鯣烏賊 / 第150話
断崖絶壁の層:シティバレー その13
このままでは押し負ける。
俺は直感でそのことを理解した。
ナイフを持ったその手に対してクロスするように俺の肘を配置することで、一旦は相手の動きを止めることができた。
そう、一旦は。
そのナイフはすでに、俺の首筋の直前にまで差し迫っていた。
俺の反応するタイミングが遅ければ、このまま喉を掻っ切られて生命の終わりを迎えていたことだろう。
さすがに、喉の血管の再生は間に合わない。
相手の強さというのは、1度組み手をとってしまえば、だいたいわかる。
性別、フィジカルの強さ、利き手、流派。
全てを推し量れるわけでは断じてないが、相手の力の強さくらいは真っ先に伝わってくるだろうと、誰でも想像がつくはずだ。
その点で言えば、俺は目の前の敵に対して、パワーの面で大きく劣っているといえる。
腕相撲なんかしたら、きっと勝負にすらならない。
これでも薬漬けの生活を送ってそれなりの腕力を身につけさせられたつもりだったのだが。
すこし驕っていたな。
今は拮抗しているが、じきにこれも押し切られてしまうだろう。
ひょっとしたらそのときに、腕を折られるかもしれない。
なにせ、身長や体重などの体の強さにおいて、なにからなにまで俺が格下なのだ。
それを認めよう。
しかし、こんなやつを相手とする戦闘の経験など何度もしている。
組み手になったときの対処法も。
力の強さが、人間の強さというわけではない。
生命的な格差を全て埋めるほどの技術力。
そしてその技を実戦で行う胆力や精神力。
相手を推し量り、うまく誘導する分析力や考察力。
戦闘能力というものは、それらが総合してはじめて、現れるものなのだから。
あえて、俺はその手を離した。
フラッと、目の前の男の体勢が崩れる。
前に倒していた重心のよりどころが消えたことにより、やつの体が自然と俺へ近づいてくるのだ。
俺はすでに動いていた。
ファルシオンを抜きたいところだが、そんな暇はない。
ないなら、作ってしまえばいい。
そんな思いで、俺はやつのふところに潜り込んでいた。
一撃、打ち込んだ。
しかし、それは体で受け止められた。
「やはり、直接打つしかないか..........!」
的確な動きで、ふたたび俺を狙ってやつの体が動く。
その図体に似合わぬ、疾風のような動きだ。
速い。
けど、視界に入れていれば、対応すること自体は苦ではない。
迫る攻撃を何度か回避し、続ける。
ジャブ感覚で打ち込まれてゆくそれらには、大した反撃をしない。
避けたり、起動をずらして対応するだけだ。
このように続けてゆけば、きっと来るはずなのだから。
「....................。」
あるタイミングで、やつの殺気が極度に肥大化した。
外見上の動きはなんら変わらない。
しかしその殺気は、チクチクと俺の喉へと向けられていた。
放たれた一撃に対して、あえて向かうように接近した俺は、やつの殺気を読み、最小限の動作でそのナイフを避けたり。
俺の頬をナイフが通り過ぎてゆく。
すこし、血が出たかもしれない。
だが、そんなことはお構いなく、俺は一歩前に踏み出す。
これこそがひとまずの狙いだ。
今度こそ、無防備なやつへと接触できる間合いに踏み込むことができた。
「呼妖《コヨウ》。」
発勁の発散を含んだ俺の掌底は、やつの腹にストレートなルートで命中した。
手応えは、ある。
「ぐっ....................!」
腹を起点に広がったそのダメージに耐えきれなかったのか、やつは大きく後退した。
約3メートル程度の間合いが広がったことにより、俺もやつも、互いに次の一手を行までの時間的な余裕が発生した。
正攻法でやって勝てるかは、やや怪しい。
ほぼ間違いなく、相手はプロだろう。
なぜ俺たちが狙われているのか、まったく理解が及ばないが、プロの戦闘者に襲われている事実は覆されない。
「ペラルさん!」
「あと3人いるよ!」
彼女らは巻き込めない。
ペラルさんだって、対人戦に慣れている訳ではないはずだ。
この場でその経験があるのは、恐らく俺だけ。
なんとかしなければならない。
最初にやつの攻撃を受け止めてから、5秒前後しか経っていない。
敵の方もまだ、様子見の段階だろう。
しかし、このまま時間を使い続ければ、残りの3人だって動きはじめる。
それは非常に嬉しくないものだ。
だが、もう少し時間的な余裕が欲しい。
固有武装《オンリーウエポン》を起動したい気持ちで一杯だが、俺の「鍵《シュリュッセル》」はダイヤルを回す時間が必要だ。
せめて、目の前のやつをなんとかしてからでなければダメだ。
やつはふたたび来る。
俺がこうしてせわしなく思考している間にはもう、前方への踏み出そうと足に力を込めているのだ。
あの威力をまた、正面で受け止めるのか?
相手のほうだって、俺のパワーははかり知れているはず。
きっと、全力で来る。
正面から受け取るのは、得策ではない。
だが、俺は知っている。
優秀な殺し屋は、敵をよく見る。
どんなに等々に発生するイレギュラーへ、迷いなく対応するために。
だからそれを、逆手にとる。
さっきから俺に突き刺さるちくちくした視線も、きっと奴らからのものだ。
やつらがどれだけ俺のことを知っているかは知らない。
ある程度の情報を伝えられていたとしても、"これ"は知らないであろうという確信が俺にはある。
そして、知らないものがいきなり目の前に現れたとき、やつらの思考はどうなるのか。
大した時間は確保できなくていい。
欲しいのはせいぜい、あちらの反応がすこし遅れる程度のもの。
一瞬の迷い。
そのくらいのものがあれば、十分、十分、十二分。
「陽炎《カゲロウ》。」
雨粒の中、俺の右手の掌に、熱が現れる。
雨粒程度では収まることのない橙色の煌めきが、俺と、俺を見ている人間の目へと映される。
人間から生み出されることはないであろう、その光。
俺への前情報にも恐らく載っていないであろう、その光。
それを目にした男は、一瞬だけ立ち止まった。
眼を見開き、俺の右手の掌を凝視する。
すぐに我に返ったように動き始めていたが、もう遅い。
俺はすでに、動いていた。
直接攻撃になんて、使えなくていい。
そんなものに使えるほど、俺はこれを使いこなせない。
せいぜい炎を出して、それを肥大化させるくらいの芸当が限界だ。
前にも後にも、シロと戦ったあの日が、俺の中での絶頂のときであった。
しかし、この炎でやつは焦った。
それでよいのだ。
「しまっ....................。」
俺の手に、骨を切り抜くときのあの感触がよみがえる。
とっさに顔をしかめてしまった。
しかしこの感触があると言うことは、刃が首を通り過ぎたということになる。
やつの首は、確かにはね跳んた。
-----
それから1分も経たないうちに、残りの3人は撤退したようだった。
てっきり、残りの3人とも戦闘になるのが当然だと思っていたので、拍子抜けである。
なんだか、すごく馴染みのある立ち回り方ではないか。
そう思いながら、俺は死体に振り返った。
「どうしよう。」
やってしまった。
襲われたのだから仕方がない、といえば仕方がないのだが。
どう考えても、過剰な自己防衛だ。
せめて殴る蹴るくらいに留めておけばよかったと後悔しても、もう遅い。
ひとまず、顔を見てやろう。
俺はそう思った。
やつは、俺が知っている殺し屋である可能性もある。
なにせ、雇い主や組織のやり方によっては、死ぬことが当然であるかのように扱われることもある仕事だ。
そういった類の殺し屋だった場合、ここで火葬しても問題ない場合が多い。
駒が死んでもなにも感じないような上司なら、わざわざ仇討ちなんて考えないだろう。
つまり、警察に死体が見つからなければオーケーである....................かも、しれないのだ。
俺としては、そうあって欲しいと思うばかりである。
戦闘中には考える暇もなかったけど。
ひとまず、あの顔隠しを剥ぎ取ろう。
そして、やつの持ち物と命じられたターゲットを確認してやろうじゃないか。
そう考えて、俺は地面に落とされたやつの生首を手にとった。
そして、やつが顔にぐるぐる巻いていた布を剥ぎ取りはじめた。
こんな布をして苦しくないかとも思うが、効果的に顔を隠すことができるのは事実だ。
そんなことを考えながら布をはがしていると、やつの顔の下あたりのところから、口や鼻が現れはじめる。
だんだんと、顔の全貌が見えてくる。
やつの目は、まるで着色されたクリスタルのように、綺麗で危険な赤色だった。
ここらへんで「もしや」と思ったものの、その思考はいったん置いておくことにする。
あとでだ。
後で確かめればよい。
しかし、まさか....................。
いやいや。
そして、布の奥から、真っ白い色をした髪の毛が姿を見せる。
ここまで来れば、もう素顔を見たも同然。
俺は勢いよく、布を全て剥ぎ取った。
そして、俺の手の上にある生首の顔は。
「これは....................。」
俺とそっくりだった。
一瞬、ひょっとして俺か、と思った。
いや、もちろん、そんなわけはないはずで。
顔立ちなどは、もちろん俺とは違う。
しかし、この首が持っている顔は、全体的に俺とそっくりなのだ。
赤い目。
色素が抜かれたような白い肌。
淡く光を反射する、雪原のような白髪。
整っているけどずば抜けてはいない、どのような服装でも表情でも対応できる顔。
間違いない。
これはルキ家の人間の特徴だ。
なるほど、その前提が加わるのなら、あの性格無比な攻撃にも、納得がいく。
やつもきっと、「呼魔《コマ》」を使っていたのだ。
他人の呼魔《コマ》は見破りにくい。
呼妖《コヨウ》なら、わかりやすいのだけど、使っていなかったので、わからなかった。
そんなことよりも、生きていたとは。
俺が刑務所に入ったことで、芋づる式に、家族は全員処刑されたものと思っていたが。
いやまあ、彼ら彼女らと血は繋がっていないけれど。
俺も何人かの"兄弟姉妹"会ったことがある経験があるけれど、血は全員繋がっていないそうだ。
よくよく考えてみれば、思い込みなのだよな。
あまりにその世界から外れた生活を送り続けてきたことで、名前を聞かなかったのだ。
そんなことを考えることもなかったわけで。
しかし、なんとも....................。
俺は後ろを振り向く。
そこで、ふと気がついた。
気がついてしまったんだ。
こちらも、今まで考えもしなかったことだ。
目に入ってしまったのだ。
そういえば、ペラルさんも、俺たちと似通った容姿をしている。
そのことに、気がついてしまった。
俺の体つきを少しだけ女性のものにして、髪を伸ばせば、似た人物に変装できるだろう。
彼女は対人経験が豊富だし、変装も上手。
声を変える体質を使えば、さらにそれらの正確性は上がる。
対人戦についてもまだ見ていないだけで、できる可能性もある。
本人は俺より下手だと言っていたけど。
でも、いや、しかし。
「どうしたの?」
ならば、俺にそのことを隠している理由というのは、何なのだ。
なぜわざわざ、俺に隠す?
ひょっとしたら、本当に関係がないから?
それともやはり、理由があるから?
だとしたら、このことは聞かないほうが。
知らないほうが。
ひょっとして彼女も、俺が気がついていることに気がついていて、この拮抗を保とうとしている?
俺はなにも喋るべきじゃ?
ああ、混乱する。
俺は、俺はなにを。
「どうしたの?ベロキくん。」
「あっ、えと、その。」
露骨だなぁ、まったく。
動揺を隠せていないじゃないか。
こんな状態で、彼女になにを話せば良いというのだ。
なにか、なにか。
「えと、これ、どう思います?」
なんとかひねり出した俺の返答は、生首を差し出すことだった。
そうしたら、なんとか会話の糸口が広がるものだと思ったから。
しかし、彼女は俺の方に手を乗せてきた。
ガシッと、思いのほか強い力で。
「ベロキくん、あたふたしてる場合じゃない。」
その言葉に誘導されるように、俺は周りを見渡す。
真っ先に目に入ってきたのは、ガクガク怯えている姉妹。
その視線は確かに、俺へ向けられている。
俺はゆっくり、俺自身を見た。
手に、肩に、頬についている、べっとりとした赤い返り血。
黄色い等身の半分くらいが赤黒く染まっているファルシオン。
手に持っている生首。
そして、傘を捨てて戦闘していたから、全身がびしょ濡れ。
そりゃ、怖いよな。
俺は生首をペラルさんに手渡し、彼女らふたりに歩み寄る。
アプルちゃんには露骨に避けられてしまっている。
しかし、ラフラさんが出てきてくれた。
彼女も、俺を怪訝な目で見ている。
「怖い思いさせて、ゴメン。」
「ああ、えっと、いいのよ。
その、慣れているのね、こういうの。」
「ああ、うん。
ちょっと、ね....................。」
アプルちゃんは、ラフラさんの背後に立っている。
俺のことを、化け物でも見ているような目で睨みながら。
やはり、殺したのはマズかったな。
ふつう、人を殺すのはタブーなはず。
いかなる理由があろうとも。
やっちゃいけないことをしてしまった。
やはりまだ、俺のもつ殺人へ対するトリガーは、歪んだものであるらしい。
「もう、大丈夫だから。
俺たちに任せておいてくれ。」
「わかった、わ。」
俺はペラルさんの元に戻り、彼女から件の生首を受け取る。
まだ生暖かいそれを、死体の胴体部分へ置いた。
こうすれば、一緒にできる。
燃やしてしまおう。
これを燃やせば、なにも残らない。
血痕さえ残らなければ、ここで殺人などは起きなかった。
それがいい。
いや、本当にそれでいいの?
倫理的な問題とか、いろいろ。
....................いや、やろう、やってしまおう。
後悔するかな、どうだろう。
そのときはそのときだ。
「燃やします。」
俺は手をかざし、いつでも炎が出せるように準備する。
たぶん本気で燃やせば、人の死体くらいはこの豪雨の中でも処分できるはずだ。
そして、炎を出そうとした。
そのときに、思い出すことができた。
ああそうだ。
大事なことを調べ忘れていた。
燃やす前に、こいつのターゲットを調べなければ、と。
こういう仕事は、余計な情報流出が発生しないように、紙で写真を手渡すのがふつうだ。
だからきっと、どこかに持っているはず。
そう、たとえば上着のポケットとかに。
あった。
2枚、ある。
一般的なものと同じくらいの、光沢紙。
写真の紙に違いない。
俺はそれを、やつのポケットから引き抜いた。
そして、戦慄した。
そこに映されていたのは。
映されていたのは。
メシア教の教会に入ったときの、俺。
恐らくは監視カメラで撮影されたもの。
「|都合のいい夢《ファンタジック》」での変装が解除されている。
そ
もう1枚は。
もう、1枚は....................。
ラフラさんが、写っていた。
「なんで....................。」
偶然にも、雷鳴が轟いた。
-----
「強いなぁ、まったく。
それにしても、ルキ家の子たちも、慎重すぎるよ。
4人でかかれば、全員殺せたのに。」
「あーあ、『■■■■』の条件、本当にめんどくさいなぁ。
ワタシが戦闘に参加できるのは、歴史が追いついてからだもんなぁ。
また、別のやり方を探さないと。」
「でしょ?」
「うんうん、そうだよね。
せめて、ラフラ・イェーガーは。」
「絶対に殺さないと。」