鯣烏賊 / 第117話

少年、借り物の靴を脱ぐ その16

日本での1ヶ月は、あっという間に過去のものへとなっていった。 長いようで短い、なんていうものじゃない。 本当に、短い1ヶ月だったように思う。 最初の5日間で、ステゴ・オトズナさんというお年を召したお爺ちゃんに出会った。 しかし、そのお爺ちゃんは、血に飢えた殺人鬼にも等しい戦闘狂だった。 俺の返事など聞かずにいきなり戦闘を持ちかけて、ボコボコに叩きのめしてきた。 それから、三心《サンシン》の応用技術の会得に励んだ。 それで、「庭《テイ》」という技術の才能がからっきしだったらしく、どう頑張っても習得できなかった。 そこにステゴさんが現れて、外に連れ出して、俺に戦闘を持ちかけた。 結局は、俺と戦闘をするための方便だったということだ。 そして、3日間くらいかけて、それはそれは丁寧にボコボコにされた。 ステゴさんに勝てば怪獣討伐のイロハを教えてくれるとかで、俺はそのために彼に勝とうと頑張ったわけだ。 結果、勝つことはできなかったが、それを教えてもらう権利を得ることには成功した。 そして俺は、授業が行われるよりもはるか前に、特に詳しい説明も受けないまま、とある大仕事に駆り出された。 タイタンウツボという魚怪獣の群れが襲来するので、それの対処を行うという仕事だ。 その仕事の中で、とある父子と知り合った。 父の名前はフォーザッツ。 茶髪でキリッとした顔立ちの、容易に外国から来たことが想像できる姿をした男性。 スマートでダンディな男の人だけど、なかなか複雑な価値観お持ちの方だった。 子の名前はヴィレ。 フォーザッツさんと似た容姿だけど、やや日本人っぽさが残る少年。 英語は拙いけれど、頑張って俺とのコミュニケーションを試みてくれた優しい子。 俺と同じような仕事に就くことが夢であるらしい。 そうしてペラルさん、ステゴさん、フォーザッツさんの3人は、ウツボが現れるその日まで、半永久的な待機を続けた。 俺は「庭《テイ》」での長距離索敵ができないから、ヴィレ君と一緒に後方で待機していた。 ここで、ヴィレ君と仲良くなった。 俺もヴィレ君も暇だったから、互いの言語で拙い会話をしてみたり、スマートフォンの翻訳アプリでコミュニケーションをとってみたりした。 彼は本当に純情可憐で、愚かなくらいに真っ直ぐな、いい子だった。 このとき、時々現れる魚怪獣と戦闘する、というステゴさんからの授業があった。 これは俺を強くするためというよりも、ウツボ戦へ向けての経験を積むための授業だった。 海のある場所での戦闘には、たしかにこれを通して慣れることができた。 1週間くらいは何も起こらなかった。 けど、ウツボが襲来する前日の夜に、俺の夢に怪しい"自称カミサマ"が出てきた。 こいつは、明日の戦闘には止められても絶対に参加すべきだ、みたいなお告げをして消えていった。 翌日の戦闘に、俺は参加した。 結果として、なかなか俺を1人前の大人として扱ってくれなかったフォーザッツさんと、少しだけ分かり合えた。 あの人は、俺たち子供が心配なだけの、普通の大人だったのだ。 そして、ウツボ襲来の原因となるマリンヒュドラという生物との戦闘メンバーに誘われた。 あのカミサマには反対されたけど、俺はその戦闘に行った。 リンさんもメンバーに加えた戦闘は、順調に進んで行った。 倒せる気がしない相手だったけど、急所である逆鱗へ攻撃を加えることで、なんとか撃退へ持っていくことができた。 代償として、フォーザッツさんが死んだ。 即死だ。本当に呆気なさすぎた。 俺もその瞬間は目で捉えていた。 なんとか脳内で整理をつけるまでは、現実を受け入れられないくらいに一瞬の出来事だった。 その死の原因の一旦は、息子のヴィレ君が担っていた。 彼はそれですごく落ち込んでいたから、俺が言ってあげられることは全部言ったつもりだ。 中途半端なことしか言えなかったけれど、少しでも彼の心に響いていたらいいなと思う。 こんなにも濃密な出来事が、たった2週間と少しの間に起こってしまった。 俺は疲れた。 ヴィレ君とお別れしたその日は、再び気絶するように眠った。 二日連続の熟睡である。 そして、滞在期間はすでに半分しか残されていなかった。 ステゴさんは、残り半分で授業をすると高らかに宣言した。 本当に2週間くらいで終わるのかと思っていたが、俺はステゴさんを舐めていた。 なんと、俺はヨコハマ各地を馬車馬の如く連れ回される羽目になったのだ。 ステゴさんはその仕事の関係上、さまざまなところから怪獣出現の情報が報告されてくる。 それらは大抵、ステゴさんの強さを頼って送られてくる、普通よりもやや強力な怪獣たちばかりだ。 ステゴさんはそこに目をつけた。 2日に1度ほどやってくるその報告たちを、すべて俺に横流ししてくるのだ。 俺はそのとき、筋トレしていたり、呼魔《コマ》を使いながら仙人みたいに瞑想していたりするわけだけど。 その報告がきたらそれらは中断だ。 たとえ目的地が街の端だろうと、山の中であっても、海の付近であっても、俺はそこにいかなくてはならない。 そして、そこに必ずいる怪獣を倒すのだ。 俺ひとりで。 ステゴさんはついてくるけど、眺めているだけ。 そして、戦闘の終わりに改善点を述べてくれる。 ただそれだけのレッスンだ。 ステゴさんいわく、俺に足りないのは経験なのだそうだ。 強さは十分に備わっていると言ってくれた。 数分戦うだけで、相手となる生物の特徴や能力を把握できるのは素晴らしい特技らしい。 そう言ってくれるのは、嬉しいことだ。 ....................たぶん、前職由来の特技だけどさ。 経験が足りないと聞いたとき、俺はあとが楽だなと思っていた。 なにせこういうのは、量を経験のとにかく積めば良いのだ。 だから、単純作業だとタカをくくっていた。 実際、そうだった。けれど、想像の何倍も大変なことだった。 経験と言っても、俺が積むべき経験は「10を20にする」ようなことではなかった。 とにかく、「0を1や2まで持っていく」ことが大変だった。 俺に足りないのは、人を守る経験だった。 避難の類が終わっていれば、むやみやたらに戦闘を繰り広げても構わない。 しかし、避難が終わりきっていないなら別だ。 大前提、住宅の付近には近づけてはならないし、避難のための大幅な時間稼ぎが必要なときだってある。 制限のある戦闘は、難しい。 まず、「衝《ストライク》」のような周りにまで影響を及ぼす攻撃は使えない。 そして、俺は敵をなるだけ動かさないような努力をしなければならない。 暴れるなら、森の中みたいな誰も巻き込まないような場所でなければならない。 世の近接武装が、地味な刃や槌である理由が、ここに詰まっている気がした。 スターダスト事務所の付近は、なぜかすごい早さで避難が終わるため、このような制限のある戦闘は初めてだった。 普通は、試験を受ける前に、見学という形でこのような経験を積む。 何百という回数を見ていれば、自然とそれが手本になり、学習も早いからだ。 しかし俺には手本がない。 そんなもの、見たことあるわけがないだろう。 世間から隔絶されすぎた生活を送ってきたのだから。 それに、普段俺の隣に立っている某女性は、まるで戦車の主砲が歩いているようなものだ。 周囲への配慮なんてあってないに等しい。 従って、戦闘後のアドバイスはだいたい、周りへの配慮が主なトピックになる。 俺が、あまりにも下手すぎるのだ。 家屋は絶対に傷つけてはならない。 アスファルトは修理が面倒だ。 周りに配慮しすぎて動きが鈍い。 今度は配慮しなさすぎだ。 バランスを考えろ。 だいたいこんな感じだ。 この生活が、なんと2週間と2日続いた。 俺は合計で8回の戦闘を行った。 間に休みがある日とない日があるのだが、すべてが終わったときには、もうゼンマイは回らなくなっていた。 その日は夕飯どきになっても、俺は現れなかったとのことだ。 ああ、色んな怪獣がいた。 鮮明に思い出すことができる。 特に手強かったのは以下の三体だ。 竹やぶの竹を折って、それを武器として使ってくるイタズラ猿と呼ばれる怪獣。 朝方の浅瀬に現れて、奇っ怪な音を出しながら求愛行動をとる人形魚。 悪臭を放ち、放っておくと爆破を巻き起こすフンをエンドレスで放り投げてくる大きな鳥。 いい経験にはなったんだ。 しかし、二度と戦いたくない怪獣もいた。 特に最後の鳥。 おまえは二度と許さないからな。 俺は目に見えて強くなってはいない。 他人に配慮しながら戦うことを覚えただけだ。 けど、きっとこの業界では、そういう能力が評価されるんだろう。 思えば、ほとんど忘れてしまった試験勉強の内容にも、こんな感じの文言があったのかもしれない。 一夜漬けは良くないね、うん。 全部忘れちゃう。 「ありがとうございました。」 「おうよ。てめぇらも達者でな。」 何はともあれ、お別れの日はやってくる。 予約した飛行機の時間はずらせない。 とはいえ。 みんなにお別れの挨拶をして、飛行機の搭乗口へ向かうだけである。 大したことじゃない。 また会うかもしれないわけだ。 お見送りに来てくれたのは、ステゴさんたちだけだった。 てっきりヴィレ君が来るかと思ったけれど、いろいろ忙しいようだった。 そうだよね。 まあ、彼にはスマートフォンで連絡を取ろう。 そう思って、俺たち3人は飛行機の搭乗口へ向かった。 帰りにもペラルさんになにかイタズラされるかと思うと憂鬱になりそうだが、リンさんがいるので安心だ。 2人は仲が良いので、ずっと喋っているだろう。 ところで。 空港の売店で、「まんじゅう」というお菓子を見つけた。 ミルフィーユの皮のようなものであんこを包んだお菓子だ。 これが、とても美味しい。 しかも、種類がたくさんある。 水まんじゅうっていう、チーズみたいにモチモチしているやつ。 中身がカスタードクリームのやつ。 俺はそれをお土産にすることにした。 なお、お土産を買ったのは俺だけだった。 いわく、2人は何度も来ているから、お土産なんて必要ないとのこと。 慣れすぎだろうと思ったが、そういうものなんだろう。 そして俺たちを乗せた飛行機は、日付変更線へ向けて空を走り始めた。 ----- 女は、キングサイズのベッドへ倒れ込んだ。 人間の身体を吸い取るようして癒すその感触を味わいながら、憂鬱な気分を振り払おうとしている。 「ないわね....................。」 女は優秀な怪獣討伐者である。 トケラ・ヤコブと並ぶ程だと評価するとその女は毎度の事ながら謙遜するものの、その評価は決して間違ってはいない。 少なくとも、単独行動中に大型怪獣と接敵しても、ひとりで何とかできてしまう程の強さは兼ね備える人物なのだ。 それがゆえ、女のもとには時折、無茶としか言いようがない司令が届くこともある。 此度も、そのひとつであった。 「アテは、あるんだよな。」 彼女がどれだけ強くとも、身長が170センチ程度の人間であるという事実は変わらない。 彼女ひとりで、広大なグランド・キャニオン全体で起こっている事件を調査するなど、不可能であった。 それでも彼女は持ち前の能力を活かし、調査地の候補を4種類に絞る作業を終えていた。 この4種類のいずれかに、解決の糸口はある筈である。 しかし、人手が足りなかった。 ウッドバレーの地下カタコンベ。 地方聖堂。 中央街の大聖堂。 大聖堂にある、最大級の地下カタコンベ。 このうち彼女はひとりで、地方聖堂のいくつかを調べ終えていた。 調べ終えていたからこそ、これからのことが不安になっていたのだ。 間違いなく、彼女ひとりでは年単位の時間を要してしまう。 そのうちに原因である、正体不明の怪獣に気づかれてしまうような事があれば、彼女はそれを取り逃してしまう。 事件が終われば解決ではあるが、彼女は原因を取り逃したくはなかった。 「んーー。」 彼女はひとつ、思い出した。 とある知り合いのもとに雇われた新人が、極めて優秀であると。 そして、その知り合いは、ついこの間に自分にメールをしてきた。 結果、その件は彼女の介入前にカタがついたが、彼は今、1人になりたがっていることを彼女に言っていた。 彼女は、直属の上司となるW.M.S.Fの怪獣被害対策長官へ連絡をした。 人手を増やしたい、と率直な連絡だった。 【誰か希望はあるか?】 彼女は悩んだ。 希望はないと答えるのもテだった。 しかし、数日前に彼から興味深い連絡を貰ったばかりでもあった。 長期出張をしていた妹ペラル・ルキが、帰還したのだと。 【ミクロくんのところの新人がいいな】 【承知した。丁度が良いから、ベロキ・ルキの2次試験監督も頼む。 それと、もう1人の受験者も同行させて良いか?監督を探している最中なのだ。 コチョウ、君にも経験はあるだろう?】 【その位はお安い御用さ。大舟に乗ったつもりで、ボクに任せるといい。】 女、コチョウ・ラピスラズリは、その返事を確認すると、度の支度を始めた。 宿泊中であるホテルの滞在期間を伸ばし、アメリカ大陸を少し移動できる程度の資金と荷物をまとめる。 コチョウは向かうのだ。 スターダスト怪獣討伐事務所へと。 歯車は、さらに廻った。

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