夏々湖 / 第6話

猛烈婦警 幸田詩琳

「月が綺麗ですね」  二つ並んだシートに腰掛ける男女。時刻は深夜を過ぎ、もうそろそろ東の空は白み始めてきそうだ。  女が答える。 「で、この状況でそれが何か?」 「いや、月が明るいと……危なくない?」 「でも、この月じゃないとこんなとこ飛べないですよ?」  猛烈な勢いで、地面スレスレを飛ぶ小さなヘリコプター。そこに東洋系の男女が並ぶ。  ヘリコプターの割と広い視界に見えるのは、そろそろ西に傾いてきている満月と…… 「|アールピージー《R P G》っ!』 「あたってやらないっ!」  地上から投射される兵器の数々だった。 「まえっ! トラックっ!」 「見えてますっ! 舌噛みますよ、黙っててっ!」  高度を上げるとそこらじゅうから|9K38《イグラ》対空ミサイルが飛んでくる。  中途半端に下げると、個人兵器に狙われる。かと言ってギリギリまで下げると、こうやって路上障害物が…… 「しゃらくせぇっ!」  左に座っている女性が、サイクリックを薙ぎ倒しながらコレクティブレバーを一瞬引き上げ、フットペダルを反対側に踏み込む。傾きながらテールローターが地面を叩く寸前でトラックをかわし、再び高度を目一杯下げて加速していく。 「幸田さん、いま『しゃらくせぇ』って言いたかっただけでしょ」 「黙って乗っててくださいっ! 割と真剣なんですからっ!」  全速で飛ぶヘリコプターを、重機関銃の曳光弾が追い越して行った。          ♦︎  ことの始まりは、三日前だった。   「え? 今の状況のロシアに潜入作戦ですか?」 「いや、潜入した局員の回収だよ。ただお迎えにいくだけだから安心してくれたまえ」 「安心できる要素が、一ミリもありませんよ?」  警察庁警備局警備企画課。  |幸田詩琳《こうだしおり》巡査は、朝も早くから呼び出された挙句の無茶振りに、ご機嫌斜めである。 「せめて交番勤務でもあれば喜んで行きますけどね?」 「ロシアと言っても北朝鮮との国境あたりだから、すぐそこだよ」 「メチャクチャきな臭いじゃないですかっ!」 「いや、北がロシアに兵力を提供するとの情報があってな。その確認に行った局員がちょっと困ったことに」 「そんなの、警察のお仕事じゃないじゃないですかっ! そういうのは外務省とか政府とかでやってください!」  そうだね、それは確かにお巡りさんのお仕事じゃない気がするよね。 「あ、そうだ、忘れてた。辞令だ。幸田詩琳巡査」 「え? このタイミングで? 嫌な予感しかしないので、帰っていいですか?」 「帰れると思う?」  そう言って封筒を手渡してくる上司。 「はぁ……」  詩琳はため息をひとつつき、封筒を手にする。  そのまま窓の光に透かしてみるも、中身は全くわからない。  諦めて封を開け、折り畳まれた辞令を開いた 『以下のもの、内閣府へ出向とし、情報調査局付とする 幸田詩琳巡査』  いやいやいやいやいや、今まで散々自衛隊とか自衛隊とか自衛隊とかに出向研修はしてたよ? でもさ、これはなかろうて……どう考えても『研修』じゃなさそうだ。 「あの、交番勤務にしてくれません?」 「ほら、きちんと巡査のままだろ? お巡りさんだぞ?」 「いや、そうじゃなくて……はぁ、わかりました。とりあえずこれ済ませてからまた話し合いましょうね?」  幸田詩琳、四十五歳。まだまだ苦難は続く様で……って、ええっ! しおりんもう四十五なのっ⁉︎         ♦︎ 「済ませてからなんて言わなきゃ良かったですよぅ」  ロシアに潜入するまでは問題なかった。  日本海の対岸、ポシェト湾手前まで小型ボートで潜入。湾内は水中スクーターで移動し、上陸後は会合地点のレベジノエ村付近まで徒歩移動。村外れの荒野で潜入中だった内調局員と合流し、そこから海岸まで戻るはずだった。  なんか、気がついたらロシア兵は集まってくるし、朝鮮語も聞こえてくる。  どうも兵隊さん達の夜のお散歩に混ざってしまったらしい…… 「って、そんなわけあるかー! 逃げますよっ!」  幸田詩織は警察官だ。小さな頃から憧れた婦人警官として、社会人の扉を開いたのは十八歳の時。  ワクワクしながら配属された先は、陸上自衛隊での研修、航空自衛隊での研修、海上自衛隊での研修。そして、日本最強の婦人警官として、日夜世界の平和を…… 『くだらない解説してないで、逃げ道の一つでも探してくださいっ! 神視点なんでしょ? 地の文って!』  いや、そこは自分で探してください……  日本最強の婦人警官と、内調のエージェントのペアだ。闇に紛れて逃げに徹すれば、それなりには逃げられるだろうが…… 「海側固められちゃってますね……反対側は2kmで中国との国境だし……北朝鮮との国境は10kmぐらい先かぁ。何か乗り物欲しいです……」 「あー、さっきの場所の先の農機具小屋に、農業用トラクターなら停まってたが」 「トラクターでどうやって逃げるんですかっ! せめて乗用車かオートバイがあれば……」  姿勢を低くしたまま、荒野を駆ける。  と、今まで雲に隠れていた月が顔を出した。  街灯なんてものが全くないこの荒野がいきなり満月に照らされるとどうなるか……見えてしまうのだ。遥か彼方まで。 「伏せますっ!」  こうやって伏せていれば、見つかることはない。しかし、逃げることもできない。 「あ? ヘリコプターの音……」  遠くからバサバサとヘリコプターが近づいてくるのが感じられる。  可視光線で捜索されるなら見つかることはないだろうが、ヘリコプターからサーモグラフィーで探されると詰む。となれば、ここに伏せている意味はない。 「農機具小屋に移動しましょう。そこでちょっと囮をお願いします」  救出相手を囮に使うのか……容赦ないなぁ、詩琳さん。 「小屋の影に入ったら、安心して伏せてる感を醸し出してください」  いや、難しいこと言い始めましたよ、この人。 「近寄ってきたら、手持ち装備でなんとかしますから」  手持ち装備でって、あなた今ピストルぐらいしか持ってませんよねっ⁉︎  農機具小屋は目立つ|障害物《ストラクチャ》だ。当然敵の警備も寄ってきているわけで、近づくのも一苦労だ。内部にはすでに数名の敵兵も入り込んでいる様子が窺える。 「裏手の農具の間から、何となく判るように顔出してみるよ。幸田さんはどこへ?」 「屋根に上がりますよ。このぐらいの屋根ならあんまり音立てずに行けそうですから」  いや、どんな忍者だよ。  まぁ、それだけの訓練を繰り返してきているのだ。この自称婦人警官は。  腰のポーチから|細いロープ《パラコード》を取り出し、置いてある鍬の柄に結びつける。  鍬を立て、その柄の上に飛び乗ったかと思うと次の瞬間には屋根の上に上がり、パラコードに結ばれた鍬も引き上げた。  そのまま音を立てずにサーモグラフィ対策として|耐寒シート《サーマルブランケット》を被り、トタンの隙間に身を潜める。  ヘリコプターの音はどんどん近づいてきた。  そして…… 「あー、聞いたこと有る音だとおもったら……北の|OH-6A《カイユース》じゃないの!」  スーパー婦警幸田詩琳が回転翼機のライセンスを取得したのは、陸上自衛隊の|OH-6D《オスカー》 型ヘリコプターである。  北朝鮮軍のOH-6A型ヘリコプターはかなり古いタイプではあるが、基本的な操縦特性が変わるわけではないため、 「これ、貰えないかな……いいや、貰っちゃいましょう」  いや、普通空飛んでるヘリコプターもらおうとか、考えないからっ! しかもそれ、こっち狙ってるやつでしょ?  そんなの無理に決まって…… 「もうちょい……あと少し、それっ!」  農具の隙間で何故か踊っている内調エージェントが怪しいと思ったのか、フラフラと小屋に寄ってきたヘリコプター。  高度を下げながら、探るように寄ってきたところへ、パラコード付きの鍬を放り投げる。  狙い通り|ソリ《スキッド》に絡みついた鍬。そして、それを全力で引っ張る詩琳。  |OH-6A《カイユース》は軽自動車よりも軽い。そして宙に浮いている。  詩琳程度の力でも、外から力をかけられれば一気にバランスを崩す。  今回はヘリコプターの下側を引っ張ったために、パイロットは反射的に|操縦桿《サイクリック》を引かれた方へと倒して機体の水平を保とうとした。  そう、詩琳の方へと寄ってきたのだ。  ここで安全策として高度を上げられたら詰んでいるところだったが、余程操縦に自信が有るのか屋根のそばまでやってきて   「とぅっ!」    特撮ヒーローもびっくりの大ジャンプ!  詩琳はスキッドに飛びつき、そのまま逆上がりでスキッドの上へ。ドアを一気に開放しながら腰のナイフを取り出し、操縦席のシートベルトを切断、唖然としているパイロットを機外へと引き摺り出した。  瞬間的に暴れ出すヘリコプター。当然そのままにしておけば、五秒と持たずに墜落する。  機体が傾きつつ高度が下がっていく中で、振り落とされるパイロットと、強引に乗り込む詩琳。  乗り込んで仕舞えば、そこは慣れ親しんだ詩琳の世界。コレクティブレバーを引き、サイクリックを倒し、フットペダルを当て、機体を立て直す。 「はい、急いで乗ってください! もう兵隊さん寄ってきてますから!」 「いや、まさかそれかっぱらうとか思わないしっ!」 「遊んでる暇はありませんっ、早くっ!」  とまぁ、そんな経緯で冒頭のシーンに戻るわけで……         ♦︎ 「月が綺麗ですね」 「いや、それさっき聞きましたからっ!」  地面から1ftの高さを全速力で飛ぶヘリコプター。高度計なんて何の意味もない高さだ。  月明かりを頼りに、荒れた道を進んでいく。 「|イグラ《ミサイル》っ!」 「祈ってっ!」  赤外線誘導ミサイルだが、飛行高度が低すぎるために相対角速度が高く、横方向からでは当たる前にシーカーの範囲から抜け出すことができている。 「またイグラっ!」 「もうっ、イクライクラって、イクラ丼はもういらないのっ! わたしは筋子派っ!」  そうこうしているうちに、海が近づいてきた。 「これ、海に出た途端撃ち落とされますよね……」 「障害物ないからな」 「はぁ、海水浴の準備しといてくださいね。ちょっとお水冷たいですけど、海着いた瞬間に飛び込んでくださいな。水中スクーター隠してあるんです」  現在の速度はおよそ120ノット。時速にすると220km/hだ。 「こ、この速度で飛び込むのか?」 「ええ、わたしも行きますから……スタンバーイ、いまっ!」 「だぁっもうっ!」  二人揃って飛び降りた。  高度ゼロ、と言っても速度と水面は容赦をしてくれない。  体を丸め、ゴム鞠のように跳ねたあと、水面に叩きつけられる。  二人分の体重を失い、操縦を放棄されたヘリコプターは、急激に高度を上げたところでイクラ丼の餌食になった。 「ぶはぁっ! だぁ、100mぐらいずれちゃいました……すぐスクーターとってきます! バレないように浮いててくださいっ!」  自衛隊で様々な訓練を受け続けた詩琳さん、SSマーク付きの水陸両用徽章とか付けている。  波気を立てずに静かに素早く泳ぎ、スクーターとスクーバを沈めた場所へと向かった。  月明かりしかない海の中。海岸線と岬のシルエットを頼りに泳ぎ、多分この辺……という場所で海中に音声データ通信を流す。  データを受信した機材が、CO2ガスのフロートを展開して海面に浮上してきた。 「おっけ、生きてる……帰りましょっ」  スクーバの空気は、水深5mぐらいまでに抑えれば、二人でも一時間程度は持ちそうだ。  撃ち落とされて海面で燃えていたヘリコプターが沈んでいくのが見えた。周囲にはロシア兵と北朝鮮兵による無作為射撃の弾が飛び交っているが、狙ってない銃弾はそうそう当たるもんじゃない。  スクーターの電源を入れ、エージェントの待つ波間に戻る。 「はい、これ咥えて目を瞑っててください。引きずって帰りますからね」  詩琳は自分だけマスクをつけ、レギュレータを咥える前に空を見上げた。 「月が綺麗ですね」  詩琳も、ポツリとつぶやいた。 「はぁ……わたし、婦人警官なんですけどねぇ……」  ぼやきながらレギュレータを咥え、波間へと沈んでいく。  そして、回収のための潜水艇との会合地点にむけて、スクーターの舵を切った。

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