鯣烏賊 / 第123話

グランド・キャニオンへ その2

10月3日。 午前10時。 俺、リンさん、ペラルさんの3人は、それぞれがそれぞれの分の荷物を準備し終わり、応接室にて人を待っていた。 その荷物は応接室の端に追いやられて、肩身狭そうに存在している。 これらは、昨日の夜にペラルさん主導のもとで用意されたものたちである。 荷物はといえど、そんなに大層なものじゃない。 旅をするのはそうなんだけど、俺たちの場合は、仕事が仕事だ。 クソデカ荷物を持ったまま戦闘に移行する可能性だって十分にあるわけだ。 俺たちの荷物は、お揃いだけど微妙に色の違う肩下げボストンバッグがひとつずつ。 リンさんがいきなり買ってきた代物だ。 けれど案外にも、デザインが良いし、同じような大型バッグが3つも集合していたら目立つだろうということで、これを使うことになった。 俺たちはこのバッグに無理やり、5日分の着替えを詰め込んでいる。 洗濯なんて現地に到着してから適当にすればいいから、この5日分はとりあえずの保険だ。 その他には、日常生活を行う上で必要になる小物たちや消耗品たち、多少の水分と軽食(栄養食だけど)、そして何が起こっても困らないよう、少しの現金。 「あーあ、せっかく休めると思ったのになー。 街でイイ感じの男の子捕まえて、あんなことやそんなことしたかったなー。 美味しいごはん食べたかったなー。」 これはペラルさん。 さっきからこれしか言っていない。 彼女が布団から起き上がって、着替えて、顔を洗って、ここに来て。 そしてこうして4人で朝ごはんを食べている今の今まで、ずっと繰り返している。 50回くらいリピートして言っているんじゃないだろうか。 「仕方ないよペラルちゃん。 あたしだって行きたくないもん。 けど、所長はとっても優しいから、終わったらドカッと大きく休みをくれますよー!? ね?ミクロさん?」 これはリンさん。 リンさんは面倒くさい面倒くさいと言ってはいるものの、実際の感情はちょっと違うところにあると思う。 どちらかというと彼女は、出張仕事が好きなようだ。 行き先がグランド・キャニオンであることを伝えられたときも、最もテンションを上げていたのはリンさんだった。 「うん、すまない、な..........ハハッ。」 そんな中でミクロさんだけが、ものすごくバツの悪そうな顔をしている。 別にミクロさんに比はないと思うのだけれど....................。 だって、W.M.S.Fからの要請に自ら応えたのは彼女たち2人なのだから。 強制連行される俺とは違うんだぞ。 あ、違うな。 ミクロさんの頭が上がらないのはリンさんだけだ....................心当たりは何個かある。 ペラルさんには何も思っていないだろう。 「それにしても、グランド・キャニオンか。」 グランド・キャニオン。 アリゾナ州にある巨大な渓谷を中心とした観光地であり、人気の居住区だ。 もともとはアメリカ合衆国の国立公園で、観光地だった場所だ。 しかし、岩や砂が多いその地形に怪獣のような大型生物が生息しにくいことから、徐々に人が集まっていった。 元々ここには、先住民族の集落があった。 外部から人が移り、永住することが許されていなかったのだ。 しかし、人口増加の影響から、このグランド・キャニオンの比較的安全な地帯が、実験的に居住区として開放された。 この実験は長い時間をかけて行われ、大成功に終わった。 大規模な予算が投入され、壮大な自然を壊さない程度の開発が進んで行った。 コロラド川の水を頼りとしたインフラ整備。 岩盤の崩落や侵食を防ぐための加工。 夏の直射日光を耐えるための遮光整備。 ハリケーンに耐えるためのシェルター設置。 これらが行われ、開発の目処が立ったところで、人が移り住むことが許可された。 時代が進むとともに外部より人が移り住み、大渓谷を囲うようにしていくつかの小さな街が作られ、植林された小さな人工林たちが数百年をかけて大規模な森林へと発展した。 先住民と移住者たちは、数度のトラブルを経ながら良好な関係を築いて行った。 ここ50年あたりで人気が高まり、大量の人が外部から移り住みはじめた。 既に原住民と開拓民とでのトラブルは解決しているらしく、移住が比較的気楽にできるようになったのだ。 理由としては、土地が安いことが挙げられるそうだ。 なにせ、断崖絶壁にすら家を建てられるから、土地の広さがまだまだ余っているらしい。 そうしてグランド・キャニオン居住区の人口は増え続け、今や開発が始まった当初の数百倍にまで登る、と聞いている。 人が増えるとともに、集団住宅や商業施設も増殖していき、今や非日常を日常にできる場所だとして人気になっている、とのこと。 本当に、すごいことだ。 ちなみに、植林によって生まれた森林や、コロラド川から引かれた人工的な支流の影響から、現在の生態系は昔とは別物。 怪獣の出現率も他地域と大きく変わるわけではないそうだ。 むしろ、乾燥した環境に適応した新たな生態系を見るためにわざわざグランド・キャニオン来て、大渓谷を訪れずに帰る人もいるらしい。 なんかすごく、楽しみだ。 話に聞いたり、調べたりして出てくるトピックたちが皆、"俺の知らない世界"すぎる。 昨日の夜は、ペラルさんと写真家の撮った写真や、旅のブログ記事を見ていた。 もちろん観光気分で行くわけではないけれど、ワクワクするんだ、こういうの。 「ところで、ミクロさん。 コチョウさんっていうのは、どういう方なんですか?」 「ブルー? 性格とか好みとかは過ごしていくうちにわかると思うけど。 あいつはめちゃくちゃカワイ....................。」 「お兄ちゃん、ベロキくんが知りたいのはそこじゃないでしょ? わたしもよく知らないし、初めてなんだよね、コチョウちゃんに会うの。」 「有名な方なんですか?」 「この業界にいると、名前はよく聞くわね。 トケラさんみたいに表立った活躍をしてる人じゃなくて、怪獣由来の特殊な怪異事件の調査をしてるイメージがあるかしら? ま、大衆的には知られていない人っぽいケド。 こんなに凄いのにわたしと同い年なんだから、ホント参っちゃうわよ。」 「そうなんですか..........。 ちなみに、おいくつなんですか?」 「23。」 怪獣由来の怪異事件。 どういうものがあるのだろうか。 俺はどうしても怪獣と聞くと、氷蛇や、この間のヒュドラみたいなやつをイメージしてしまう。 強いひとたちから見ると、もう少し違う概念だったりするのだろうか? ああいや、似たものに会ったことはあるな。 ペストっていう、あの液体タコだ。 あの時はほとんどなにも分からないまま、アロ君が病気ごと解決してしまったけれど。 そういえば、あの街はどうなったんだろうか。 「ブルーが来るまで、あいつの話でもしておくか。」 「是非!」 「まずは強さだな。 ブルーは....................。」 ----- ギンゴーン。 午前11時。 我が事務所の誇る、このデジタル社会に存在しているとは思えないような、古びた玄関チャイムが鳴らされた。 たぶん、もともとは「キンコーン」という普通の音がなっていたんだろうな、と連想させられるチャイム音だ。 「あ、いい。僕が出るよ。」 ミクロさんはドアの前に立ち、ドアノブに手をかける。 インターフォンの画面に映された相手の顔なんか見ずとも、誰が来ているかがわかっているようだった。 「開けるぞー。」 玄関のドアが、錆びた蝶番の音色を奏でながら開かれる。 その先には、1人の女性と、1人の少年が立っていた。 少年は知っている。 彼の名前はパキケ・レイ。 今日以降、ふたたび行動することになる人だ。 関係は....................まぁ、知り合いが妥当だろう。 まだ友達にはなれていない気がする。 その前に立っている女性は、知らない。 しかし、ここまでの話の流れから予想はつく。 髪は真っ青だ。 水色と青色の絵の具を混ぜた色を、そのまま塗りたくったくらいに鮮やかな青。 その髪の毛が、ちょうど耳の下あたりで切りそろえられている。 しかし、ウェーブ的な髪質をしているので、単純に見えて複雑な髪型に見えて....................案外、単純だ。 身長は目算で175センチ。 そして、翡翠の宝石のような、透き通る翠色の眼を持っている。 表情はとてもにこやかだ。 誰かさんみたいに貼り付けられた演技の笑顔ではなくて、"今笑いたいから笑っている"っていう感じの。 おや。 青い髪のショートカット。 翡翠みたいな眼。 眩しいほどに明るい笑顔。 この組み合わせ、どこかで見たことがあるような気が....................。 「たーーのもーーー!!!!」 その女性は、テンションの高い声でそう言い、室内に足を踏み入れた。 玄関に立っていたミクロさんを軽く向こうに追いやって、ズカズカとこちらへと近づいてくる。 そして、空いている席(ミクロさんが座っていたところ)にパキケ君を座らせた。 「あ、久しぶり。」 「1ヶ月ぶりってそんなに久しぶりじゃないよ。」 この子ってこういう子だったっけ。 覚えてないや。 弓をメインウェポンにしていることは覚えている。 確か、追尾する機能と貫通する機能があった。 そのおかげで俺たちは、氷蛇の無効化に成功していると言っても過言ではないのだから。 パキケ君の方を見ると、リンさんの方を見てギョッとした。 リンさんの方も、パキケ君のことを久しぶりに会った関係みたいな目で見ている。 「あ、久しぶり、お姉さん?」 「久しぶり!」 お姉さん、お姉さんか。 ふたりはどういう関係なんだろう。 後で詰めておこう。 それにしても、お姉さん。 パキケ君よりもさらに身長の低いリンさんが、お姉さん..........。 たしかに、年上だけど。 「じーーーっ。」 なんだ、その目は。 "じーっ"ってわざわざ言う必要はないでしょ。 えっ、顔が曇った。 まさか、俺の心が読めるというのか? そうだな。こういうときは。 (いつもご飯を作ってくれてありがとう。 美味しいです。 たまに見る私服、似合ってると思います。 映画を紹介してくれてありがとう。 おもしろかったです。) お、よしよし。 リンさんの表情がなごやかになった。 最悪のデスルートは回避できたと言っていいだろう。 ....................茶番だよね? 「さて、皆さん!」 「あの、ブルー、僕から皆に紹介を....................。」 「え、なんで?ボクからみんなに自己紹介すればよくない?」 「あー、うん、たしかに。そうだな。」 哀れ、ミクロさん。 少しは良いところ見せたかったのだろうか。 それにしても、正面から正論でねじ伏せられる様は、見ていてちょっと面白い。 アーメン。 そして、女性..........コチョウさんは、1歩前に出てきて、得意気な表情でこう言った。 「コチョウ・ラピスラズリです。 はっきり言って、ボクはキミたち少年少女を頼りにしてここまで来た。 だから、頭を下げて頼みたいんだ。 ボクを手伝ってくれ!」 そう言って、コチョウさんは俺たち4人に深々と頭を下げた。 慌てて俺たちも適当な返事を返して、頭を下げ返す。 すごく真っ直ぐな人だ。 なお、ペラルさんだけが少し不服そうにしている。 多分だけど、少女扱いされたことが癪に障るんだろう。 その誤解は後で自分で解いてもらえば良い。 そして、確信した。 容姿だけでは疑惑だったけど、この言動や身振り手振り、態度を見れば一目瞭然だった。 少ししか関わっていないあの女の子とコチョウさんは、とてもよく似ているのだ。 俺はあの子の苗字を知らない。 だから、会うこの瞬間まで、気づくことができなかった。 間違いないだろう。 コチョウ・ラピスラズリは。 コスモス・ラピスラズリのお姉さんだ。

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