鯣烏賊 / 第108話

少年、借り物の靴を脱ぐ その7

海が、赤黒く染まっていた。 無我夢中で気がついていなかったけれど、ステゴさんから「やめ」の合図がかかったそのときに、海上はまさに死屍累々という感じであった。 白色もしくは黄色の体色をした巨大魚の死体が、所せましと浮かんでいる。 首だけが切り落とされている個体もいるし、全身がぷかぷか浮いていることもある。 内臓はぶちまけれて、吐瀉物だって見かける。 「これは、処理が大変になりますね。」 ひときわ大きな個体の上に、俺とフォーザッツさんがふたりでいた。 互いに武器は必要ないから、既にしまっている。 俺は胡座をかいているけど、彼は座っていない。 座らないかと誘ったけど、拒否したのはフォーザッツさんだ。 から俺一人だけが座ったところでなんの罰も与えられないだろう。 疲れきったこの足を存分に癒してやろう。 「いやはや、疲れましたな。」 「同感です。長すぎました。」 「ふふっ、あれでも普段よりは楽ですよ。 あなたは強いから、慣れていただかないと。」 あれで楽なのか。 俺の持つサンプルは今年、もといさっきの一戦しかないからわからないな。 量が増えたりするんだろうか。 それとも個体が弱かったのだろうか。 「いやはや、正直なことを言いますが、私はあなたを舐めていました。 子供だからムリをさせたくなかったのでね。 なので裏方に徹してもらおうと思って突き放していたのですが。 ....................この度は大変な無礼を。」 「ああいえ、いいんです。」 結局俺は、あの自称カミサマの思いどおりの行動を取ってしまった。 街中からトンボ帰りして、戦闘に参加して、よく分からないけれど、フォーザッツさんのなかの基準もクリアしたらしい。 俺なりに正しいと思う行動をしたつもりだが、結果的にこうなった。 ひょっとしたら、俺のやることなすことを見越してあんなことを言ってきたのではなかろうか。 やや気に食わない結果になってしまったけれど、後悔はない。 うん、よかったよかった。 「ところで、ヴィレは。」 「シェルターに行ってもらっていますよ。」 「そうですか、お気遣い感謝します。」 行った、行ったと思う。 約束を破られていたらどうしようもないけれど、そこを無下にするような子だとは思えない。 きっとシェルターに行けば、いてくれることだろう。 「ところでベロキ殿。折り入って頼み事があるのです。」 「頼み事、ですか?」 「ええ。少々ややこしく、困難なことなのですが....................。」 「聞かせてください。」 それは、結構ヘビーな内容だった。 この近郊の海には、マリンヒュドラと呼ばれる大型生物がいる。 そのマリンヒュドラこそが、このウツボの群れの襲来の原因だというのだ。 「でも、ここにやって来るのは、エサを探しに来るからなのではないのですか?」 「索餌期なら、その通りです、しかし繁殖期の群れは性質が違います。 マリンヒュドラが卵を産み落とす時期と、タイタンウツボの繁殖期が、ほとんど同じ時期なのです。」 「話が見えません。」 「逃げているのですよ。 マリンヒュドラは海底に卵を産みます。 そうやって襲来する巨大生物から、ウツボたちは逃げているのです。」 うーん、やはり話が見えない。 その、ヒュドラという生物がいるということは理解した。 群れがやってくる原因もわかった。 「放っておくのはダメなのですか?」 「いけません。マリンヒュドラは"大地の血管"由来の危険な生物です。 このあたりの海域が栄養豊富だから、産卵の時のみ血管から地上へ出てきます。 放っておいた場合、漁業や観光業などに甚大な影響が起こります。」 それはいけない。 たしかにそんな危険な生物、早急に対処しなければならない。 是非ともついて行ってやろうじゃないか。 ん、待てよ。 大地の血管由来ということは....................。 生物のランクとして、氷蛇と同じくらいの強さになる、ってことか? 「ヒュドラを殺す、ということですか?」 そう聞くと、フォーザッツさんは悲しく首を横に振った。 「いいえ、撃退にとどめます。 討伐するには、さらに大規模な戦線を莫大な予算をかけて敷く必要があります。 そこまでの予算と人命をかけて無数の個体のうちの一体を殺すくらいなら、ここへ来た個体を戦意喪失させて撃退し、卵が産み落とされていれば、その卵を割る。 ....................これが最善です。」 「ヒュドラの数は?」 「一体です。群れる生物ではありません。 わざわざ地上の海で産卵するヒュドラも少ないのでしょう。本来の栄養の多さは血管内部の方が遥かに多いですから。場所取りにでも負けたのでしょう。 なんにせよ、私たちは今まで一体ずつした見たことがありません。」 「でも、産んでたら逃げられているのでは?」 「いいえ。ヒュドラの雌個体には、産み落とした卵を守る習性があります。」 なるほど、だいたいわかった。 多分だけど、繁殖期の群れは、マリンヒュドラ襲来の予告のようなものだ。 ハリケーン直撃前のニュース番組の話題がハリケーンのこと一色になってしまうように、ウツボが来たらその次にはヒュドラとの戦闘が待っている。 ヒュドラは無数にいるうちの一体で、それを殺す。 卵の付近にいるから、卵へ向かえばヒュドラには会える。 そのヒュドラはとても強いから、俺を頼ってきたというわけか。 「誰が来るのです?」 「昨年度は私、先生、御曹司、ペラル殿、リン殿。 それと、面識はないかと思われますが、スピン殿がいました。 御曹司は今年、来れないようですが。」 すごい。 ミクロさんのことを御曹司って言った。 ちょっと面白い。 ん、待てよ。 「リンさん来るんですか?!」 「ええ、ウツボが現れたので、おそらく先生がお呼びになられるでしょう。」 すごい、大所帯だ。 なるほど、ここまで聞くと、ウツボ戦がいかに前哨戦であったかが分かる。 本当に天気予報みたいじゃないか。 「今年はミクロさんとが居なくて、その"スピン"って人の代わりに、俺が入るわけですね。 ....................ミクロさんがいなくて、本当に大丈夫なのですか?」 「勝ち目の無い戦いにはならないかと。」 よし。 ならば行ってやろうじゃないか。 そのヒュドラとやらの戦いに、俺も身を投じてやろうじゃないか。 「わかりました。行きます。」 「助かります。先生には私から頼みましょう。」 うーん、ステゴさんは笑って許可してくれる気もするけれど。 まあいいか。 彼なりに俺のことを気遣っているのかも。 たしかに、認められた気もする。 ちょっといい気分だ。 ----- 一面が、漆黒のステンドグラス。 目の前には白い仮面。 「ワタシは行かない方がいいと思うけどな〜〜〜ぁ?」 また、視界が黒い。 下に床があることから、俺は寝そべっていることがわかる。 俺の視界は、あのやたらと高そうな仮面が覆っている。 もう二度とこの夢は見ないつもりだった。 こんな面倒なことはしたくない。 やっぱりこれは、見ているんじゃなくて"見させられている"んだろう。 「なんだ、おまえは。昼寝にもお邪魔してくるのか?」 「邪魔なんて言わないでよ〜、せっかくキミに有益な情報をあげるために来てあげてるんだからさ!」 「嫌だね。今回ばかりは、おまえがなんと言おうと、俺は行く。」 どうせこいつはいろいろ理由づけて、俺をヒュドラとの戦闘に参加させたくないんだろう。 俺が戦いに参加することで、何かこいつに不利益なことが発声するに違いない。 不利益なこと、か。 例えばなんだろう。 パッと思いつくのは「死」だ。 誰だ、誰に死んでほしいのだ。 戦力的にはステゴさん。 けど、ステゴさんとこいつに、一体なんの関わりがあるというのだ。 そもそも、こいつがしたいことがわからない。 俺が行かないことにより誰がが死ぬんなら、絶対に俺は行くべきだ。 「ワタシはキミに後悔して欲しくないんだよ。」 「嘘つけ。後悔したくないのはおまえだろ。」 「そんなことないよ〜〜?」 決めた。 なんだかんだ少し迷っていたけど、絶対に行ってやる。 おまえが幸せになってしまうのは、なんかこう、ムカつく。 理由は特にない。 「理由の決め手をくれてありがとうね。」 「ええ〜、行っちゃうの?キミが行くことでフォーザッツが死んじゃうのに。」 は? 「....................おまえ、今なんて言った?」 「うふふふ〜。言葉の通りさ。」 くそっ。 揺らぐことを言うんじゃない。 いや。よく考えるんだ。 昨日の夢でのお告げを思い出すんだ。 コイツは嘘をついたよな。 「だいいち、ちんぷんかんぷんだ。ヴィレ君を助けるような場面はなかったよ?」 「うッ、それは、その..........えと。」 ふはは。 やはりコイツは嘘をついていたか。 よく考えたら、コイツは何も言っていないのと同じだ。 どうせ俺の思考回路なら、コイツのお告げがなくてもウツボとの戦闘に参加したはずだ。 それに、明確な嘘もあった。 さっきの戦闘中にヴィレ君が危険になるような場面はなかった。 でもこいつは、最後の最後に重要そうな声色で、ヴィレ君を助けた方が良いと言っただろう。 彼なら何だかんだ、一人でも何とかできるに違いない。 「シッシッ、去れ邪神。俺は昼寝をするんだ。」 「わぁ、酷いな〜。 オホン!今回の件お告げを授けまし....................。」 「いい、いい。帰れ帰れ。」 俺がそう突き放すと、また視界がパリンと割れた。 微かなヤツの笑い声とともに。 ーーーーー そして翌日。 リンさんがアメリカを発った。

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