて?」 「....................うるさいわね。」 お、適当に投げた撒き餌に食いついてくれた。 初回からこの食い付きとは、幸先の良い。 いける。 なぜだか分からないが、彼女はやはり行きたいはずなのだ。 しかし、なにかの理由から渋っている。 その理由さえ取り覗ければ良いのだ。 この方向で進めよう。 「そんなに不安なら、俺たちふたりがついて行けばいいじゃないか。 少なくとも、役不足ではないでしょ?」 「過剰戦力なくらいだけど、やっぱりそれは申し訳ないわ。」 「別に俺たちはいいさ、2日か3日、ズレるだけだろ? ですよね、ペラルさん?」 ペラルさんは大きく頷いた。 ナイス援護。 さすが、自称"空気の読めるミステリアスでオトナなおねーさん"だ。 やるべきことをわかっている。 「..............................。」 結構、迷っている。 こんなこと言ってはいけないけれど、コイツはチョロそうだ。 きっと、説得は上手くいくだろう。 あとはアフラさんからの援護射撃が続けば安心だ。 「本当にいいの?ベロキくん。」 「構いませんよ。上司は許してくれるので....................たぶん。」 「あら、そうなのね。 ラフラ、ふたりにもついて行ってもらいなさい。」 アフラさんの了承も得たことで、俺は強力な援護射撃ユニットを獲得した。 俺が主砲で、アフラさんが副砲。 気分はロボットアニメだ。 そしてそこに、爆薬を持ったアプルちゃんが突撃した。 「ペラルおねえちゃんもいくなら!みんなでいきたい!」 俺と、お母さんであるアフラさん、そして妹のアプルちゃんという3方向から魅力的な提案をされているラフラさんは、かなり迷っているようだった。 それもおそらく、こちら側に傾いているだろう。 「うぅーーー」と、頭を抑え、唸り声をあげていた。 そんなとき、沈黙を貫いていたひとが口を開いた。 今までは俺たちの話に相槌を打ちながら聞いているだけだった、ラプルさんである。 彼はたった一度だけ、ラフラさんを諭すように言った。 「ついて行ってもらえばいいじゃないか。 お前のトラウマというやつも、解決してくれるかもしれないぞ。 もちろんオレだって、彼女らのことを全て水に流すつもりはない。 しかし、話し合うことも大事じゃないのか?」 ゆっくりとした、落ち着いた口調だった。 俺に、彼の言葉の重みは分からない。 きっと、ペラルさんもそうだろう。 部外者だからね。 しかし、この家族のなかでは通じる何かがあったのだろう。 ラフラさんはその言葉に頷き、ゆっくりと椅子から立ち上がった。 そして、俺の前に立ち、頭を下げてきた。 「また、頼ることになると思う。 迷惑をかけるわ。」 「気にしないで。」 アプルちゃんの出発は明後日だ。 俺たちは1日だけ滞在を延長し、アプルちゃんの断崖絶壁の旅のお供をすることになった。 断崖絶壁をアプルちゃんの足に合わせて歩いて登れば、2日はかかるだろう。 シティバレーの中間部で一泊する予定もある。 ブルーさんには許可をとった。 期間までに日が空いてしまうけど、気持ちよく別れることができるなら、それでよいだろう。 彼女が何に悩んでいるのかは知らない。 それを解決してやろうじゃないか。
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