鯣烏賊 / 第137話
聖なる層:カタコンベ その3
ウッドバレーのカタコンベに、手がかりなんてものは何ひとつなかった。
まあ、このくらいはしょうがないだろう。
ブルーさんだって、ここが本命だと思っていたのなら、彼女が自分で来るはずだ。
実際、報告をしたときも、『やっぱりね。』程度の反応しか帰ってこなかった。
半ば予想していたんだろうな。
これで、俺たちがウッドバレーですべきことはなくなった。
あの後はなんやかんやあって、教会から帰ってときには、もうすでに空の陽は落ちていた。
イェーガー家の4人も、ご飯をとっくに食べ終わっているみたいだった。
まあ、しばらく俺たちの夕飯はいらないと通達しているから、いいのだ。
アフラさんは今からでも何か食べたらどうかと気を使ってくれたが、あまりに申し訳ないので断った。
それに、夕飯は済ませてきた。
出発はほんの数日後になるだろう。
いつでもここを出る準備をしておかなければならない。
自分の荷物は大して持っていない。
持ってきたカバンに「おりゃっ!」と突っ込んで終わりだ。
どちらかと言うと、大事にしたいのはこちらだ。
バットレックスの頭部から出てきた、水晶サイズの「|黒い琥珀《ブラックジェム》」。
アロくんに送るのはもちろん、ブルーさんも見たいと言っていたから、傷つけてはならない。
封筒に入れているけど、ここから更に「プチプチクッション」で包み込む。
よし、「|黒い琥珀《ブラックジェム》」の強度は知らないが、これでパリンと割れてしまうようなことはないだろう。
俺は安心して眠りについた。
翌日の俺の朝は遅かった。
ハンターの仕事を手伝う必要もなく、やるべき任務もない。
1週間ぶりくらいに、ぐっすり眠ることができたのだ。
寝ぼけていたので思い出せないが、朝食は食べているらしい。
つまり、起床して食事をとってなお、再度布団へ潜り込むという選択肢を選んでしまったということだ。
どれだけ眠かったんだ、俺は。
と思ったが、俺は昨日、失血で気を失ってしまうほどの大量出血をしているのだ。
体から魂が抜けてしまったようなこの虚ろな感覚の正体は、きっとこれに違いない。
おのれペラルめ。
許せん。
だが今は、この爽やかな目覚めに感謝しよう。
グッと背筋を伸ばす。
血行が良いぞ。
心身ともに健康である。
そうやって両腕を上に向けて伸ばすと、天井までの距離がやたらと遠くなっていることに気がついた。
俺はベッドで寝ていたから、手をグッと上に伸ばしたときに、天井までの距離が近かったら覚えがあるのだが。
そう思うと、次はお尻のあたりに違和感を感じた。
不思議に思って下のほうを見てみると、異変が起こっていた。
俺は、床に敷かれた寝ぶくろで寝ていたのだ。
そして横にあるベッドに腰かけてスマホをいじっているのは。
「おはよう、ベロキくん。
....................そんなにジトっとした目で睨んでくる必要はないんじゃないカナ?」
俺は右拳を全力で握る。
こやつめ。
自分で俺の腹を傷つけておいて、傷の具合の心配もなしか。
....................いや、それは、俺があの不思議な治癒能力の話をしたからだ。
しかし寝ぼけている俺を、意識朦朧であることを良いことに床に捨ておくなど言語道断である。
おかげでちょっぴり腰が痛い。
「サテサテ〜、そんなベロキくんにお土産があります!」
「神経毒が塗ってあるタイプのナイフを所望します。」
「それは何に使うのさ....................。
というわけで、お土産はこれです!パンパカパーン!」
そう言って彼女は、カバンの中から1冊の本を取り出した。
文庫本を3冊重ねて持っているように見えるくらい、分厚い1冊だ。
外部には特になんの文字も書いていなくて、黒染めされた合皮製のブックカバーが目につく。
ああ、でもこんなやつは見覚えがあるぞ。
書店に書店に行ったことのない俺でも、こういうやつを見たことがある。
そう、あれは確か、世界でいちばん売れた本。
資本論よりも売れている、あの本に似ているのだ。
「聖典を読みましょう!」
それは、メシア教の....................。
「白い光」の、聖典だった。
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さて。
窓の外から、橙色の光が差し込んでくる。
そこには、すごく中途半端にページの捲られた1冊の本。
床に無造作に置かれていて、ついさっきまで読まれていたであろうことがわかる。
その周りにはお菓子と飲み物、そして固有名詞だらけのメモ帳が散らかっている。
そのとなりに、2人の男女が横になっていた。
俺とペラルさんである。
だいたい6時間くらい、俺たちは例の聖典とやらを読んでいた。
せめて半分くらいは読み終わるかな?とか、甘いことを思っていた。
半分読んだら、続きはちまちま読んでいこうと。
しかし、そんなに読み終わるはずがなかった。
だいたい6分の1を流し読みしたくらいなのに、日が暮れてきてしまったのだ。
当然と言えば当然かもしれない。
あまり詳しくない言語の辞書を、最初から最後まで読もうとしているに等しい作業だ。
紙は一般的な小説に使われているものより遥かに薄っぺらいし、書かれている字も細かい。
使われていることばの内容も難しいので、都度都度検索を挟む必要すらある。
そして、この聖典内でしか見た事のない固有名詞もこれでもかと言うくらいに使われていた。
この本を平たく紹介するとすれば、"神話が書かれているもの"になるだろう。
聖書やギリシャ神話などの、俺も知っているようは神話とは似て非なる、「白い光」独自の世界観の神話であるといえる。
ちなみにこの神話、ひとつの物語として評価すると、これがなかなかにおもしろい。
リンさんは絶対に好きだろう。
様々な要素が複雑に絡み合い、それが伏線として機能している。
おかげで、細かなメモを取りながら読む羽目になってしまうくらいだった。
登場人物も、30人を超えている。
主要人物以外も含めたら、100人を越すだろう。
まあ、実話がここまでの整合性を持って、壮大な物語を成せるわけがない。
きっと、創作だろう。
何から話そう。
膨大すぎて、俺自身も内容を整理しきれていないところがある。
題名は、「背反世界の物語」。
世界観は、剣と魔法の異世界ファンタジーと言ったところだろうか。
明確に主人公と言える存在がいたり、だれでもわかりやすいストーリーが存在したりと、かなり創作された雰囲気をもつ内容だ。
しかし、一貫して「歴史を記している」という姿勢が維持されながら、物語が進む。
英雄譚を記した叙事詩のようにも見えるけど、厳密には違うだろう。
目次を見る限り、これは全6章の物語らしい。
しかしその6章の中でも、さらに細かく章が分けられている。
全部で30篇くらいに分けられている。
その壮大な物語は、「クリティヤカー」という魔術師のドラマティックな生涯を追体験するようなものだ。
このクリティヤカー、通称「クリティ」が、この物語の主人公だ。
人間と魔族や、エルフ、ドワーフ、バードマンなど、ファンタジーにありがちな種族はほとんど出てきている。
もちろん、神様も出てきた。
しかし、それらの種属たちがいがみ合って戦争している訳ではなく、案外にも共存しているようだった。
かなり平和な世界観と言えるだろう。
背反世界。
「生きるものの世界」と「死したものの世界」のふたつの世界が存在し、互いに干渉できないまま、均衡をとっている。
物語の舞台は、生きるものの世界だ。
生きるものの世界には5つの大陸がある、
ヒューマンやエルフ、ドワーフなどの人族が住む、豊かな「人間大陸」。
五大陸の中で最も自然に乏しく、一面の砂漠と魔樹林を魔族が治める「魔大陸」。
棘のように険しい山脈を持ち、竜族という不思議な種族がいる「竜大陸」。
他の地域とは比べ物にならないほど寒く、ほとんど誰も住んでいない「北方大陸」。
複数の島が海面に出ているだけであるが、海底に最大規模の面積を持つ「地底大陸」。
互いの種族は長同士で協定を結び、無益な争いが他種族の間で起こらないようにしている。
とくに人族と魔族という二大巨頭的存在は、必ず争わないようにしている。
そして互いに特産品などの、互いが持ちえないものを捧げ合い、バランスを保っているのだ。
この物語は、とある少女が目を覚ますところからはじまる。
砂漠とサバンナの混じったような、だだっ広い平原に、ただひとり。
その少女は、自分が「青髪族」と呼ばれている魔族の一族の血統であること以外、何も思い出せない。
言語や基礎的な知識は知っていたが、自分に関することのことだけが、すっぽりと抜け落ちている。
つまり、記憶喪失なのだ。
青髪族は、長命で不老の種族。
生命力も高いため、数日間水を飲まなくても死ぬことはない。
しかし、自分の年齢すら、彼女はわからなかった。
行き場のないその少女は、ひたすらと歩き続ける。
彼女は放り出されたその草原を孤独に歩き、とある施設へたどり着く。
まるでお城のような、荘厳な雰囲気をまとう大きな建物。
魔大陸にあるとは思えないほどに、豊かで色鮮やかな外見のものである。
彼女は藁にもすがる思いで、門前に立ち塞がっている近衛兵に助けを求めた。
そこは魔術を教えるための学校だった。
学校は、身寄りのない彼女を保護。
魔法学校は、彼らの信仰する宗教の教義に従って、彼女の衣・食・住を世話することになる。
名言はされていないがおそらく、この宗教こそがメシア教だろう。
まさか、神話内に直接登場させるとは思わなくて、結構驚いた。
名前を思い出せなかった彼女は、大学からクリティヤカーと名付けられた。
彼女は家として下宿を人部屋与えられ、特別待遇の生徒として、魔術の授業を受けることになった。
クリティは一切のお金を持っていなかったが、すぐに学費以上のものを学校へともたらした。
彼女には、魔術の才能があったのだ。
そもそもクリティの属す青髪族というのは、遺伝的に膨大な保有魔力を持ち、神から魔力制御に関する天賦の才を与えられた種族なのだ。
そんな彼女が魔術師として優秀になるのは、半ば必然のことだった。
その才能にあぐらをかかずにたゆまぬ努力を重ねた彼女は、たった10年で極めて優秀な魔術師に成長した。
機動力の低い職でありながら、単身で大型のドラゴンを相手どれるほどになったのだ。
その名前は魔大陸から世界中に轟き、得意とする魔術の種類から「宝石のクリティヤカー」と呼ばれるまでになった。
彼女の扱う高度な光魔法と氷魔法が、まるで美麗な宝石のように映ったことからつけられた2つ名だ。
長命な種族であることも、彼女の成長の手助けをしたといえる。
短い寿命で達する限界を目指すため、短命種は焦って修行をする。
しかし、なにも起こらなければ1000年ほどの時を生きる青髪族である彼女は、ゆっくりと着実に修行を重ねることができたのだ。
すでにその魔法学校の教師になっていた彼女だが、じきにさらに高い立場にならないかと打診される。
しかし、彼女はそれを断った。
彼女はたしかに魔術をある種「極めて」いたが、それと同時に魔術の世界が嫌いであった。
権力と欲望の手垢にまみれた、汚い世界。
少し名をあげればもてはやされるが、それは魔術の尊さなどなにも考えられていない。
彼女は異名を嫌っていた。
かくして「宝石のクリティヤカー」は、華やかな表舞台から姿を消した。
魔大陸を越え、人間大陸や竜大陸にも名が広まっていた彼女の引退は、世界に衝撃を走らせた。
誰もがフリーとなった彼女を雇おうと捜索をはじめたが、彼女はついに見つかることはなかった。
クリティは旅に出て、剣士や盗賊を仲間に引き入れ、冒険者家業をはじめる。
魔大陸を離れ、人間大陸の辺境の地の、小さなギルドだ。
その村では弟子もできて、彼女は教師ではなく師匠になった。
その弟子は短命族の人間であったが、彼女の指導のもと、すぐに有能な魔術師となった。
クリティは弟子を含めたパーティを引き連れ、各地で様々な活動を行った。
多種多様な戦果を挙げ、彼女のパーティは、世界的に有名なパーティとなる。
いつしかあのパーティの魔術師は、かの有名な「宝石」ではないかと言われるほどに。
しかしクリティヤカーは、長い年月をかけて冒険者として活動し、トラウマを克服していた。
ここに、優秀な魔術師ではなく、優秀な冒険者である「宝石のクリティヤカー」が誕生した。
そんなクリティ一行のもとに、とある人物から手紙が送られてくる。
それは、魔大陸の中で最も巨大な魔神国を治める王である「マーラ」からのものだった....................。
第1章が、ここまでだ。
俺たちは第1章の終わりまで一気読みしたところで、大いに疲れてしまった。
このような難しい文章に慣れない俺たちにとっては、内容が、あまりに濃すぎた。
時間だけの話をすれば、夕食後に第2章を読むことができるかもしれない。
けど、そんな気力はどこにも残っていない。
この物語は、神が全く出てこない。
登場しないし、介入してくることもない。
むしろ、この神話の中でもさらに尊い存在として、「会えないもの」として扱われているのだ。
それも「創造と生命をもたらす存在」としての神と、「死と破壊をもたらす存在」としての神が、2種類存在している。
そして、破壊神の力の方が強いらしい。
....................神を敬う気が感じられないなんて、珍しい聖典だ。
救世主《メシア》も、もちろん登場する。
しかし作中には、"今はまだ姿を表していない"や、"だれも御姿を目にしたことがない"などの記述が多く、本格的な登場はまだ先になりそうだ。
しかし作中の様子から、存在だけはしているそうなのだ。
まあ、まだ序章しか読んでいないから、何も分からない。
そしてこの物語からは、メシア教の信念も見えてくるところがある。
これだけ自由で、読んでも読まなくても良いような聖典だけが詳細を語っているようなこの宗教。
たったこれだけのもので、どうやって信者が増えるのだろうと思った。
これではただの、適当なお祈りをするだせの集団ではないか。
しかし、ただひとつの信念のようなもの、は見えてくるものがある。
それはおそらく、自分に嘘をつかないことだ。
この神話に登場する人物はみな、正直に行動している。
善人でも悪人でも、とにかく、自分のやりたいことに正直なんだ。
推察するにメシア教の本質的な教えというのは「いい人でも悪い人でも、自分にだけは嘘をついてはいけません」みたいなものだろう。
結構、いいこと言っていると思う。
俺にとっては、かなり好みの意見だ。
そんなふうに、ペラルさんと感想戦を繰り広げていた。
そういえば、こんな聖典を読む必要なんてないんだよなと思いつつ。