橋本直 / 第36話

第31話 五円玉の通過儀礼

「じゃあ……そんな俺の人格試験は合格したが、俺を三流大学卒と見下している後輩には俺なりの通過儀礼が必要みたいだな。なあに、一流大学出のオメエなら簡単な話だ」  そう言いながら、島田は良いことを思いついたという顔で誠を見つめて来る。 「なんです?通過儀礼って……バンジージャンプとかするんですか?嫌ですよ。なんか島田先輩を見ていると間違いなくその紐が切れて僕はそのまま顔面から地面に猛スピードでキスしてこの世の人ではなくなりそうなんで」  その島田の表情に嫌な予感がする誠を無視して島田は立ち上がってそのままバイクに近づいていく。 「バンジーじゃないとしたら何なんですか?バイク乗りらしくチキンレースですか?僕原付の免許は持ってますけど小型二輪の免許も持っていませんよ。でも、その様子だと……何か言いたいことがあるんじゃないですか?僕何も悪いことはしてませんよ」 「何言ってんだよ、珍しくオメエに俺の脳みそに似合わねえ難しい話をしたからニコチンが切れた。ちょっと待ってろ、タバコだ。それともそんなにバンジーがしてえのか?だったら用意してやってもいいぞ。確かに結果としてオメエの予想通りになるだろうなあとは俺も思うけど」  そう言って島田はバイクの前輪の前に置いてあった缶を手に取る。 「それってタバコじゃないんですか?そんな缶に入ったタバコなんて見たことが無いですよ?」  その缶を眺めて手に取って見回している島田に誠は声を掛ける。 「缶ピー。缶に入ってるタバコ。ほら。街のタバコ屋に行くと売ってるところもあるぞ。これまでオメエがこれに出会わなかったとは言わせねえぞ。街じゃあ普通に見かけるタバコだ。単にオメエが見逃してただけ。まあ、確かにどこでも売ってるタバコじゃねえことは事実だけど……まあ、メカ姉ちゃんのタバコは全部東都の専門店から取り寄せてるらしいけどそれよりはマシだわな」  そう言って島田は白いものを取り出した。タバコが身近なものではない誠にもその白く細長い物体はタバコにしか見えなかった。  島田はそれを口にくわえると、別のポケットから取り出したジッポーでタバコに火をつけた。そして満足そうに一服すると、誠に笑顔で歩み寄ってきた。  ニコニコ笑いながら近づいてくる島田を見て、誠は直感で悪いことが起きるようなそんな雰囲気を感じた。 「まあいいや。それより、ここに五円玉あるじゃん。見ての通りの五円玉だ」  そう言って島田は誠に見えるように五円玉を取り出した。 「ええ、確かに五円玉ですね。僕にもそれ以外には見えませんけど」  自然と誠は手を伸ばす。島田は当然のようにそれを誠の手の中央に置いた。 「じゃあこの五円をやる。それでスパゲティー・ナポリタンを作れ。時間は五秒やる。それで作って俺に食わせろ。俺に敬意を持っているなら出来て当然の話だ。今やれ、やって見せろ。それが俺なりの通過儀礼だ」  突然、島田は意味不明な注文をがなり立てた。島田にとってはそれは当たり前の初対面の目下の人間に対するヤンキー式の『テスト』をぶつけてきた。    誠は島田の発した言葉の意味が理解できずにただこう言うしかなかった。 「そんなの無理ですよー!どうやったらそんなことできるんですか!そもそも五円じゃスパゲッティーどころかケチャップだって買えませんよ!それを五秒って……パスタの茹で時間にも足りないじゃないですか!これならバンジーの方がマシですよ!」  明らかに困り果てている誠に島田はタバコの煙を吹きかけた。  島田は答えを求めていなかった。  誠が困る顔を見たかっただけだ。  困って、慌てて、それでも逃げないか。  島田はそれを見ていた。 「やり方?予算がねえ?そんなもん自分で考えろよ。俺達整備班もカツカツの予算の中で仕事をしてるんだ。出来て当然だろ?それにオメエは理科大出てるんだろ?やってもみねえのに、あきらめるな!やりゃあできるんだよ!なんでも……じゃあ数えるぞ。五秒で作れ。1,2、3……」  島田は右手を出して指を折って数えていく。 「できないですよ!どこの大学を出ていようが関係ないです!そんなこと!それとその笑顔!できないと島田先輩は僕に何をするんですか!」  誠は半泣きで叫ぶ。  島田はその表情に満足したように話を続けた。 「そんなもん、決まってるだろ?俺がタバコを吸っててこう言ったら……そして、その願いがかなえられない時は当然……根性焼き」  そう言って島田は咥えていたタバコを手に取る。 「根性焼き……聞いたことはありますが……何をどうするか……」  誠はどうせ島田のことだから、ろくでもないことをするとは想像しているが、確認のためにそう尋ねた。 「さっきの五円玉を渡したのと同じ要領でこのタバコを手のひらに押し付ける。それが根性焼き」  島田はそう言うと悪党の笑顔を浮かべながら誠を見つめた。 「それは単なるいじめですよ!ここはそんな暴力が許される職場なんですか!そんなこと聞いてないですよ!」  もう目の前の不良そのものの島田にはこうしてジェスチャーで伝えなければ理解できない。  その思いから誠は大げさに両腕を振り回しながら叫んだ。 「俺の好意がいじめ?そう見えてるようじゃあのランの姐御のしごきには耐えられそうにねえな。それにこれは嘘。ビビった?そんなのやるわけないじゃん。気に入ったって言ってんだろ?俺は気に入った人間は多少は殴るけど根性焼きはしねえの。俺を本気で怒らせるような馬鹿は袋叩きにして足腰立たねえようにして根性焼きを入れるなんてのは17の時に卒業したよ」  そう言ってニヤリと笑うと、島田は誠に背を向けた。 「島田先輩!酷いですよ!これじゃあいじめです!いたずらにしても度が過ぎます!」  誠は本気で怒りながら、歩いてバイクに向かう島田の背中に向けて抗議した。  「なあに、お前を気に入ったのは本当。これはちょっとした悪戯。ただ、俺の機嫌を損ねたらその悪戯が本当になる。それだけの話だ。ただ、俺のいたずらはどうにも度が過ぎるって偉大なるクバルカの姐御から言われるよ。まあそうなんだろうな。この豊川市のポリ公も俺の顔だけは全員覚えてるからな。まあ、連中もあのちっちゃい姐御には頭が上がらねえから俺は今でもこうして職務に従事できるわけだけど」  島田は再び屈託のない笑みで誠を見つめた。  誠は心の中で、ここに身を置く以上、覚悟を決める必要があると感じた。島田の言葉は過剰に荒く、時に脅しめいた冗談を含むが、その根底には『面倒を見る』という揺るがぬ誓いがあった。  セミの鳴き声に交じってサイレンの音が響いた。 「昼か……弁当はあるか?大野に会ったろ? あいつ、気が利かねえんだよ。今度うちのエースになるかもしれねえ奴を、俺のところまで案内するくらい思いつけってんだ」「昼か……弁当はあるか?大野に会ったろ? あいつ、気が利かねえんだよ。だからいつまでたってもカウラさんのシンカーが捕れねえんだ。キャッチングの基礎が出来てるアメリアさんは捕れるぞ……まああの人は『四番・サード』でしか試合に出ないって言い張ってるから仕方のねえ話なんだけどな」  立ち上がった島田はそう言ってにやりと笑う。  さんざん脅しておいて、島田は何事もなかったように空を見上げた。  そこに悪びれた様子はない。  怖がらせたことも、昼飯を心配することも、島田の中では同じ『面倒を見る』に含まれているらしかった。 「持ってきてないですけど……コンビニとかは?あと、野球部とかあるんですか?この部隊には」  誠の問いに島田はあきれ果てたという表情をした。 「そんなもん工場の外まで行かなきゃねえよ。まあ、今日は仕出しの弁当が余るはずだから。そいつを食ってけ。それと野球部はある。俺はそこのエースで一番打者だ。先頭打者ホームランの記録はうちのリーグでは俺が持ってんだ。まあ、オメエはパワーが命の三番か五番打者向きだから競うのも無駄か」  島田はそう言うと本部の建物に向けて歩き始めた。 「どうもすみません」 「なに謝ってんだよ。オメエはこれまで来た人を見た目で判断する軽薄な馬鹿とは違うんだ。何しろ俺の|舎弟《しゃてい》になるんだからな!なんと言っても俺の酒を飲んだんだ!偉大なる中佐殿も常々言ってるぞ、盃をかわした兄貴分には逆らうなってな。オメエは俺の酒を飲んだと言うことは俺と杯を交わして舎弟になることを自ら認めたってこった。中佐もそれを聞いたら満足げな笑顔でうなずいて認めてくれる。間違いねえ!」  そう言って誠の肩を叩く島田を見て、誠は少し嫌な予感がした。  いわゆるやくざ映画の兄弟の契りを結ぶ杯。島田はそのつもりで誠に酒を勧めたらしい。そして、脳内が完全に昭和やくざ映画のちっちゃい副隊長のランがそれを満面の笑みで認めるのもあまりに当たり前のように誠にも感じられた。 「あのー……僕の扱いは舎弟なんですか?僕はそんなつもりでビールを飲んだつもりはないんですけど……いつそう決まったんですか?」    彼が『舎弟』と呼んだ瞬間、誠の身体に小さな震えが走る。舎弟……古臭くて泥臭い言葉だ。 「なんだ、呼び方が気に入らないのか?じゃあ、パシリ、丁稚、下請け。この三つから選ばせてやる。俺って優しいだろ?どれがいい?」  島田はいかにも子供のような笑顔を誠に向けてそう言ってくる。 「舎弟、パシリ、丁稚、下請け……どれも嫌ですけど」  誠が弱々しく言うと、島田は豪快に笑い、誠の肩を乱暴に叩いた。 「不満なのか?俺の舎弟になれるのは整備班以外ではオメエが初めてなんだぞ?そんな名誉をあずかれるんだ、感謝しな。なあに、新人なんて社会に出たらみんなやらされるんだよ、パシリをさ。だから、次の新人が来るまではオメエが一番下のパシリ。さっきの西もオメエの先輩だから。ちゃんと顔を立てろよ。それが社会のルールだ。そして俺が決めたルール。俺が決めたルールは舎弟のオメエにとっては絶対なんだ。覚えとけ。代わりにこっちは約束してやるよ。お前が本気で機体と向き合うなら、俺達はこれからどんな無茶な出動があってオメエが機体を他の技術屋だったら見放すくらいにぶっ壊しても直してやる。舎弟には、それぐらいの面倒は見てやるさ」  言葉は乱暴だが、その語尾には頼もしさがある。誠は自分がこれからどんな日々に巻き込まれるか、まだ具体的には分からない。だが島田の太い手が自分の肩に乗るたび、どこか確かな『居場所』が生まれるのを感じた。外の世界は冷淡だが、ここには熱がある。油で汚れたタオルの匂い、工具箱の勝手な並び、焼けた金属の匂い……それらが誠の新しい日常の布地になるのだろう。  真夏、駐車場の白い砂利に反射する熱気は耐えがたいほどのものだったが今の誠には不快には感じられなかった。就活で何十社と断られたときには、一度も感じられなかった種類の『熱』だ。  この『熱』は失ってはならないものだ。  そう思った直後、島田がまた肩を叩いた。 「ほら、舎弟。飯行くぞ」  誠は、訂正する気力を失っていた。

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