鯣烏賊 / 第116話

少年、借り物の靴を脱ぐ その15

温泉がある銭湯と、ただのお湯だけの銭湯の違いってなんだろうか。 値段? それもあるかもしれない。 確かにここはホテル併設の温泉だから、お風呂だけに入ろうとするとやや割高だ。 なお、俺は温泉だけで運営しているところの料金はひとつも知らない。 効力? 確かにたくさんあるだろう。 怪我によく効く!とか。 美肌効果!とか。 血行を良くする!とか。 むくみが取れる!とか。 ご飯?美味しいの? え、温泉のご飯って美味しいんだ。 知らなかった。 じゃあ、後で食べてみようか? 上がったあとの牛乳? ごめんなさい、お風呂上がったあとって牛乳を飲むものなんですか? 水で良くないですか? 良くないの、ああそう。 「うーーん.....................。」 会話が、弾まない。 俺がヴィレ君にあれこれ話しかけてみても、彼は指を指したり首を振ったりしてくるだけで、言葉での返事を返してくれない。 いや、俺も英語で話しているのがよくないのかもしれないけれど、それでも、なんかこう。 テンションが低い。 ステゴさんに入場券とタオルを買ってもらった俺たちは、ラウンジに彼を待たせてふたりで浴場へ入った。 ステゴさんはイートインのコーナーでヒマを潰しながら待ってくれるらしい。 なにかを食べながら待っているのだろうか。 俺もなにか食べたいな。 「ベロキ、30分とか気にしねぇでいいからな。」 「はい、ありがとうございます。」 そういう彼の片手には、ラムネの瓶が握られていた。 彼は大きなリュックなどを持ってくれるようで、俺たちはそのお言葉に甘えることにした。 俺たちはステゴさんを置いて、浴室へと足を踏み入れる。 いい感じに隣同士に並んでいるロッカーを見つけ出し、そこに俺たちの荷物をねじ込んだ。 そして服を脱いで、タオルだけを持って浴場に向かう。 しかしここまで、ヴィレ君はほとんど喋らない。 喋らないどころか、あまり行動をしたくないようだ。 今も、俺に連れられるようにして歩いている。 しかし、なにか話題の切り口を探さなければならない。 しかし俺は、コミュニケーションが得意な部類の人間ではない。 経験がないので、おそらく、向こうからグイグイ距離を詰めてくるタイプの人間としか仲良くできない。 なにか、話題はないだろうか。 こう、重い話に入る前のとっかかりとして優秀そうな、軽く流せるような話題。 ....................。 そういえば。 彼の体は小さい。 俺は半ば、彼の手を引くように歩いているから、その小ささを実感している。 身長は、135センチくらいじゃないだろうか。 成長期だからなのか筋肉はそれなりについているが、それでも子供らしい華奢な印象を受けてしまう。 でも、ステゴさんは彼の年齢が15歳だと言っていた。 どうも俺の目にはそのようには見えないのだ。 よし、話題ゲット。 「そういえば、ええっと、[年齢は?]。」 「....................12。」 ほらみろ、違うじゃないか。 どうやらステゴさんは何かしらの勘違いをしていたみたいだ。 12歳と15歳なんて、数え間違いや言い間違いの誤差なんかじゃすまないだろう。 「ステゴさんは15って言ってたけど?」 「[それ、兄さんの]。」 「そういえば、そんなことも言っていたね。」 "よし、この話題は使えるぞ。擦り尽くしてやろう"と思った最中に、ふたたび無言の時間が訪れてしまった。 この会話は、案外にも長くは続いてくれなかったのだ。 しかし、俺は諦めない男。 この程度でへこたれるような弱っちい人間ではないのだ。 まだまだいける。 この話をしたことで、思い出したことだってあるんだし。 「お兄ちゃんは今、どこに?」 「[アメリカ。仕事してる]。」 「そっか。フ....................君のお兄ちゃんだし、強いのかな?」 「[....................。]」 やはり、会話が続かない。 だがしかし、ベロキは諦めないのだ! なにか、なにか会話の起点を。 「[シャワー、浴びさせて]。」 「あ、うん。」 俺とヴィレ君は隣同士に座り、シャワーのお湯を全身に浴びた。 心地の良い丁度のとれた温度のお湯が、俺の体をあたため流してくれる。 「ふっ....................。」 一体なにしてんだ、俺は。 あんなに不自然に会話を作ろうとして。 気持ち悪いことをしてるじゃないか。 気まずくならないように下地を作って話したところで、なんの意味があるって言うんだ。 これじゃまるで、俺の評価を落とさないように奔走しているみたいじゃないか。 はあ、バカ丸出しだ。 俺は俺のことすらよく理解できていないというのに、碌なコミュニケーションすら取れないというのに、これからヴィレ君に説教しようとしているんだ。 それなのになんでこんな気持ちの悪いことをしてるっていうんだ。 普通に、話してやればいいだろ。 別に俺は怒る訳じゃないんだから。 それは、俺の役目じゃない。 「あのさ。」 「[シャワー、まだ]。」 すでにシャワーを浴び終えていた俺は、わしゃわしゃとたっている頭の泡を洗い流すヴィレ君を少しばかり眺める。 白い泡が水で流されて、父親譲りの茶髪が姿をあらわす。 「[湯船、行こ]。」 「あ、うん。」 俺はいつの間にか、ヴィレ君の方に手を握られて、引っ張られるようにして連れていかれた。 いつもよりも言葉が素っ気ないのはさっきと同じだけど、少しは気が晴れたんだろうか。 さすが、お風呂パワー。 ヴィレ君は俺を室内の大風呂へ連れていこうとしたが、俺は露天風呂に行きたいと主張した。 ここの露天風呂、端っこのほうに、尖った狭いスペースがあるのだ。 そこなら、まわりにあまり聞かれたくない会話もしやすい。 ヴィレ君は不思議そうな顔をしたが、今度は俺が彼の手を引いた。 そして、その露天風呂の端に、まずは俺が浸かった。 「ああ、気持ちいい....................。」 体からいい感じに力が抜けてゆくのがわかる。 やはりこういうところは、身も心も清らかに癒される。 俺は、温泉と普通のお湯との違いがよくわかっていないけれど、それでもこの雰囲気だけでもテンションがアガる。 なかなか良いものだ。 「入らないの?」 しかし、ヴィレ君はなにやら迷っているようだった。 お湯に指をつけたり、足を少しつけたり離したりして躊躇っている。 その表情は、なんだか苦しそうだ。 「[今、真夏だよ?]」 ヴィレ君は、このお湯を足湯みたいにして使うことになった。 浸からないなんてもったいないなと思ったしまうけど、そう言ったらバカな生物を目の前にしたみたいな顔で見られてしまった。 ひどい。 「....................。」 「....................。」 しかし、ふたたび無言の時間が訪れた。 よくよく考えてみれば、ヴィレ君は俺に話すことなんて、特にないのだ。 会話は、俺が何かを言わなければ始まらない。 言わなければならない。 これはちょっとキツいことだし、できれば言いたくなんてないし。 でも、言うと決めたんだ。 何も話さずに出てきて、「お風呂代ご馳走様です」なんて報告する訳にはいかない。 「あのさ。」 「[わかってる]。」 しかし以外にも、ヴィレ君は俺の言葉に被せて、返事をしてきた。 「[俺にお説教しに来たんでしょ。なんであそこに来たんだって。]」 「いや、ちが....................。」 「[わかってるよ。お父さんが死んだのはおれのせいなんだよ。俺が悪いんだ。 だから家に帰ったらお母さんに謝らないといけないし、お兄ちゃんにも言わないといけない!]」 「..........。」 「[おれが、変な憧れをもって、あそこに行ったゃったから。 ヒュドラのこともよく調べないで行ったゃったから。 それで、お父さんが、お父さんが....................!!!]」 途中から、嗚咽も混じってきた。 昨日から今まで、よほど苦しい思いをしてたんだと思う。 目の前で尊敬していた父親が死んでしまって、それの原因が自分にあると言うんだから、当然っちゃ当然だろう。 だから俺は、彼の話をとりあえずは最後まで聞いてあげることにした。 最後の方は、もはや涙と鼻水をすすり上げる音のせいで、言葉と定義できるのかも怪しいラインだった。 混乱のせいか、内容は何度も重複していた。 途中は支離滅裂なせいで、文法もぐちゃぐちゃ。 日本語能力を持たない俺への配慮なんてこれっぽちもない。 でも、とりあえず聞いてあげた。 人に悩みを吐露した経験がない俺でも、なにかを外に出すことで救われるものがあることは知っているんだから。 これできっと、思考もクリアになるだろう。 「[うっ、うぐっ....................。]」 「十分、言いたいことは言えた?」 「[うん。]」 力のない返答だ。 このままふわっと消えてしまいそうな。 軽くへし折られてしまいそうな。 そんな、儚く弱々しい声だ。 顔色も決して良いわけでは無い。 でもなんというか。 不謹慎だけど画になる面構えだ。 美少年ってのは悩んでいるだけでもいい画になってしまうのか。 「ちょっとは気持ちが晴れた?」 「[うん。]」 彼の表情は晴れやか....................とはいえない。 夏の潮風に揺らされて除くその顔は、まるで美麗な幽霊のようにも見えてしまう。 俺に彼を救うことはできるだろうか。 いや、できない。 俺程度の関係性の人間に、なにかが出来るわけないだろう。 そりゃ、ちょっとくらいは仲良くしていたかもしれないけどさ? そもそも、彼を救うのは俺の役目じゃない。 彼を救うのは、彼自身の役目だ。 きっとこの心の傷は生涯残ることになる。 それは、彼自身が向き合うことなんだ。 「実は俺さ、なにも怒りに来た訳じゃないんだよ。」 「[え?]」 「君を怒るとしたら、それはフォーザッツさんか、もしくは君のお母さんの役目なんだ。 だからヴィレ君は、家に帰ってお母さんにちゃんと怒られるべきだ。」 「[..........うん。]」 俺は迷っていた。 言いたい内容はだいたい決まっているんだ。 決めかねているのは、それに話題を持っていくための切り口だった。 「フォーザッツさんが死んで、どう思ったの?」 「[..........おれのせいだ、って思った。]」 まあ、大体そんな事だろうとは思った。 さっき、あれだけ苦しそうに吐露した内容にも何度も出てきた言葉だ。 「その辺はさ、君が勝手に考えればいいことだ。俺が言いたいのはそこじゃない。」 「[..........。]」 「フォーザッツさんは死んだ。それの原因の一端をヴィレ君が担っているのも事実だ。 けど、それはそれだ。これはこれだ。」 「[何が言いたいの....................?]」 「君さ、夢を諦めようとしてるでしょ。」 それを聞いたヴィレ君は、ギクッとした顔で俺のことを見た。 さっきまで脱け殻のようだったその目に、一瞬だけ光が灯ったようにも見えた。 俺はそれを感じ、俺の予測が正しいことをここで確信した。 「責任の取り方、間違ってるよ。」 「[でも..........お父さんはおれの要らない憧れのせいで死んじゃったんだ! おれに、そんな資格はないでしょ。]」 「夢は諦めちゃだめだ。 無理だったとしても、最後まで貫き通すのが礼儀ってやつだろ?」 「[難しい英語を使わないでよ!]」 「ああ。俺も難しい日本語はわからない。」 俺の言いたい事の全部がわかってもらえているかはわからない。 いや、十中八九、全部は理解してもらえていないだろう。 けれど、それでもいい気がしてきた。 少なくともヴィレ君は「夢を諦めちゃダメ」っていう所だけは、理解してくれているように思う。 十分っちゃ十分かもしれない。 ここらへんが潮時だろう。 「よし、上がろっか。」 「[えっ。]」 「俺の言いたいことはこれで終わりなんだ。 これ以上、言ってあげられることもない。 俺はそんなにすごいヤツじゃないんだ。」 「[....................。]」 そして湯船から体を起こす。 体を拭いて脱衣場に行くために足を踏み出そうとしたその瞬間。 俺の足から力が抜けて、俺はコポコポとお湯に体を沈める羽目になった。 俺は華麗にのぼせたのだ。 のぼせて、気を失って、5歳年下のヴィレ君に介抱されながら思った。 日本語と英語だけど、案外話せてたなって。 コミュニケーションは、言語で行うものじゃないんだなって。 そう思った。 もう、俺にできることは、なにひとつ残っていないだろう。 ----- 「[息子が、ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。]」 「[いいってことよ。それよりアンタぁ、後日フォーザッツの遺品を送り付けるから、ソイツの処理、頼んだぜ。]」 「[すみません、何から何まで。]」 「[ああ、そう。遺品のうちのひとつはヴィレが持っている。後で受け取ってやれ。]」 ヴィレ君のは、ヴィレ君からフォーザッツさんの成分を抜いたような容姿をしている女性だった。 フォーザッツさんは外国人だけど、お母さんは日本人らしい。 同じ茶髪でも、ヴィレ君が日本人らしく見えるのは、彼女の遺伝子のおかげだろう。 彼女は、結構冷静だった。 いろいろ理由はあるだろうが、昨日のステゴさんによる説得の効果は大きそうだ。 あのときは眠すぎたせいでよく聞いておらず、詳細はよく覚えていないけれど。 あれを聞いて一日のインターバルを置いたら、たしかに冷静になるかもしれない。 「[改めて、ご迷惑おかけしました。 ほらヴィレ、挨拶。]」 「[すみませんでした。]」 ヴィレ君はそれだけ言うと、俺の隣から離れて、彼の家に入って行った。 お母さんの横を通り過ぎたけど、その顔はなんだか気難しそうに見えた。 そりゃ、そうだよな....................。 「[夫のことは残念でしたけど。何とかやっていきますから、心配なんてなさらなくて結構です。 私も、職についておりますから。]」 「[そうかぁ。ま、頼りたくなったら連絡することだぁな。]」 「それと、あなた、英語はわかりますか?」 「あ、ええ、はい。一応、英語圏です。」 いきなり英語で話しかけられたせいで、俺の脳は少しだけびっくりした。 てっきり話をされるにしても、彼女の日本語に俺のカタコト日本語で返答するものだと思っていたから。 「ヴィレのこと、ありがとうございました。」 「...................それは、どうも。」 「ヴィレは、あなたに何と?」 「それは、彼の口から聞くべきです。」 「....................うん、確かにそうですね。野暮なことを聞いちゃいましたわね。」 そう言うと、ヴィレ君のお母さんさんは会釈して、玄関ドアを閉めた。 カチッとロックがかけられる音を聞いて、俺たちはその場を去ることにした。 帰り道、ステゴさんはずっと静かだった。 さっきまで気にしていなかったけど、ステゴさんとフォーザッツさんの仲は古いらしい。 平気な顔をしているけど、彼もツラいのかもしれない。 それでもステゴさんの顔はほとんど変わらない。 ちょっと気難しい、少しイジワルなあのおじいちゃんの顔のままだ。 足取りだけは、やや重たいようにも見えるけど。 「なぁ、ベロキ。」 「なんですか?」 「てめぇは、オイラが最後に出来たダチかもしんねぇな。」 「....................?」 ステゴさんはポツリと、呟くようにこういった。 「頼むから、オイラの前で死なねぇでくれよな。とくに、犬死だけはやめてくれ。」 そして、ひとりでにカレンダーが動いてゆき。 いつの間にやら、俺たちがアメリカへ帰国する日がやってきたのだ。

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