鯣烏賊 / 第121話

深淵を覗く時..........

ぴとっ、ぴとっ、ぴとっ。 数万年の単位をかけて蓄積されている、剣のように尖った鍾乳石の先端から、一定のペースが保たれて水滴が垂れ落ちる。 垂れた水は地面のそのくぼみに集約されていき、小さな池を作り上げる。 暗黒の中、その水溜まりは特に何をも映すことなく、ただそこにあるのみである。 その洞窟の中にいる虫やコウモリなどの生物を水面へ反射しても、視界などまともに役に立たぬ闇の中では無意味なことである。 まるでこの闇の中では、時間の流れが止まっているかのようだった。 しかし、その鍾乳石から一定のペース落とされる水滴のか細い音たちだけが、生物へ時の流れを実感させる。 時計のないこの洞窟の内部では、まるでその水音こそが時計の針であるかのように、大きい顔をできるわけである。 トッ、トッ、トッ。 足音が鳴る。 やってくるヒトは、4人だった。 4人全員が黒いローブを着用しており、背景の黒と混じるように同化している。 黒い布と洞窟の闇の境界線すらもが曖昧であり、この場に他の人間がいたとしたら、視認することすら困難であろう。 辛うじてそのヒト達の存在が認識可能であるのは、先頭に立つ人物の手にぶら下げられたランタンのせいである。 手のひらサイズのランタンが強い光を放ち、光をもたらす照明となっているのだ。 しかし、そのランタンの発する光を持ってしても、この洞窟の左右の壁や天井までは照らしきれていないようであった。 その4人のまわりのみが、明るくなっているのだ。 「広いねー、ここ。ワタシも死んだらここに埋葬して貰おうかなー?」 4人のうちに、たった1人だけ仮面をつけている者がいた。 異様なほどに真っ白な、漆塗りの仮面。 ローブが見えにくいこの環境においては、その仮面だけがぷかぷかと宙に浮かんでいるようにも見られる。 「何をおっしゃいます、貴方様は死ねぬ体でおられるでしょう。」 「うん、まだ未完成だけどねー。」 遠慮なく喋られるその声たちは、洞窟の中にこだまする。 とくに、仮面の人物から発せられる機械を通されたその声は、反射の度に少しづつ音程が変化して遠くに飛ばされてゆく。 自然には存在しないその音は、ヒト以外の生物を威圧するように響くのだ。 その音に反応して、天井や壁へ張り付いている小型生物たちが慌ててその場を離れたり、逃げたりしてゆく。 しかし黒服の者達は、そんなことは気にも留めていないようであった。 「それで、キミ達がくだらない信仰心で信じているその"カミサマ"っていうのはどこにいるんだい?」 仮面の人物がそう声を発した途端、隣にいた男がすばやく掴みかかった。 その手には万力の力が込められており、怒りに震えているように見られる。 ローブのフードが隠れ、外からでも顔が少しだけ見られる。 「貴様、黙っておけば先程から何度も何度も....................!! 我らが神を侮辱する気か!!」 仮面からは、何の言葉も発されなかった。 まるで、それらの一連の事象そのものに興味が無いかのようだった。 仮面のせいで表情は伺えないが、掴み掛ってきた男を見下した目で見ていることは間違いないと言えるだろう。 そしてかわりに、仮面の人物の後ろから別の人物が現れた。 背中に大型の弓を背負ったヒトである。 「ママ、こいつ殺っちゃうよ?」 「ひっ!」 弓の人物は、懐からピストルを取り出して男の額へ突きつけた。 人差し指はすでに撃鉄へ触れられており、少し力を込めてしまうだけで、男の額からは多量の血液が吹き出ることだろう。 目の前に死を突きつけられたことで、男は物怖じしたように見えた。 声を上げ、1歩後ろに下がったのである。 「御三方、おやめください。このカタコンベは神聖な場所なのです。」 「んー、ワタシはムカつくけどな、こいつ。」 「許してやってくだされ。神を信じるというのは、こういうことなのです。 何でしたら、地上に出てから私の首を差し出しましょうか?」 「はははっ、キミは交渉が巧いねぇ。 ....................ムラサキ、銃を下ろしなさい。」 ランタンを持って先頭を歩いていた男が振り返り、仮面の人物にそう話しかける。 その言葉に納得したのか、ピストルはムラサキと呼ばれた人物の懐へ戻された。 仮面へ掴みかかった男の命は、首の皮一枚で助けられたのだった。 「交渉などではありません。本心ですよ。」 「そっか、どうでもいいけど....................。」 そして、何事もなかったかのように、移動が再開される。 ムラサキが仮面へ掴みかかった男の背後に立ち、常に警戒していることだけが、唯一の相違点である。 異様な雰囲気のまま、4人は歩みを進めてゆく。 何分経ったかなどわからなかった。 誰もが何も喋ることなく、ただ足を前に持ってゆくのみだったのだから。 「着きました。」 そこは、行き止まりだった。 否、ランタンがなければ、ただの通路であると誤認してしまうだろう。 とにかく、少しだけ広く作られたこの"部屋"の入口に入ることはできないのだ。 大きく分厚いそのガラスが、侵入を許していなかった。 そこに立ち止まり、中を見ることしか許可していないのである。 中は、暗い。 遠くからでは何も見えないだろう。 ガラスの付近まで接近して、中をのぞき込むようにして見なければならない。 事実、仮面の人物はそのようにしてガラスへ張り付いた。 「キミに逢いたかったよ....................。」 その中にいるのは。 神であるのか、悪魔であるのか。 はたまた、本当に存在しているのか。 それは、深淵を覗いたものにしかわからないことであった。 実際に中を覗き、観察し、"対話"せねば、その存在は認識できない。 そこに鎮座する存在は、人間というか弱い存在にさして興味などないのだから。 "熾天使"は。 「キミに、折り入って頼みがあるんだ....................。」 グランド・キャニオンの遥か下。 人々が和やかに生活を送る町の遥か下。 大聖堂の、誰も入ったことのない地下室の遥か先。 ラフラ・イェーガーのはるか下。 人知れず、厄災が目覚めようとしていた。 「どうしてもどうしても、殺して欲しいヒトがいるんだ....................。」 運命の糸が手繰り寄せられるように。 不思議な磁力に招かれて。 ベロキ・ルキは、グランド・キャニオンへ向かうのである。 ふざけた諧謔曲《スケルツォ》が。 彼の歯車を嘲笑う。

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