鯣烏賊 / 第75話

不倶戴天の不協和音 その15

"カノジョにいいとこ見せるんじゃないのか" ディランの脳内に、この言葉がこだまする。 ディラン・モルガナイト、19歳。 母はいない。自分を産んだ数年後に死んだ。 父もいない。仕事のさなかに失った。 天涯孤独の身が確定したかれは、たった一人の女性に人生を救われた。 彼はとある女性と、約2年前から婚姻関係を結んでいる。 否、"婚約"というただの約束事のみの話をするならば、生まれた時からその約束を結んでいるといえる。 彼の相手は、ユリ・エルダー。 モルガナイトとエルダーの家系同士で締結された、いわゆる許嫁の関係であった。 この関係を説明するためには、モルガナイト家とエルダー家についてのことを述べねばならない。 モルガナイト家は、約400年の歴史を持つ怪獣討伐の一族である。 人智を超えた生物を"倒す"という概念が生まれた初期の頃から名をあげ、その最前線に立って牽引してきた。 一族に生まれたものは皆恵まれた体躯をもって生まれ、それでいて幼少期から討伐者としてのノウハウを叩き込まれる。 歳が13を越すあたりからは、父などの戦闘に参加はせずとも同行し、実戦の経験も積む。 しかし決して早とちりをすることはなく、天狗になって調子に乗らぬよう、しっかりとプロセスを踏みながら強くさせてゆく。 ディラン本人も、許可試験を受験するのは今回が初のことであった。 代々、|過去の遺物《レガシーウエポン》「|闘い求む拳《ヘラクレス》」を所有し、それを継承してゆく。 書面上はW.M.S.Fからの貸付であるが、事実上の所有と言って良いだろう。 しかしモルガナイト家の勢いは、年々弱まりつつあった。 討伐者を志すものが増加したことで、必然的にモルガナイト家などを優に超える才能を持つものたちが続々と現れたのだ。 そのうちの一人が、トケラ。 彼はモルガナイト家の人間ともよく関わりながら仕事をする討伐者でありながら、世界中を見ても五本の指に入る実力者だった。 勢力を弱めたくないモルガナイト家は柔軟な思考で、次の継承者であるディランを、15歳のときにトケラのところへ弟子として放り込んだ。 なんの前触れも予告もなく違う環境へ放り出されたディランは、それはそれは混乱していた。 そんな中でも新たな環境へ順応し、トケラの指導を受けながらメキメキと実力を伸ばして行った。 トケラが討伐の指導者として純粋に優秀な人間であったかは諸説あり、といったところであるが、それでも背中で魅せるそのスタイルは、本質的に感覚派であるディランにはよく合っていた。 そんな最中に、父が死んだ。 享年40歳、名誉の戦死であった。 離れ離れではあったがディランは父親のことを心から尊敬しており、陰ながら活躍を誰よりも応援していた。 まだ社会に出ず、訓練や修行を積むのみだったディランにとって、これは初めて体験する"大切な人の死"であり、あまりにも関係が深すぎた。 ディランが父と、親子らしく関わっていたのは、10歳くらいまでのもので、親子らしい思い出も片手で数えるほどしかない。 だからこそその思い出はディランの中では非常に尊いもので、何にも変え難い、一生の宝である。 物心ついたときには母がおらず、父と使用人のみに育てられた彼は、たとえ数年会っていなくても、父そのものが精神的支柱だった。 彼の精神が非常にもろく、まだ15歳の未成年であることを、ディランの周囲の人間はようやく思い出した。 彼がどんなに塞ぎ込んでしまっても、周りは彼を責められなかった。 「いずれ父に、強くなった俺を見せるのだ!」と、年頃の少年相応の明るい表情と声色で振る舞うディランは、もう戻ってくることはなかった。 ディランの父が死んだことで、ディランの叔父にあたる人物が当主を継承したが、ディランの叔父は怪獣討伐の技能を持っていなかった。 早急に、当主をディランにせねばならない。 16歳の成人の時に顔合わせをするはずだったリン・エルダーとディラン・モルガナイトは、ここで出会った。 たとえ過去に会ったことがあれど、2人の出会いは間違いなく"ここ"である。 互いに同い年で、誕生日も近かった両者は、親同士によって婚姻関係となることを約束されていた。 両者は互いにその関係のことを伝えれてはいたものの、実際のところ会ったのは互いに幼かった頃の数回。 特に夢を追っていたディランにとって女は二の次に二の次でもあり、ユリのことをほとんど覚えていなかった。 しかし、ユリ・エルダーはそこらの女性などとはひと味違った。 エルダー家は世界的な資産家であり、その家に生まれる女性は必ず特異体質「譲渡性」を持って生を受ける。 この「譲渡性」は非常に有用であり、それを手元に置いておくことそのものがステータスとなりうるものだった。 先程も言ったように勢力を弱めたくないモルガナイト家の思惑により、先例通り「譲渡性」を持って生まれたユリとディランは生まれた時から婚約関係になった。 そんなエルダー家の娘に生まれたユリは、控えめに言って頭のネジが外れた女であった。 それこそ親が育て方を少しでも間違えれば、"ストーカー"や"変質者"となってしまってもなんらおかしくはない....................良い所のお嬢様へはなんとも言いにくいが、いわゆる|過剰な愛を注ぐ者《メンヘラ》であった。 ユリがディランに初めて会ったのは6歳のことであるが、そのときにユリはディランへ全く一瞬に一目惚れした。 その無駄に鍛えられた貴族的な仮面の被り方により表へ出すことなど一切なかったが、覚えている限りにディランの似顔絵を書き殴ってみたり、使用人にこっそり命じて会う度に彼の写真を撮らせてみたりとやりたい放題であった。 ディランがトケラの元に弟子入りしていることに気づいたあとは、トケラがメディアに取り上げられる度にディランが写りこんでいないか念入りに、それはそれは丁寧に確認しては勝手に興奮するような女であった。 15歳のユリは、久々に再開したディランの精神が弱っていることを即座に察知し、モルガナイト家の者に「あとは私にお任せを」と行った後に、ディランとの一体一での話し合いを希望した。 ユリは特別なことを何もしなかった。 ただ、抱きしめた。 年頃の男を女が抱きしめるという動作は、見方によっては別のものを予感させるものだったが、ディランはこの奇妙なたった一つの動作に救われた。 ほとんど面識もなく、ユリから注がれる愛情も認識していないディランであったが、彼女に抱きしめられたことで、これまでの全てがきれいさっぱり肯定されたように感じた。 もちろん褒められたこともあったのだが、"第三者"の"異性"にこのような扱いをされたことで、ディランはまるで自分が素晴らしいことをしたように錯覚できたのである。 男は単純だ。 モルガナイトの当主継承は、ある程度の経験を積んでからしっかりと承ることを宣言し、そして次期継承者の証として、やや早いタイミングであったが「|過去の遺物《レガシーウエポン》」を受け取った。 ユリも、遅いタイミングではあったものの、ディランと出会ったことをきっかけに本格的に討伐者への道を目指し始めた。 ディランもユリも互いに助け合いながら順調に、ふたりの関係だけでなく、ディランの目指すものへの道のりも、順調に進めて行けていた。 「|闘い求む拳《ヘラクレス》」は彼の戦闘スタイルを確定させるものであり、それ以降のものをまるきり全て規定した。 方針を決定したディランの伸びようは凄まじかった。 トケラは滅多に感情を見せない無愛想な人物であるが、段々とディランを1人の討伐者として評価するようになった。 討伐者として順風満帆な生活を送るディランだが、そんな中でとある悩みに駆られていた。 "果たして俺は、ユリと釣り合う男なのだろうか" これまでほとんど面識のなかったディランのように、まるで母のような無償の愛を注いだのみならず、住まいのことをほとんど全てこなし、ディランがそれらを手伝おうとすると嫌がるほどのその奉仕。 ディランの要求にはなんでも答えるユリであるが、逆にユリからはなにも要求が飛んでこない。 ディランこそ、ユリの要求にはなんでも答える準備が出来ている。 経済的に同年代のものよりは確実に豊かである自負があるし、それより気持ちの面でも、なにを要求されても死ぬ気で恩を返す用意をしている。 しかしながら、それでもユリはなにも求めてこない。 ディランはユリに何をしてやればいいのかがわかっていなかった。 ディランもまた、歪んだ愛情をユリへ抱いていた。 無論ユリのその無償の愛と多量の奉仕は、彼女の持つ異常性に他ならない。 しかしそれはディランを幸せにするとともに、着々と狂わせるものでもあった。 そんな心境で、ベロキにああ言われてしまった。 "カノジョにいいとこ見せるんじゃないのか!" ハッキリ言って、ベロキはふたりの関係を一切しらない。 むしろ、ディランがユリに片想いしているのではと勘違いしているほどだ。 そんな解釈の中での、完全回答。 コンマ数秒驚いたディランの体に、無限大とも言える力を与えた。 なお、事実としてディランの強さがこの瞬間に欠片ほども上昇した訳ではない。 しかしその意識は確実に闘志を燃え上がらせ....................。 そして..............................。 ----- 「おお〜〜、すっごい。」 穴、というよりクレーターかな。 本当に一瞬の出来事だった。 俺の背後から現れたディラン君が風のように翔けてゆき、寮棟叩きつけられたシロのことをさらに向こう側へ吹き飛ばした。 威力からして「伍」段目、いや、「陸」? ....................「漆」段目でも納得できる。 つまり、俺が車酔いで視界をグワングワンにしながら必死に行った一連の行動は、この瞬間に実を結んだということだろう。 「い、痛っい....................。」 ディランは腕を痛めたのか、使った右腕を抑えながら地面に落ちてゆく。 苦しい表情を浮かべ、全身の力が抜けたようにフラッと自由落下してゆく。 「滑《スケート》!!」 俺は自由落下するディラン君の先を行き、そのまま落下地点で留まる。 全身に....................特に下半身の辺りに力を込めて待つ。 ズンッ! と、落ちてきたディラン君を両腕で受け止めた。 「かはっ..........。」 「おつかれさま、ディラン君。」 「ああ。しかし、たとえあんな事をして何になるというのだ....................。」 うん、ごもっともなご意見だ。 ちょっとやそっとの痛みやダメージ程度は無効にして、なんなら完璧に傷を直してくるアイツに全力の一撃を撃ち込んで何になるというのか。 しかし実際、たぶんこうしなければ勝てなかった。 「アイツにトドメを刺してくる。」 「な、なぜ....................。いや、しかし。」 「ディラン君は人を殺し慣れてないでしょ? 適任は俺だよ。」 ときに、体で最大級に大きくて、攻撃しやすい臓器ってなんだろうか。 答えは、皮膚だ。 あいつの持つオート再生はできた傷に対応して自動的に行われる。 その傷が大きかったり、すぐに治さなければならない重要な部位であったりすると、やつの脳は再生にリソースを割いてしまうので、行動が阻害されてしまう。 そこで、皮膚周辺に大きな傷を与えてみよう、と俺は考えた。 あの黒い触手の猛攻をなんとかしながら、脳と心臓の同時破壊を達成する....................もしくは肝臓などを傷つけることさえも不可能だろう。 皮膚ならどうだろうか。 なんとか俺が時間を稼いで、「排撃《リジェクト》」のような大きな一撃で絶好のチャンスを作り出せば、表面上の大きなキズくらいつけられるのではないだろうか。 あのディラン君の火力を持ちいれば、贅沢かもしれないけれど、間接的な内蔵などへのダメージを期待してもよいのではないだろうか? 「大成功、って感じかな?」 少しずつ傷を再生しているが、それでも虚ろな目で中を眺めながら震えているシロが見える。 完全にキャパオーバーという雰囲気である。 今までみたいな刺し傷は、治すための面積がそこまで多くなかった。 しかし今回の傷は、面積の広い傷だ。 この間ミクロさんが腕を切り落とした時も、あの場ですぐに再生していなかった。 やはり、結構な成約とともに成立している再生能力のようだ。 「呼魔《コマ》」で感じる殺気も残っているが、微弱なものだ。 このままトドメを刺してしまおう。 と、俺が背反柄の持ち手に手をかけたそのとき。 「嗚呼、わた..........は..........。」 「は?」 消え入りそうな弱い声で、やつが何かをつぶやく。 そのか弱いはずの小さい声が、この場面では逆説的に不気味にうつる。 「わたしと....................きさまは....................不倶、戴天....................。」 「こいつは..........っ!」 違う、違かったんだよディラン君。 こいつは敗北を享受したんだ。 まるで、トドメを刺しにやってくる俺を待っているかのようなこの態度で。 「嗚呼母よ。嗚呼神よ。 私に..........産まれてきた意味..........を与えてくれた....................ことを....................今ここで....................存分に....................感謝する。」 ゾワリ。 そんなふうに、「呼魔《コマ》」で見える殺気が急速に肥大化する。 俺だけが感じているからこそ、その圧力に押しつぶされそうな、そんな不気味な。 邪気。 「あえて、もう一度言おう。」 ピタッとそれが止まった。 止まって、俺の精神が押しつぶされる状態が解除されたその瞬間に、俺は駆けた。 「速《ラピッド》!!」 とにかく急いで5歩目まで踏み込み、その場から急速に離れる。 ディラン君の方に向けて、ただただまっすぐ。 あの殺気はいけない。 あんな狭い寮の人部屋にいたら、巻き添えをくらって死んでしまう。 あの殺気はもう、人間のものじゃなかった。 たしかに、たしかに....................。 あの形をしていたんだ! そして俺には、確かに聞こえた。 あの場を去るときに、一瞬、確かに俺に聞こえさせるために。 アイツはこう言った。 「"弟"よ....................私とお前は不倶戴天なのだ。 だから、ここで私と死んでくれ。」

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