鯣烏賊 / 第48話

凍峰に沈む街にて その7

「よかったぁ」 数秒間、全速力で走ってみてわかった。 追加した新機能がバグでダウンロードされていないだけで、メンテナンスによる「出力の向上」自体は間違いなく対応されているみたいだ。 名も知らない技術者のあの人にメンテナンスをしてもらってから「鍵《シュリュッセル》」の出力がかなり向上している。 向上、と言っても「トイレの詰まりを取り除きましたー!」みたいな生易しいものじゃない。 トイレで例えるなら流れる水流の勢いが2倍になった感じだ。 温泉で例えるなら40℃のお湯がいきなり80℃に上がった感じだ。 とにかく、ここ数週間はずっとそんな感じで生活してきて完全に慣れてしまった。 その慣れた感覚と差異がない、ということは、出力は確実に向上した状態になっている。 この状態に「アレ」を合わせればもしかして「強《ブースト》」にも..................................................。 いやいや、落ち着け俺。 「アレ」は使った後に俺自身がめちゃくちゃ消耗してしまうから本当に最終手段だ。 やれることはあるだろうし、パキケ君やディラン君と全力で頑張ってもまだ届かなそうな場合だけ使うべきだ。 「禁じ手の解放は慎重にならないとねぇ」 危ない危ない。 うっかり思考が単略になってしまっていたね。 あの技はとんでもない反動を伴う。 ..............................当然、仮想現実のこの世界でも俺がその「イメージ」を持ってしまっている以上は反映されてしまう。多分。 失敗して動けなくなるくらいなら慎重に行こう、俺。 「お」 ビービーと警報が鳴り響き、怪獣の出現を報せる放送が大音量で流される。 ビルや家から大慌てで出てくる人。 「大事なものが残ってるの!」と駄々を捏ねて逃げようとせず同伴者を困らせている人。 慌てないよう呼びかける商業施設の警備員の人。 非常にリアルだ。 体の動きもリアルだし、声もリアルだし、行動もリアルだし..............................。 本当に現実世界みたいだ。 と、感心している場合じゃない。 「全員ジャマなんだよなぁ..................................................上の方に行こうか。」 俺は行列に呑まれる前に上の方向へジャンプする。 ビルの窓枠、道路標識、建物のベランダを足場としてできるだけ高い位置を目指す。 「っぷ........................................。」 ああ三半規管が狂う....................。 これだから「速《ラピッド》」は..........。 まだ限界には達してないけど、このまま走り続けて嘔吐するのはゴメンだ。 速ラピッドを切って一旦酔いを覚まそうとするが........................................。 「あ、足場が..............................」 あろう事か空中で止まってしまった。 後ろから押されているもうな感覚が消え、慣性が明らかに弱まる。 次の足場に届かない....................。 「訳ないんだよなぁ「タランチュラ」!!!!」 俺の腕から、登山ワイヤーくらいの縄が生成される。 この縄は普通のそれとは一線を画す耐久性を持っていて、それでいて長く伸ばせる。 そして最大の利点は、何かに張り付いてくれることだ。 もう川は見えてるんだよ。 このまま「タランチュラ」を建物に張り付けて回れば慣性が生まれる。 そしてその縄を離せば..............................。 「飛んでけ俺ー!!」 「鍵《シュリュッセル》」を使わなくても大ジャンプはできるんだよ! 俺の身体は勢いよく川を飛び越える。 そして川を超えた先には、当然、それがいる。 「いやでっか........................................。」 全高..............................優に40メートルを超えている。 体の長さも、正面から見ただけでは尻尾先端が視認できないくらいに長い。 いかにも超大型らしい体躯だ。 アイランゲェ..............................言いにくいから氷蛇《ヒョウダ》で良いね確かに。 まあとにかくこの氷蛇、でかい。でかすぎる。 この間の液体タコなんかとは比べ物にならない。 こいつの口内に俺が飛び込んでも、大豆ひとつ分くらいの大きさにしかならないね。 そして、明らかに「硬いですよー」とアピールしているとしか思えないくらいに強固な甲殻に覆われている。 どのくらい硬いのか........................................検討もつかないけど、銃の一撃ちや二撃ちじゃあ傷やヒビを入れることが出来ないことはわかる。 「衝《ストライク》」をぶつければ傷はつけられるか........................................? 頭で考えるのも大変だ。 そして目を引くのは体のあちこちに点在している大きな甲殻.......................................便宜上、「大甲殻」と呼ぼう。 首、背中、腰、前後ろ足4本、しっぽ先端に点在しているのが見え、そこから定期的に「冷気」が吹き出し続けている。 「ねえディラン君」 «何だ?» 「もう目の前にいるんだけど..............................殴ってもいい?」 «わかった。許可する。» ........................................まあ。 困ったことは。 「試してみる他ないよね!!!!」 まずはコイツの意識を俺に向けないと。 多分この巨大な生物は俺のことを認識すらしてないだろう。 なら認識をさせるしかない! 俺は自分よりも遥かに小さくて、か弱い生物をたくさん知っている。 そして、その上で鬱陶しく思う生物のことも知っている。 怖い........................................とはならなくても、今すぐにでも潰したいと思う衝動に駆られてしまう生物。 少なくとも俺はその生物を一体知っている。 それは........................................。 蚊だ。 空中にいる俺は、「タランチュラ」を起動させて氷蛇の顔に引っつける。 そしてその太い糸........................................もといワイヤーに体重を預けて、氷蛇の顔に近づいていく。 氷蛇がこちらの存在を見つけたのか、そのギョロリとした目がこちらに向く。 はははっ。 かかったなばかめ。 そりゃそうだよね。 俺だってほっぺたに蜘蛛の糸がついて、そのすぐ横に蚊が飛んできたらうざいもん。 目を開けるもん。 でも今回の場合その「蚊」は。 頭がとってもいいんだよね。 俺が目指すのはコイツの動きの見極め。 そのためには俺に攻撃してもらう他ない。 喰らえ必殺。 「目玉潰しキーック!!!!!!」 「衝《ストライク》」を起動。 糸からの慣性で目につま先が届くよう調整し、つま先を振りかぶる。 ピッタリのタイミングで蹴りを合わせ、そしてその蹴りに「衝(ストライク)」の発散を載せた。 バッチィーンッ!!!! 「ああ、瞬きされたか。」 だが、確実に効果はある。 瞬きされて眼球を守られたとしても、その柔軟に動く瞳は果たして本当に硬いのかな? そんな訳ないよね。 「うおお、怒ってる怒ってる。」 鬼のような形相でこちらを睨んでくる目の前の巨大生物。 どうだい? 蚊にチクリと刺された感覚は。 痒いか、いや、どちらかと言うと多分、「痛い」よね? 「グオオオオオオオーッ!!!!」 「かかってこいデカブツ!」 ----- 「と、いう方向で頼む。パキケ」 «オーケー。» 「ユリは俺と合流することにしよう。さっき言った場所に来てくれるか?」 «わかったわ。» ふう、とディランは一息ついた。 バグは仕方ないとはいえ、イレギュラーはイレギュラー。 ベロキに責任はないが、対処はしっかりしなければならかい。 パキケには火力不足を補ってもらうために「|貫く矢《オーディン》」を多く使うよう指示したし、ユリがトラップを貼り終わったことも確認している。 さて、状況はどうだろうか、と、ベロキを向かわせた方向すなわち氷蛇が出現した方向を見る。 すると、いきなりベロキから通話がかかってきた。 「ごっめーん!!! 連れてきちゃった!!!」 目を凝らして見ると、氷蛇がその巨体を拗らせながら爆走している。 どう見ても怒っていて、それは人間が部屋に現れた虫を潰すときの形相と似ている。 (ベロキめ....................なかなか鬱陶しいことをしたらしいな) だが問題は無い、とディランは知っている。 «大丈夫だ。» なぜなら、そこにはユリが仕掛けた超火力の罠爆弾が存在しているからだ。 起爆まで、あとわずか。
タランチュラ コスモを犠牲にしてワイヤーを生成する。 強度や長さ、張り付きの強さは使用者のコスモ耐性に依存する。 ベロキの場合、一度に「200m」以上のものを生成してしまうとコスモ中毒症により気絶してしまう。 オプション武装としては圧倒的人気を誇っており、この縄を使いこなすための教則本があるくらい。 当然、ベロキは読んでない。

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