鯣烏賊 / 第129話

最下層:ウッドバレー その3

だいたい、1時間くらいは歩いただろうか。 ラフラさんの言った通りくらいの距離に、そのこぢんまりとした建物があった。 3階建ての建物である。 1階を見ると、小さな病院。 しかし、それより上は住居。 そんな感じの造りだった。 そもそも、ウッドバレーには建物が少ないようだった。 ほとんどない、と言ってもいいだろう。 ラフラさん曰く、第1エレベーターと第2エレベーターの着地地点は開発されており、小規模だがそれなりの街があるとのこと。 しかしそこに行くためには、数時間に1本という頻度で運行されているバスに乗って、丸一日かけなければならない。 それ以外の場所にも、建物郡は、ごく稀にある。 今歩いている大通りの途中に、20軒くらいの住宅が並ぶ場所があったが、それきり。 このような住宅街が奥の方にさらにあり、そのうちのひとつがラフラさんの家だそうだ。 ちなみに、ウッドバレーの中でも、かなりの高低差があるようだ。 上から見ているだけでは気にも止めなかったが、やはりここにも、崖の出っ張りや引っ込みがたくさんある。 100メートル以上の高さを持つ場合もあるようだ。 そんな場所へ移動するために、小型のエレベーターが数百を超える個数、設置されているそうだ。 それは現地民の使うもので、観光に来た人が行けるような場所でもないとのこと。 すごい場所だ。 道中で、ラフラさんとも少し仲良くなった。 素っ気ない態度は崩れなかったけど、質問すればちゃんと答えてくれる。 最後の方は、彼女の方からも色々と物事を教えてくれるようになった。 ラフラさんの職業についても教えてもらった。 彼女はW.M.S.F所属の怪獣討伐者で、俺とほとんど同業。 しかし、あまりにも似て非なる仕事をしているようだった。 "ハンター" ペラルさんやブルーさんが持っており、俺が取得を目指す「免許」を保有した上で、特殊な基準と別の試験を突破することで与えられる職だ。 指定された地区の自然環境の調査に加え、長期的で継続的な保持を目的とする職だ。 そこにいる動物や植生の変化の記録。 怪獣に定義される生物が、人里に過剰に接近した際の対処、もしくは討伐。 外来種の排除。 これらを含め、流動的に変化する重要な自然環境を守るのが仕事であるらしい。 ハンターなんて、聞いたこともなかった。 ペラルさんにはひとりだけハンターの仕事をしている知り合いがいるそうで、この仕事にこの若さで就いているのは珍しいと言っていた。 ラフラさんは17歳だそう。 なんと、俺と同い年。 同い年なのにふたつの試験に合格し、特別な職に就いているなんて、すごいことだ。 修行の身だと謙遜されたが、俺は彼女を尊敬することにした。 さて。 これから俺たちがやることは単純だ。 しかし、とても難しい。 俺たちは、なんとかしてウッドバレーにあるカタコンベに侵入し、人攫いの形跡を探さなければならない。 それがブルーさんにもらった、ウッドバレーでの任務だ。 彼女の家に泊めてもらうことで少し調子が崩れてしまった。 ラフラさん一家に危険が及ぶかもしれないし、メシア教徒の可能性だってあるのだ。 まずはペラルさんと口裏合わせて、仕事内容を誤魔化して、その仕事を遂行することにしよう。 「お母さーん、ただいま。」 ゴンゴン、と扉がノックされる。 俺たちは表口とは反対にある裏口へと連れられた。 「イェーガー」という表札が、彼女のフルネームを表している。 彼女の名前は、ラフラ・イェーガーというらしい。 ラフラさんの家は、いかにも"地域の病院"っていう感じのところだった。 開業医っていうやつだろう。 あのエレベーターを降りたのが午後の3時で、そこから1時間も歩いた今は、午後の4時だ。 今の時間帯は、きっと稼ぎ時だ、 病院の入口から、マスクを口につけた人が出てくるところに鉢合わせた。 中にも、診療待ちの人が何人かいたし、駐車場もそれなりに埋まっている。 公共交通機関が碌に存在しないこのウッドバレーにおいて、車はインフラと同義なんだろう。 ....................バイクもかな。 「勝手にお入りなさい、ラフラ。」 「人を連れてきてるんだけど。」 「それならお出迎えするから、ちょっと待ってて。」 中からそんな女の人の声が聞こえる。 ラフラさんの声質を、そのままもう少しだけ低音にしたような声だ。 そして、ドタドタとした物音の数秒後に、玄関ドアのロックが内側から解除された。 やや時代遅れの手動ドアが、大した音もなく開かれた。 そして、中からラフラさんによく似た女の人が顔を覗かせた。 「あらいらっしゃい、ラフラのお友達?」 中から出てきたのは、ラフラさんそっくりの女の人だった。 いや、全部がそっくりそのまま似ているわけではない。 彼女の髪色は赤だった。 俺の友人で唯一の赤髪であるリンさんは赤染めだけど、これは天然の赤。 絵の具で塗られているように見えるくらい、鮮やかな赤だ。 「5番ゴンドラの近くにウォールロックが湧いてさ、あんなデカいの正面から仕留められないから死にかけたんだけど、ふたりが助けてくれたの。 ....................いや、心配しなくても、この人たちは"違う"わよ。 遠征仕事なんだって。」 あとから聞いたことだけど、あのサンドワームもどきは、ウォールロックという怪獣なのだそうだ。 正式名称はラフラさんも知らないそうだが、この地域ではウォールロックと呼ばれているらしい。 「壁」の「岩」で「ウォール」と「ロック」。 壁に出現するからウォールロック。 実に単純明快なネーミングセンスをしておられる。 嫌いじゃないぜ、そういうの。 「あら、違うの。ごめんなさいね、失礼しました。」 「あんたたち、宿のアテがないんでしょ? キャンプっていうのも大変そうだし、アタシの家に泊めてあげたいんだけど....................ダメかしら。」 「そんな、ラフラの命の恩人にダメなんて言えないわ。 おふたりとも、上がってちょうだい。」 お言葉に甘えて、俺たちふたりは、ラフラさんの後を追って彼女の家の中に入った。 外見がいくら病院らしくても、中は普通の住居だ。 しかし、玄関のすぐ横に2階へ上がる階段があることから、そこに見えるカギのかかった扉の先が、病院であることがわかる。 「ペラル、後でその傷、お父さんに診てもらいなさいよ。 アタシが紹介してあげるから。」 「ああ....................うん、ありがとね。」 疲れているんだろうか。 ペラルさんの声にいつもの覇気がない。 ....................いや、邪気がない。 失った元気は勝手に取り戻してもらおう。 俺には関係のないことだ。 キリッと冷房で冷やされた室内に、肌がヒンヤリ冷却されて気持ちがいい。 ああ、彼女についてきて正解だった。 よくよく考えたら、適当なキャンプ場を弾丸突撃で借りて野宿(とはいいつつ、見張りをするから、寝ない)なんてバカがすることだよね。 「ありがとうございます。世話になります。」 「とんでもありません。 わたしはアフラ・イェーガーです。ぜひ、何日でも泊まっていってちょうだい。」 「ベロキです。」 「ペラルです。」 「ベロキくんに、ペラルちゃんね。 よろしくお願いします。」 ここでも、年下扱いされることに口を尖らせるペラルさんであった。 ----- 長テーブルには、1個の大きな鍋が置かれていた。 中に入っているのは、赤茶色のドロっとした液体。 トマトと肉のエキスが抽出された、とても良い匂いがする。 その横には、数本のバゲットが鎮座している。 全て切りそろえられていて、洒落た感じに配置されていた。 バターなどは特にない。 まるで、この汁と一緒に食べてくださいとお願いしてくるかのように。 そう、これは。 ビーフシチューだ。 「きみたちがベロキ君とペラルさんか。」 6人の人間が、そのテーブルを囲んでいた。 しかし、本当は4人用のテーブルなんだろう。 俺たちがいることで、やや狭くなってしまっているのだ。 なんだか、申し訳ないな。 テーブルにいるのは。 まず、俺たち。 説明不要。 次に、ラフラさん。 こちらも、説明不要。 強いていえば、帽子を取って髪を下ろしていることで、印象がすごく変わっていることくらいだ。 そして、アフラさん。 ラフラさんのお母さんで、さっき玄関先で俺たちを出迎えてくれたひとだ。 顔立ちはラフラさんそのものだけど、肩より下まで伸びる長髪は、鮮やかなほどの赤だ。 真紅、と言ってもいい。 そしてこの家にいる、もう1人の少女。 「アプル、挨拶しなさい。」 「アプル・イェーガーです!よろしくおねがいします!」 アフラさんと全く同じ髪の毛を持つ、10歳くらいの少女。 アプルさん....................いや、アプルちゃんだ。 ラフラさんの妹で、車で1時間の距離にある小学校に通っているとのこと。 今は長期休暇らしく、ずっと家にいるそうだ。 なんというか、すごくかわいい。 いいや、やましい気持ちなんてこれっぽちもないんだ。 けど、舌っ足らずな口調で俺たちに挨拶をしてくる彼女が、とても愛おしいのだ。 ペラルさんを見ろ。 彼女の頭をタワシみたいにわしゃわしゃ撫でないるじゃないか。 痛くないのか....................? 痛くないのか。 そして、そんな光景を俯瞰して見ているのが、ラプルさん。 イェーガー家の大黒柱である、お医者さんだ。 顔立ちはアプルさんそっくりだが、持っている髪の毛はラフラさんと同じ黄金だ。 ラフラさんの顔はお母さん似だが、髪の毛はお父さん譲り。 アプルちゃんの顔はお父さん似だが、髪の毛はお母さん譲り。 そして名前は、お父さんとお母さんの名前を分解して組み直されたもの。 まるで本から出てきたような姉妹だ。 「ところできみたちふたりは、どうしてこんな辺境の地へ?」 「あー、えっとー。」 俺は頼れるお姉さんを自称するペラルさんへ、ヘルプミーの視線を向ける。 頼む、なにかアドバイスを。 ん、ウインクをしている。 これはモールス信号に違いない。 ええと?読み解くと....................。 な ん と か し て は ー と 『なんとかして♡』 俺は『後で崖から飛び降りてください』と送り返し、ラプルさんへの返答を考える。 嘘をつくのもひとつの手だが、バレた時に面倒そうだ。 「すみません、言えないことになっていまして。」 「そうか、それは申し訳ないことをしました。」 「いえ、いいんです。 それより....................。」 さっきブルーさんに、イェーガー家に泊めてもらうということを報告すると、家賃を聞いて前払いしろとのお達しがあった。 当然だ。 だって泊めてもらうのだ。 お礼をしないと失礼っていうものだろう。 「泊めていただくお礼をさせて頂きたいのですが....................。」 「いやいやとんでもない! なぜ娘や観光客たちの恩人からのお礼を受け取れるのですか!」 「いやしかし、タダというわけにも、なかなか。」 「うーむ、そうか。 しかし我が家は、別に困窮しているわけでも、あなた方にたかりたいわけでもないのですが....................。」 困ったぞ。 引き下がってくれない。 しかし俺たちが「はいそうですか、ではタダでお世話になります」と引き下がるのも違うだろう。 図々しく数週間単位で居座ろうとしているのに、礼もせずに出てゆくのはなんか嫌だ。 「ええと、したら。 なにかお金以外でのお礼というわけには?」 議論は平行線だった。 絶対にお礼を渡す俺vs絶対にお礼を受け取ろうとしないラプルさん。 そして、何もせずにシチューの匂いを嗅ぐペラルさん....................いや、あんたは加勢しなさいよ。 なんでもいいんだ。 言われてくれればなんだってしよう。 俺には、(自称)とっても頼りになるペラルお姉さんがいるのだ。 彼女ひとりでも、仕事はある程度こなせる、 俺が数日お礼のために離脱したとしても、さして問題にはならないはずなのだ。 「あの、お父さん。 したらさらアタシの仕事のことを手伝って貰いたいんだけど。 最近変なやつらが多いし。 それが向こう側から来たヤツらなら、ベロキたちからいろいろ教えてもらえそうだし。」 「うーむ、だが。」 「大丈夫だよ。 ふたりはアイツらとはまるきり違うから。 アタシが胸を張って保証してあげる。 それに、アプルだって遊び相手が増えるのは嬉しいはずよ。」 ラプルさんはまだ迷っているようだった。 彼がハンターの仕事内容を把握しているかはしらないが、俺に任せて良いのか悩んでいるのだろう。 ならば、ベロキライフルから援護射撃だ。 「俺だって一応、(まだ違うけれど)その道のプロである自負があります。 俺からもお願いします。 タダでお世話になるのは嫌です。」 俺に加え、娘からも頭を下げられた父親。 効果は抜群だったようだ。 「そうか。 ふたりがそういうんなら。 ごめんなさいベロキ君にペラルさん。 せっかく、娘たちを助けてくれたというのに、タダ働きまでさせてしまうなんて。」 「もともと薄給です。 大して変わりません。」 「そうか、そうですか。」 議論は終わった。 ミクロ所長、俺はともかく、リンさんが切実な賃上げを所望していましたよ。 頼むぜ。 「さて、難しい話も終わったし、食べることにしようか。」 俺たちはビーフシチューに手を伸ばした。 ----- 食後。 ペラルは、ラプル・イェーガーと対面していた。 ラフラの紹介から、手の甲の怪我を本格的に診察してもらう運びとなったのである。 「ウチの娘を助けてくれたこと、心より感謝申し上げるよ。」 「恐縮です。 それに、ウォールロック?を倒したのはわたしではありませんし。」 「はっはっはっ、謙遜なさるな。 戦うすべを持たぬオレたちにとっては、守ってくれただけでありがたいのですよ。 ....................さてペラルさん。 ラフラの言っていた手の甲を診てあげよう。」 ラプルは、ペラルの右手をとった。 ペラルは抵抗しなかったが、その表情が曇っているように見られた。 それを不思議に思いながら、彼は包帯を取り外した。 中から現れたガーゼを取り外し、そして....................。 「えっ。」 その傷は"完治"していた。 彼の娘から聞いたような、肉のえぐれた痛々しい傷跡は、そこにはなかったのだ。 そこには女性らしい、しかしおしろいで染められたようにも見られる、柔らかく不気味なほどに真っ白な肌を持つ手の甲があった。 ラプルに向けて、ペラルの血のように赤いその目から、懇願するような視線が送られていた。 「....................わけを、聞かせてもらっても?」 彼女はコクリと頷き、ぽつぽつとつぶやき始めた。 話す前に、みんなには黙っているように告げて。 「わたしは。」 彼女の右手には、ふたたび包帯が巻かれた。 全てを話したわけではなかった。 しかし、ラプルはなにかを感じ取ったのだ。 ペラル・ルキ それが女の名前だ。 彼女は徹底的に、自らの出自を隠し続ける。 全ては、事実的に生き別れることになってしまった、義理の弟のために。 オトズナ家へと送られたペラルと彼女の実姉は、それまで愛してやまなかった義弟の面倒を見てやれなくなっていたのだ。 しかし、せっかくルキと縁の切れて自由になった彼に名を名乗ることは、ふたたびその鎖を繋ぎ直すことになってしまう。 ペラルは知っている。 ベロキはこれまで、リンにさえ苗字を名乗っていない。 彼はもう、殺し屋家業から離れたのだ。 汚い自分とは、結びつけてはならない。 彼女は心から祈っている。 義弟が今後、幸せに生きられることを。 "心の死んだ一族"という業を背負っておきながら、繋がれた鎖から脱することができることを。

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