橋本直 / 第118話

第113話 宰相令嬢の義体

 夕方の熱気がまだ路面に残っている。月島屋の暖簾は湿った風に小さく揺れ、提灯は一つ玉が切れて、かすれた赤だけが残っていた。七輪がパチパチ鳴るたび、鶏脂とタレの焦げる匂いが鼻腔にまとわりつく。カウンターは長い一枚板で、磨かれた木目に冷えたグラスの輪じみが幾重にも重なっている。  模擬戦を終えた身体は、実弾も飛んでいないのに汗だけは本物で、Tシャツの背中がうっすらと張り付いていた。そんな『現実の汗』を拭きながら席に馴染み始めて場が静まり返った一瞬だった。 「でも考えてみればこの中で普通の人間て……男子だけなんですね。西園寺さんはサイボーグで、アメリアさん、カウラさん、パーラさん、サラさんは戦闘用人造人間『ラスト・バタリオン』ですから。そう考えるとなんだか複雑と言うか申し訳ないというか……たぶん島田先輩はそんなことは考えたことも無いでしょうけど……僕は普通に生まれて普通にお父さんとお母さんがいて、そして健康に生まれて大きな怪我もせずに生きてきたという証だと考えればそれはそれで良いことなのかもしれませんけど」  誠がそう言った瞬間に場の空気が変わった。  それを読んだようないつもは笑っているようなアメリアが無表情な糸目で誠をにらみつけて彼女の手の甲がパシンと後頭部を軽く叩かれた。氷の溶ける音が一瞬止まる。 「何よ!私達が一般的な人間じゃないって言いたいわけ?確かに地球の一部の国は私達を非人道的な実験の結果生み出された『繁殖人形』として人間として認めてないところもあるけど、私は人間よ!」  何気ない誠の言葉に激しく反応したのは意外にも誠が思っていたかなめでは無くアメリアだった。相変わらず糸目をさらに細めて激しい口調でビールのジョッキを叩きつけた大柄のアメリアの迫力に誠は怯んで固まっていた。 「そうよ!私は人間なの!意志もあるし、心もある。それにネットに毒されて自分の意見なんて何にもなくて『超富裕層』の言うことをオウム返しに繰り返すことしかできない地球圏の『市民』と比べてどこが人間らしくないわけ?確かに地球圏では私達『ラスト・バタリオン』を『神の意図に反する汚れた存在』だとか煽ってゲルパルトを滅ぼす理由の一つにして私達をまるで汚物扱いよ!その割には先天的にアメリカンジョークみたいな寒いギャグしか言えない。そもそもアメリカンジョークのどこが面白いの?」  アメリアはどう見ても誠が昔『外人』と呼んだ姿かたちでどこまでもアメリカンジョークとは限りなく遠い主張をした。 「ギャグが寒い『神に選ばれた民』とギャグが分かる『ラスト・バタリオン』のどっちと友達になりたいかなんてこの街でアンケートを取ったら結果なんてやるまでも無いわよ!そもそもアメリカンジョークのどこが面白いの?理解できるの?誠ちゃんもここにいる女子全員が誠ちゃんに会うたびに挨拶の後にあの寒いアメリカンジョークを言う環境に住みたい?あんな地獄に」  アメリアはジョッキを持ったまま、本気で理解できないという顔をした。  誠は地球圏の事情にはあまり興味が無かったので、地球圏の人間のギャグは東和の人間には絶対笑えないといううわさは聞いていたのでなんとなくアメリアの言うことはもっともなことに聞こえた。  確かにアメリアの言う通り誠も見るアメリカで作られたアメコミ原作のアニメのヒーローの吐くセリフのギャグは誠にはあまりにも寒すぎて、このヒーローの声を東和で日本語吹き替えしている声優さんが可哀そうだと思ったことは何度となくあった。 「アメリア……アメリアの言葉を聞いてると『ラスト・バタリオン』でもギャグが東和で受ける存在以外は意味が無いように聞こえるんだけど……だからアメリアの私の扱いがひどいのかしら?アメリアにとっては人間の価値はギャグが面白いかどうかなのね……じゃあ、クバルカ中佐の『地球人滅亡計画』に参加すれば良いじゃないの。中佐は1万人も斬ると中佐の愛刀『関の孫六』の切れ味が落ちるから同行する研屋を募集中らしいわよ……今から落語家時代みたいに3年も修行すれば立派な研ぎ師になれるわよ……せいぜい精進することね」  明らかに被害妄想にかられたパーラは人間の存在意義をギャグにしか認めないと言うアメリアの論理について行けないと言うようにランが時々真顔で誠にも言う『地球人絶滅計画』にアメリアに加担するように言った。  そして、そんなパーラの言葉をアメリアは当たり前のように無視してIQ250の頭脳を生かして自分の論理を展開し始めた。 「まあ、『超富裕層』が好きな私にはどこをどう笑えばいいのか分からない愛国的アメリカンジョークの一発ネタのおかげで『超富裕層』の権力者に気に入られて彼らの絶対的利益を守るためにただひたすら『賛成』のボタンを押すしか能が無い程度のことしか興味のない『市民』になんて興味が無いし、関わりたくないの。そんな地球人のひたすら『超富裕層』の提供する娯楽ですべて満足できる人間と私が同レベルとでも言いたいの?それに3年もあの『人生とは仕事により人格形成を図る手段』と考えてそれを公言しているランちゃんと一緒に同じ目的で3年も地球で過ごせっていうわけ?私はそんな面倒くさいことは嫌よ」  明らかにアメリアは真剣に怒っている。そして誠の心の中にもその権力と金の力で何でもできるということが『自由と民主主義の理想世界』と語る地球人には不信感しか抱いていなかったので、そのあまりに人間とは思えない地球圏の支配者階級である『超富裕層』の掲げる『自由と民主主義』と言う世界の生き尽く先がどう考えても異常なディストピア以外に誠には見えないことに戦慄を覚えていた。 「あの人間性のかけらもない差別思想で凝り固まったナチズムでヒトラー万歳の私の作られた国であるゲルパルトの『労働者』ですらそんな地球圏には反吐しか出ないわよ!地球圏は連中を地球から追い出したつもりでしょうけど、ネオナチの人達は『地球圏の拝金主義のシオニストから解放された』って私に言ってたわよ。まあ、どっちもギャグが……いいえ、ネオナチ政権が倒れて東和風のお笑いがメインストリームになりつつあるゲルパルトの元ネオナチの方が人間味があるわね」  確かに戦争と言えば遼州圏ではゲルパルトと甲武と誠は東和の遼州人の国民らしい感覚を持っていたので、そんな戦争好きで差別好きな元地球人からも見下されている地球圏に住む人間に対して恐怖感を抱いていた。 「まあ、そんな連中には私は嫌な思いでしかないし、そもそもゲルパルトのドイツ系の人間はお笑いが分からないのよね……私も社会適応訓練所でドイツ風のバラエティーとか見てたけど、当時はまだゲルパルトもネオナチ時代の知性とウィットこそすべてのヨーロッパギャグが主流で見ていて一体どこがおもしろいか笑いどころが分からなくって、ただひたすら寒さしか感じなかったからたまたま手にした『圓生百選』を聞いて甲武か東和に行こうと思ったくらいだもの。私は笑いにはうるさいのよ。寒いアメリカンジョークしか言えない地球圏の|外人《がいじん》と呼ばれる『超富裕層』が偉大なる指導者として与えてくれる娯楽に満足している人間が人間扱いされてるのに、なんで私達『ラスト・バタリオン』が人間じゃないって決められてるわけ?変でしょ?笑いが寒い方がよっぽど人間として致命的じゃないの!」  ここで話がどうして笑いが東和風なのが人間が人間らしい基準なのかよくわからないのがいかにもアメリアらしいと誠は思いながらここで下手に口をはさむと何を言われるか分からないと覚悟を決めて黙り込んでいた。 「ゲルパルトは確かにナチズムは捨てて戦後復興した西ドイツをモデルにして国家再建を目指しているみたいだけど、お笑いがどこかズレてる同じよね。ただ、聞いた話じゃそのズレっぷりが結構あまりにもズレすぎて逆に笑えるらしいんだけど。確かに東和の国民の遼州人の誠ちゃんや島田君が私やカウラちゃん達を全く違和感なく認めてくれることには感謝しかないけど……でも『まともな人間は男子だけ』発言は許せないわね!訂正しなさい!少なくとも笑いが分かるだけ私だけはそっち側に入れなさい!」  アメリアの人間の基準は人種や生まれや環境ではなく『笑えるかどうか』であることを誠は再認識した。 「アメリア!結局オメエには笑いが分かることが人間の条件なのかよ!」  かなめがアメリアの一見まっとうな抗議に落ちが着いたところでお約束のようにツッコミを入れた。  糸目がにゅっと近づく気迫にたじろぎ、俺は救いを求めるみたいに目の前のししとうを一本つまんで口へ運んだ。誠は怒られているのに、なぜか救われたような気がした。  当たりだった。舌の両脇が一気に燃え上がり、肺の奥が熱で跳ねる。思わず咳き込み、ビールで流し込むと、冷えた苦味が辛さを余計に広げた。 「アメリアの言うことももっともだ。神前もアタシ達を機械人形呼ばわりするからそうなるんだ。確かに甲武の人間は元日本人だからアメリアみたいにどう見ても外人の人間に対しては絶対に心を開かない。でもまあ、この人工皮膚だらけのアタシでもどう見ても元日本人にしか見えねえアタシが殿上貴族にもかかわらずそれを気どらずに接して来ると平民の連中はそれだけで涙を流して感謝してくるくらいだ。それにだ。オメエも島田も遼州人だから、地球人の遺伝子は継いでねえんだ。その点、ここにいる女子はみんな地球人の遺伝子を継いでる。ここにいる二人の男は両方地球圏の人間から言わせれば『エーリアン』なんだ。地球の市民はオメエ等を見たらいつ自分が『キャトルミューティレーション』されるかってびくびくしてしょんべん漏らすぞ。まあ、オメエ等遼州人はそのレベルにすら達してねえ原始的な技術しか持たずに1億年間焼き畑農業と青銅器文明以上の進歩を拒否してた理解不能な宇宙人で、『モテないコンプレックス』に囚われた哀れな生き物なんだよ」  かなめはラムをちょいと舐め、口角だけで笑う。その横で小夏がさりげなく水を置いていく。辛さで目尻が熱い俺は、救いの神を見た。 「そんなことを言うってことは、西園寺さんのお父さんかお母さんが地球人なんですか?地球人は戦争好きなんで遼州人の僕としては恐怖の対象でしか無いんですが……だって自分の星が放射能に汚染されていくのに全く関心も持たずに10年に一度は核戦争をして敵と認めた国を絶滅させるのが日常の世界なんでしょ?そんなの理解できませんよ。そもそも東和共和国は地球人が来てから一度も戦争に参加していません!遼州独立に協力してくれた元地球人も遼州人から理解不能な理由で年がら年中戦争をしているじゃないですか!特に27年前に起きた第二次遼州大戦では地球圏にまで核ミサイルを撃ち込んで一夜で20億の人間を殺しても平然と『降伏しないんなら戦争を続けてもいいよね』と言って戦争を続けるなんて理解できないですよ!僕は遼州人です!戦争をするぐらいなら降伏します!東和宇宙軍はそもそもその戦争自体を防ぐために電子戦に特化するということで僕も入ることを決めたんです!そんな戦争をしたがる地球人の血を引いてることが自慢だなんてどんな自慢ですか?そんなに戦争が好きなのが自慢なんですか?西園寺さんにとっては自慢なんでしょうね!あんなに年がら年中戦争をするなんて遼州人の僕から言わせると理解不能です!」  ようやく辛さが引きかけたタイミングで、誠は辛さから逃れるためにかなめに尋ねる。七輪の火がふっと落ち、源さんが炭を足す。 「アタシがいつ地球人の血を引いていることを自慢した?……いや、自慢しているように遼州人のオメエには見えるんだろうな。甲武国でもアタシの家が西園寺家だっていうだけで周りの人間は今のオメエみたいな目をしてた。アタシの親父が地球系だな。『甲武国』っていうアタシの生まれた国はほとんどが元地球人だから。そこで政治家をやるには地球人である方が好都合ってわけ。甲武じゃ遼帝国の人間は『前の戦争で同盟してたけど全く役に立たない焼き畑農業しかできない竪穴式住居に住んでいる原始人』と見なしているし、東和共和国は『かつての自分の真似をする事と金を稼ぐことが得意なだけの経済馬鹿』ということで遼州人は軽蔑の対象なんだ。地球圏の人間が違う民族や宗教を見るとなんとか核戦争に持ち込んでそいつを絶滅させようとするのと大差ねえな。そんな貴族が政治と経済を支配して『未開野蛮な遼州人より地球人の方が偉い。その地球人でも地球で身分が高かった方が偉い』ってのがスローガンの国なんだ。当然だろ?」  かなめは平気な顔で、無造作にししとうを齧る。当たりを引かない女だ。  かなめは、それを当たり前の話のように言った。  だからこそ誠には、その『当たり前』を本気で信じている人間がいるという事実の方が、核兵器より恐ろしく思えた。
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