鯣烏賊 / 第144話
断崖絶壁の層:シティバレー その7
深夜10時。
人工的な光だけが単純に辺りを照らす。
決して途切れることなく単調にあたりを塗りつぶす光は、まるで永久的に続くのではないかと錯覚できてしまう。
おそらく、あと1時間か2時間もすれば、時間で区切られて消灯されてしまうのだが。
そういえば、俺たちの泊まる民宿に、こんな電灯はなかったな。
手動のものばかりが目についていた。
ひょっとして、照明の類は、すべて手動だったりするんだろうか。
いや、いいや。
夜のうちにあそこへ帰るのかも怪しいんだから。
「来てる、来てるヨ。
ベロキくん、どーする?」
「ここで待ちます。
手は出さないようにお願いします。」
「りょーかい。」
10階建てのビジネスホテルの5階。
その一室の付近に、俺たちふたりは待機していた。
ここは、いかにもホテルって感じだ。
様相から内装までがすべてそれらしい。
とくに、ホテルというこの環境におあつらえ向きな、よく言えば質素、悪く言えば特徴のない伝統やカーペットが、独特の雰囲気を作り出す。
そこにあったのは大きな鉢植えがふたつ。
通路を挟むようにして置かれているのだ。
体をすっぽり隠すことができるような、とても大きな鉢植え。
鉢植えの中には、当然のように観葉植物が植えられているのが見える。
観葉植物を見ると、咄嗟に倒してしまいたくなるのは、シロのせいだろう。
俺たちは隠れている。
ペラルさんの「|都合のいい夢《ファンタジック》」を使って、ここにいることや、姿かたちが発覚しないように気を配って。
それでもやや不安が残るけど、体を隠すほどのこの植木鉢に身を隠せば、きっと大丈夫。
たとえエレベーターから誰が来たとしても、この裏があそこから見えるはずがない。
ペラルさんは来ていると言っているが、俺はそれを確かめるすべを持たない。
だから、エレベーターが下に降りてゆくまで、その存在を感知できなかった。
そう、この5階へ通じるエレベーターが、下に降ろされていったのだ。
こんな深夜帯に。
通行人数は低い。
ペラルさんの索敵結果から見て、やつらがやって来たことは確実だろう。
エレベーターがずんずん上がってくる。
回数表示のランプが、1階から5階へ向けて移動してくる。
チーン、というおなじみのサウンドエフェクトとともに、エレベーターの扉が開かれた。
顔を覗かせたのは、軍人とマフィアを足して2で割ったような容貌をした黒人。
彼を中心として、エレベーターのなかにまだ数人。
あのダサい名前だけが脳内にこびりついてくる、チンピラの集団。
「来た。」
俺は思わず声を出してしまった。
すると、すぐ隣の鉢植えの裏隠れているペラルさんからものすごく怖い目で見られてしまった。
「|都合のいい夢《ファンタジック》」は、耳には作用しない。
対象は視界のみ。
耳に入り込む音は、幻覚の対象外なのだ。
あぶないあぶない、バレるところだった。
少しでもやつらの意識がこちらに向いてしまったら、幻覚が晴れてしまう可能性がある。
それでは全てがパァだ、ジ・エンド。
姿を見られてしまえば、やつらとの戦闘は避けられそうにないし、ラフラさんにも見つかってしまう。
「奥から4番目の部屋、でしたね。」
「ああ、そうだ。
....................ヤツらはいないようだな。」
「そのようですね、てっきり待ち構えているものかと思っていましたが。」
いるんだよ。
おまえらの目的地のすぐ側にな。
君たちに気配を探る技術がなければ、見つけることができない隠れ方でね。
....................え、できないよね?
頼むよ?
まあ、仮に見つけられたら、そこで詰みだ。
わざわざ詰みののタイミングなんて考えない方がいいだろう。
詰んだら、そのときはそのときだ。
なんとかしよう。
エレベーターからぞろぞろと人が出てくる。
エティを先頭として、20人弱。
さっきの女もいる。
かなりの大所帯じゃないか。
昼に会ったときの、だいたい倍の人数だ。
やはり、来たか。
来るとは踏んでいたのだが。
それにしても、ずいぶんと仰々しくやって来るじゃないか。
俺とペラルさんがが君たち邪魔をすると思っているのだろうか。
ああ、するよ。
条件次第では、大いにするつもりさ。
君たちがラフラさんたちへ手を出そうとした素振りを見せれば、その瞬間に手頃なやつを初めに首へ一撃、手刀だ。
ペラルさんも、ぐちゃぐちゃな拘束攻撃で君たちを動けなくすることだろう。
行動には慎みたまえ、シャーク団よ。
やつらは、我が物顔で俺たちのいる方向へと歩いてくる。
そして、鉢植えの手前にある扉の前で立ち止まり、横を向いた。
そこには「504」という表札のかけられた、厳重なセキュリティロックのかけられたドアが。
「504、間違いありませんね。」
ラフラさんたちの泊まる部屋だ。
俺たちには、万が一のときのために共有されていたものだ。
だから俺たちは、ここに来ることができたわけだが。
なぜやつらは部屋の場所を知っているのか。
と、思ったが、フロントの人を脅せばそれで済むことか。
そんなことをすれば、侵入者用のセキュリティが彼ら彼女らを襲うことになりそうだが。
これだけの人数がいれば、自動対処のセキュリティ程度、なんなく突破できるんだろう。
そのくらいの可能性は、想定していないわけもなかろう。
俺はペラルさんに目配せする。
彼女の準備はできているようだ。
杖を手に持って、親指を立てて....................つまり、親指に対応した「|お前を縛る糸《バインド》」を、いつでも好きなタイミングで使えるようにしている。
俺の方も万事オーケーだ。
特になにも持っていないけれど、やつらの行動如何によっては、すぐにでもここを飛び出せる準備がある。
エティが、部屋のインターフォンを押した。
無音だが、おそらく室内では、"キンコーン"という音が響いたことだろう。
中からドタドタ足音がする。
俺の聴力なら、壁に耳を張り付けることで、室内の会話を聞くことができた。
断じて、ストーカーに使うつもりはない。
「おねえちゃん、だれ....................?」
「いい、アタシが出るわ。
アプルは寝てなさい。」
「はーい。」
中からは、眠そうなふたりの声。
イェーガー家のみんなの就寝がとても早いことを思い出した。
そうだよな、ラフラさんはともかく、アプルちゃんは完全に寝ていたんだろうな。
睡眠を妨害されるということに妙な親近感を覚えた俺は、インターフォンを押したやつらに軽い殺意が湧いてきた。
半分はエティ、半分はペラルさんのせいだ。
俺はまだ床に雑魚寝する羽目になるかもしれないことを、根に持っている。
まあ、今はそのことを忘れてやろう。
しかし、まだだ。
まだ、そのときではない。
冷静になるんだ、ベロキ。
クール、クール、ビークール。
IQ150のインテリジェンス・ベロキはもういないが、冷静になることは簡単なはずだ。
そう、いつもみたいにすればよいのだ。
そうだな。
1分経たなかった思う。
そのくらいの時間差で、部屋のドアが開けられた。
軽い着替えをする物音がしたので、寝巻きから少し上になにかを羽織ったのだろう。
そんな風な姿をしたラフラさんが、部屋から顔を出した。
「はーい、今....................。」
「やあ、ラフラ。
久しぶりだね。」
「....................っ。」
一瞬で、彼女の顔が引きつった。
そして慌てたように後ろに振り返ると、なにかを決心したような顔で1歩踏み出した。
部屋から出てドアを閉め、ドアの鍵をかける。
彼女は部屋から外に出たのだ。
アプルちゃんを巻き込まないために。
「いまさら、なんの用?」
「おしゃべりがしたいんだ。
そのくらい、いいだろう?」
「許して欲しいなら、もう遅いわ。
アタシは一生、許すつもりなんてないから。」
「そんなんじゃないさ。
ただ、またおしゃべりがしたいんだ。
....................そのくらい、いいだろう?」
緊迫した時間が流れた。
エティの後ろにいる取り巻きたちは、それぞれがナイフやハンマーなどの軽い武器を構えている。
そのうちの1人の棒には、軽い血の跡がついていた。
鼻血だろうか。
.....................これで、フロントの人を殴ったのか。
その血を見たラフラさんは、一瞬たじろいだが、すぐにいつもの調子を取り戻した。
顔にはやや恐怖が残っているようだったが、それでも必死に取り繕っている。
「....................わかったわ。
アプルに、余計なことするんじゃないわよ。」
「話が早くて助かるね。
なぁに、安心しなさい。
見張りを数人、置いておくだけさ。
じゃ、こっちだ。」
ラフラさんは取り巻きたちに囲まれて、エレベーターの方へ歩いていった。
よし、ことが始まった。
尾行開始だ。
まず俺は、横を通り過ぎたラフラさんのポケットから、狩猟用のピストルをスった。
持ちうる限り最高の速度で手を動かし、その金属の塊を取り出す。
よし、バレてない。
武器を持っていることが、彼女の不利益に繋がる可能性もある。
きっと今の彼女はあの「固有武装《オンリーウエポン》」を持っていないから、このピストルを持っている程度では、なんの意味もない。
それなら持たずに、敵意がないことをアピールしたほうがマシだ。
このピストルは預かっておいて、後で返すことにしよう。
ペラルさんは俺がピストルをスっている間に、「|秘密基地の扉《ゲート》」を使って、彼女らの部屋に侵入した。
これで門番とお守りも完璧。
俺は、エティたち全員がエレベーターに乗る場面を見届けた。
エレベーターの戸が締まり、あちらからこちらのことを視認できなくなる。
その瞬間に、俺は見張りとして配置されたふたりの不良の首筋に手刀を打ち込んだ。
加減を間違えたら死にかねないので、加減をうまく調整して。
白目をみせて倒れたそいつらを受け止め、転倒の音が生まれないようにする。
これで気づかれてたら、もう無理だろう。
きっと、ペラルさんのような得意な体質もしくは、なにかの武装を持っていなければ不可能だ。
俺はそんな天文学的確率を引かないことを祈りながら、扉をノックする。
内側から顔を表したペラルさんにふたりを預け、俺はエティたちを追った。
不良ふたりがコスモのひもでぐるぐる巻きにされるのを、横目に見ながら。
俺は廊下の窓を開け、下の様子を確認する。
人が出てくる場面は、数分で現れる。
それを目撃した俺は、体を出していた窓を閉じ、その窓のふちから飛び降りた。
「透《カメレオン》。」
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ラフラ・イェーガーは、エティ・ホームというひとりの男と確執を持っている。
その確執によって造られた溝は、大きく、深く、そして長い。
また、その影響から、エティ以外のシャーク団員とも溝ができていた。
もはや修復不能なほどにまで大規模なものになったそれは、ラフラの心を大きく抉り、彼女のトラウマそのものになっていた。
もはや、あの瞬間を忘れることなど不可能であろう。
思い出すだけで、あのときの感触が目の前に現れるような。
そんな気分を、彼女は3年近く抱き続けていた。
しかしラフラは、3年ぶりにエティのことを目にしたことで、その考えを撤回させつつあった。
ひょっとしたらこの男は、あのときとは全く違う人間になっているのではないか。
....................否、"戻っている"のではなかろうか、と。
口には出せずとも、それを考え続けていた。
だからといって彼に抱いていた恋心が戻るわけではなかった。
むしろ、安心して突き放すことができるのでは、と。
そんな期待を抱き、ラフラはエティの前に座った。
ゴミ置き場を改造した、そのアジト。
久しぶりに足を踏み入れたラフラは、いつかのように椅子に座り、ロウソクの光を挟んでエティと対峙していた。
万が一のときのためにピストルを持ってきていたが、それはどこかに消えてしまった。
おそらくベロキがついてきていて、それをどこかで盗んだのだろうと、彼女はアテをつけた。
となると、この場にはベロキがいることになる。
だが、いいだろう。
彼女はそう思った。
少しくらい勇気を出して、晒してしまおうではないか。
彼は信用できるし、良い奴だから、きっと受け止めてくれるはずだ。
そんな思いで、彼女は口を開いた。
「エティ。」
「なんでしょう?」
恐怖は、ない。
さっきまで抱いていたものも、2時間ほど歩いたことで、整理がついた。
全てを水に流せるわけではない。
しかし、和解くらいなら....................。
「昔話をしましょう。」
それは、ラフラの両親でさえ全貌を知りえない、過去の話。
すれ違いと、ほんの少しの怪奇現象が生み出した、ラフラとシャーク団の確執。
今から、3年前。
ラフラが、シティバレーの中学校に、寮から通っていたころの。
とある平々凡々なカップルの、壮大な痴情のもつれである。