鯣烏賊 / 第70話

不倶戴天の不協和音 その10

「ふーっ、ふーっ........................................。」 シュルシュルという単調な音たちが空気を引き裂き、まるで危険信号のようにそこに存在している。 その触手たちが発する音たちに隠れるように、ポロポロとあたりの天井やら壁やらの断面(点)たちから、欠片たちが剥がれ落ちてゆく。 先程までは狭い室内であったそこの壁は、まるで最初からそこに存在していなかったようである。 厳密には、未だにありはするのだ。 ただ、まるで大規模に崩れてしまったジェンガのようにそこらに転がされているのみである。 崩れる、砕かれるという表現よりも、「切り刻まれた」という表現の方が適切だろう。 それくらいに、そのガレキたちの「断面」は綺麗で見事なものである。 「はぁ..........はぁ....................か..........ご..........を....................。 わ..........に..............................を。」 その衝撃の余波の渦巻きの「中心」と言える位置には、ただ1人の男がうずくまっている。 男の背中からは漆黒に染まった無数の「触手」がうねうねと生やされている。 その触手の先端付近は剣のように鋭利に研がれている。 「棘」というよりかは、「刃」もしくは「刃物」という表現が適切であろう。 その触手たちの生えている元。 もちろん背中ではあるのだが、触手たちは背中に存在しているもうひとつのとあるものから生えている。 薔薇。 月光の元、破壊されたことで無理矢理作られた窓から差し込む天からの淡い光に照らされた、雅に咲き誇る一輪の華。 やけに明るいものの鮮明ではなく、一体どこからがその薔薇であり、一体どこからが周囲の世界であるかがハッキリしないように、他者の目からは映る。 けれど嫌なくらいに攻撃的で警告的で。 仮にもヒトの形をした生物の背にそれが咲き誇っているという事実だけでも、本能的に不気味であり。 「あっぶな..............................。」 体中という体中に切り傷をもらった俺は、すんでのところで、本当にすんでのところで一命を取り留めていた。 まるで首の薄皮1枚で繋がっているような状況であった。 「うっひ〜、なにアレ....................。」 いいや、さっきまでいい感じに追い詰めてたでしょ。 あそこの、あの瞬間を切り取るなら、我ながらかなりよかったと思っている。 俺という戦闘者個人からは、やつを追い込むような威力の攻撃を提供してやることはできない。 やつ....................シロはその再生能力が戦闘に最大の利点のひとつであることは疑いようもない事実だ。 ずるい。俺も欲しい。 けれど、たとえば心臓や脳などのようにニンゲンの身体を構成するうえで重要な部位の破損が起こると、それの修復を行うために一旦、それ以外の全ての行動を"停止"させなければならないのは致命的な弱点だ。 「はぁ..........はぁ....................。」 「何かのクソゲーかなぁ?これ。」 数メートル先の地面にうずくまっているシロは、息切れに混じりながら、まるで我を失ったように何かをブツブツ唱えて続けている。 表情は危機迫っており、背中に生えた薔薇も触手も殺気を失っているわけではない。 のだが。 「俺の事、見えてるのかな?」 あの触手たちを、ほんの少しこちら側へ動かすだけで俺のことを攻撃できる場所にやつはいたのに。 しかも、あの背中の薔薇。 ついさっきまでの俺は、あの薔薇のことを何かしらの「初見攻撃」だと思い、警戒しまくっていた。 だから絶好のチャンスだったはずなんだ。 そう、さっきまでは。 「念の為離れよう。」 「うん、そうだね。」 あの薔薇の淡い桃色の色素が、みるみると抜け出ている。 その色素が抜けてしまってゆくその薔薇は、あの嫌ほどに不気味なオーラを失い、枯れてしまった珊瑚のように退廃的な灰色に染まってゆく。 薔薇の桃色が抜けたからといって、やつがブツブツ唱えている呪文のようなものは未だに終わっていないし、あの危機迫った苦しげな表情も何一つ変わらない。 ....................いや、正確に判断するならば、少しずつさっきのような雰囲気に戻って行っているだろう。 ただひとつ、決定的に変わっていることといえば、背中からうねうねと蠢く触手だ。 さっきまでは緑色に染まっていて、刃ひとつで容易に切断できていたあの茎の触手たちだけど、今見えているものはひと味もふた味も違うように見える。 あの真っ黒に染まった、鋭利な刃を持つ触手は、そう簡単に対処できるような代物ではなさそうである。 しかも、全部で6本あるその触手のうち2本には、まるで口のように開閉できそうななにかが先端につけられている。 さっき俺が食らってしまいそうになったあのビームが撃たれた部分と、とても似たような見た目だ。 あのビームは撃つのに「タメ」が必要そうな攻撃であったが、今の状態を見てしまうと、5秒後に繰り出してきたとしてもなんの違和感もない感じだ。 「さながら第2形態って感じだね。」 背中に咲いた一輪の花が生気を失って枯れてゆき、まるでその生気を吸い取ってしまうように周囲の触手ばかりが強化されてゆく。 「ベロキ、あの花の"光"は何かわかるか?」 「全く....................。」 「俺は「コスモ」だと踏んでいる。 ....................お前は、「黒いコスモ」を見たことがあるか?」 黒いコスモ。 筆記試験のための勉強をするときに、その記述を見たことがある。 コスモの結晶は圧縮してゆくと、まずは黄色い光が助長されて黄金になる。 この黄金は内部の構成物質が活性化したもので、コスモの性質である「なにかの運動を促進させる」という効果が強くなる。 そして、その黄金をさらに圧縮することで、コスモの内部の物質が押しつぶされてゆき、本来の効果を失ってゆく。 コスモの色に黒が入り始めた時点で、本来のコスモの性質は死んでしまう。 だがしかし、それらを全て失ってたどり着いた先に、得るものがたったひとつだけある。 圧倒的な「強度」だ。 過剰に圧縮されてしまったコスモは、なにかの運動を促進するような性質はまるきり失ってしまうが、それを全て失って得た強度は、世界中に存在している物質たちの中でもトップクラスに強く、そして素材として扱いやすい。 だけど、人間の手でこれをほんの少し作るだけでも、莫大な資金と労力がかかるはずだ。 「俺は特殊な事情から圧縮されきった黒いコスモを1度だけ見たことがあってな。 ....................あの真っ黒な触手に外見や質感がまるきりそっくりだったのを覚えている。」 「ほんとにあれが黒いコスモだったら本当にシャレにならないんだけど.....................。」 「いいや、九分九厘そうなのではないかと俺は睨んでいるぞ。」 となるとあの触手たちは、薔薇からコスモを吸い取り、そのコスモを中で圧縮してあれを手に入れた、ということになる。 そんなに大量のコスモは、一体どこから捻り出したんだろう....................と俺は考えてみる。 空気中なのだろうか、周りからなのだろうか、それとも体内に蓄えていたのだろうか。 やつが1度だけビームのような攻撃をしてきたことも思い出してみると、ひょっとしたら体内に蓄えていたのかもしれない。 けれど、生物がそんなに大量のコスモを蓄えられるものなのかな。 あそこまで一気に使ってしまったら、中毒症状を起こしてしまいそうだけど....................。 「ぐ、ぐぐっ....................。」 徐々に、シロの顔に先程までの生気が戻り始める。 左足を持ち上げて片足立ちしたかと思うと、背中の灰色になった薔薇がくしゃりと乾いた音を立てて地面へ散る。 「ぐ、かっ....................。」 まるで頭痛の痛みをなんとか抑えようとするときみたいに額に手を当て、呻き声をあげている。 その頭を抑えている手にも、細いが黒いラインがあらわれていることから、やつの体中の植物部分が黒く変色していることが見て取れる。 「ベロキ。あの手足の黒いラインはおそらく見掛け倒しだ。 あのくらいの細さならばなんの影響もないだろう。」 「触手は?」 「どうやら間違いなさそうだ。 ....................先程までとは比べ物にならない強度と威力になるぞ。」 シロは額に手を当てたまま、立ち上がる。 背中の触手が1本、素早く方向転換したかと思うと、風切り音をたてて素早く動いた。 「良い..........。」 俺は何かを感じ、素早く右側を警戒。 そのまま半歩左へ動く。 ヒュン!という音とともに俺の右側を黒い何かが通り、俺の頬から血が1滴垂れ落ちる。 「良い....................体だ。やはり"母上"の仰っていたことは正しかった....................。」 「まっずいね。」 先に言っておくと、俺は動体視力にそれなりの自信がある。 たぶん、普通の人間の数倍は良いだろう。 そんな俺の目でさえ、いまの触手攻撃をただの「雰囲気」と「シルエット」でしか視認することが出来なかった。 おまけに、完全に避けられた訳じゃない。 「ディラン君、見えた?今の。」 「いいや....................全く何もだ..........。」 だめだ。 今のやつが、全く、何も見えていないなら、これ以降のやつの攻撃をディラン君が避けられるわけがない。 ディラン君は要だ。ここで彼に死なれたら勝てる確率は0パーセントと言っていい。 だからせめて、ディラン君だけはここから一旦逃がし、確実に有終の美を飾ってもらわなければならない。 「ディラン君。」 俺は「鍵《シュリュッセル》」を起動する。 ダイヤルを回し、選択するのは「透《カメレオン》」。 「俺が何とかして、30秒稼ぐ。」 「ベロキ、何を....................。」 俺は取り出した「透《カメレオン》」の透明なヴェールをディラン君に手渡す。 「これを被れば、あいつはディラン君のことが見えなくなる。 離れるんだ、とにかく。やつの攻撃が届かないところまで、ただひたすらに走るんだ....................!!」 「でも、お前は..........どうするのだ?」 「ああ俺?」 1歩前に踏み出す。 「今から合図をする。そしたら、俺は死ぬ気で時間を30秒稼ぐ。 30秒経ったら俺はアレを使ってとにかく暴れる。」 「お前をひとりで行かせる訳には..........。」 「何を言っているんだ、ディラン君。 最後を飾るのは君なんだよ?」 「ぐ..........そういうことか....................。」 もう一歩前へ。 俺とやつは10メートルくらい離れていた。 一旦はこの辺りの距離を「射程圏内」とみなし、行動することにしよう。 「チャンスは絶対に作る。「排撃《リジェクト》」で。 ....................だから、行くんだ、今すぐ!」 「極めて不本意だが、頼んだ..........!!」 ディラン君はさっき手渡したヴェールを頭から被り、俺の視界から消える。 自分から姿を消したことは何百回もあるけど、こうやって他人に使うのは初めてのことだ。 やや目新しい新鮮さを感じながら、俺はシロへ振り向く。 「..........向かってくるのか?ひとりで。」 「ああ、君をぶち殺すためにね。」 シロの顔にまで、あの黒いラインが到達している。 もう"変身"や"形態変化"は終わったみたいだ。 やつの態度も安定している。 「その前に質問させてもらう。」 「くっくっく..........私は気分が良いからな。良いだろう。すこしなら答えてやる。」 ふーう、助かった。 すんなり答えてくれそうだから、生身であの触手とやり合うことにはならなさそうだ。 「鍵」に手をかけ、ダイヤルを少し回す。 俺はコォォォォッと深く息を吸い込む。 これは、殺し屋時代によくやっていた呼吸法だ。 周囲の空気を飲み干すようなイメージで、肺へ、そのもっと奥へ大気を吸収する。 俺の体の中から、フワリフワリと何かが出てゆくのがわかる。 多分これは俺にしか見えていないし、実在するものでもないのかもしれない。 けど重要なのは、「視える」ことだ。 俺のものも、もちろん相手のものも。 シロの体からだって、同じものがゆらぎ出ているんだから。 「....................呼魔《コマ》。」 ただゆらゆらと、俺の世界で何かがゆらぐ。 それは悪魔なのかもしれないし、天使なのかもしれないし、妖精なのかもしれない。 今回は、悪魔の力を借りることにする。 制限時間は5分だ。 どうせたったの5分。 やれることもやりたいことも、ぶっ倒れる前に全部やってやろうじゃないか。 「鍵《シュリュッセル》....................。」 たとえ俺が、勝利へのしがないひとつのパーツだったとしても。 正真正銘、奥の手だ。 仮にこの手がやつへ通じなければ俺は....................。 ここで死ぬ。

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