夏々湖 / 第6話

教導婦警 幸田詩琳

「あら|詩琳《しおり》、良いところに来たわね」  般若がいた。  幸田詩琳は婦人警官である。18歳で県警の採用試験に合格して以来、婦人警官一筋でやってきた……多分。  今日は定期的に行っている格闘訓練の日だ。  詩琳の師匠は、もう十数年前に定年退職したため、滅多に会うことは無いと思っていたのだが…… 「し、師匠……お変わりないようで……」    詩琳の師匠はやばい人だ。  師匠は中国で、武家の姫として生まれた。  1972年の日中国交正常化で、日中友好の旗印として日本の大学に留学。その後日本に帰化し、陸上自衛隊に入隊。  幼少期から鍛えられた武道を生かし、格闘指導官になった。  その後も自らを鍛え上げ、特殊作戦群設立時にも教官として詩琳の前に立ち塞がっていた……って、何歳だよっ! 七十四歳らしい。  あ、しおりんはめでたく五十歳を迎えました。若返りとかしてないラノベヒロインで五十歳って、前代未聞じゃね? 『ナレーションっ! うっさいわっ!』  師匠の話は続いている。 「流石にあたしもしんどくなったからね、ちょっとこの空挺から預かった|娘《むすめ》の面倒、見てやってくんない?」  白髪の鬼の隣には、可愛らしい新人|女性自衛官《W A C》が立っている。 「|榊原小波《さかきばらさなみ》三尉でありますっ! 教官、お名前を伺ってもよろしいでしょうかっ!」  何がどうしてこうなった? 「あー、わたしは教官じゃないからそこまで|鯱張《しゃちほこば》らなくていいですよ? |幸田詩琳《こうだしおり》、警察官です」 「まぁだそんなこと言ってるのかい、あんたは」  師匠に罵倒された。 「いいかい、榊原。この女はね、民間警察官の皮をかぶった警務官だから」 「違います! わたしは婦人警官なんですよぅ」  警務官とは、米軍で言うところのMP、いわゆる軍警察みたいなもんです。  こんな良くわからない会話を聞かされた榊原三尉は目を白黒させている。 「ああ、ごめんね。師匠はほら、もうボケ始めげへぅ!」  どさっと、詩琳が崩れ落ちた。 「さて、まずは演武と行こうかね。立ちな、詩琳。この新人に特戦の動きを見せてやるよ」  詩琳は畳に崩れ落ちてピクピクしている。  師匠がスタスタと近寄り、トゥキック一発で詩琳に活入れした。 「うう、酷い目に遭いました……」 「幸田さん、大丈夫ですか?」  新人ちゃん、優しいな。 「ありがとう。師匠と訓練してると、このぐらいは良くある出来事だからね……さぁ、リベンジっ!」  振り向きざまに掌底を撃ち出し、弾かれる勢いで後ろ回し蹴り。  |躱《かわ》されても勢いを止めず、左手に持ったナイフを振り出して師匠に迫る! 「ほら、もういつもの癖で回転軸が一本調子。コマじゃないんだから回ればいいってもんじゃ無いよ!」  ナイフを持った腕を一瞬で抑えられ、気がついた時には持っていた筈のナイフを突きつけられていた。 「とまぁ、こんな感じで訓練を進めていく訳だが……」 「あの……何にも見えませんでした……」  新人さんにはちょっと衝撃が強かったらしい。 「詩琳はあたしの弟子の中じゃ、一番マシだからね。もっとも、まだまだ遅いし頭の固い戦い方するから動きを読まれやすいけど、新人のうちはその方がやりやすかろ。あたしゃちょっと一休みしてくるよ」 「お年ですものごふぅっ!」 「雉も鳴かずば撃たれまいて……」  師匠はスタスタと退場し、残されたのは意識不明な詩琳さんと新人WACな|小波《さなみ》さん。 「もしもーし、大丈夫ですかぁ? あのー、幸田さーん?」  その後、助けを呼びに行った小波が連れてきた男性隊員に『|魔法《やかん》の水』を掛けられて目を覚ました詩琳さん、慌てて小波さんの指導を始めます。  変にサボってるとこを師匠に見つかったら、今度は何をされることか…… 「教えるって言っても、わたしが師匠に習ったことを、そのまま伝授するしかできませんよ? やり方はまぁ、師匠よりは優しくしますけどね。わたしはほら、優しい婦警ですから『かわいがり』とかもってのほかですもん」  そう言いつつやっていることは、向かい合って臨戦体制の小波に、一瞬で近づいて転倒させることを繰り返しているだけだった。 「ほら、女の子は体格と筋力の差があるから捕まっちゃダメよ? 力勝負に出た瞬間に負けだからね」  いい事言ってる風だけど、そう言いつつ捕まえに来ないで脚を払いに来るのが、詩琳さんである。 「わたしが動くの待ってたら、間に合うわけないですよ? 自分より早い相手に|後《ご》の|先《せん》を取るには、先の先を押さえとかないと無理よ」  無茶苦茶だ。 「はい立って! 次は後の先の取り方やってみせますからね。好きなようにかかってきなさい!」 「はいっ!」  小波が一気に姿勢を下げ、最速で詩琳に近づこうと……くるっ、すとん!  何故か景色が一回転した上で、畳に座り込んでいた。 「これが後の先、先に動かさせておきながら相手をコントロールするには、動かれる前には勝負をつけとくのよ」  うん、なにいってるかわかんないね。小波さんも『この人何言ってんの?』って顔してるし。そもそも、何されたのかすらわかってなさそうだ。 「はい、次っ今のをゆっくりやるから、もう一度きてくださいよっ!」  そんなこんなで数時間。肩で息をしながらへたり込んでいる小波と、やっと自分の訓練始められるとストレッチを開始する詩琳さんがいた。 「あら、榊原の訓練終わったのね。じゃ、これからも時々見てやんな。代わりにまた詩琳の面倒はあたしが見てやるから」  ああ、詩琳の表情が死んでいく…… 「ほ、ほら、わたしは婦人警官ですし自衛官の訓練は自衛隊で、あ〜れ〜……」  こうして、詩琳の訓練日には必ず榊原小波三尉がやってくることになった。         ♦︎ 「幸田さんっ! おはようございます!」  何度目かの訓練日、道場で待っていた小波が詩琳に挨拶をする。 「おはようございます、榊原三尉。わたしのことは詩琳でいいですよ。どうせ|習志野《ここ》ではみんなが詩琳呼びですし」 「では、自分のことも小波とお呼びくださいっ!」 「はい、ありがとう小波ちゃん。あと、声大きすぎよ」 「はっ! 自衛官でありますからっ!」  なんか認識がおかしいが、一部部隊は確かにその通りだから何も言えない。 「じゃ、今日も早速始めましょう。鬼が出る前に……」  道場で小波と合流した詩琳は、いそいそと更衣室に向かった。  更衣室の扉を開こうと手を伸ばしたところで、扉が勝手に開いた。 「誰が鬼だって?」  更衣室の扉を開けて出てきたのは、言わずと知れた師匠その人。 「さて詩琳、覚悟はできてるんだな?」 「い、いえ、今のは別に師匠のことでは……あ〜れ〜」  いつもの光景である。   「で、今日は午後から飛ぶんだって?」 「はい。ここしばらく飛んでなかったら、団長が拗ねちゃったから飛んでくれって、大隊長が三人も頭下げにきまして……」  随分と自由な組織だなおい…… 「まぁ、仕方ないか。じゃ、ついでに榊原も連れていきな。|自動開傘《スタティックライン》なら慣れてきてるはずだよな?」  師匠が小波に問いかけた。 「はいっ! 榊原三尉、詩琳さんとともに降下して参りますっ!」    午前を道場で過ごし、昼前には三トン半隊員輸送車の荷台で埼玉県の入間基地まで移動する。  となると、当然空挺の他の隊員と一緒になるわけで 「詩琳ちゃんさん、どうぞ、こちらですっ!」 「詩琳ちゃんさんっ! ささ、遠慮なくっ!」  詩琳が空挺に初めて来た頃からすると、考えられないくらいに対応が良くなっている。  もっとも、初めて来てからもうすぐ三十年近くが経過するわけだが……っていうか、ここにいる隊員の半分は、その頃まだ生まれてなかったんじゃ??  いや、それは考えちゃいけない。だってまだピチピチの巡査だしっ!  入間基地でも基本的にその扱いは変わらなかった。 「詩琳ちゃんさん! 席どうぞ!」 「詩琳ちゃんさん! 装備運びます!」  そりゃ、輸送機使った降下訓練するとなれば、習志野ならほぼ必ずここの飛行機が使われる。その度に名物空挺女子がやってくるんだから、こうなるのも当たり前だろう。    トラックを降り、装備点検を繰り返す。万が一装備に不備があった場合、それはすぐに殉職者が出る事故に直結するのだ。全員が、それはそれは真剣に点検していく。 「では、お世話になる402飛行隊に、敬礼っ! 搭乗!」  一糸乱れぬ敬礼と駆け足。よく訓練された団員は、それはそれはかっこいい。  とても、いつも道場で詩琳にコロコロ転がされてる空挺男子とは思えない。 『いや、わたしだって結構捕まってぶん投げられるとか、してますからねっ!』  いや、コロコロ転がしてるのは確かでしょ? 『転がさないと大変なんですってばっ! あの人たち、パワーがおかしすぎるんですからっ! 片手が引っ掛けられたら、もう空中ですよっ!?』  それでも、猫みたいに必ず足から接地するしおりんも、大概だけどな……  そんなこんなで、あっという間に空に上がったC-2輸送機。詩琳が飛び始めた頃のC-1と比べると、より大きく、より静かに、より快適になってはいるけど、所詮は輸送機。しかも降下準備のために加圧を抜いた状態で、一気に5,000ftまで高度を上げていくため、慣れてなければ悶絶レベルの耳の痛みを感じたりする。  入間基地から習志野演習場までは70kmほど。高度を取ったり進入路に乗せたりする時間を含めても15分もあれば着いてしまう。その間に降下準備をしなくてはならないのだ。飛行機の旅を楽しんでいる余裕など全くない。  すぐにまた高度が下がり、|後部ドア《カーゴランプ》が開いていく。   「総員、起立っ!」  降下統制員の指示で、降下する人員が全員立ち上がる。詩琳も小波も一緒に立ち上がった。   「フックアップ!」  天井に設置されたアンカーケーブルに、自分の落下傘から伸びる|静索《せいさく》を掛ける。   「装備点検っ!」  命のかかった最後の点検だ。  静索は捻れていないか、隣の隊員の静索と絡んでいないか、自分の前を通っているか。  落下傘のフラップは閉じているか、開傘ピンは正常か、パックに破損はないか。  ハーネスはきちんと装備されているか、胸、脚、腰ベルトがそれぞれ緩んでいないか、外れていないか。  同じことを予備落下傘でも行う。  小銃、弾薬、背嚢、無線機がきちんと固定されているか、落下の可能性はないか。  どれか一つでもエラーがあれば、即死亡事故に繋がるのが空挺部隊なのだ。  そして最後に、前の人の背中を確認し、正常ならば背中を叩いて知らせる。 「チェック!」 「オーケー!」     「ドア待機っ!」  全員がリヤランプの開口部に向き直り、合図を待つ。  詩琳と小波の降下順は最後尾から二番目と三番目だ。  詩琳たちの位置からだと、リヤランプの外はあまりよく見えないが、風の流れで機体後部が大口を開けていることがわかる。  統制員の上にあるジャンプライトが、赤から緑に変わった。  全員の空気が変わる。   「降下っ!」  先頭から順に、それこそ一秒ごとに隊員が飛び降りていく。  詩琳たちの番が来るまでは、わずかに30秒である。  毎秒一人分ずつ機体後部へと進み、いよいよ詩琳と小波の番が来た。  統制員の前に出ながら降下姿勢を取る。両腕を胸の前でクロスさせ、顎を引き、足を揃える。  統制員に背中を叩かれ、そしてそのまま押し出された。  飛び出し塔から飛び降りる時の姿勢……と言えばわかるだろうか。両手両足頭部がどこかに絡んだりしないよう慎重に、しかし大胆に飛び出していく。  機外に出た瞬間、重力と風に押されて静索が伸びていき、開傘ピンが外れる。  一拍置いてから解放された落下傘本体がスルスルと伸び、大きく風をはらんで展開した。  一瞬の無重力感のあと、ガツンっと股と腰のハーネスに力がかかり、首が振られる。  反射的に頭を上げ、|傘体《キャノピー》を確認する。完全開傘、ライン絡みなし。続いて一秒ずつ離れた僚友との距離を確認する。 「風はいい感じですねぇ。これならど真ん中いけるかも?」  と言っても、敷地の真ん中に降りられるわけではない。機体から放出された『空挺隊員の並んだ線』が、綺麗に一直線に演習場の敷地に描かれる状態だ。  なんと言っても、飛び降りた瞬間は秒速65mで飛んでいるのだ。先頭が飛び降りてから詩琳たちが飛び降りるまでの間に、2km近くも進んでいる。  ここ、習志野演習場は長辺方向が2km強なため、本当にギリギリの隅っこに降下することになる。    高度1,000ftという低空からの降下だが、地上に降りるまではおよそ一分かかる。  例えば3m/sの風が吹いていたとすれば、180m近くも流されたりする。 『降下統制員さんが優秀だから、そんなに外れたりしませんよぅ』  はいはい、優秀だよね。  でも、急な突風一つで狂うのも空挺降下なんだから、油断しちゃダメだよ? 『って、地の文と遊んでたら、もう着地じゃないですかっ! 一番大変なとこなのに、プンスカっ』    詩琳の言うとおり、空挺降下で使う丸型落下傘は、コントロールすることがほぼできない。落ちる時は落下傘任せ、風任せだ。着地の瞬間に風を掴んで……なんてことはできないのだ。  ただただ愚直に訓練で叩き込まれたパラシュート着地――五点接地で衝撃を逃す。    ころりんっ!  しかしっ! 降下訓練では装備品を装備しての降下となるため、小銃とか、バヨネットとかの硬いものが凶器となって自らを襲う…… 「ふぎゃー」  小波の悲鳴が聞こえてきた。60m近くも離れてるのに聞こえるとは、なかなかいい感じで痛い目にあったらしい。  しかし、助けてあげたくてもまずは自分の処理をしなければならない。  片側の|吊り索《ライザー》を引き|落下傘《キャノピー》を失速させて潰していく。手早くやらないと、風をはらんで大変なことになる。突風でもあれば、再離陸の可能性だってあるのだ。  キャノピーを潰したら|懸垂索《ライン》を手繰っていきキャノピーを丸める。回収トラックが来るまでは持っていなければならないが、とりあえず小波の救出に向かおう。 「小波ちゃん、大丈夫? 大丈夫そうね……」  若い娘が股間を抑えてぴょんぴょん跳ねていた。  どうやらころりんの瞬間に、バックパックが地面に引っかかって、股間のハーネスが|食い込み《コマネチ》したらしい…… 「お、お恥ずかしいところを……」 「まぁ、今の跳ね方は女の子としてはちょっと恥ずかしいかな?」  赤くなった小波さん可愛いな。 「ただ、痛かろうがなんだろうが、キャノピー処理はしないと、死んじゃいますからね?」 「も、申し訳ありませんっ!」  今日は風がなかったから良かったものの、風が出ていれば巻き込み事故だって起こるのだ。流石の詩琳さんでも、締めるときは締める。 「あ、それとそのライン処理だとキャノピー痛みますから、先にこっちを丸めてやってくださいね」  これで全員、無事に落下傘をまとめてハーネスを外し終えた。回収トラックに開傘した落下傘を手渡すと、そのまま徒歩行軍で習志野駐屯地へと戻っていく。  こんな感じで、|自衛官《ほんもの》の空挺女子に懐かれるお話でした。  あ、この小波ちゃん、二十五年ぐらい経った頃には、鬼教官になってたりしますが、それはまた別のお話。    余談だが、詩琳は以前この回収トラックに使用済み落下傘と一緒くたに積み込まれた上、松戸駐屯地の落下傘整備中隊に連れ込まれ、落下傘整備の技術も叩き込まれている。  落下傘整備資格者の赤帽も持っていたりする。    一体何者なんだよ、ほんと。

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