鯣烏賊 / 第107話

少年、借り物の靴を脱ぐ その6

波の音が鳴らされる。 うち付けられる波と、引き起こされる波。 それらに混じる、金切り声と怒鳴り声。 そして、それらに加えて機械的な音も。 「来たぞ!」 「ウツボだ!」 「去年より早え!」 港中にそんな声たちが響き渡る。 朝の漁を終えて、解体作業をしている漁師たちのものだった。 彼らは、持っていたものを全てその場に置いてゆき、街中へ向けて駆けてゆく。 俺も自身も、その集団に混じる。 その声たちは港から街の方面に移ってゆき、次第に市街地の方向まで届いてゆく。 それを聞いた人々は、自宅や付近の建物の中へと入り、身を潜める。 さながら、迫る外敵から身を守るために巣へ籠る小型生物のように。 「[入って!逃げて!家に!中に!]」 知っている限りの使えそうな日本語を大声で羅列させながら、俺は街中を駆けめぐる。 俺は、俺の声を聞いた人たちが逆方向へと逃げてゆくのを見て、少し安堵する。 できれば、港から500メートル以内にいる人には全員逃げてもらいたい。 だから逆に、港から極端に離れているところに向けて呼びかけても、大した意味はない。 だから俺たち呼びかける人間は、向こう側へと行きすぎないように注意する。 「[地下のシェルターや公共の避難スペースもございます!ぜにそちらもご利用ください!]」 俺の隣では、流暢な日本語で本来俺が言いたいことを言ってくれるヴィレ君がいる。 頼もしい。 こういう瞬間を見ると、ある意味では日本人らしくない名前を持つ彼も、ネイティヴの日本語話者であることを実感させられる。 ついこういう瞬間に、フォーザッツさんの一家はどこからやってきたんだろう、と無駄なことを考えそうになってしまう。 良くない。 俺は首をブンブンと横に振ることで、その考えを振り払った。 「[逃げて!港!行く!ダメ!]」 俺のこの日本語が本当に正しいものであるかどうかはともかく、とりあえず"一般人は港に行くな"、ということを連呼する。 伝わればいいんだ。 断片的な単語でも、とにかく逃げて欲しいことだけを伝える。 目指すべきは、死者ゼロだからだ。 今は爆発音の類は聞こえないけれど、戦えない人が行ってしまっては戦闘の余波に巻き込まれるのも時間の問題。 あそこには大規模に砂を使うステゴさんまでいる。 巻き込ませたくないし、なにより彼らの気を散らせたくない。 行かせてはならないのだ。 しかし、次第に、地域支部のW.M.S.Fの隊員さんたちがやってきて、俺たちの代わりに避難誘導を担当する。 彼らの方が連携も取れているし、地形や地理も詳しい。 その見事としか言えない仕事ぶりで、俺たちの役目はだんだんと少なくなってゆく。 頑張って暇を作らないようにしても、向こう側の連携には入りにくい。 話はほんの数分前に遡る。 ----- «のどかですね。» «そうだね。» そのとき、俺の心境は、全然のどかじゃなかった。 とにもかくにも、昨日の夜見させられたあの不気味な夢が、脳内にこびりついて離れてくれないのだ。 俺だって、今日までここに座っている中で気を抜いていたわけじゃないさ。 100パーセントの集中を索敵に向けていたかと言われると、ちょっと首を縦に振りづらいけれど。 適度におしゃべりしていたし、途中で飲み物を買うために席を外したこともあったさ。 ずっと海を凝視していたわけじゃないさ。 "明日、予告されていた群れがやってくる" あんなやつを信用したくない。 やつはすんごくうさんくさいし、根本的な立場が味方ではないような気がするんだ。 あの仰々しい態度物腰、怪しさ満点のセリフ、与えてくる情報。 全てが信用できなかった。 今さっきの、あの瞬間までは。 けど、ここに腰掛けて。 いつも通りに海を見て。 いつも通りに時間がすぎてゆく。 一回聞いてしまうと、ときおり脳内で再生されてしまうんだ。 すると、考えてしまう。 今ここに、群れが押しかけてきたら? あのウツボが、数百体単位でやって来てしまったら? おのずと、そういう思考になってしまう。 想像してしまうんだ。 最悪の事態のことを考えてしまう。 トラウマ的に、脳が勝手にそう囁いてくるんだ。 «大丈夫、ですか?» 「いや、ごめん。ありがとう。」 そのうちに、会話を交わす余裕もなくなってくる。 精神がすり減ってくる。 予告されてしまったから、もう本当に起こるんじゃないかと思ってしまう。 今この瞬間にも、見えない距離から大量のウツボがなだれ込んできているんじゃないかって。 本当は、向かってきて居るんじゃないかって。 そんな精神状態で、数時間。 変化があったのは、午後の1時くらいだ。 「....................来る。」 直感でしかなかった。 呼魔《コマ》の射程の外だったから、俺には何も見えていない。 たぶん、庭《テイ》を使っている人たちにも見えていないに違いがない。 根拠なんてなかったんだ。 けど、極度の緊張によってビンビンに張り詰めている俺の感覚は、微細ななにかを感じ取ったんだ。 海の向こうから、なにかがやって来ていると。 それも、大量に。 「ヴィレ君..........。」 「[え?]」 「[おまえ、今、逃げる、準備。]」 「[え、あっ、はい。わかった。]」 反射的にそう言っていた。 怪訝な目で見られただろうか。 いや、それでもいい。 逃げないなら、絶対に逃げた方がマシなんだ。 それなら準備してもらおう。 ヴィレ君にそう言って警戒させた俺は、ステゴさんの隣に立った。 庭《テイ》に集中している彼の意識を切らさないように、最低限の情報だけを与えた。 「なんだぁ。急に。」 「来ます。」 「根拠は。」 「勘。」 「そうか。マジに来た時は、フォーザッツのガキと避難誘導を優先しろ。わかったか。」 「はい。」 肯定でも否定でもない指示を受けた俺は、ヴィレ君の方向へ戻った。 そして彼の腕をとって、迷わず駆け出した。 「[えっ?]」 「[いっしょに来い。]」 また怪訝な目で見られたかもしれない。 今度はヴィレ君のみならず、ステゴさんにも。 心配性のヤバいやつだと思われるだろう。 けど、俺はお告げが頭から離れない。 そのせいで、感じたくないものまで感じ取ってしまった。 あのお告げは本当のことだったんだ。 きっとあの群れは、俺が感じたときから数分と経たずにここへ来る。 もう細かな感知はできないだろうけど、絶対に来る。 だから、こうして動く。 そうやって俺が駆け出したのと、ステゴさんたちが生体反応を確認したのが同時だった。 そして、それが漁師に伝わり、後ろから大声でそう叫ばれる。 俺は断腸の思いで、その場を去ったのだ。 波の音が鳴らされる。 うち付けられる波と、引き起こされる波。 それらに混じる、金切り声ど怒鳴り声。 そして、それらに加えて機械的な音も。 「来たぞ!」 「ウツボだ!」 「去年より早え!」 港中にそんな声たちが響き渡る。 朝の漁を終えて、解体作業をしている漁師たちのものだった。 彼らは、持っていたものを全てその場に置いてゆき、街中へ向けて駆けてゆく。 俺も自身も、その集団に混じる。 その声たちは港から街の方面に移ってゆき、次第に市街地の方向まで届いてゆく。 それを聞いた人々は、自宅や付近の建物の中へと入り、身を潜める。 さながら、迫る外敵から身を守るために巣へ籠る小型生物のように。 「[入って!逃げて!家に!中に!]」 知っている限りの使えそうな日本語を大声で羅列させながら、俺は街中を駆けめぐる。 俺は、俺の声を聞いた人たちが逆方向へと逃げてゆくのを見て、少し安堵する。 できれば、港から500メートル以内にいる人には全員逃げてもらいたい。 だから逆に、港から極端に離れているところに向けて呼びかけても、大した意味はない。 だから俺たち呼びかける人間は、向こう側へと行きすぎないように注意する。 「[地下のシェルターや公共の避難スペースもございます!ぜにそちらもご利用ください!]」 俺の隣では、流暢な日本語で本来俺が言いたいことを言ってくれるヴィレ君がいる。 頼もしい。 こういう瞬間を見ると、ある意味では日本人らしくない名前を持つ彼も、ネイティヴの日本語話者であることを実感させられる。 ついこういう瞬間に、フォーザッツさんの一家はどこからやってきたんだろう、と無駄なことを考えそうになってしまう。 良くない。 俺は首をブンブンと横に振ることで、その考えを振り払った。 「[逃げて!港!行く!ダメ!]」 俺のこの日本語が本当に正しいものであるかどうかはともかく、とりあえず"一般人は港に行くな"、ということを連呼する。 伝わればいいんだ。 断片的な単語でも、とにかく逃げて欲しいことだけを伝える。 目指すべきは、死者ゼロだからだ。 今は爆発音の類は聞こえないけれど、戦えない人が行ってしまっては戦闘の余波に巻き込まれるのも時間の問題。 あそこには大規模に砂を使うステゴさんまでいる。 巻き込ませたくないし、なにより彼らの気を散らせたくない。 行かせてはならないのだ。 しかし、次第に、地域支部のW.M.S.Fの隊員さんたちがやってきて、俺たちの代わりに避難誘導を担当する。 彼らの方が連携も取れているし、地形や地理も詳しい。 その見事としか言えない仕事ぶりで、俺たちの役目はだんだんと少なくなってゆく。 頑張って暇を作らないようにしても、向こう側の連携には入りにくい。 「[えっ..........?!]」 そのとき、俺は何も考えていなかった。 何も考えずに、回れ右して、後ろを向いた。 やることがないなら、加勢すればいいじゃないか。 反射的に、そう思った。 ヴィレ君という不安要素はあるが、彼は市民と一緒にシェルターに入ってもらえばいい。 何気なく俺とともに行動していたが、彼は戦えないし、経験すらないはずだ。 「[どこへ..........?]」 「シェルターへ行け!」 英語での指示だったけれど、単純だったから伝わったらしい。 彼は何か言いたげな顔で俺の元に来た。 「おれ、戦える。行きたい!」 「[駄目。死ぬ。]」 「行かせて!」 強情な子だ。 俺だって同じ立場だったらそう言うかもしれない。 まあ、気持ちはわかる。 「[よく聞け。]」 「[うん。]」 悠長に説得してでも、俺は行く。 そしてヴィレ君には、シェルターに入って安全を確保してもらう。 正直な話をすると、ここは大して危険じゃない。 壁と建物を数枚隔てたところまで出てしまえば危険だけど、ここは大丈夫だ。 そもそも敵は海から出てこない。 ヴィレ君は一応、この場にいてくれれば安全ではあるのだ。 しかし万一はある。 シェルターには行ってもらう。 「[シェルターへ行け。俺はフォーザッツにそう言われている。]」 「[....................お父さんが?]」 「[ああ。]」 「[..........わかった。]」 ヴィレ君は人の波に合流し、向こう側へ走って行った。 うん、言いつけは守ってくれそうだ。 俺は再び、回れ右した。 ----- 群れがやってくるのは、それぞれの凶暴期に1度だ。 今回襲来した群れも、例年通りの規模。 特別数が多いわけでも、個体個体が強力なわけでもない。 ただ、例年よりも時期が一週間程度早いということが問題であった。 端的に言えば、人が足りない。 群れの襲来は、フォーザッツやステゴたちがいるところだけではなく、複数の箇所に同時多発的に発生するのが常だ。 そのために、所属柄を気にせず、わざわざ実力のあるものをかき集め、少数精鋭のチームを様々なところに配置する。 フォーザッツたち3人も、そのうちのひとつだ。 しかし例年なら、さらに人数が2人ほどいた。 ステゴが招集するのが常だが、場合によってミクロがいる時もある。 昨年は、リンもメンバーのひとりであった。 しかし今年は3人。 時期尚早であったがゆえ、人の招集が間に合わなかったのである。 捌けなくはない物量だった。 否、非常にゆっくりとしたスピードでウツボの集団を捌き続けている。 このスピードがゆっくりな理由はふたつ。 まず、西側の攻略に当たっているペラルの武装が、一切の攻撃能力を持たないこと。 詳しい性能はフォーザッツも把握していないが、拘束や妨害にフォーカスされた性能であると聞いていた。 的にトドメを刺すには、通常の武装を使う必要があるのだ。 そして、遠距離攻撃の使い手がひとりも存在していない。 ステゴは砂さえあれば無限に近い射程を誇るが、海底の砂は濡れすぎていて使えない。 使える砂は、持ち込んでいる砂のタルの中身に限られる。 フォーザッツは遠距離攻撃ができない。 ヴィレは成長すれば良き遠距離の使い手になるが、今は戦えない。 3人は全員、接近戦のスペシャリストだった。 必然的に、攻略は遅くなっていた。 無理な戦闘ではない。 3人がそれぞれの役割をこなせば、必ず勝利できる。 しかし、時間がかかる戦闘だった。 フォーザッツは迷っていた。 多少、自分の負担を増やしてでも陣形を崩し、ペラルの援護にまわるべきか否かを。 天秤は、かなり傾いていた。 「ペラル殿の援護に向かおう。」 そう思ったときに、違和感に気がついた。 西側からやってくるウツボの数が、目に見えて減少傾向にあった。 西からやってくるウツボは、みな万全なものではなかった。 大抵、ガムのような何かか、もしくは強靭な紐が関節部にいやらしく付着していて、動きが鈍い。 このようなウツボを倒すのは楽だが、このウツボが流れてこない。 「妙だな....................。」 流れてきたところで大した苦ではないが、ピタリと止むのも不気味だった。 しかし、そんなことに気を取られるのもまた間違っていた。 意識を、意図的に逸らした。 目の前のウツボたちに。 フォーザッツはウツボたちの背びれを飛び移り、移動しざまにその巨体たちを切り刻んでゆく。 ステゴがときおり気を遣って砂の足場を置くので、それで少しの休止を挟む。 ここまでがこの一戦のルーティンになっていた。 そして、そこからふたたびウツボへ飛び移ろうとしたときだった。 「せいやーーっ!」 「っ?!」 西から、なにかが速い速度で割り込んだ。 風圧を伴うほどの速さで現れた"ソレ"は、とあるウツボに着地すると、同時にそれの全身を切り刻んだ。 鮮血の中、それはシールドを横に設置したかのような足場に立ち、フォーザッツへ目を合わせた。 "ヴィーーン"という機械音とともに回る刃を持ち、足からは青いオーラを発していた。 「ベロキです!」 フォーザッツの心の中で、戦いのドラムの音色が、高らかに奏された。

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