鯣烏賊 / 第109話

少年、借り物の靴を脱ぐ その8

真夜中の密林の中。 虫やフクロウの鳴き声が「チリチリチリ」とか、「ホーウホウ」とか、四方八方から耳に入り込んでくる。 葉っぱの混じったフカフカとした土が、俺に不思議な浮遊感をもたらす。 ヒトの領域から離れたこの森の中では、月光以外の光源がほとんど存在しない。 せいぜい、ホタルという虫の発する緑色の、弱々しく綺麗な光くらいだ。 存在していたらマズイ。それは山火事だ。急いで消防隊を呼ばなければならない。 真っ暗闇の中でも視界を確保するためのアイパッチをつけているから、一応、まわりは見えている。 どこに木があって、どこに茂みがあるかとか。 鳴いているフクロウはどこに止まっているのかとか。 戦闘を避けるべき小型怪獣の場所とか。 一緒に行動しているフォーザッツさんの場所とか。 「こちらですね。」 俺はひたすら、フォーザッツさんについてゆく。 俺はどこに行くべきかを把握していないけれど、彼は把握しているらしい。 ならば従ってついて行くのが吉だ。 それにしても、夏の日本は暑い。 映画みたいに、日光を手で遮って「ああ、日差しが暑くてたまらない!まるで君の眼差しのようだよ!」というような暑さではない。 なんかこう、不快なのだ。 空気が重苦しい。 ジメジメしているのだ。 「ふふっ、お暑いですか?」 「慣れませんね。これは。」 フォーザッツさんは平気な顔をしている。 こんな顔で「例年よりも涼しいのですが。」なんて言われてしまっては、俺も見栄を張りたくなってしまう。 だから平気なフリをしているけど、キツイものはキツイ。 俺の見栄っ張り精神は、ものの10分ほどで音を上げたわけだ。 近寄ってくる蚊はその都度握りつぶしているから、問題ない。 こんなヤツに俺の血を与えてたまるか。 ああ、こんなところひとりじゃ絶対に来たくない。 フォーザッツさんは、港からの帰るときに、ヴィレ君だけを先に家に返した。 そしてステゴ邸に足を踏み入れ、俺のヒュドラ戦参加をステゴさんに頼み込んだ。 案の定、ステゴさんは笑い飛ばしながらそれを許可した。 むしろ、後でステゴさんの方から誘おうとしてくれたらしい。 何はともあれ、俺は晴れて、ヒュドラ討伐戦への正式参加が決定した。 このときにはまだ多少の迷いがあったけれど、その迷いはフォーザッツさんが帰宅した後にした昼寝の夢で話したカミサマとの会話で払拭された。 ふふっ、俺の心のわだかまりを取り祓ってくれてサンキュー!カミサマ! そして俺はもうひとつ、大きな頼みごとをされた。 「ヒュドラの居場所を突き止めたいのですが、協力していただけませんか?」 ヒュドラは数日間どころか、卵が孵化するまでは固定された居場所を動かないらしい。 だから、戦闘前に居場所を突き止めて、そこに殴り込みに行くのが常だそうだ。 毎年、フォーザッツさんとスピンさんという人のふたりで居場所特定を行っているのだが、今年そのスピンさんは不参加。 だから誰を連れて行くべきか悩んでいたらしいが、どうやら俺は適任らしい。 「ペラル殿という手もあるのですが、私はベロキ殿の方が向いているかと。」 ステゴさんも、 「確かに、コイツのバカみてぇな機動力は役に立つだろうな。」 と、太鼓判を押してくれた。 ちなみに、断る理由はこれっぽっちもない。 俺は喜んでお引き受けすることにした。 そして、日も暮れた時間帯に集合。 深夜帯とも言える現在に、こうして密林内で四苦八苦しているわけである。 いや、嘘をついた。 四苦八苦はしていない。 行くべき道はわかっているのだ。 俺ではなく、フォーザッツさんが。 マリンヒュドラ....................正式には、「轟蒼鱗増頭地竜」と書き、「轟蒼鱗増頭地竜《マリンヒュドラ》」と読む。 飛行能力を持たないから「地竜」。 そして、進化の過程で頭部及び首が増えていったから、「増頭」。 蒼い体色をした鱗を持つので「蒼鱗」。 そして、「轟」。 これはヒュドラのもつ能力に由来する。 マリンヒュドラは、視力を持っていない。 一定の周期で超音波を発することで、周囲の状況を確認する。 そして、ヒュドラはきわめて強力な声帯を持ち、その声帯から発せられる咆哮を武器としているのだ。 テトラファントの使う超音波咆哮とは違い、この咆哮は聴いたものの聴力を通じて、平衡感覚や五感に以上をきたす。 そして、この咆哮の音波そのものが破壊力を持つまでに至っているのだ。 能力のことは作戦会議のことに話せばいい。 今回の議題で重要なのは、一定の周期で発せられる、索敵用の超音波。 フォーザッツさんは特殊な機器を使い、それを追っているのだ。 「すみません。少しズレました。こちらです。」 「了解。」 密林の中だけど、磯の香りがするのがわかる。 俺たちは海に近づいているのだ。 まあ、俗名でマリンヒュドラと「マリン」がつくのだから、海に近いところにいるのは必然とも言えそうだ。 ヒュドラを見た事はないが、かなり巧妙に身を隠しているようだ。 森の中を歩いていて、偶然発見するようなことはないみたいだ。 あ、そうそう。 俺はフォーザッツさんの隣を歩いているわけではない。 「ベロキ殿、なにか見えますか。」 「いえ何も!このまま突っ走って平気です!」 俺は、某アクション映画のように、タランチュラの紐を使って木と木をすり抜けながら移動している。 いわく、ヒュドラは音に敏感だから、少しでも戦闘を行ってしまってはそこでジ・エンドであるとのこと。 ヒュドラを発見したときには既に興奮状態に陥っていて、ふたり仲良く噛み殺されるか。 それとも、ナワバリの侵入者と見なされてあちらから接近され、ふたり仲良くエサの一部として頂かれるか。 機動力が必要であるとは、こういうことであるらしい。 まあ俺も、ずっと空にいるわけではないけれど。 飛び移れそうな木が見つからないときは、一旦降りて冷静になることもある。 そのときだけ、移動は打ち止めだけどね、 「ベロキ殿。少しよろしいでしょうか。」 「何ですか?音を立てるべきではないのでは?」 「会話程度なら、問題ありませんよ。」 フォーザッツさんは、ポツポツと喋りはじめた。 「ヴィレと仲良くしてくださり、ありがとうございます。 迷惑をおかけしていませんか?」 「とんでもない。彼は良い子ですよ。」 「そう、よかった..........。」 しかしすぐに、沈黙が訪れてしまう。 視線を一瞬下に向けると、すごく話しにくそうな顔をしたフォーザッツさんが見えた。 俺に話したいけど、話しにくい。 きっと、デリケートな話題なんだろう。 ひょっとしたら彼は、黙れにも話を聞かれずに俺と話す機会を欲していたのかもしれない。 冷静に考えてみよう。 俺の索敵なんて必要ないじゃないか。 彼が「庭テイ」をすれば万事解決だ。 ああ、つまり俺は完全なる建前のもとここに呼ばれたというわけだ。 いや、ステゴさんも了承を。 ...................ああ、なんて空気の読める人だ。 どうやらたった今日一日で、彼からの俺への印象は大きく転換したようだった。 それも含めて、話しにくいのだろうか。 「まだ少年であるあなたにお願いがあります。 愚かな大人の独り言を、聞いてくれませんか?」 俺から話題を頑張って振ってやろうかとも思った。 そんなときに、向こうからふたたび言葉が飛んできた。 「なんでしょう。」 俺はあのカミサマを信じちゃいない。 けど、面と向かって彼が死ぬことを伝えられてしまっては、そのことを意識せざるを得なくなってしまう。 彼と話せる機会を大切に噛み締めようと思い、俺は返事を返した。 「私は、ヴィレへの教育を失敗してしまったと思っているのです。」 「..........はて?それはなぜ。」 「彼は純粋で真っ直ぐな子に育ちました。 学校の成績も良好で、私のマネをして始めた筋トレも、成長期であることも相まって成果が出てきました。 コミュニケーションが苦手なようですが、彼も頑張っていることは伝わってくるでしょう?」 「ええ、それはもちろん。」 「ですが、私はダメな親父です。」 「いえ、きっとそんなことは....................。」 「いいえ。私は滅多に家に帰れません。 仕事柄関係ないものですが、それでも子と妻には大変寂しい思いをさせてしまう。」 「だってそれは仕方な....................。」 「妻に、言われました。 "お前は2人の子を息子だと思っているだろうが、彼らにとってお前は『ただの尊敬している大人のひとり』に留まっている"と。 ははっ、確かにそうかもしれません。 」 「....................。」 「ヴィレは私のことを、なんと?」 「言ってもよろしいので?」 「かまいません。」 心が苦しかった。 たった一分くらいの話を聞いていただけでも、ヴィレに言われてきた言葉が、まるでトラウマのようにフラッシュバックしてくる。 翻訳機能のときもあったし、拙い英語のときもあった。 けど、彼の言っていることは、大して変わらなかった。 「...................."父さんは凄いんだ"って。」 「そうですか。」 フォーザッツさんは、ハハッと乾いた笑い声を俺に聞かせたあと、もう口を開かなかった。 俺も、何を言う気にもなれなかった。 俺には分からない。 彼が何を思ってフォーザッツさんを尊敬しているのかも分からない。 何を思って俺にああ言ったのかも分からない。 分からないんだ。 だって俺は、家族と暮らしたことがないんだから。 分からないんだよ。絶対に。 沈黙は長かった。 実際のところは、たったの二、三分だったりしたんだろう。 その間は何の異常も危険もなく、スイスイと磯の香りに向けて進んで行けた。 「着きました。ヤツです。」 フォーザッツさんが発した言葉に反応し、俺はロープをその場に垂れさせて移動をやめた。 木々の先。 葉の先。 青黒い生物が、眠っていた。

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