鯣烏賊 / 第128話

最下層:ウッドバレー その2

俺を天井へと乗せたエレベーターが、なんの問題もなく地上へ降り立った。 先程の俺によって鍵が壊されてこじ開けられたドアから乗り直してもよかったのだけど、それはちょっと面倒そうだったから、やらないことにした。 ....................色々と、問題がありそうだ。 さっき戸をこじ開けて出ていったやつが、何食わぬ顔をしてぶち壊した扉からまた入ってくる。 そして、この中の人達はおそらく、パニック。 そんな中に、チェンソーをヴンヴン言わせながら、あの鱗ミミズの血液を服にべっとりつけた俺が入ってくる。 ....................やっぱり、何かと問題がありそうだ。 何はともあれ、エレベーターはウッドバレーへと到着し、動きを止める。 目的地に到着したということで、中からはいくつかの安堵のため息が漏れ出てくるのが聞こえてきた。 さっきまで人を乗せていたそのゴンドラの中から、ぞろぞろと数十の人が出てきた。 服装も人種も多種多様....................それはここが観光地だからなのもあるけど、ここが多民族国家アメリカであることも大いに関わっているんだろう。 とにかく、沢山、多種いるんだ。 その人達はみな口々に、ペラルさんへと礼を言っていた。 言語は、これまた多種多様だ。 でもだいたいみんな「ありがとう」というので、意味はわかる。 どんな言語でも、「おはよう」「よろしく」「ありがとう」くらいはわかるものだ。 あとはなんだろう、「初めまして」かな。 別にどうでもいいか。 どうやらペラルさんは、戦闘の余波で下方へ落盤してしまった岩石を、危険が及ばないように防御してくれたとのことだ。 その落石は、俺がカウンターでやつの突進を受け止めてしまったから起こってしまったことだ。 あの場の最適な反撃をあれしか思いつかなかったとはいえ、迷惑をかけてしまったな。 彼女に申し訳がない。 「すみません、急いでいたので、扉の鍵を壊してしまいました。」 俺は俺の方で、着地地点にいた管理人のおばさんに、鍵を壊して、ゴンドラの扉をこじ開けてしまったことを謝罪しなければならなかった。 急いでいたのはそうだけど、壊してしまったことは弁明しようのない事実だ。 それに、あのとき冷静に行動していれば、いくらでもやりようはあっただろうからね。 ピッキングとか。 「あぁ、鍵かい。そんなものはすぐに直せるから気にする必要ないさね。 次の番を10分でも遅延させれば済むことさ。 それよりも、乗ってる人たちを守ってくれてありがとうねぇ。」 しかしどうやら、彼女は俺になんの責任も負わせるつもりはないらしい。 俺は何かしらの責任をとる覚悟でいたのだが、軽いものすらふっかけてこないとは。 ありがたいことだ。 だが、善意を受け取りっぱなしというのも、なんだか申し訳なく思えてきてしまう。 「せめて、鍵代くらい出させてください。」 「いいさいいさ、これはウチらからのあんたらへのお礼だと思ってくれさ。」 しかし、引き下がってくれない。 おばさんがここまで言ってくれるのなら、彼女のお言葉に甘えることにしよう。 ちょっと申し訳ない気持ちがあるけど、これでいいんだろう。 たぶんね。 俺は管理人をしていたおばさんにお礼を言って、彼女からまたお礼を言い返される。 彼女には軽い会釈をして、向こうに座っているペラルさんの方へと向かった。 ペラルさんのほうも、なんとかお礼を言いまくってくるあの観光客の人たちを追い払えていたらしい。 "お礼を言われるのは嬉しいけど、時間を取られすぎるのはめんどくさい"と、ペラルさんの顔に書かれている。 しかし、ひとりだけがそこに残っていた。 追い払えていないのだろうか、と思ってみると、少しだけ様子が違うようだった。 そのひとは、厳しい外見の猟銃を持った、あの金髪の女の人だった。 彼女はペラルさんの右手を手に取って、綿のようなものを押し当てていた。 手当をしているのだろうか。 「あ、ベロキくん。」 「問題はなかったですか?」 「ああ、うん....................。」 そう聞くと、ペラルさんは自分の右手を少しだけ俺の方へと寄せてきた。 それと同時に、手当をしているであろう女性も、俺の方へとスライドしてくる。 俺は見せられたその右手の甲に、視線を向けた。 その手の甲は、傷を負っていた。 ちょうど手の甲あたりの皮と肉が、大きく剥がれているような怪我だった。 程度が重すぎるわけではないけど、傍から見ているぶんにはとても痛々しく、直視していられないタイプ傷口だ。 ゾンビのメイクで作られた傷が、そのまま目の前にあるような。 そんな感じのものである。 「上からゴンドラの方に落ちてきた岩を『|絶対に動かさない《バインド・ブースト》』で防ごうとしたら、ちょっとね。」 その傷口には、綿が当てられている。 ときおりペラルさんが「イテッ!」ということから、そばに置いてある消毒液がよく染み込んでいるのだろう。 俺も手当はできるけど、無理に変わってしまうのもよくない気がするから、このまま続けてもらうことにしよう。 それにしても、『|絶対に動かさない《バインド・ブースト》』には、拘束以外の使い道もあったのか。 まさか手をかざすようにして攻撃の防御まで出来てしまうとは思いもしなかった。 すごく便利な能力だ。 本当に、攻撃以外のことは、大抵なんでもできてしまう武装なんだろう。 「うん、応急処置はこのくらいかしら。」 金髪の彼女は、ペラルさんの手の甲に当てた綿を、上から包帯でぐるぐる巻きにしてガチガチに固定した。 ペラルさんの手の傷も、神経にまでは深く達していないようだった。 グーパーグーパーさせて、痛みの確認や動作確認までできている。 「ありがとね〜。 助かったよ、ラフラちゃん。」 「アタシもやるべきときに動けなかったから、お互い様よ。 もしもあなたがいなかったら、アタシふくめて、ゴンドラの中の人はみんな死んでいたかもしれないし。」 ラフラと呼ばれた彼女は、カジュアルなズボンについた土をはたいて立ち上がった。 服装はさっき述べた通りだが。 身長は170センチくらいあるだろうか。 いいや、それよりは少し小さいだろう。 シャツの間から、華奢に見えて筋肉質な腕が姿を覗かせている。 これは、すごい。 相当鍛えているだろう。 顔立ちは....................あまり見たことがないタイプだ。 ここら辺の地域特有のものなのかな。 無表情でこちらを品定めするような三白眼が気になるけど、悪い人じゃないだろう。 しかしなんとも、無愛想だ。 俺たちふたりが気に入らないのだろうか。 ラフラさんはペラルさんを一瞥すると、スタスタと俺の方に近づいてくる。 そして、俺に話しかけてきた。 「ねえ、あなた。住まいはこのへんなの?」 「いえ、俺たちは遠征で来ているだけなので。」 「そう。ローカルのW.M.S.Fではないのね。 良かったわ。」 俺の答えを聞いて安心したのか、ラフラさんの表情が少し柔らかくなった。 この地方のW.M.S.Fの人間だと思われていたらしい。 ....................そもそも俺たちは、W.M.S.Fの人間ですらないのだが。 それにしても、そんな反応をされてしまうとは、評判が悪いのだろうか。 彼らはなにか、やらかしたのか? 「病院の場所はわかる? ....................わからないのね。向こう側にまっすぐ、1時間くらい歩けばあるわ。 難しい病気に関しては完全にヤブ医者だけど、怪我の手当や風邪くらいなら問題ないはずよ。」 「ありがとう。」 彼女は一応、俺たちの心配をしてくれるらしい。 ひょっとしたら、俺たちふたりのように、ただコミュニケーションが苦手なだけの人だったりするんじゃないだろうか。 そう考えると、親近感が湧いてくるな。 「あなたたち、宿は決まってるの?」 「いいや、全く。適当にキャンプでもしようかなって。」 「....................ウォールロックを瞬殺できるとはいえ、自然を舐めすぎじゃないかしら。」 「べつに、夜なべすれば寝なくていいし。」 あ、すっごい怪訝な目で見られた。 俺の特異的に強い体については話さない方が良かったみたいだ。 そういえば、引き止めるのはダメだな。 彼女は多分、漁師だ。 きっとこれから仕事があるに違いない。 うん、そうだ。 それを理由にしてこの気まずい状況から逃げ去るのだ。 「じゃあ俺たちはこれで....................。」 「待って。」 俺がペラルさんを引きずってこの場を去ろうとすると、ラフラさんが呼び止めてきた。 なんだろうと思って後ろを振り向く。 そうすると、こう返された。 「ふたりとも、アタシの家に泊まればいいじゃない。」 「えっと、お医者さんは。」 「いいわよ。お父さんが診るわ。 ....................その医者、お父さんのことだから。もともと、案内はするつもりだったし。」 最初からそう言え。 心の中でそう悪態をついたのはヒミツだ。 ----- 某所。 1枚の壁を前にして、ミクロが立っていた。 山をくり抜いて存在しているようなその窪みの、最奥である。 その壁には、奇っ怪な模様の彫刻があしらわれているが、その彫刻に美術的価値を見出したものはいなかったらしい。 今この瞬間まで、全くの手付かずであった。 「聞こえてんのか....................。 いいや、聞こえてないんだっけか。」 『聞こえていないわね。 たとえミクロくんが彼への憎まれ口を叩いても、決して聞こえることはないわ。』 「そうかぁ。 ま、関係性なんてホコリもねえから、どうでもいいな。」 その壁の岩。 まるで一体化しているようにそこにいる、老人。 背丈はミクロよりも30センチ以上小さいだろう。 丈の長いローブと、風になびくような形で時が止まっているマフラーが、見ているものに躍動感をもたらす。 「あとだいたい1ヶ月、か。」 ミクロはそれだけ行って、踵を返すのだった。

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