橋本直 / 第110話
第105話 誰も正常ではない職場
「でもこれまで聞いた話は全部『窃盗』以外の何物でもないですよね?普通そんなことを社会人がすれば職を失いますよね?なんでうちではそれが許されるんですか?うちだけ東和国内で治外法権が認められているんですか?いつから東和共和国でうちだけそんな法律を無視しても構わないなんて言う理屈が出来ているんですか?クバルカ中佐が居るからですか?あの人どう見ても8歳児ですからね。8歳児を学校にも行かせずにほとんど朝から晩まで仕事……ああ、あの人机に座って詰将棋をしているか、ランニングをしている僕を竹刀片手に監視する以外のことは何もしてないですよね?でも、8歳児を中佐として軍の部隊に勤務させるなんて言うどう見ても児童虐待をしてもいいという国際法を同盟機構は制定したんですか?」
自分でも分かっている。ここで常識を持ち出すこと自体が無謀だと。だが言わずにいられない。
それに今児童虐待の例に出したランが虐待されているのではなく、実際にはランが誠を『鍛え上げている』側である。
誠の言っていることは現実とはあべこべである。
そんな矛盾を口にするほどまでに誠の精神は混乱状態にあった。
だがかなめもカウラもそんな疑問を持って自分達を見つめて来る誠をまるで不思議な生き物を見るような目で見つめて来るだけだった。
「おう、じゃあ豊川署に行ってくるわ!あの馬鹿の世話をするのも後見人であるアタシの責任だ。これでちょっと焼きを入れてやれば、アイツもしばらくは大人しくしてるだろう……たぶん半年は逮捕されないという記録を打ち立てろと言うつもりだ」
警察官との会話を終えたランが、椅子から飛び降りるみたいに軽い音で立ち上がる。
「半年逮捕されないのが上官命令なんですか?普通は一生逮捕されるなと言うところなんじゃないんですか?」
あきれ果てた誠はそんなツッコミを入れるがランはまるで無視して詰め所を出て行った。名札のクリップがシャツに当たって小さく鳴った。誠は半年逮捕されないことが記録と呼ばれる『武装警察官』がこの世に存在することに宇宙の広さを思い知った。
「まあ、あんな素行不良のヤンキーは普通の会社ならとっくに解雇だとアタシも思うよ。でもうちは『特殊な部隊』なんだ。今のところは叔父貴……隊長の嵯峨が千要県警との間に入って何とかなってるが……でもこれまではそれでうやむやになって来たが相手が相手だったらそのうち本当に起訴されるぞ、アイツ。さすがに裁判所の令状が本当に出たら叔父貴でもどうにもできねえ。そうなったらアイツもお終いだな」
かなめは肩だけすくめる。ドアのハンドルには『引く(※押すな)』のガムテープ表示。ランは毎回逆に押して、毎回一度つっかえる。
「そんなにしょっちゅう盗むんですか?盗むんですよね……二か月逮捕されなかったのが記録の人ですから。半年逮捕されないことが目標の人ですから」
誠は、この一連が『日常対応』として処理されていく速度に、逆に不安を覚えながら尋ねた。
「バイクはこれまで二回、自動車は三回だ。他にも税関や水道局と揉めて逮捕されたこともある。毎回、隊長の口添えと中佐の『機転』で何とかなってるが……」
税関?水道局?脳内に疑問符が乱舞する。誠は話題をしぼることにした。いちばん危険そうな単語に。
「『機転』?どんな『機転』を利かせれば窃盗事件を揉み消せるんですか?それと税関とか水道局と揉めて逮捕されるってあの人何をしたんですか?」
カウラの言うランや嵯峨の『機転』が想像もつかず、誠は首をひねる。それと同時に税関や水道局と、逮捕されるような揉めごとの内容が想像もつかなかった。
かなめの口元だけが、いたずらの前の猫みたいに持ち上がった。
「ああ、ランの姐御の『機転』か?そりゃあランの姐御は任侠映画脳の持主だからな。島田が上手そうに蕎麦や丼物を食ってる取調室に怒髪天を突くような形相をして怒鳴り込むなり飯を食ってる島田の髪をひっつかんで引き起こして、そのままぶん殴ったり蹴ったりして『またアタシの顔に泥を塗ったな!落とし前をつけろ!』とか言って鉈を借りようとするんだ」
かなめはようやく銃のセッティングに納得がいったのか、ホルスターに収めながら言う。
詰め所の隅に『模造刀(展示用)』の札がぶら下がったケースがあり、誠は思わず距離を取った。
「なんだかほとんどヤクザ映画のノリですね……でも……クバルカ中佐は鉈なんて借りて何をするんです?取調室から脱走でもしようと言うんですか?」
誠の声に、かなめは『違う違う』と手を振る。指にはガンオイルの光っている。
「悪事に対する落とし前を付けるために小指を落とすんだと。『けじめをつけろ!|小指《えんこ》出せ!』とか『今回は手首で勘弁してやる!』とか言って大芝居を打つと県警の連中も姐御のあまりの迫力に負けて大体そのまま釈放になるわけだ。豊川署の年季の入った刑事たちも慣れたもんで、もはや茶をすすりながらその大芝居を眺めているだけだからその場にいる被害者が仲裁に入るのがいつものパターンだ。それに被害者の方は被害者の方で、元々違法駐車で警察に見つかったら高いレッカー代や違反金や違反切符を切られるところだからちゃんと車が無事でしかもランの姐御が頭を下げてガソリン車だったら満タンにして返すんだそうだ。その分金が浮くし、ガソリンまで入れてくれるから意地でも起訴するって言う被害者が居ねえんだ。豊川署の連中も慣れてるからすぐに寮の駐車場に取りに行くわけだが、車やバイクには傷1つついていねえんだからそっちの方が得だって訳。だから島田は今でも娑婆に居るの。分かったか?」
かなめは腕組みでうなずき、机の端の『小道具(芝居用)』と書かれたプラ箱をつま先で押し込んだ。中身は白い包帯と赤インク。……本当にやる気満々のセットである。
「そんな事情があったとは……島田先輩がクバルカ中佐の下でしか働けない理由が分かりました。でも大変ですね、クバルカ中佐」
誠は、ランの『尻拭い』の量を想像して肩が重くなる。
詰め所の掲示板には『対外折衝:本日 ラン/嵯峨(別件)』『手土産:どら焼き×2』と走り書きが見えた。
「そうだろ?まあ、職場はどこでもそうかもしれないけど、うちは特に一種の『生態系』を形成しているんだ。一人欠けても機能しない。ちなみにクバルカ中佐も……」
カウラが指で空中に見えない相関図を描く。
誠はその指先を目で追いながら、嫌な予感に喉が鳴った。
「クバルカ中佐が何を?中佐の場合はあの人は『人外魔法少女』だから人でも殺すんですか?うちは『殺人許可書』があるってこの前言ってましたよね……もはやそこまで行くと、うちは社会の敵……犯罪者集団じゃないですか!あの人『地球圏の全政府関係者は3時間、全地球人なら3年で絶滅させられる』とか自慢してましたけど……やったんですか?でも、ニュースで地球人類が滅亡したというニュースはまだ聞いたことが無いんですけど」
『殺人許可書』の語感だけで胃が縮む。
かなめは肩をすくめ、片眉を上げる。
「ああ、そんな物騒な話じゃねえよ。ランの姐御は被害者の方、あれ……『特殊詐欺』ってあるじゃん」
かなめの声色がほんの少し柔らぐ。誠は胸をなで下ろしつつも、別種の不安が首をもたげる。
「家族に成りすましたりするアレですか?誰があんなのに引っかかるんですか?お年寄りでもあるまいし。確かに今は巧妙化してますけど、それなりに情報も出回ってますから。あの人みたいに一応は『武装警察官』が引っかかったりすることはないんじゃないですか?あの人、毎回ランニングの度に30分くらい社会常識のない僕に社会常識講座をしてくれるんですが、法律関係の知識はそれなりにある感じでしたよ」
驚きが先に立つ。
カウラは机の引き出しから書類を抜き、クリップで挟み直しながら短く笑った。
「普通はそうだな。それにあの人は『武装警察官』の中佐で東都警察で言えば警視クラスの『知識』はあるのは確かだ。でも、中佐のおつむは……『義理と人情の2ビットコンピュータ』だから引っかかるんだな、これが」
かなめの口元に皮肉が宿る。
壁の『着信設定:登録外拒否(解除禁止)』の紙が目に入る。署名欄には嵯峨のサイン、二重線で強調。
「『義理と人情の2ビットコンピュータ』?なんですそれ?」
誠は思わず身を乗り出し、椅子のキャスターがギッと鳴る。
「電話で人情がらみの泣き落としとかされると一発で騙されるんだ。家族に成りすまして会社の金をなくしたなんて言うのは一コロだな。妊婦を車で|轢《ひ》いただの言う電話がかかってくるとこれもまた一発だ……自分は家族もいないのにな。『現場では敵に情けをかけるな!』とかいつも抜かしてるくせに、自分のこととなると人情だけで動いて騙される……あそこまで行くとコンピュータと言うよりアメーバレベルの頭脳だな……ああ、アメーバには頭脳はねえか」
かなめは人差し指でこめかみをトン、と叩く。
誠は想像図を脳内に描こうとして、すぐに破り捨てた。矛盾の像がでかすぎる。
「それって……単なる『馬鹿』ってことですよね?中佐が見た目通りの8歳女児だったとしても自分に家族がいるかどうかは言えると思うんですけど……」
言ってから、しまったと思う。けれど言葉は戻らない。
かなめは肩をすくめただけだった。
「ランの姐御に言わせると『義理』と『人情』の間で悩むのが人間なんだと。だから姐御の携帯には登録した番号以外着信拒否する設定になってんだ……他にも叔父貴が色々と手をまわして何とか特殊詐欺の被害にあわない工夫をしてるわけ。だから姐御も叔父貴の部下しか務まらねえの。以前勤めてた東和陸軍のシュツルム・パンツァー教導部隊では、何度か立て続けに特殊詐欺の餌食になってあの強気がゆえに誰にも相談できずに多額の借金を抱えたことがあった。そのたびに、寮でガス管くわえて自殺しようとしてたところを見つかって大騒ぎになったし。最終的には発見が遅れてガスが引火して大爆発を起こしてその寮が吹き飛んだんだ。ここまで行くと笑っちまうな」
かなめの『冗談』の域を超える固有名詞の列が誠の脳を埋め尽くす。
かなめは笑って言ったが、誠は笑えなかった。
誠の背筋を冷たいものが走る。詰め所の空調音が急に遠くなった。
「どんな詐欺にあったんです?その最後の寮が吹き飛んだ時のガス自殺未遂の時は」
声が自然と小さくなる。
かなめは苦笑いの角度を少しだけ和らげた。
「例えば……『あなたの甥っ子が誘拐されました』とかだな」
もうかなめはこれがランの定番のネタだと割り切ったような明るい笑顔を浮かべてそう言った。
「甥っ子いないですよね!?あの人、身よりは一切いないって聞いてますよ?なんでそんなのに引っかかるんですか?」
誠はこれまでランは彼女自身が言う通り『人類最強』だと言うことは認めていたが、ここまで来るとただの馬鹿としか思えなかった。島田の一桁の割り算がおぼつかない馬鹿さと同レベルの馬鹿であることは間違いなかった。
「それがな……『甥がいるかもしれない!』って、疑うこともなく身代金を払おうとしてたんだよ」
誠は、笑い話にしていいのかどうか分からず、ただ喉の奥が苦くなるのを自覚していた。誠は頭を抱え、机に額を軽くぶつけた。ホワイトボードの『連絡網(家族)』の欄が空白のままなのが、急に胸に刺さる。
「そんなもんですか……しかし、特殊詐欺被害の借金でガス自殺って……怖いですね、特殊詐欺」
言葉にすればするほど、喉の奥が苦くなる。
ランの意外な弱点は、彼女が嵯峨の保護の下でしか生きていけない理由と直結しているのだと、誠はようやく繋げた。
壁の相関図……{隊長:嵯峨/機動:カウラ・かなめ・ラン/整備:島田……}……の下に、小さく走り書きがある。『※誰かが誰かの欠点を覆う。全員で1ユニット。』誰の字だろう。癖のない、真面目な字だ。
誠は、そこに自分の名前がまだ括弧付きで書かれているのを見て、なんとも言えない居心地の悪さと、少しの安堵を覚えた。誠はこの会話の流れを思い出して、ふとつぶやいた。
「つまり……この部隊って、まともな人間がいたら逆に機能しないんですね?そんな話を聞いていたら僕もまた逃げたくなってきましたよ……この前とは別の理由で」
驚きを通り越した心理状態の誠には今はそういうことしかできなかった。
「神前、何を驚いている。組織とは、使える人材を使える場所に置くものだ。東和陸軍でも、ここでも、それは同じだ。多少、手続きが特殊なだけだ」
この『特殊な部隊』の異常が当たり前の日常だと信じ込んでいる口調でカウラはそう言う。
「多少ですか!?これのどこが?」
見た限りかなめよりは常識の側に近いと思っていたカウラも彼女の言葉で誠の常識の外の住人なんだと理解した。
「少なくとも、私の知っている社会ではそうだ」
それを聞いたかなめが笑う。乾いた、けれど少しだけ救いのある笑い。
かなめはこれが常識としては通用しないことは理解しているように誠には見えた。それでも面白いから好き勝手やっている。一方のカウラはこの『特殊な部隊』がどこでも当たり前の常識だと信じ込んだ眼をしている。
どちらも怖いが今の時点ではかなめよりもカウラの反応の方が誠には怖かった。
「そういうことだな。ウチは『社会不適合者の寄せ集め』なんだよ。だからそれをお互いかばいあって不条理な世の中と戦っていかなきゃなんねえんだ。そういうアタシも銃の不法所持の疑いでしょっちゅう任意聴取は受けてるから人のことは言えねえんだ。甲武じゃ『アタシは藤太姫だ!|検非違使別当《けびいしのべっとう》だ!オメエんところの所長が始末書を書きたくなかったら黙って通せ!』の一言ですべて解決するのに……面倒だな、東和は」
かなめは苦笑いを浮かべ、さっき整備したばかりの銃をホルスターから抜いて、まるでお気に入りの万年筆でも眺めるように見つめた。蛍光灯が一度ちらつき、空調が息を吐く。
誠は途中から、何が犯罪で何が日常なのか分からなくなっていた。
逮捕歴。
特殊詐欺。
ガス自殺未遂。
シュツルム・パンツァー窃盗。
それらを誰一人として『決定的におかしい』ものとして扱っていない。
それが何より怖かった。
電話はもう鳴っていない。将棋盤の角はまだ香袋の上。カップの底でコーヒーが冷え、詰め所の匂いがいつも通りに戻っていく。
『生態系』は今日も正常に機能している。誰も正常ではない、という前提で。