橋本直 / 第37話

第32話 ナースのいるオアシス

「ごちそうさまでした!本当にありがとうございます!こんなことまでしていただけるなんて感謝の言葉もないですよ!」  倉庫の隅に置かれた班長の島田が認めた人間だけが使うことを許された応接セット。古びたソファとコーヒーテーブルに並べられた仕出し弁当の空き容器が、無造作に散らばる。確かに島田の言う通り、出された仕出し弁当は下手な外食をするよりもはるかにおいしい代物だった。  島田は人を振り回す。  だが、振り回した先で転ばないように、妙なところにだけ手を回している。  そんな分かりやすい優しさはランと共通しているように見えたが、ランの場合その存在が誠の理解を超えていたのであれは『魔法少女見習い』と言うことで誠の理解は終わっていた。  油と塗装の匂いが染みついた空間で、誠はゆっくりと息を吐いた。暑さがまだ体に纏わりついている……だが、不思議と落ち着く。外の喧騒が遠ざかり、ここだけ時間が少しだけゆっくり流れているように感じられた。  島田は整備班長だけが許された特権であるプリンを指でつつき、目を細める。艶のある表面をスプーンが滑り、柔らかく沈む。彼の表情は、普段の粗暴さを忘れさせるほど穏やかだ。プリン一つで満足する男の幸福が、そばで見ていて滑稽でもあり、温かくもある。 「そんなに感謝されるような男じゃねえよ、俺は。どこの企業だろうが新入社員に飯をおごるなんて言うのはその人間の人生を預かることを命じられた人間としては当たり前の話だ。俺はランの姐御にオメエの教育を任されててね。だからというわけではねえがオメエにはちゃんとした飯を食わせるのは当然のことだ。それより、この弁当。結構旨いだろ?隣の工場がこのところ縮小しててさ、まずい店は淘汰されたんだ。残った店は外れがない。特にこの店は残ったほかの店と比べても安くて味が良い……そういうのを選んだんだ、わかるか?」  島田の声は低く、確信に満ちている。誠は小さくうなずき、汗ばんだ首筋に手をやる。缶コーヒーの冷たさがいまさら心地よい。 「それで……島田先輩に相談なんですけど……次は僕はどこに行けばいいんでしょうか?アメリアさんは島田先輩にあいさつに行くようには言ってくれたんですけど、そこから先はどこに行けとか言ってなかったんで。パイロットと運用艦のブリッジクルーと技術者集団だけじゃないですよね?この隊のメンバーは。一応、一通り挨拶をしておかないと気持ちが悪いんで……先輩の言う通り僕は新人なんで」  誠は箸箱をしまいながら尋ねる。今日一日で部隊の『顔』を回るのだと覚悟してきたが、どこまで案内してくれるのか……島田の答えが楽しみでもあり、不安でもある。 「次ねえ……大所帯と言えばうちとあのデカいおばはん……ああ、アメリアさんのことな。言うなよ、俺があのおばはんをおばはん扱いしてたなんて。あのデカいおば……いや、姉ちゃんは頭が回るからそれを知ったら俺にどんな無理難題を吹っかけて来るか分かんねえんだ」  そう言って島田は真剣に誠のために考えを巡らせてくれていた。  それが誠には嬉しくもあり恥ずかしくもあった。 「次ねえ……ああ、管理部はやめとけ。明日、制服を取りに行く時でいい。あそこはおばちゃん達と仲良くしとけば得だ。制服を縫ってくれるし、掃除も助けてくれる。だが、今行くと粘着質な変態に当たる。初日からあれはきつい。うちは技術屋だから裁縫関係はまるっきりでな。運航部の変な髪の色が売りの女芸人は家事なんてろくにできねえし。確かにあの髪の色はアニメキャラのコスプレをするときは便利だな。普通に紫とか青とかピンクとかの地毛の人間なんだからあの女芸人の中で一組、芸能事務所から声がかかったコンビはアニメキャラのコスプレで漫才をするというネタでそれなりに受けてたけど……そんなの仕事と関係ねえって思うんだけどあのアメリアさんがそれをけしかけてるんだから仕方ねえか」   島田の明らかに嫌なことを語る顔を見て誠は島田は本当に隠し事が出来ない人間なんだと分かって好意を持った。  彼の言葉はぶっきらぼうだが、積み重ねられた経験にもとづく『勘』が滲む。誠はそれを聞き、内心で頷いた。大学時代、書類の添削で事務スタッフに叱られた記憶が蘇る。細かいことに気を配る人間たちの価値は、実務の場では計り知れない。 「管理部、ですか……経理とかの人とは確かにあまり相性が良くなさそうですね、僕。定型的な書類を作るのとか僕は苦手なんで……就職活動の時も住民票を出せとか言われて役所に行った時も窓口の人が呆れるぐらい手間取りましたから。結構これから迷惑かけそうなんでしばらくたって落ち着いた時に挨拶に行くことにします」  大学時代にしていた塾講師のバイトでも事務の人から色々と必要書類の記入間違いが多いと小言を言われ続けていたことを思い出した誠は苦笑いを浮かべながら島田にそう言った。 「オメエが行くべきところねえ……ああ、それならいいところがある。オメエも絶対気に入る素敵な場所だ」  島田は思いついたようにそう言って手を叩いた。 「どこですか?僕にはちょっと思いつかないんですけど」  いかにも嬉しそうな顔で自分のアイディアに酔っている島田に向けて誠はそう言った。 「医務室だ。でもまあうちであそこよりまともな神経の人間がいて良い場所はねえ。あそこはこの異常空間ともいえる『特殊な部隊』でも唯一、心が休まるオアシスだぞ……まあ、うちで一番地獄なのはオメエの勤務先の機動部隊の詰め所だから。あそこには二人の人間失格のパイロットとオメエをこれから虐めに苛め抜くことに喜びを見出すランの姐御と言う『東和陸軍史上最も厳しい鬼教官』が目を光らせてるんだ。あのちっこくてかわいらしい姿に騙されてると痛い目を見るぞ。俺もその姿に騙された口だ。おかげでその本人からパイロット失格の烙印と曹長への降格を告げられて今こうして過ごしているんだからな」  島田の言葉の前半は誠の興味を引いたがそれに付け加えられた言葉に誠は引きつった笑みを返すことしかできなかった。 「あそこはまさに男にとっては地獄以外の何ものでもないな。オメエの目の前には年中平気で人に銃口を向けて来る西園寺さんがいるし、小隊長は愛想という物と一切無縁のカウラさんで息がつまってしょうがねえ。まあ、カウラさんには攻略法があるんだが……その話題は絶対振るなってクバルカの姐御に言われててね。だから言えねえんだ。そして地獄の訓練メニューをオメエに課して来る偉大なるちっちゃなクバルカ中佐殿に睨まれて一日過ごすなんて……俺には到底無理だ。ご愁傷さまとしか言えねえな」  同情の視線を送ってくる島田に誠はただ愛想笑いを浮かべるしかなかった。 「まあ、そんなところでストレスが溜まったら俺ならまず医務室に行く。あそこに行けばそんな地獄の苦しみもいっぺんに吹き飛ぶ!そんな素敵な場所だぞ……楽しみだろ?」  誠は、さっきまで肺の奥まで染み込んでいた油の匂いが、消毒液の匂いで上書きされていくのを感じた。島田の口元に微かな笑みが広がる。袖を通し、つなぎをきちんと直す仕草は、いかにも『班長』という風情だ。  ハンガーから本部棟に繋がる通路を進む島田の後姿はどことなく嬉しそうに見えた。誠はひとつ期待を膨らませながら、後に続く。 「医務室?お医者さんがいるんですか?まあ、シュツルム・パンツァーなどと言う危険な人型機動兵器を扱うんですから、当然お医者さんくらいいますよね……その島田先輩の様子だと女医さんでも居るんですか?しかも美人の」  誠はにやにや笑いながら歩き始めた島田の後ろをついて歩き始めた。 「うんにゃ、美人女医さんなんてどこかのAVに出てきそうな設定の人は居ねえよ。隣の工場に『菱川重工病院』があるから、ここには医者は必要ねえんだ。ただ、銃の訓練とかで応急手当とかが必要な怪我に備えて看護師が一人常駐している……まあ、応急処置はその看護師の女の子がして、どうしても医者の処置が必要なら隣の工場に連れて行く。うちも医者なんて高給取りを暇させておくほどの予算はねえんだ。当然と言えば当然だな」  そこまで言うと島田は振り返り誠に顔を寄せてきた。 「なんです?島田先輩……」  近づいてくる島田の顔を見ながら誠は戸惑ったようにそう言った。 「そのナースが……結構かわいい」 「は?」  真剣な表情の島田に誠はどうツッコんでいいか分からずにいた。 「名前は『|神前《しんぜん》ひよこ』。階級は軍曹。ああ、考えてみればオメエと苗字が一緒だな……親戚かなにかか?」  ひよこの名を出した瞬間、島田の顔からヤンキーの圧が抜けた。  代わりに出てきたのは、妙に清潔感のある兄貴面だった。  島田は嫌いな人間の話になると口汚くなる。  好きな人間の話になると、急に身だしなみを気にする。  分かりやすい男だった。 「違うと思いますよ。僕の『|神前《しんぜん》』と言う苗字は母の苗字ですけど、母は一人っ子らしいんで母方の親戚がいるって話は聞いたことが無いですから」  誠は必死になって乱れた髪を整えようと手櫛を入れて格好を取り繕っている島田に向けてそう言った。 「ふうん。オメエのオヤジは婿養子か……まあいいや、人の家庭の事情に踏み込むのは俺のポリシーに反するからな。俺も聞いて欲しくねえし」  島田は誠の答えにどこか納得がいかないという表情を浮かべていた。 「でも、『|神前《しんぜん》』って苗字は珍しいよな。俺がこれまで出会って知ってるのはひよこくらいだぞ……普通『神』の字に『前』と来たら『カンザキ』って読むもんだろ?そういう奴なら高校の時にいたいけ好かない教師がそんな苗字だった。何度殴ったか分かんねえくらい嫌な奴だった。その度に停学食らって大変だったなあ……」  倉庫からの出口で立ち止まった島田は昔を思い出すように遠い目をすると、くわえていたタバコを投げ捨てながらそう言った。 「停学ですか。やっぱり先輩はヤンキーなんですね。話は戻りますけどなんでも隣の大陸にあるあの『遼帝国』の帝室の関係者が国内で内乱があったりしてこの東和共和国に亡命すると『|神前《しんぜん》』って苗字を名乗るしきたりだって母からは聞いてますけど」  誠はあまり社会常識のない理系人間だったので母からの受け売りの知識をひけらかしてそう言った。 「『帝室』ねえ……ひよこは庶民的な雰囲気なんだけどね……オメエも『ザ・庶民』って顔だしな」 「それ絶対褒めてないですよね、それ」  少しカチンときた誠を無視するように背を向けた島田はそのまま本部棟の中に足を踏み入れた。

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